赤い影と燃ゆる闇
──王都・裏手の古びた倉庫。
そこに響くのは、硬質な靴音と鋭い斬撃音。
空気の張り詰めた室内を、二つの影が交錯する。
ナイフの軌道が風を裂き、真横を通り抜けた。
ルカの頬を掠めた一閃が、背後の石壁に突き刺さる。
刃は深々と食い込み、かすかに震えながら沈黙する。
それは狙いを外したのではなく、的確に“威圧”として放たれた一撃だった。
赤い仮面の女は、まるで舞うように床を滑る。
一歩踏み込むごとに姿がぶれるような速さで間合いを詰め、
ルカの背後、横、足元――常に死角を的確に狙って現れる。
その動きには、無駄も焦りもない。
冷徹に獲物を狩る、職人のような精度だった。
ルカは、後退しながらも視線を逸らさず、呼吸を整える。
すでに額に汗が滲み、緊張が指先を震わせていた。
それでも――
その手のひらには、着実に魔力が集束していた。
《Black Echo―ブラックエコー―》
黒い音波が空間に解き放たれる。
それは視認できない攻撃――
幻聴と錯乱を引き起こす“異音”が、仮面の奥に向かって放たれた。
その瞬間、赤い仮面の女の動きが一拍だけ止まる。
「……!」
だが、その硬直はほんの一瞬だった。
女はすぐに姿勢を低く落とし、床を蹴る。
その一歩は、まるで空気を斬り裂くような異質な速さ。
再び視界の中に現れたかと思えば、すでに距離はゼロ。
ナイフが閃いた。
ルカは咄嗟に跳躍する。
《Dusk Lance―ダスクランス―》
闇の魔力を槍に変え、放つ――
が、ナイフの女はそれすら見越していたかのように、壁を蹴って軌道を逸らす。
そのまま逆方向から、天井を蹴って落下するように接近。
刃と刃は交わらず、肉体と肉体が紙一重でぶつかり、重心が揺れる。
距離を取る余裕もなく、呼吸の音さえ聞こえる近さ。
「……さっき使おうとした、あのヤベェ技。あれだけは勘弁してくれよな」
女の声は、冗談めいていた。
だが、その低く押し殺した声の裏には、確かな“本音”が混じっていた。
この女は本気で――ルカの中にある“それ”を警戒している。
「こっちは殺す気ねぇんだからさ」
言葉は軽い。だが、視線は一切逸らさない。
「……どういうことだ」
ルカの息が荒くなり始める。
激しい運動ではなく、精神の圧迫による消耗がその呼吸に滲んでいた。
だが、それでも。
ルカは一歩を踏みしめ、拳を握りしめる。
全身を包む魔力が震え、地面から黒い風が立ち昇る。
「……もう、手加減してる余裕はない」
その声と共に、空気が変わった。
黒い魔力が足元から吹き上がる。
それは“風”ではなかった。
渦を巻く影、逆巻く闇、意思を持つ呪いのような存在。
天井の明かりが吸い込まれ、倉庫の内壁がうっすらと暗く染まっていく。
魔力が空間を喰らっていた。
その異変に、女は目を細めた。
「……おいおい……使っちまうのかよ、それ……」
先ほどまでの余裕ある口調から一転、皮肉と焦りが混ざる。
見えない気配に、明らかな防衛の構えを取る。
ルカの両眼が、静かに、しかし確実に変わっていく。
その瞳に、理性と感情の境界が消えていく。
――“逆祈願”
魔力の質が、完全に変質する。
柔らかな影が鋭く跳ね、空気が裂けたようにざわめく。
仮面の者たちが身を引くほどの圧力。
もはや戦場の空気とは呼べない、異界の風が吹く。
そのときだった。
「ルカ!!」
扉が激しく開く音。
そして、少女の声が空間を貫いた。
「……!」
その声に、空間を満たしていた黒い渦が、一瞬だけ震えた。
まるで氷を溶かすように、怒りと狂気が融解していく。
ルカの魔力が、急速に沈静化した。
吹き荒れていた逆祈願の気配が消え、空気がゆっくりと静まっていく。
その瞳が、徐々に黒から元の柔らかな光を取り戻していく。
「フィーラ……無事か……」
ルカの声は、掠れていた。
だが、その一言で――たしかにすべてが変わった。
赤い仮面の女が、ふぅと息を吐いた。
肩から力を抜き、ゆっくりと数歩、後退する。
「……ま、合格だな」
仮面の奥で、彼女の口元がわずかに綻んだ。
それは、試練の終わり。
戦いではなく、“審査”だった。
女は踵を返し、奥の扉の向こうへと姿を消していく。
静かに、余韻だけを残して。
その背中を、ルカは追いかけなかった。
ただフィーラへと、歩み寄る。
ささやかな再会と、試された絆。
この一幕が、新たな波乱の幕開けとなることを、まだ誰も知らなかった。
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