第四話
「ルイン様」
顔を上げると、ずいとアッシュが身を乗り出した。
「なんだ」
「お気分が優れないのですか? 本日は予定もございませんので、夕食までしばらくお休みになっていただいても構いませんが」
「……」
こういうところがいけない。アッシュは決してルインのことを好んでいないだろうに、ふるまいが優しすぎる。
もちろん、当然といえば当然なのだ。アッシュはルイン専属の護衛騎士で、六歳のころからルインだけに傅き続けているのだから、ルインの機微に少々聡くなるのは自然なことだ。
「うるさい。言われなくても、休みたいときは勝手に休む」
「そうですか……出すぎた真似をいたしました」
あっさり引き下がったアッシュは平然と礼をし、遠ざかっていく。やきもきして、やけになって言い放った。
「くそ! 少し寝る」
「お着替えは」
「いらん。そのくらい自分で出来る」
クローゼットを開けてさっさと緩めの服装に着替え、ベッドにぼすんと倒れこむ。ぐいとうすいブランケットをたぐり寄せる。
ため息が出た。これからのことを考えると、正直不安でたまらない。
……騎士団は二日後にやってくるだろう。彼らは両親を拘束し、国立裁判所──裁判所とは名ばかりの処刑場だが──まで連行するつもりだ。それまでには家を出る。逃げ出すタイミングは明日の深夜。平民を装うためのぼろぼろの古着も、汚い靴も、遠くまで乗り継ぐ馬車も用意はできている。
ミルミアと使用人の話を反芻する。確かに『隣領地にある関所も、まもなく閉鎖されると思われます』と言っていた。それをどうかいくぐるかが、第一関門だ。魔法でどうにかなるだろうか? ルインが使えるのは氷魔法と、風魔法だけだ。
前提として、世界には五つの属性魔法がある。
火、水、風、土、光。
あらゆる属性はそこから派生したものだ。氷は水から派生した属性魔法で、水魔法の次に習得できる。例えば、アッシュは炎魔法を得意としていて、剣に炎を纏わせたり、爆発を起こしたりして戦う。
ルインは魔法を使えることを隠していた。公式には、シーティア家の中で魔法を使えるのはアッシュと当主つきの執事(あの男は護衛も兼ねている)くらいで、つまり要人を護衛する立場にある者だ。魔法人口は世間の一割に届かないほどだから、特段不自然なことはない。その代わりに剣を佩く者が多くいる。
しかし、広大な敷地を治める公爵家のことだ、関所には魔法が使われているだろう。
ルインが関所を越えた証拠は残さないようにしたいので、風魔法で飛ぶつもりでいるが……それすらも難しいようなら、無理やりにでも越えるしかない。
そんなことできるだろうか。
「ルイン様。お休みのところ申し訳ございません」
「……まったく、つくづくうるさい男だな。いったいなんの用だ」
壁に向いていたのを振り返り、目をすがめた。今日は珍しくアッシュがよく話す。いったいどんな風の吹き回しなんだと思いつつ、好いた男の声を聞く機会が多いのも悪くはない。
「お尋ねしたいことが」
思わずアッシュの顔をまじまじと見た。
「おまえ、どうしたんだ? ほんとうに珍しいな。言ってみろ」
「どうして私だったんですか」
「なにが」
「あなたのそばにいることを、唯一許され続けたのが、です」
閉口する。
確かにルインにつく使用人は入れ替わりが激しく、一年もつか、もたないかといった具合だ。