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OverDrivers  作者: jau
26/30

26話 燃える星々-6 無力に嘆いたその先に

 大闘技場の、どこになるだろうか。

窓一つない通路を抜け、兜を取ったエリスは扉を開ける。

開いた先の一室は、長机の並ぶ会議室だった。彼女はそのままその最奥、議長の座へと歩んでいく。


「お帰りなさいませ、エリス様」


 そこに並ぶ者たちに混じっていたバルドが、彼女を出迎えた。

着席してから、彼女は言葉を返す。

かつてリリアに向けたそれとは全く色の異なる、暗い瞳だった。


「どうも。あの人達からの連絡はあった?」

「いいえ」

「それなら良かった。結果的に手間取ることになっちゃったから。

 ……誰かさんたちのせいで」

「……っ」


 揶揄するような彼女の言葉に、バルドは明確に身体を強張らせる。

それは彼女の主語を欠いた言葉と、彼らの立場を表す何よりのものだ。

だからこそ。長机の並ぶ真ん中、囲われる形で囚われているドグマ達に、

それはより一層の困惑を与えるものであった。


「でも、お陰でこの鎧……新型の精霊外装、だったっけ。

 それを試せたのはよかったのかも。夜の妖魔(ナイトベール)の人のやつよりも、ずっと動きやすい」

「エリス嬢! これは……どういうことなのだ!?

 何故君が、デルタアーツを……」


 手足を椅子に縛られた彼らにとって、干渉の手段は言葉しか残っていなかった。

だが怒りよりも困惑が上回っているドグマの声色は、これまでの彼女との関係を表すものでもある。

それは、捨て置けるものではないのだろう。少しエリスも眉を潜めて、答えた。


「辺境伯。貴方は私達にとっても良くしてくれた。

 だから、それにだけは答えてあげる。デルタアーツは、あなたの敵よ」

「何……!?」


 返されたのは、思いもよらぬ情報だった。

真偽を問う前に思わず言葉を失うドグマに、エリスは微笑みながら続ける。


「町興しとして闘技大会を打ち上げ、

 その成功によって勢力を拡大させていたのもそのためだったの。

 貴方に近づき、いずれ、歴史の好機で排除するために」

「何だと……!? では、此度の出来事も……!?」

「でもね、辺境伯。貴方がなにか悪かったわけじゃないの。

 もう何もかもが、遅かった。貴方が責があるとすれば、ただ運が悪かっただけよ。

 ……ねえ、兄さん」


 その暗い瞳がドグマの隣で縛られていた、ずっと俯いているモースへと向く。

直後、黒い影が鋭く伸び、彼を縛っていた縄を切り裂く。


「ああ。オレも、あんたの事は嫌いじゃねえ。でもな……オレはエリスを裏切れねえ」


 それは返答の形ではあるが、間違いなくドグマにも向けられた言葉。

普段の快男児ぶりからは全く似つかわしくない、暗い色を帯びた声色だった。

これもまた、この場の勢力図を表すものであった。

様々な疑問を乗せて、ドグマは怯むことなく問いただす。


「エリス嬢、モース!! 一体何者なのだ、君たちの……!」

「答えるのはここまでよ。牢に封じておいて。

 勝手に殺すと、また面倒になりそうだから」


 だが、今度の言葉にはエリスは答えなかった。

そもそも会話に付き合うという事自体が、彼女の温情に他ならない状況だ。

周囲の人物たち……エリスの部下になるのだろう男たちが、辺境伯の身体を抱えあげる。


「エ、エリス嬢っ!」

「はっ!」

「は、離せっ! ぐうっ……!」


 残された声も、エリスには届きにはしなかった。

部屋の外へと消えていく彼の姿を見送ると、一呼吸してエリスは話を切り替える。


「それじゃあ皆。準備に手間取ってしまったけど、これから計画を始めるわ。

 あとは予定通りに。あの人達にも連絡を入れておいて。遅れてしまって申し訳ないって」

「はっ!」

「あと……グローリアから渡ってきてる、英雄ジストの隊の足止めも」

「はっ! しかし……ジスト達は傭兵たちが足止めをしているはず。残るは連れの小娘一人では?」

夜の妖魔(ナイトベール)の尖兵も、バルドさんも、その子が破ってる。

 それに……あの子は、動けるのなら絶対に私達に立ちはだかる。そんな気がするの」

「はっ! 辺境伯が不在の今、指揮系統も混乱しているでしょう。そのように手を回します!」


 彼女の号令を受けて、この場に残る者たちは一礼を返し、足早に行動を始めていく。

その全てが入口の方へ向かう中、彼らとすれ違うように、呆然と立ち尽くすモースの姿が残される。

俯いている彼の表情は、周りからでは伺えなかった。


「……」

「兄さん」


 部屋に二人だけとなって。エリスはようやく、彼に近づく。

胴がくっつくほどに、距離を近づけて。彼の顔を胸下から見上げるように見つめて。


「兄さん。上のことは任せるからね」

「……ああ」

「……もう、裏切ったら、嫌だよ」


 まるで甘えるかのように、エリスは彼にもたれ掛かって、そう口にする。

ある種懇願するかのような、か細い声色。

縋るように僅かに絡ませた指先、それを、彼は深く握り返して答えた。


「ああ、任せろ。オレは絶対、お前の味方だ」


――

「すまないな。上からの命令なんだ」

「……」


 そんな、場所も知れぬような闇の中の陰謀。

そして会議の中で交わされた言葉通りに。リリアは今まさに、その影響を知らずに受けることになっていた。


「あとで申し開きの場があるはずだ。暴れないでくれよ」

「……わかってます」


 眼の前に現れた牢屋、その開かれた中に、リリアは自分から入っていく。

先ほどまで言葉を交わしていた衛兵たちの、憐れむような、罪悪感の強い視線が重なった。

とはいえ、その手を止めるわけには行かないのだろう。

牢の鍵が閉められ、足取り重く去っていく彼らを見送ると、リリアは大きなため息を吐いた。


「はぁ……」


 あの場に残された唯一の存在であるリリア。

地中に引きずられていった辺境伯やアーミィ、"鉄の悪魔"を目撃した衛兵たちにとって、

彼女の存在をどう見るか、という観点があった。すなわち。敵の一員であるか、否か。

そして結果的に、こうして彼女は牢に囚われることになってしまっていた。

それでも手も足も縛られていないのは、微妙な立ち位置であることの証左でもあったが。

ため息で現状を再認識して、後悔するように彼女は独りごちる。


「……暴れちゃったほうがよかったのかなぁ」


 反撃や強引な逃亡ができなかったかといえば、そういう訳でもなかった。

だがドグマとも、リーンとも親交の芽生えた今。

その仲間、部下である衛兵たちに手を上げたくないという思いが強かった。

そして、もっと言えば。

鉄格子に目を向けるリリア。この光景は、初めてではない。


(エリスさんはこれで終わらない、って言ってた……きっと、また何かやるつもりなんだ!

 じっとしてちゃいられない、止めなきゃ!)


 その鉄格子に、手をかけて。

リリアの意志に呼応して、精霊たちが姿を現していく。彼女に、眼の前の障壁を打ち砕く力を与えるために。

彼らの助力を受けて、輝くその両腕に渾身の力が込められた、その最中。

その鉄格子が、リリアの纏う黄金色とも違う真っ白な光に包まれていく。


(えっ――)


 そして。


「――きゃあっ!!?」


 不可視の斥力が牢から発生し、リリアの身体が後方へと吹き飛ばされていく。

腕に纏われた精霊たちが素早く位置を変え、その身を守ったために外傷は受けなかったが、

この一連の動きは、その脱出を阻むものに他ならなかった。


「な、何が起きたの……檻から、何か……?」


 リリア本人が認識できたのは、それが限界だった。

自分の体が吹き飛ばされたようだったが、その由来は分からない。

困惑に包まれる思考、その最中。


「ハハハっ! 真正面からブチ破ろうなんて馬鹿がいるなんてなあっ!」


 その答えは、牢の外。

それも向かい合った反対側の牢からの声によって、与えられる事になった。

声に気づいて、再び牢の入口側へと身を寄せるリリア。

その声の主もまた嘲笑のためか、鉄格子のすぐ側に立っているようだった。


「誰っ!? 誰なのっ!?」

「現代でそんなんが通じるわけねーだろっ、ハハハハハ!!

 いやー笑わせてもらったぜ……って、お前!?」

 

 故に近づいた二人には、互いの顔が見えて。

そしてそれは互いに、大きな驚愕を生むことになった。


「あの時のガキぃッッ!?」

「あ、貴方っ!! たしかエリスさんを誘拐してた、あのリーダーの!!」


 何故なら、その顔は。

互いに、それもつい直近で見合わせたことのある顔だった。

そう。リリアが口にしたように、刃さえ交わしたことのある相手。

誘拐団のリーダーだった、あのバゼルが声の主だった。


「ああ……てめえにここにぶち込まれた、バゼル様だ!

 しっかし、同じここに入ってるとは! お笑い草だぜ! ハーッハッハ!!!」


 相手がリリアであることを認識して。

彼は怒りと嘲笑をよりエスカレートさせて、その言葉に乗せていく。

短い赤髪をかきあげて爆笑する彼に言い返したい気持ちもあったが、

まずはリリアは目前の謎を解くことを優先した。


「ところで、さっきの!何が起きたのか、わかってるんでしょ!?」

「寧ろこんなことも知らねえのか? 暴力より勉強が必要みてえだな、ハハハハ!」

「あーもーっっ!! ……っと!」


 嘲る彼の言葉に思わず怒りを爆発させそうになるリリアだったが、

手にかけていた鉄格子に先ほどの出来事を思い出して、我に戻って落ち着きを取り戻す。

その様子にまたひと笑いして、ようやくバゼルはまともな応対を始めた。


「いいぜ、教えてやるよ。それに、それを破る方法もな」

「え!?」


 しかしそのバゼルの言葉は、更なる突破口に繋がるもので。

思わずリリアも大きな反応を返す。その様子自体に、ニヤリとバゼルは笑みを深めた。

その色は、決して健やかなものではない。


「その代わり。お前がここにぶち込まれた理由を教えろよ」

「……え?」

「てめえみたいないい子ちゃんしてるガキがブタ箱にぶち込まれた話なんて、

 面白すぎて3日は笑えらあっ、ハハハ!」


 その交換条件は。

リリアが少女であり、バゼルは三十路ほどの成人男性であることを思えば、あまりに醜悪と言えるもので。

何よりその下卑た、情けない理由を隠しもしない彼に、リリアは怒りよりも先に呆れを感じていた。


「……はぁ」


 つい最近で、一番関わりのあった壮年といえばあの英雄然としているジストである、というところもある。

この情けない、下劣な男に対しての目線はより厳しいものになっていた。

とはいえ、このまま牢屋に囚われたままでいるわけにもいかない。

呆れを体現化するような大きなため息の後、リリアは答えた。


「……いいよ」

「ほーそうかいそうかい!

 じゃ、お先にどうぞ。先に話しちゃ、あの馬鹿力で逃げられちまうからな!」

「あーもーっ、いちいちうるさいッ! 黙って聞いてて!!」


 苦渋の決断ではあったが、自分がこの男の笑い話になる程度で突破口が開けるなら、という見立てではあった。

それでも尚嘲る様子を隠さない彼に苛々とながらも、リリアは脳内で話を組み立てる。

話すとは言ったが、流石に秘密裏に行動しているジストの話まではするつもりはない。

逡巡を重ねて、リリアは改めて口を開く。


「私が追ってる……ええと、組織、なのかな。

 たぶんそこと繋がりがある所から、辺境伯さんが命を狙われてたの」

「ほう? ちょっと面白そうな話だな?」

「ああもう、馬鹿にして……! 続けるよ?

 だから私、辺境伯さんを守って戦ってたんだけど、

 最後の戦いで辺境伯さんも、他のみんなも連れ去られちゃって……

 兵士さんたちが来たときに私一人だけ残ってたから、怪しまれて捕まえられちゃった」


 リリアが語った内容は、背景も出来事もかなりスポイルしたものだ。

この素性の分からない怪しい男相手に話しても良い内容とすると、自然とこの情報量になっていた。

しかしそれは、この場においてはあまり良い方向には働かなかった。

露骨に不満そうな表情を、バゼルが向ける。


「ふーん、貧乏くじ引いたってだけか。つまんねーの」

「ちょっと! 人に話せって言っといてその言い方!」

「こっちは交換条件として出してるんだぜ? もっと面白い話してくれよ?」

「面白い、って……こっちは面白くもなんともないけど、もう……!」


 二重の鉄格子、そして情報を人質に調子に乗り続けるバゼル。

彼に対しての怒りも爆発しそうでたまらない中、面白い……要するに、刺激的な情報をと考えて。

抱いていた怒りが、思考のリソースを割いたのもある。リリアは深く考えずに、()()を口にすることにした。


「その辺境伯を連れ去った犯人さ。エリスさんだったんだ」

「……は? あの、お嬢さん?」

「そう。あのエリスさん」


 エリスのことはバゼルも知っているし、これは刺激的だろう。その程度の考えでの話題だ。

だがそれは、この状況を大きく変える鍵となっていた。


「……そいつは、話が変わってくるんじゃねえか」

「え?」


 思わず抜けた声を上げるリリア。

軽薄だったバゼル。だがリリアからの情報によって、その空気が大きく変わっていた。

今までリリアを煽るような言葉ばかりだった彼が、積極的に口を開き始める。


「ここにぶち込まれてから、ずっと考えてたんだよ。

 あんなバケモンみたいな力を持つ娘が、どうして大人しく俺達に捕まってたんだってな。

 最後に見せやがったあの力……あんだけの力があれば俺達なんか簡単に叩き潰せたはずだ。

 てめえの話を聞く限り、能力の発現に不自由があったわけでもねえんだろ?」

「あ、そっか……でも、それが何なの?」


 バゼルから確認されて、リリアは改めてそれを意識する。

モースからは感情の発現でもあるとは聞いていたが、

あの場でのエリスは間違いなく、自分の力たる黒い霧を使いこなしていた。

そしてバゼルは自分が感づいたことについて、続けていく。


「これは俺の想像だけどよ。

 もしあの娘が、今日辺境伯をぶっ殺すためにここに来ることが目的だったとしたら。

 ……俺達は、隠れ蓑に使われてたって事かもしれねえ。くそッ……」

「え!? どういうこと!?」


 それに、本心らしい怒りさえ乗せるバゼル。

彼の様子の急変に、リリアも話への緊張感を、急速に増すことになっていた。


「俺達にあの娘の誘拐を依頼してきた奴なんだが、完全に素性を隠してやがった。

 ただ法外な報酬だけで、俺達を動かした。だから目的なんかわかりゃしなかったんだが……

 だが相当シークレットな筈の辺境伯の来賓について、完璧に捉えてた怪しさもあった。

 これも辺境伯の暗殺のための状況を整えるものだとしたら、どうだ?

 来賓である自分が消えることでの混乱を生んだうえで、気取られずに自分の組織と合流できる!

 俺達はその踏み台にされたってわけだ……

 仮に失敗しても誘拐されてた事にして俺達を切り捨てれば、地下に潜るのは再チャレンジできるってか」

「そんな……!?」


 結果的に。

リリアが気まぐれに発した言葉は、バゼルの視点から見れば点と点を線とするに十分な材料であったようだ。

あくまでも想像であるにせよ、一つの陰謀の流れが見えたことにリリアも小さくない衝撃を受ける。

彼の真摯な憤りにも、思わず共感を覚えそうになるほどに。


「……まあでも、女の子を攫えって依頼を受けてる時点で許せないけど! 自業自得じゃない!?」

「うるせーな! 怪しかったけど報酬がマジで凄かったんだよ!」


 まあ、覚えそうというだけだったのだが。

彼の行動自体を思い出して糾弾する彼女に、言い訳にすらなっていない言葉で反撃するバゼル。

反省の様子は、その様子からは欠片も伺えない。呆れるようにリリアはまたため息をついて、しかし。


「……ま、どうでもいいけどな」

「え?」


 その言い合いの最中。

彼の纏い始めていたはずの熱気は突然、その姿を消した。

今度は自らにも、その嘲笑を向けるようにつぶやくと、彼はやる気を無くしたことを表すように寝転がる。


「今回の仕事だって、雇われで頭やってただけだし。

 利用されてお笑い草ってだけだ。

 ま、どんな派手なことをやるつもりか知らねーが、もう俺には関係ねえ」

「……」


 沈黙でそれに返す中。リリアは言葉の奥にある彼の、微かな感情を感じていた。

諦めているかのような、あるいは自棄になっているかのような、そんな感情だった。

それは今まで軽薄としか言いようのない態度を取り続けていた彼の、心のより深い見えた気がして。

かける言葉に迷う中、先に話題を進めたのはバゼルのほうだった。


「っと、話が逸れちまった。牢の秘密の話だったな」

「あ、うん!」


 それは半ば、彼自身が目を逸らすような強引な話題転換ではあった。

だが話の本筋であるには変わりない。リリアも素直に頷いて、それに従うことにした。

 

「アスタリトはそこら中に精霊使いが居る。何の細工もなきゃ、牢なんて役に立たねえ。

 だから精霊に反応して、何かしらの仕掛けが作動するようになってんだ。

 でもって、その仕掛けってのは手作りなんじゃなく、決まった便利な形式が使い回されてることが多い。

 そしてここのは、だいぶ古いタイプのやつだ。無力化する合鍵が、出回ってるぐらいのな。

 どうやら安上がりってんでそれを使って、鍵の脆弱性は人の運用でカバーするつもりだったみてえだが……」


 そう語ると、バゼルは懐から小さな何かを取り出す。それは小さな鍵のような、杖のような形をしていた。

一見用途のわからない物体。しかしこれまでの彼の言葉が、リリアにその正体を教えていた。


「そ、それが鍵!?」

「ああ。こいつを裏にある窪みに差し込めば、それで解除できる。ザルな仕掛けってわけだ。

 俺は、ちょっと()()()()()()が使えるんでな。あっさり持ち込めちまった。

 こっちの方はもう解除済みだ。つまりてめえの牢もこの鍵がありゃ仕掛けが解除できる。

 ……あとは牢さえ破れりゃ、晴れて脱獄ってわけだ。

 さっきの様子を見る限り、てめえの馬鹿力なら牢をぶち破れるんだろ?」

「……妙に素直ね。あんなに意地悪だったのに」


 流暢にその隠していた情報を開示したバゼル。

それはリリアにとっては、しかし警戒に値する様子でもあった。

口にしたように、彼の今までの態度や言い回しを思えば当然とも言える。

疑るリリアの視線に、バゼルは口角を上げて返した。


「そりゃあ、勿論。ただじゃ渡せねえよ、これは」

「はぁ……今度は何したらいいの?」


 その言い回しから、彼がまた交換条件を出していることに気づいたリリア。

呆れながらも、それを一旦受け入れるように応える。

独善的な笑みをより深めて、バゼルはその内容を口に出した。


「俺の牢も、ぶち破ってもらおうか。それを約束するなら、こいつを投げ込んでやるよ」

「じゃあ駄目。いらない」

「っておい!!」


 が。その目論見は、ほんの一瞬で打ち砕かれる事になった。

リリアの返事は文字通りのノータイム。完璧な即答で、それを拒否していた。


「ちったあ葛藤しろ! こっから出るつもりだったんだろ!?」

「私だって一刻も早く外には出たいけど……またすぐ話は聞きに来るって言ってたし。

 それより! あなたを脱獄させていい理由にはならないわ!

 ひどいことしてたのは本当じゃない! ちゃんとここで反省してなさい!」

「てめっ! 騙されたことに気づいて傷心中の俺様になんて言い草を……!」

「お金目的って言ってたじゃない! 自業自得!」


 いくつかバゼルが言葉を投げ込んでも、リリアの意思は揺らぐ予兆すら見せなかった。

そこから何度目かの言い争いに入る最中。

バゼルはこの状況に対する、ある一つの違和感に考えを馳せる。


(こいつ、気づいてねえのか?)


 そもそも順序として、鍵を渡されて先に脱出できるのはリリアだ。

自分が牢から出たあとで、バゼルを助けずに脱出するという事はできるのだ。

だから嘘でも、協力すると言っておけばよかったというのに。考えが足りずにこの結論に達したのか、それとも。

その後者である可能性にわずかに考えが及んだ、そのタイミングだった。


「このクソガキ……好き放題いいやがって……ん?」


 その思考は、言い合う声に混ざった異音によって遮られた。

それはリリアに向き合う自分から見て、ちょうど真反対。聞き覚えのない、何かが収束していくような音だった。

そしてそれはやがて、違う音に変わる。まるで、生物の吐息のような音に。

流石に気になり始めた時。視線を交わしているリリアの瞳が、急変した。


「ねえ、後ろっ!!」

「あん……?」


 突然、切羽詰まった声色に変わったリリアからの呼びかけに、バゼルはゆっくりと振り返る。

そして。彼の緊張感もその瞬間、限界まで高まった。


「……ゲギャアアアアアアアアアアア!!」

「ぎゃ、ぎゃあああああああっっ!!?」

「ま、魔物っ!?」


 殺意で赤く輝く瞳。全身から放たれる敵意。

二足で立つ狼のような化物……魔物が、そこに立っていた。

情けない悲鳴と共に後退り、しかしすぐに鉄格子へ行く手を阻まれてしまうバゼル。

衝撃によって手のひらから転がったそれに、気を配る余裕は全く無かった。


「ギャガアアアアアアア!!」

「ひいいいいいっ!!」


 最も近くにある生命であるバゼルを抹殺せんと、飛びかかって爪を振るう魔物。

彼はすれ違う形で魔物の背後側に飛び込み、なんとかその一段目は躱す。

だがこの狭い牢に、逃げ場と言える逃げ場はない。そこは既に部屋の端で、魔物は第二撃のために振り向いていた。


「た、助けて、助けてくれぇっ……!!」


 先程と違い体勢も崩している今、次の攻撃は避けられない。

それを理解して、彼は誰に向けてでもなく救いを乞う言葉を口にする。

先の不遜な様子やこれまでの行いからすれば、何とも滑稽と言える姿だった。

この薄暗い牢屋に、こんな小悪党を救う神など存在しない。

自業自得の果てと言える光景。そこに、何かが拉げる音が響いた。


「……"ステラシュート"ッ!!!!」

「ガギャアアアアアアッッ!!??」


 バゼルの目に飛び込んだのは、眩いばかりの光。黄金に輝く精霊の光だ。

自らに凶刃を向けていた魔物は今、自分の真横の壁に叩きつけられていた。

既に輝く精霊の姿に分解されているその姿、今の一撃の重さを物語っていた。


「はーっ……」


 吹き飛んだ魔物の代わりに、そこに立つリリア。

大きく息を吐く彼女の背後で、彼女の牢、そしてこの牢の二つの鉄格子が捻じ曲げられているのが見えた。

その全身を包む精霊たち。一度相対したから相手だからこそ、バゼルにはその意味もわかった。

そして、転がった鍵をおそらく彼女が拾って、それを使ったことも。


「な、なんで……」


 わからないのは、彼女の行動原理だった。

あからさまに自分と相容れない感性であることは、これまでのやり取りで明らかだった。

呆然とする中、バゼルは直接それを問う。


「……脱獄させていい理由はないって言ったけど。死んでいい理由だって、無いじゃない」


 僅かな間にいくつもの行動をこなしたが故の、息の上がったまま答えるリリア。

重なった視線の先、少女のものとは思えないほどの複雑で、しかし強い意思の宿った瞳。

バゼルは思わず、呼吸すら忘れていた。そしてリリアは、今度は、自分から()()を提示した。


「この魔物はきっと、誰かがこの町を襲うために出してるの……だから、約束して。

 私と一緒に、魔物を止めるために戦うって。そのためなら、出してあげてもいいと思うから」


 その時。

バゼルは先の考えの内容、その答えを悟る。

彼女は、後者であると。嘘を、つきたくなかったのだと。

そう思うと。こんなに小さな少女が今、敵対していたあの時よりも大きな存在に見えた。


「……お前……はっ!?」


 彼女の態度に圧倒される中。リリアの背後に、赤黒い精霊が集まっていくのを見るバゼル。

それが、再び先と同じ魔物の形を象っていくのを見た時。半ば衝動的に、彼は飛び出していた。


「……ゲギャアアアアアアア!!」

「えっ……!?」

「危ねえッッ!!」


 リリアを害せんと開かれた大顎、その盾になるように、彼は右腕を突き出していた。

切羽詰まったその動きに、魔物を弾き飛ばすほどの力は無い。

そのまま彼の右腕には大顎が食い込み、文字通りその餌食になっていく。


「ぐううッッ!!」

「バゼルさんッ!?」


 突然の状況の急変の中、庇われたことに気づいて。

初めてリリアは、彼の名を叫んだ。その眼の前で、彼の右腕が肘の先から食いちぎられていく。

意味を理解してドクンと大きく、心臓が跳ねた。それはそのまま、戦意へと変わっていく。


「……よくもっ!!」

「ゲギャアアッッ!?」


 怒りと共に、渾身の拳を腹部に打ち込むリリア。

大きくよろめき、後ずさる魔物。

追撃のために続いて踏み込んだその足は、リリアのものではなかった。


「おいおい美味かったかよっ、俺の腕はッ!? 即吐いてんじゃねえぞ!」

「バゼルさんっ!? 無理しないで、えっ……!?」


 先んじるバゼルを案じ、諌めようとしたリリア。しかし視界に映った光景が、その言葉を止める。

食い千切られていたバゼルの右腕、それが今。焼ける様を逆再生するかのように、伸び始めていた。


「久しぶりだぜ……こんだけ本気(マジ)になるのは!!」


 魔物の懐まで踏み込んだときには、既に指先、素肌まで再生していたその右腕を、深く構える。

言葉にした通り。溢れる戦意も圧力も、リリアと相対した時とは比べ物にならなかった。


「"烈技『ガロンライザー』"ッ!!!」

「ゲギャアアアアアアアア!!!???」


 そして、魔物が反応する間すら無く。

彼の凄まじい勢いの右腕が、魔物の体を打ち上げた。

悲鳴、いや、その首から上を吹き飛ばされ断末魔を上げる魔物。

それはリリア、ともすればジストの一撃にすら比肩するほどのものだった。

つい先程魔物に怯えていた彼のものとは、到底思えないほどの一撃だ。


……威力だけ、ならば。


「いっ……てええええええッッ、くそっ!!」


 続いて、今度は逆にバゼルが悲鳴を上げる。

彼にはリリアのように反動を共に受ける精霊も、ジストのように図抜けて頑強な体もなかった。

この強烈な一撃の反動はそのまま、彼の腕を苛んで。今それは、複雑な骨折という形で帰ってきていた。

そんな激痛に悶える中でも、右腕は先と同じく焼けるように再生していく。

十秒ほどの後に、腕はやはり健康体へと戻っていた。しかし彼の様子は芳しくない。


「バゼルさん、今のって……」


 リリアの声掛けは、彼への心配が半分、困惑が半分といったものだった。

再生によって痛みは消えたのか、息を吐きながら彼は静かに答える。


「時間が無えんだろ。掻い摘んで言うぜ。俺は()()()になってりゃ、死なねえんだ」

「……え?」


 その答えを、リリアはすぐに飲み込むことはできなかった。

言葉にしたように、彼がかなり簡略的に説明した点はあるが。それが意味するのは、


「ま、理解できるわけねえか。不死者が現実に居るなんて、思いもしねえよな。

 ……この世界にゃ、ロクでもねえ奴が山程居るってワケだ」


 それに対して、彼も深く補足をする様子は見せなかった。

含みのある言葉は、その背後にある事情を伺わせるものではあるが、

しかし先に口にしたように、その説明ができるような状況でもなかった。

既に魔物の発生は始まっている。エリス達が動き始めていることの証拠だ。


「てめえ、名前は?」

「あ。そういやまだ教えてなかったっけ……リリア、だよ」

「リリアか。さっきの話、乗ったぜ。

 このバゼル様を利用した奴に、一発食らわせてやるぜ!」


 そして。リリアが先に提示した交換条件――

既に彼へは与えられているものに対して、改めてその承諾を言葉にするバゼル。

それは、先のリリアの態度に準じるものであることは言うまでもない。

尚も協力の姿勢を表明することが、この短時間に起きた彼の心境の変化を表していた。


「……うん!」


――


「"アウラドライブ"!!」


 あとは、苛烈な紅き光の中に消えていくだけだったはずの意識。

それを呼び戻したのは、耳に届いた誰かの声、肌を刺すような極寒の冷気だった。


「なっ、うおおッッ!?」


 ジェネには困惑する間も与えらなかった。

直後。眼の前に突然、大氷塊が現れる。

落とされたわけではない。冷気、正しくは冷気と化した精霊達によって作られたのだとわかった。

見上げても上が見えないほどの巨大さ。凄まじい範囲が、一瞬で凍結させられたということだった。

そして何より。その氷塊は、今ジェネを葬ろうとしていた紅き矢を覆うように生み出されていて。


「お、うおおおおっ……!」


 突然大氷塊に覆われた紅き矢は、それでも勢いを殺されずに突き進み。

あと少しで氷を突き破らんとしたところで、ようやく止まる。

全く状況が掴めない中。ジェネはとにかく、自分が助かったことを理解した。


(助けて、くれた……?

 それより……とんでもねえ精霊術だ……この氷の上に、誰か居るのか?)


 そして気配を辿り、この氷塊の上にその主が居ることを悟る。

木々が薙ぎ倒された森林だったはずのこの地は今、まるで氷原のように所々が凍てついている。

精霊使いであるジェネにとってはそれだけでも、かの者の桁外れの実力が伺えた。

そして見上げた先。その本人が姿を表すまでにはそうかからなかった。


「……命を捨てるような真似をするな、若き竜人」


 それは儀礼的な正装に身を包んだ、そこまで年嵩の行っていないような、しかし強く威厳を感じさせる男性だった。

ギルダのような苛烈な殺意ではない。だが緊張感を漲らせる、強い存在感を持っていた。

その顔や身体は、人間によく似ている。

だが背中から伸びる悪魔のような翼は、彼が人ならざる存在であることを示すものだ。

その形は、龍人のものではない。だがジェネは見たことのある類のものだった。


夜の妖魔(ナイトベール)? 何で、俺を助けたんだ……?」

「……ほう? どういう風の吹き回しだい」


 そして同様に。氷塊の向こう側で、ギルダもまた彼を見上げていた。

掛けた言葉からするに、どうやら既知の仲であるようだった。

彼は振り向くと、ギルダに対して声を返す。


「恐るべき方だ。ただの一射に、この技でようやくとは……ともかく。

 この者の命、私にお預けいただきたい」

「ふん、どうせ殺すも殺さないも変わらん相手だ。好きにしな」


 彼の請願に、軽く承諾を返すギルダ。言葉からするに対等ではないものの、

あれほどまでに傲慢不遜であった彼女とこうしたやり取りが出来るという時点で、

謎だらけである彼が只者ではないことを示していた。

武器を分解し、後腰に直していくギルダ。その中で、虚空に呼びかける。


「だが……おい! 聞いてるかい、アイリス!」

「……ああ」


 威勢の呼びかけとは対照的な、気だるげで暗い返事。

それと共に、ギルダの視線の先の空間に少女が姿を現す。

否。様子は気だるげというより、機嫌が悪いというのが正しかった。

しかしそんな印象に対して、その装いは可憐できらびやかなものだ。

だがそんな風体に強烈な違和感を与える、仰々しい機械仕掛けの義手。

それを取り付けた右腕が、何よりも目を引いた。


(なんだ!? 瞬間移動……!?

 気配がねえ、精霊術じゃねえんだ……じゃあ、何をやったんだ!?) 


 消えていく氷を通して、ジェネはその光景を目撃する。

だがそれは、彼の理解の及ばない光景でもあった。

精霊使いである彼でも、いや精霊使いだからこそ。眼の前で起きた現象に、ただ混乱していた。

しかし状況は、彼を構うはずもなく進んでいく。


「あたしはお前たちの望みを叶えてやった。

 今度はお前たちの番だ。残りの仕事は全部、お前たちで片付けてきな。あたしは帰る」

「御意。お任せあれ」


 ギルダから彼らに与えられたのは、命令だった。

それだけであるが、つまり彼らが上下関係にあることを示すものだ。

ジェネを助けた夜の妖魔(ナイトベール)の男性は、それにすぐさま了承の意を返す。

だが少女の方は違うようだった。露骨に不快感を見せて、ぼやく。


「ちっ……面倒な」

「何か言ったかい?」

「いいや、何も。あんな雑魚ども、造作もない」


 しかしギルダから掛けられた圧にすぐに屈すると、彼女もまた了承の意を見せた。

それを受けて、そのまま踵を返すギルダ。

言葉通りに、撤収するつもりなのだろう。その最中、世間話のように声を掛ける。


「しかし……剣技でもないのに、その銘かい。ちょっと無作法じゃないかい?」

「……()()が名付けたものです。私の、得意技であるからと」

「……そうかい」


 交わした言葉には。夜の妖魔(ナイトベール)の男性にも、ギルダにも。何かの思いを含むような色が混じっていて。

でも、この場でわかるのはそれだけだった。

話を変えるように、ギルダは改めてアイリスと呼ぶ少女に目を合わせる。


「アイリス、送りな」

「ああ」


 その言葉の直後、ギルダとアイリス、二人の姿が突然消える。

アイリスの能力、そしてギルダの言葉からすれば、これが何を表すのかは言うまでも無かった。

ただ、呆然とその光景を見ることしかできなかったジェネ。その傍らへ、彼は降りてきた。

ずっと状況に圧倒され続けていて、言葉も迷うジェネ、ともかくまずは、命を救われた礼を言おうとして。


「……た、助けてくれたんだよな……ありが」

「我らは敵同士。礼など不要だ、若き龍人」


 彼の感謝は、直球の宣言によって遮られる。

その言葉に、ジェネの心臓がドクンと跳ねる。ただでさえ、圧倒されつづけた今だ。

先の精霊術で、彼の恐るべき実力もわかってしまっている。今の彼に、もう燃える闘志は残っていなかった。

だが相対する彼もまた言葉と裏腹に、語気からは僅かばかりの敵意も感じられない。


「次に会う時は、間違いなく相対することになるだろう。

 だが……どうにも。お前の様子が、かつての私と重なった」


 それを表すように、彼の話は進んでいく。

短く語られた助けた理由、続く言葉が、その本題だった。


「強く貴い者の側にあれば、自らの弱さが、脆さが許せなくなるものだ。

 ……だが、その怒りで見失ってはならないものがある。

 例え弱くても、脆くても、許せぬ自分であっても。

 その者にとっては、大事な篝火であるのだと。それこそが、忘れてはならないものだ」

「……」


 それは、具体的な言葉を省いたものであるが。

間違いなく、彼への助言だった。その言葉に、ジェネは自らの戦いを省みる。

勝ち目など欠片も見えなかった、ギルダへ立ち向かった時の思い。

それを、改めて考えて。脳裏に、悲しみに沈むリリアの姿が浮かんで。

そこで、彼の言葉を飲み込んだ。俯いた顔を上げて、彼と視線が重なる。


「あんたは……はっ!?」


 だがその時間もまた、ジェネを待つことは無かった。

先ほど姿を消したアイリスが、今度は夜の妖魔(ナイトベール)の男性の側に浮かんでいた。

それはこの会話の場の、終わりを示すものでもあった。


「おい。行くぞ」

「……ここまでだ、若き龍人。次は無い」

「ま、待っ……!」


 結局、ジェネの声が聞き入れられることは無く。先のギルダ同様、彼もまた姿を消してしまう。

ただ一人残された戦場。呆然としていたジェネだったが、やがて、膝を折って蹲る。

口から漏れたのは、どうしようもない思いだった。


「……ちっ……くしょう……!」


 結局、何も出来なかった。

ギルダだけではなく、夜の妖魔(ナイトベール)の男性にしても、アイリスと呼ばれていた少女にしても。

ただただ、圧倒的に格上の存在であることだけがわかっていた。

敵であると宣言さえ受けていたのに、手も出せないどころか、見逃される程度の存在として見られていた。

それが今、自分の無力感を何よりも痛感させていた。悔しさが、彼の巨体を震わせた。

暫く、そうしか出来なくて。


「ぐ……ジェ……ジェネ、か……?」

「っ!? お、おっさん!!」


 自らに向いていた怒りが収まるのは、その声を聞いてからだった。

心も頭もいっぱいいっぱいの中、ジェネはまだ倒れたままのジストに駆け寄る。

身を起こそうとしている彼に腕を回してそれを助けると、先に口を開いたのはジストだった。


「俺から先に起きたか……やはり、頑丈さだけは自慢だな。

 ……すまない。傭兵たちを捕らえたが、全て始末されてしまった……

 お前は会ったか……? 紅い光を使う老戦士に……」

「……ああ、会った……でも、俺……何も出来なかった……!」


 抱いていた悔しさを吐露して。ジェネはもう、悔し涙も止められなくなってしまった。

だがジストも、それを咎めることなど無かった。俯く彼の肩を、重い手つきで優しく叩く。


「俺とリーン、二人がかりでも手も足も出なかったんだ……

 あの恐るべき戦士を相手に、よく生き残った……!」

「くっ……、うっ……!!」

「……俺達は、まだまだ強くならなければならないな」


 寧ろ称賛さえ送って、彼を慰めた。悔しさを感じているのは、ジストも同じだった。

強敵に歯が立たず、一蹴され敗れたことも。目前に迫っていたこの一連の企て、その黒幕への手がかりを奪われた事も。

ジェネのように身を震わせて、悔しさに身を焼きたい気持ちはあった。


 だが。だからこそジストは、次は諌める言葉を口にした。


「……だが。無力さに泣いている場合じゃないことは、わかるな?」

「……っ!」


 はっと顔を上げるジェネ。

ジストの意図と同じものが、すぐにその脳裏へと浮かんだ。

強く貴い、明るく元気な、大事な光。


「リリアっ……!」

「そうだ。俺達はリリアを守らねばならない。

 だが俺はまだ、例の麻痺毒が抜けきっていない……。

 ジェネ。俺達は弱い。だがそれでも、今動かなければならない! やるべきことは、わかるな!」


 伝わった思いのまま、ジストは彼に、激励、そして発破を掛ける。

無力の悔しさに膝を折っていた彼の背中を、強く押すように。

そして同じ思いを共有しているジストだからこそ、それは、ジェネの奮起へと繋がる。

脳内を埋め尽くしていた後悔や悔しさ。それらを一旦全て押し流して。ジェネは、立ち上がる。


「……ああ!!」

「リーンの事は任せろ。この身体でも、介抱や手当ぐらいは出来る。

 回復したら、俺達もすぐに向かう!」


 ジェネの力強い返事に微笑みを返して、ジストは身体をもう一段階起こす。

まだリーンの様態は確認できていない。だが生存している確信はあった。

あの老婆の戦士は、それを違えることがない程の使い手であると感じていたからだ。

息を吐いて、ジストは拳を突き出す。最後の激励だった。頷いて、ジェネも拳を叩き合わせた。


「ジェネ! 頼んだぞっ!!」

「ああ! 待ってろよっ、リリア!!」


 そして振り返り、ジェネ一気に走り出す。

今まさに、状況は佳境へと至っていた。


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