逆祈願
黒が、ルカの内側へと染み込んでいく。
それは水でも炎でもない。
濁りと怨嗟に満ちた、異物のような“力”。
全身を這い回りながら、魔力の核に静かに触れていた。
「――……ぉ゛、あ……あああ……ッ!」
裂けるような痛みが血管を駆け、
骨が軋み、皮膚の下で何かが蠢く。
細胞の一つひとつが、
“元の自分”ではない何かへと塗り替えられていくようだった。
身体の中に、別の存在が立ち上がる。
それは確かにルカ自身であり――ルカではなかった。
頭の奥に、ひとつの名が刻まれる。
――逆祈願――
祈りを裏返す力。
願いを否定する呪い。
“光”を“闇”へと変える、反転の理。
それは神への反逆であり、世界の秩序への挑戦でもあった。
その時だった。
「……たすけて……誰か……たすけて……」
どこからか、か細い声が届いた。
迷宮の奥か、それとも死者の残した怨念か――
祈りのようなその声に、反応したのは“力”だった。
ズズ……ズズズ……ッ
空間が捻じれる。
腐った手が地面から現れ、
声の主――女の姿を模した“骸”を、ずるずると引きずり込んでいく。
「や……だ……たす、け――」
ズチュッ。
音を立てて、骸は飲み込まれた。
その異様な光景を見つめるルカの瞳に、
かすかな“笑み”の影が差した。
ナカトが笑っていた。
だが、ほんの一瞬だけ――ルカ自身も笑っていた。
「……もう……僕には、届かないよ。」
その一言は、かつて“助けを信じていた少年”の死を告げるものだった。
ルカは、ゆっくりと右手を上げる。
周囲の闇が集まり、魔力の奔流が構成されていく。
そのまま、天井に向かって解き放った。
ドゴォンッ!!!
崩れる石壁。
黒煙と砂塵の中に、一筋の光が差し込む。
そこは地上だった。
廃棄迷宮の出口――
闇の底からの、帰還の光だった。
傷だらけの身体を引きずりながら、
ルカは迷宮を後にする。
その背に宿っていたのは、もはや“祝福の少年”ではなかった。
闇に選ばれ、闇を喰らった――
復讐者の眼だった。
崩れた瓦礫を踏みしめ、ルカは地上へと足を運んだ。
──空は、青かった。
けれど、それはもう祝福の光には見えなかった。
視界に刺さるような、痛いほどの輝き。
その中で、自分だけが“別の色”に染まってしまった気がした。
「……ふぅ……っ」
血混じりの息を吐き、壁にもたれる。
指先が震えていた。けれど、恐怖ではなかった。
黒く、細く、熱を持った何かが──
確かに、体の中心を巡っていた。
──力。
(……これが……僕の、魔力?)
いや、それとは違う。
かつて白い光を操っていた頃の“それ”とは、まるで別物だった。
黒く、鈍く、重く──
けれど、掌のひらに収まるには余るほど“圧”があった。
目の前に、動く影。
振り返ると、地面を這う小動物。
ほんの数秒前までなら、見逃していたであろう命。
けれど──
「……邪魔だよ」
その言葉と同時に、ルカの足元の影が伸びた。
触れた瞬間、小動物は痙攣し、絶命した。
無詠唱。無意識。
ただの“拒絶”が、“死”という結果に繋がった。
(……僕は、変わったんだ)
その事実に、喜びも悲しみもなかった。
ただ、納得した。
世界が、自分を壊した。
だから──自分も、壊すだけだ。
ルカは足元の土を指で掘った。
小さな穴を作り、石ころをひとつだけ置いた。
まるで、自分自身の“墓”のように。
「ここに……昔の僕を、埋めておくよ」
そう呟いて、ルカは踵を返した。
どこへ向かうかも分からない。
ただ、風の吹く方へ。陽の沈む方へ。
地図も、導きも、何もなかった。
けれど──背中には、“確かな痛み”と“怒り”があった。
それだけで、歩き出すには十分だった。
──さあ、復讐を始めようか。“ルカ”
ナカトの声が、風に混じって微かに響いた。
ルカは返事をしなかった。
けれど、その足は止まらなかった。