美の守人
階段を下りきった先は、異様な静寂に包まれた地下空間だった。
石造りの壁に囲まれた冷たい空間。
整然と並ぶ四つのショーケース。
その中には、まるで眠るように目を閉じた少女たちが収められている。
あまりにも整いすぎた美。
整頓された死の空気。
命の気配が完璧に取り除かれた“美術館”のような光景だった。
「──アイナさんっ……!」
フィーラが目を見開き、駆け出しかけて足をもつれさせた。
ショーケースのひとつ。
その中に、裸のまま横たわるアイナの姿があった。
肌は白磁のように滑らかで、吐息ひとつ感じさせない静けさ。
それでもどこか、今にも目を開きそうな幻想が、見る者の心を惑わせる。
「そんな……そんなの、嘘でしょ……!」
震える手でガラスに触れながら、何度も、何度も名を呼ぶフィーラ。
「……どうして……こんなことに……!」
涙混じりの嗚咽が、冷たい空間に滲んでいく。
その背後から──ねっとりと絡みつくような声が、忍び寄った。
「……美しいだろう?」
振り返った二人の目に映ったのは、もはや“司祭”ではなかった。
陶酔の笑みを浮かべ、ゆらゆらと目を細める“狂気”そのものだった。
「18歳という神秘……子供のあどけなさと、大人の色香が、奇跡的に同居する。完成でも未完成でもない、“最も美しい瞬間”なんだよ」
フラジオの声は次第に熱を帯び、唾を飛ばしながら語る。
「咲き誇る花が、まだ散ることも知らずにいるような──そんな尊い刹那。だからこそ、永遠に閉じ込めなきゃいけない。失われる前に、完全に……!」
「……それで殺したのか」
ルカの声が、地下室の空気を引き裂いた。
低く、鋭く、怒気を孕んだ問いかけ。
しかしフラジオは気にも留めず、微笑んだまま首を振る。
「殺した? やめてくれよ、酷い言い方だ。僕は彼女たちを“完成”させてあげたんだ。だってこの先、この美は……どんどん失われてしまうんだよ? 僕が守らなきゃ、誰が守るっていうんだ」
崩壊した論理。幼稚で歪んだ“使命感”。
「このために、僕は保存の魔法を磨いた。全部、このためさ。……分かるだろう? 本当は君たちも気づいてるはずだ。これが正しいことなんだって。心の奥底では、理解できるはずなんだ──」
「黙れ」
ルカの拳が、空間ごと狂気を殴りつけた。
魔法すら不要だった。
容赦のない打撃が、フラジオの顎を跳ね上げ、身体を壁に叩きつける。
そのまま──何発も、何発も。
鈍い音と血の飛沫が、沈黙に混じる。
倒れても殴打は止まらず、ルカは一言も発さずに、ただ無言で叩き続けた。
「ルカ、やめて……っ、生きて……償わせなきゃ……!」
フィーラが涙声で抱きつき、ルカの腕を止める。
その言葉に、ルカはわずかに息を吐き、拳を引いた。
静かに立ち上がると、目を閉じ、呟く。
「この子たちを、解放しよう」
そして、闇の祈りを逆さに捧げる。
──逆祈願
その瞬間、地下室の空気が変わった。
ショーケースの中で凍りついていた“時間”が、ゆっくりと──動き始める。
血色を保っていた肌に、ほんの僅かなくすみが現れ、張り詰めていた空気が解かれていく。
「おい……なにを……している……やめろぉ……やめろぉぉぉ……!!」
フラジオが狂ったように悲鳴を上げ、ショーケースにしがみつく。
「やだ……やだ……やめろ……お願いだ、僕の、大切な……僕だけの……!」
まるで、おもちゃを取り上げられた子供のように、地を這い、泣き叫ぶ。
だが、魔法は止まらない。
止められていた“時”は、もう二度と戻らない。
フラジオが望んだ"永遠"は"刹那"に失われていった。
永遠を閉じ込めようとしたその手は、
誰も守れず、何も救えず──静かに砕け落ちた。
美と狂気の境界に溺れた男は、今、ただ虚無の中に立ち尽くしている。
そして後日。
……彼は、淡々と語り始める。




