静けさの中
暴走が収束した直後の路地には、死体と瘴気の残滓。
ルカは肩で息をしながら、その場に立ち尽くしていた。
そこへ、一陣の風と共にセズが現れる。
「……今のは、なんだ」
セズの問いに、ルカは答えず、目を伏せる。
「答えろ! 今の魔法は! 貴様は一体何者だ!」
ルカは、静かに問い返す。
「“祝福の儀”……聞き覚えは?」
「……祝福の、儀?」
セズは数秒、沈黙した。
「そんな儀式は知らん。俺の故郷でも聞いたことはない」
ルカの目が僅かに陰る。
「……そうか」
「答えになっておらん!」
緊迫した空気が二人の間に流れる。
そのとき、フィーラが駆け寄ってきた。
「ルカっ!」
ルカはセズに背を向けた。
「あんたがあっち側じゃないなら、争う気はない。
だが深くも話す気もない、悪いな」
そう言ってルカはフィーラと共にその場を離れる。
セズがその背中に何を言うべきか迷っていたとき、騎士団員数名が遅れてやってきた。
「隊長……これは…」
「くっ……負傷者がいないか隈なく探せ!」
セズはすぐに指揮へと戻った。
◆
街を一望できる高台に、月明かりを背にした女の姿があった。
黒髪の長い髪を風に揺らし、艶やかな瞳に愉悦を滲ませている。
「六十点といったところかしら。……色々と改善点がありそうね」
彼女の目は、遠くの路地に残された黒衣の影――ルカを見据えていた。
「それより……あの坊や……ふふ……面白くなりそうね」
妖艶とも不気味ともとれる笑みが溢れる。
「……それで? 呪具の回収は済んだの? 副隊長さん」
その傍らに、もうひとつの影が現れる。
黒い外套、茶髪の男――第五部隊副隊長フィノ・バッカス。
「はい。後はいつも通りに処分しておきます」
「お願いね。でもまさかあなたが裏切るだなんて、隊長さんは想像もしないでしょうね……」
「裏切る……?元より俺は、あなたにのみ忠義を誓っておりますから。ネフェルティア様」
〈ネフェルティア〉
その姿はまるで闇そのものが優雅に舞っているかのようだった。
不気味なほど白い肌。漆黒の艷やかな髪。奇妙に長い前髪は片目を隠し、麗しい唇は意味深な笑みを浮かべている。
声は甘く囁くようでありながら、どこか人の心を縛る冷たさがあった。
夜風が二人の外套を揺らした。
何事もなかったかのように、静かな沈黙だけが広がっていく。
◆
宿に戻ったルカとフィーラ。
外の喧騒が嘘のように、部屋の中は静かだった。
ルカは椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。
その腕には、未だ浅くはない裂傷が残っていた。
「……怪我、見せて」
フィーラはルカの腕にそっと触れ、小さな詠唱を囁く。
淡い光が指先から漏れ、ルカの肩に癒しの力が宿る。
その手が少しだけ震えていた。
「……ありがとう」
ぽつりとルカが呟く。
「ねえ、ルカ……あれって……呪具って、何なの?」
ルカはしばし考え、口を開いた。
「魔道具……って呼ぶには違和感がある。」
「うん……」
「“膨大な魔力”を無理やり詰め込んでるような……たとえば、誰かの魔力をそのまま……」
その言葉に、フィーラの顔が曇る。
「ただの“資源”として保存されてる……」
まるで、自分が“そうだった”ことをなぞるように。
ルカは少しだけ目を伏せた。
「……でも、そんなの、誰かの命を……奪ってるのと同じだよ」
フィーラの声が震えていた。
「だから、あんな風に……暴走するんだ」
静かな沈黙が部屋に落ちた。
しばらくして、ルカがフィーラに目を向けた。
「今の魔法……治癒魔法か?」
「え、あ……うん」
「……使えたんだな」
「ほんの少しなら、何とかね。だけど……高度な魔法はうまくいかなくて、効果が変わったり、発動しなかったり……制御できないのが怖くて、あまり使わなかったの」
「属性は?」
「子供の頃に一度だけ水晶で…。薄い青で、濃度1か2だろうって」
フィーラは小さく自分の手を見つめた。
「昔からなんとなく……魔法ってちょっと扱いづらいなって思ってて」
ルカは目を細めて彼女を見た。
確かにあのとき、フィーラの魔力は、どこか“澄んだ”印象を持っていた。
「鑑定し直してみてもいいかもな。王都になら腕のいい鑑定士もいるだろうし、行ってみるか?」
「うん」
何かが変わり始めている――そんな予感だけが、二人の間に残った。
やがて、夜が静かに明け始める。
窓の外には、まだ薄暗いリネールの街。
人々の朝はもうすぐそこにある。
「……明日には出よう」
ルカがそう呟いた。
フィーラは頷き、静かに窓の外を見つめる。
どこか遠くを見つめるように、その目に微かな決意の光を宿していた。




