闇との契約
ぐじゅっ……
何かが潰れた感触と共に、少年の身体は冷たい床へと叩きつけられた。
どれほどの時間が経っていたのかは分からない。
だが、目の前には広がっていた。
――腐敗と死の匂いに満ちた、絶望の迷宮が。
「……っが……あ、あぁ……」
喉は潰れ、声にならない。
全身の骨がきしみ、血が喉を塞ぐ。
あの日、あの瞬間。
ルカは“祝福の儀”と呼ばれる名の元に、
その身に宿していた“光”を、全て抜き取られた。
礼拝堂にいた全員が、見ていた。
ミリアの祈るような瞳も。
父と呼んだ者の沈黙も。
祖母のように優しかった手すらも――
誰一人として、止めなかった。
そして、役目を終えた彼は“廃棄”された。
ここは、迷宮の底。
魔力を奪われ、生きたまま捨てられた者たちの、屍が堆積する場所。
腐った肉。変色した骨。濁った眼球。
それらが入り混じった床の上で、ルカは微かに息をしていた。
「……っ、う……」
動かない手。冷たい指先。
意識はぼんやりと霞み、
ただ、頭のどこかで“なぜ”が渦を巻いていた。
なぜ――
どうして。
ミリアの笑顔は、本物じゃなかったのか。
あの日々は、全部嘘だったのか。
考える力も残っていない。
けれど、“裏切られた”という現実だけが、痛みと共に胸をえぐっていた。
……その時だった。
闇の奥。
腐った骸の山の向こう。
空間のひび割れのような“黒”の中から、何かが滲んだ。
“それ”は、形を持たない。
煙のように揺れ、風のように流れ、
だが確かに、そこに“視線”があった。
「…………」
声はしない。
ただ、にじむような“何か”が、ルカを見ていた。
天も地も、時間すら存在しない、
息苦しいほどに静かな空間。
その中心に、骸の山があった。
無数の死体が折り重なり、腐臭を放っている。
その頂に、“それ”はいた。
黒く揺れる影。
人のような形をしながら、肉も骨も持たない。
ただ気だるげに頬杖をつき、こちらを見下ろしていた。
「……よぉ。……生きてっかぁ……?」
その声は、低くて、ねちっこくて、妙に軽かった。
けれど耳の奥に染み込むように響いてくる。
「お前ぇ……変わった魔力してんなぁ」
喉の奥が焼けつくようで、声が出ない。
僕の身体は、もう動かない。
それでも、何かを言いたかった。
でも――
「ひゅう……ひゅっ……」
漏れたのは、ひび割れた呼吸音だけだった。
声じゃない。
悲鳴にもなれない、空気の振動だった。
「抜かれちゃいるがぁ、残りカスってのがぁ……誰にでも残んだよ」
影は、ゆらりと首を傾けながら笑っている気配を見せた。
「お前ぇ……俺と契約しねぇかぁ……?」
僕の中で、何かがざわついた。
何もかもを失ったはずなのに、まだ揺らぐものが残っていた。
その時だった。
「手伝ってやるよ……お前の、復讐……」
――その言葉が、
全ての“なぜ”に、答えを与えた。
ミリアの顔が浮かぶ。
笑っていた、優しかった、でもあれは――嘘だった。
父の声。
師の言葉。
屋敷の温もり。
全部、裏切りだった。
「……ッッ……!!」
怒りとも悲しみともつかない感情が爆ぜ、
黒い光が僕の身体を駆け巡った。
血管が浮き出る。
脳が焼けるように熱い。
「……契約してやる……!!」
骸の山が崩れ落ちる音。
黒い影が僕の胸に染み込んでいく感覚。
「いいねぇ……お前が祈るほど……全部が裏返るぜぇ……」
闇が、ルカの中で目を覚ました。