仮面の茶会
──薄暗い部屋に、わずかな陽光が差し込んでいた。
その光は古びた窓枠の隙間から斜めに入り込み、埃を浮かび上がらせながら、静寂の空間を淡く照らしている。
フィーラは、ぽつんと部屋の中央に置かれた椅子に座っていた。
簡素ながら清潔に整えられた室内。
壁には古びた絵画が数枚、歪んだ額縁に収まり、窓際には手入れの行き届いた観葉植物が並んでいる。
外の喧騒は遠く、鳥のさえずりさえ聞こえないほど、室内は不自然なまでに静まり返っていた。
だが――
その穏やかさを壊すように、目の前には異様な光景が広がっていた。
白いクロスがかけられた丸テーブル。
その上には磨き上げられた銀のポットと陶器のカップが二つ。
そして、美しく盛られたケーキの皿が、まるで高級なティーサロンのように飾られていた。
そこだけが、明らかに浮いている。
……誘拐されてきたはずの自分の目の前に、なぜこんな光景が広がっているのか。
理解が、追いつかない。
(……ここ、どこだろう……?)
胸の奥に恐怖がないわけではない。
けれど今は、それ以上に混乱が支配していた。
手足は拘束されていない。
身体に傷もない。
意識もはっきりしている。
なのに――何かがおかしい。
視界に入るケーキの彩りや紅茶の湯気すら、毒のように不気味に見えてくる。
喉が乾いているのに、カップに手を伸ばす気にはなれなかった。
(ルカ……無事、だよね……?)
胸の奥で小さく呟きながら、膝の上で手をぎゅっと握りしめる。
その時だった。
静かに、扉の軋む音がした。
フィーラが顔を上げると、そこに現れたのは――
あの、“セレナ”だった。
けれど、出会った時とはまるで別人のようだった。
金色の長い髪は丁寧にまとめられ、頭には繊細な刺繍が施された飾り布。
純白に金の刺繍が施された高級なドレスは、どこか宗教的な荘厳さを思わせた。
歩みも、背筋も、佇まいも、ただの町娘ではない。
そこに立っていたのは、むしろ“高貴”という言葉がふさわしい存在。
その瞳は優しく穏やかだった。
けれど、じっと見つめるその目には、まるで“試す”ような鋭さと、底の見えない深さが宿っていた。
「……セレナ、さん……?」
思わずそう呼びかけてしまったフィーラ。
だが、少女――否、セレーヌは微笑だけを返し、何も答えなかった。
言葉を交わす前から、その場の空気は、確かに変わっていた。
◆
指定された場所。
王都裏手、人気のない古びた倉庫。
ルカは、たったひとりでそこに現れた。
手にするものは、何もない。
剣も、盾も、ナイフすらも持たず、ただ全身を覆うマントをひるがえして歩みを進める。
装備の代わりに握っているのは、ただひとつ――決意だった。
(フィーラを助ける……それだけだ)
空気は冷たく、埃が薄く積もった床に靴音が吸い込まれていく。
誰の姿も見えない。
だが、気配はあった。
風が吹かぬはずの室内で、微かに空気がうねる。
殺気ではない。
もっと静かで冷ややかな、“訓練された無”の気配。
まるで、この瞬間を待ち構えていたかのように。
そして、予感はすぐに現実へと変わる。
倉庫の柱の陰や天井から、音もなく現れる複数の人影。
全身を黒いマントで覆い、顔には表情の見えない黒い仮面。
その動きは静かで、それゆえに不気味だった。
どれがどれだか分からない。
誰が本物で、誰が偽物なのか。
その一体感が、逆に“異常さ”を際立たせていた。
だがその中で、ただ一人。
赤い仮面の人物だけが、異質な存在感を放っていた。
彼が、いや――彼女が、ゆっくりと前へ出る。
沈黙が空間を支配する。
誰もが声を発せず、息すら揃えているような緊迫感。
「……フィーラはどこだ」
ルカの問いかけが、空気を裂いた。
すると、赤い仮面の者が小さく笑う。
「無事だよ。今は……茶会の最中さ」
低く、かすれた女の声だった。
「……終わるまで、少し遊んでようぜ」
そう言った瞬間、仮面の影がふっと消え――
次の瞬間、銀色の閃きが、ルカの目の前を切り裂いた。
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