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堕神契約―祈りを奪われた少年は、裏切りの神と世界を呪う―  作者: 苗月
序章

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もうひとつの契約

夜が明けきる少し前の街を、ルカはひとり歩いていた。


 血の匂いも、焼けた肉の臭いも、風に流れてどこかへ消えた。

 すべて終わったはずなのに、足は重く、景色は霞んでいる。


 満足感も、達成感もない。

 あるのは、ぽっかりと空いた感情の空洞。

 目に映るものは確かに“存在している”のに、何も写らない。


「これで、何もかも……」


 小さく呟いた、そのとき。


 〈終わってねぇよ〉


 ルカの足が止まり、空気がねじれる。

 視界が歪み、身体が崩れるように沈んでいく――



――精神世界――



 赤黒く濁った空、ドロリとした足元。

 内臓の中のような、生きているような死んでいるような空間。


 〈見てたぜ、ぜんぶな〉


 ナカトの声。湿った笑い声と共に、闇の中から輪郭を持った何かが現れる。


 〈ずいぶんと気持ちよさそうだったな……殺しも泣き喚きも……全部、てめぇの望み通りか?〉


 ルカは俯いたまま、答えない。


〈次は、俺の番だ。〉


「……僕は、もう……」


 〈おいおい、てめぇだけスッキリして終わりってか?ふざけんなよ。  "契約"ってのは、片務じゃねぇ。片方だけ満足して終わりなんざ、ありえねぇ〉


 黒い液体のように床を這いながら、ナカトの姿がルカにじわじわと近づく。


「………どうすればいい」


 虚ろな目のまま、ルカは問う。


 〈どうもしなくていい。簡単なことだ、てめぇはここにいればいい。〉


 声色が少し沈む。


 〈体だけ、よこせ〉



 少し間が空き、力なく答える


「……そうか。それなら……好きにし――」




 ―パチンッ。




 乾いた音が、すべてを切り裂いた。


 その瞬間、街の建物、夜明け前の空気、現実の感覚が流れ込んできた。

 空気の重さ、朝の湿気、そして……頬に残る熱。


 誰かに頬を叩かれた、、気がする。


 視界が戻ると、そこにいたのは――


「……心配したんだから……!」


 フィーラ。


 涙目で、頬を膨らませ、睨むように立っていた。

 けれど、その目は怒りよりもずっと深く、悲しみと安堵と――強い決意を湛えていた。


「……え、あ、ああ……」


 ルカは戸惑いながらも、その声を、熱を、確かに感じていた。


 フィーラは唇を噛みしめ、声を震わせながら話し始める。


「この街に来てから、ずっと様子がおかしかった……。  何も言ってくれないし、何かに怒ってるみたいだったし……」


 涙が頬を伝い、彼女は拳をぎゅっと握った。


「でも、わかってた。  ルカは……人に言えない何かを抱えてるって……」


「……」


「それがどんな辛いことなのか、わからないけど……それでも、いなくなるなんて……っ。  私……本当に……!」


 彼女の言葉が、心の奥に染み込んでいく。


「……ごめん」


 その言葉には確かな“命”が宿っていた。


 フィーラは涙を拭い、顔を上げる。


「ルカ……ルカは、生きてるんだよ?」


「…!」


「ルカ、今もちゃんと生きてる!!」


 その言葉が、胸に突き刺さった。


 ずっと、死んだ、つもりだった。

 復讐のためだけに動く骸だと。


 でも今、たった一言。

 "生きてる"と言われただけで――

 心の穴が、ほんの少しだけ、塞がった気がした。


 フィーラはそっと歩み寄り、ルカの背に腕をまわす。


 「だから、ね?……大丈夫。」


 その声は、今まで感じた何よりも、温かかった。



 フィーラはルカの前に立つ。

 涙の跡を残したまま、顔だけはキリッと引き締めて。


「ルカ」


「……?」


「“契約”しよっ!」


「……契約?」


 ルカは少し眉をひそめる。が、フィーラは真剣そのものだった。


「うん。私ね、困ってる人達を救いたいの。助けたいの。できるなら全部……でも、まだ弱くて、全然足りなくて……だから、私が一人で救えるようになるまで……ルカも手伝って?それが契約!」


 〈手伝って〉

 何とも軽くて薄い響き。

 自分の知るそれとは似ても似つかない、フィーラの"契約"。


 ルカはしばらく黙っていた。


 やがて、思わず――


「……ぷっ……ははっ……!」


 笑ってしまった。

 涙まで出た。


 笑うなんて…久しぶりだった。


「な、なに!? 壊れた!? ルカが壊れた!!」


 フィーラが慌てふためく。


「違う、違うよ……フィーラ、ありがとう。」


 そのときのルカの笑顔は、今までのどの笑顔よりも温かかった。

 それは、ようやく“生きている”と、自分自身が認めた証だった。



 その夜、ルカはすべてを話した。

 孤児院で生まれたこと。

 レオナード家に引き取られ、ミリアに魔力を奪われ、処分されたこと。

 ナカトとの契約のこと、力のこと、そして…今日のこと。


 なぜ話したのかは、自分でもよくわからなかった。

 ただ――フィーラには、嘘をつきたくなかった。騙したくなかった。――裏切りたくなかった。


 だから話した。話したかった。ただ、それだけだった。


 フィーラはまた泣いていた。

 そして、ぽつりと「ごめんね」と呟いた。


「ルカのことも、ちゃんと救わなきゃね……私、頑張るね」


 その言葉に、ルカは。

 もう、救われていた気がした。



―――心の奥底。ナカトがニヤリと嗤う。






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