21話 燃える星々-1 再臨
「止まれっ!」
「うわっ!? リーンさんっ!?」
館から駆け出した勢いのまま、町まで行こうとしていたリリア達。
それを、先頭に居たリーンが急停止して、止めていた。
驚く彼女に振り返る余裕もなく、リーンは背中の二刀を抜刀する。ただならぬ事態が発生したことだけは確かだ。
直後。その眼前に、突如巨大な炎の柱が突き刺さる。
「うわあああっ!!?」
「うおおっ!? この気配は……精霊術かっ!」
不意打ちに驚きながらも、ジェネは気配から、それが精霊術によるものであることを見破る。
それはつまり。状況からも、これが敵意を持った攻撃であるという事でもあった。
唱えたものの姿は見えない。だがその背景については、この状況こそが、彼らにそれを悟らせていた。
「ってことは敵!? 一体どこから……!」
「待ってろ、俺が精霊たちから逆に気配を辿る! "集え"っ!」
言葉通りにその射手を探さんと、ジェネは炎に手をかざし、唱える。
それに応じて、炎から輝く光へと戻りつつ、ジェネの腕へと集まる精霊たち。
彼らの言葉に集中するように目を閉じて、しかし、状況はそれを許さなかった。
「……はっ!?」
「っ!!」
それは僅かな空気の揺らぎであり、あるいは、殺気と呼べるもの。
豊富な戦いの経験を持つリーン、ジストの二人であるからこそ、それが分かった。
直感的に振り向いて、その正体を見つける。それは暗い森林に紛れて射たれた、何本もの黒い棘だった。
その向かう先が、リリアとジェネであることも。
「ーっ!!」
もう、声を掛ける余裕も無かった。二人が気づくよりも早く、ジストもリーンも動いていた。
一瞬の中。互いに動いたことだけ認識して、目配せの後、二人はそれぞれ違う方向へと体を動かしていく。
再び時が動き出したかのように、双方向から二人へと襲いかかる無数の黒い棘。
その盾となるように、ジェネの前にはジストが、リリアの前にはリーンが立ちはだっていた。
ただ受ける肉壁としてではない。それぞれの得物を手に、無数の黒い棘を切り払わんとして振るった。
「えっ、わあああああっ!?」
「うおおおおっ!?」
嵐のように武器を振るう二人、そして弾かれる黒い棘に、遅れてリリアとジェネもこの状況に気づく。
暴風の中心のような一瞬の後。ジストの空気を巻き込む剛刃と、リーンの神速の剣閃は、放たれた無数の棘の殆どを叩き落としていた。
そして残る数本を、その体で受けて。結果的にそのいずれもが、リリアとジェネに届くことはなかった。
「リーンさんっ、ジストさんっ!?」
「お、俺達を庇って……!? 大丈夫か!?」
「大丈夫だっ! 気をつけろ、敵が近いぞ!」
盾となった二人を心配する言葉に、棘を払うように抜きながらジストは警告を返す。
攻撃を防いだだけで、防勢を整えられない状況。気を抜く余裕は全く無かった。
そんな中。足の遅さもあってか、一歩引いた位置にいた事が幸いとなったか。
棘の雨に巻き込まれなかったアーミィが、上方を指差して叫んだ。
「あっ、あそこっ!!」
「えっ!? ……人っ!?」
その先に見つけた。闇に溶け込むかのような、黒衣に身を包んだ人影。
もはや、その正体が何かを問う理由もない状況だ。
その人影が視線に反応するような動きを見せた時、既にリーンは構え直していた。
「逃がすものか……! "エクスレア"!」
「ぐっ!?」
そして次の瞬間には既に、その人影の眼の前まで跳躍して。
間髪入れずに、リーンはその剣を振るう。身を躱すような時間は与えられるはずもない。
黒衣の者は、黒い棘……先程撃ち出されていたそれと同じ物を手に構え、剣を防いだ。
それは先の出来事、その犯人であるという裏付けでもあった。更にリーンは闘気を増していく。
(……行ける!)
鍔迫り合いを通して、その膂力を計るリーン。
押し切れる。そう判断して、飛び乗った気の枝の上、更にもう一歩踏み込んだ。
だが。
「……!?」
まさしく不意に。リーンはその膝から、腕から、急激に力が抜けていく感覚に襲われる。
不安定な足場の中、倒れ込みそうになる彼を見下しながら、
相対する黒衣の戦士は、してやったというような喜びを目に、言葉を返した。
「フッ、効いてきたようだな!? "瞬く星の勇者"!」
「な、にっ……!?」
正体は女性なのだろう。高い声と共に、その棘を振り下ろす黒衣の戦士。
彼に生じた異変の正体を仄めかすようにしながらも、その詳細を語ることなく、凶刃がリーンへと迫る。
「"射抜け"っ!!」
「ん……? 何っ!?」
しかし。それを妨げるように、ジェネの叫び声と風切音と新たな光が彼女の気を逸らす。
視線を動かせば、突風に乗り細い熱線となった炎が、既に黒衣の戦士のすぐ側まで迫っていた。
攻撃を続行すれば、その直撃は免れないほどの速度。どちらかの選択を、黒衣の戦士へと強要させていた。
「リーンさんっ、大丈夫か!?」
「ちいいっ……!!」
「野郎っ、逃がすかっ!! "貫けっ"!!」
一瞬の後、黒衣の戦士は大きく飛び退いて回避することを選択した。
更なるジェネと精霊たちの追撃を避けながら、再び森林の闇へと紛れていく。
最大の窮地を脱出したリーンだったが、しかしその容態は、不安定な足場に留まることさえ厳しいものだった。
文字通り揺らぐ体。だがその認識さえ曖昧になっていく。
(しまっ……)
そしてバランスを取ることが出来ずに、リーンの体が木の上から落ちていく。
背の高い木だ。彼が高名な戦士とはいえ、地面へと落ちればただでは済まないだろう。
それは、リリアにも分かるほどに。だからこそ、精霊たちは既に、彼女の意思に応えていた。
「リーンさんっ、危ないっ!!」
その精霊たちに全身を包まれて、リリアは弾けるようにリーンの方へと飛び出す。
凄まじい程の初速。それは間一髪で、地面への衝突前に彼の体を抱き止めていた。
リリアはそのまま、遠目でしか確認出来ていなかった、リーンの異変について問いかける。
「大丈夫、リーンさんっ!?」
「……後ろだっ!!」
しかし。向かい合う形になっていたリーンには、リリアのその背後が見えていた。
警告を開口一番に放つが、もはや振り向く間すらも無かった。
先の者よりもずっと体格のよい、新たな黒衣の戦士。それがリリアへと巨大な武器を振り上げていた。
「リ……リリアっ!」
窮地と言える場面。彼女の名を叫ぶアーミィ。
怯えの色が混じったその声は、しかし。決意と勇気を確かに込めたものでもあった。
震える右腕を、その黒衣の戦士へと向けて。もう一度叫ぶ。
「どうにかなれっ! "レギオン・チェーン"っ!」
直後。向けた右腕が、黒い不定形の姿へと移ろっていく。先程リリアに見せた変態、それに近い姿だった。
そして次の瞬間、その闇の中から、一本の青い鎖が勢いよく飛び出した。
それは真っ直ぐに、黒衣の戦士の得物、背の広い大刀へと伸びていく。
「むっ? ……何っ!?」
大刀へと絡まっていく鎖。それは、決して身体の大きくないアーミィに、
振りかぶった構えの武器の重さも合わせ、黒衣の戦士の動きを封じさせた。
そのまま全身の力を込めて、アーミィは鎖と化した右腕を引っ張る。
「うっ、ぐうううっ……!」
「ええいっ、邪魔だ!!」
だが。黒衣の戦士は、それこそ少女そのものであるアーミィの二倍はある体躯の持ち主だった。
有利な形とはいえ、いつまでも持つものではなかった。
振り上げられる剣は、ついに止められなくなった。段々と、アーミィの体が引きずられ始める。
「うぐっ、きゃあああああっ!!」
「……させるかっ!」
「ぐうっ!!」
しかし。アーミィが稼いだ時間は無駄にならなかった。
剣を振り上げようとしたその脇腹へ畳み掛けるように、ジストの体当たりが黒衣の戦士へと突き刺さる。
不意の一撃は大柄な体を吹き飛ばし、その体勢を崩させることに成功する。
だが。攻撃を仕掛けた人物を思えば。それは、その程度にしかならなかったとも言えた。
「ごめん、アーミィ、ジストさんっ! ありがと……はっ!?」
生まれた隙に、リーンを抱えて飛び退くリリア。そこで、ジストの様子が目に入った。
普段あれほどまでに屈強な戦士であるジストが、全身を強張らせている姿が。
もはや、何がそれを引き起こしたかは明らかだった。リリアは急いで、彼の元へと駆け寄る。
「はぁっ……はぁっ……!」
「おっさん、しっかりしろっ!」
「ジストさんっ!! もしかして、さっきの!?」
「その通りだ」
ジェネも駆け寄って彼らを案じる最中、女性の声が再び投げかけられる。
最初にリーンと相対した、あの黒衣の戦士のものだった。
体勢を立て直す大柄の戦士の隣に、再び現れた彼女。ジストやリーンの様子を見て、その目元は笑みを浮かべていた。
「私の特別製の麻痺毒だ。まともな人間ならば直ぐ様昏倒し、1日丸ごと起きぬほどのな」
「毒っ!? なんてこと……!!」
「名に違わぬ見上げた精神性だ。仲間のためであれば、身を挺することに躊躇いがない。だがそれが、仇となったな。
事が済むまで、ここで眠ってもらう……いや。我が名を高める、その礎となってもらおう」
「てめえらっ……!」
続いた大柄の男の言葉は、言葉の上では称賛するようなものではあるが。
行間には確実に、その行為に対する嘲笑が含まれていた。それを感じ取って、怒りを顕にするジェネ、そしてリリア。
「許さないっ! 私が相手っ……」
「待てっ!」
そのままに戦闘に入らんとした二人を、ジストが止める。
リーンも自ら立ち上がって、同じ思いを二人に向けていた。
「リリア。すまない、世話をかけた」
「リーンさんっ! 無理しないで、大丈夫!?」
「俺だけ寝ているわけに行くものか……そうだろう、英雄ジスト」
「……ああ」
そのまま言葉と共に、目配せをする二人。
それは、同じ決心も共にするものであった。そのまま二人を追い越して、リーンとジストが先頭に立つ。
背中越しに、リーンがアーミィに問いかける。
「アーミィ嬢。ここでの暮らしは長いと聞いてる。町までの道はわかるか?」
「えっ……ええ、わかるわ!」
突然の問い。しかし言葉に込められた強い意志に、アーミィも緊張しながら、しかし力強く返した。
それに頷くと、ジストもまた、背中越しに声を掛ける。その対象は、リリアだった。
「決まりだな。リリア」
「なに?」
「奴等がここに来たということは、逆説的に、先に考えた懸念が現実となる可能性は高い。
そして時間の猶予もないのだろう。俺達を、ここに釘付けにするのが目的だろうからな」
「……うん」
ジストが始めた状況の説明、その真意は、既にリリアには伝わりつつあった。
寧ろリリアがそうであるからこそ、ジストはこれを託すことを躊躇わなかったのだろう。
そして。その思いそのままに、叫ぶようにジストは本題を語る。
「……俺達は、どこまで動けるかわからん……だから今、こいつらの相手を俺達がやる。
リリア、アーミィ嬢の案内のもと町へ急げ! 辺境伯を、町を守ること……お前に託したい! 出来るな!?」
「……!」
思いを同じくするように、リーンも視線をリリアに向けていた。
そうくるのは分かっていた。だからこそ言葉にされたそれに、リリアも確かな躊躇を見せる。
二人の状態は極めて悪いのは明らかだ。普段の実力を加味しても、簡単に助力が不要といえる状況ではない。
「でも……!」
それでも。ジストが言葉にしたのは、苦し紛れの苦肉の策ではない。
間違いなく、彼女への信頼からくる言葉だった。それに値する存在だからこそ、託すことに躊躇いを見せなかった。
それを込めた言い回しは、確かに彼女にも伝わっていた、そして。託されたもの自体を、恐れるリリアではない。
だからリリアも、それに決心で返した。
「……うんっ!」
彼女の返答に、にやりと笑うジスト。
そしてそれを合図に、ジストが、リーンが一斉に前方に飛び出す。
その標的は勿論、黒衣の戦士の双方だ。
「その体で戦う気とは。『止まり木』も舐められたものだな」
「馬鹿め……簡単に仲間を逃がせるなどと、思い上がるなっ!」
その決意を嘲笑うような言葉を吐く二人。
直後。走り出した二人の頭上に、先程と同じ炎の柱が現れる。
何者かによる精霊術。微動だにしていなかったそれは、更なる敵が居ることの証左だ。
頭上に現れた殺意を感じ取って、しかしジストは、隣のリーンに呼びかける。
「止まるなっ!」
「っ!」
その言葉もあって、二人は速度を緩めない。
それもまた、強い信頼が故の言葉だった。
炎の柱が現れたと同時に、ジェネは、既にその腕を空中へと向けていた。
「見えてるぜっ!! "渦巻け"ッ!」
彼の号令を受け、風と炎に姿を変えた精霊たちが、ジェネの腕の先へ爆炎の渦を形成する。
それは炎の柱を削り取る傘、盾の役割を果たした。
「精霊術は任せろ、俺がなんとかしてやる!!」
「ジェネっ!」
飛び出したジェネの背中に、リリアから声がかかる。
躊躇っていたのは、ジェネも同じだった。この信頼は、リリアへの重圧でもあるのだから。
今自分が、その重圧を受けるリリアから離れることに迷いがないはずもない。
だが、彼女の強さも知っている。余計な心配は、自分の弱さがそれに縋ろうとしているだけだ。
それは、わかっていた。
「リリア! お前は……凄いやつだっ! 今度だって、きっとやる! だから……!」
まとまらないまま、ジェネは心の中を言葉を叫んだ。
それは励ましの形ではあったが、あるいは、自分を納得させようとしたものでもあった。
だが、感極まったその言葉は、どうしてもまとまらなかった。
背中を押すことが、きっと自分のやるべきことだと、理解はしていて。
それでも。
「……無理、すんなよっ! すぐ片付けて、俺達も行くからな!」
その着地点は、しかし。彼女を案じる方の言葉になった。
いや。案じる思いのその元は、彼女への思いか、あるいは彼女を失うことに対する、自分の恐れか。
それでも、それは間違いなく彼の本心だった。
「……うんっ!!」
だからこそ、それは彼女の心に響いたのだろう。力強く返すリリア、潤んだその瞳に決意が漲る。
それとほぼ同時に。ジストとリーンは黒衣の戦士たちの懐まで接近していた。
毒の影響など感じさせないほどの闘気と共に、それぞれの得物が、彼らへと振るわれる。
「なっ!?」
「馬鹿なっ……!!」
その圧力もまた、その不調と思えぬほどの渾身の力だ。
リーンの双刃が黒き棘を、ジストの短刀が大刀を押し返していく。
その最中、呟くように、ジストが意趣返しを口にする。
「勘違いだな、仇になどなっていない。彼女ならば、きっとやり遂げる。俺達はそれを守っただけだ。そして……」
「お前達を倒す程度、この体でも十分だっ」
「ぐあっ!?」
「がああっ!!!」
そして。凄まじい意思の力と共に、リーンが、ジストが、それぞれの相手へと打ち勝ち、跳ね飛ばす。
それが何を意図した行動であるかは、もう明らかだった。
「アーミィ、行こうっ!」
「ええ! って、きゃあっ!?」
先の様子から、彼女の足の遅さを理解していたか。
アーミィを背中に抱えたリリア、その全身を精霊たちが包んでいた。
「今だっ! 行けっ、リリアっ!!」
「うんっ!! みんな、頑張ってっ!!!」
合図を出したジェネの言葉を受け取って、励ましと共に、リリアは一直線に駆け出す。
輝く光そのものであるように、彼女を包んだ精霊たち。
それはまるで、光の弾丸のような眩さ、そして疾さでその一団を抜け出す。
止めるための戦力は、全て抑えられている。阻むものがない中、一瞬で深い森林へと消えていった。
そして押さえつけられていた当人、女性の黒衣の戦士が、それを苦々しく睨みつける。
「おのれ……!! もういい、貴様らに止めを刺して追えばいいだけだ!」
「なるほど、追う戦力はもう無いか? 見積もりが甘いという他無いな!
『止まり木』のたかだか数人で、俺達を止めようなどと!」
「なっ!? ……くたばり損ないがっ!」
その言葉尻を突いて、逆に戦力の看破を示すジスト。
そうした言葉を零すこと自体が、その余裕のなさの証だった。
挑発的な彼の言葉に、彼女はその戦意を昂らせていく。あるいはそれも、狙いの内だった。
「我が名を上げる絶好機に、余計な手駒など不要なだけだ!!
この名を、昏き毒を畏れるがいい! 『止まり木』序列37、ピアーズ!」
「序列35、ハバキ。侮るなよ、英雄ジスト。私はショウジのような三下ではないぞ……!」
ジスト達の戦意への対抗、あるいは不調の彼らを押しつぶさんかのように名乗りを上げる二人。
彼らに挟まれる形となるジスト、リーン。すこし離れたところから、ジェネが二人を案じて叫ぶ。
「おっさんっ!!」
「ジェネ! 砲手の場所はっ!?」
「もうわかってる! こっから反撃してやるぜ!」
「分かった! そっちを任せる、俺達には気を遣うな!!」
それに手早く指示を出して、今度は背中合わせのリーンへ意識を配るジスト。
今にも倒れそうな所を、強固な意思だけで立っているような状態だった。自分もそうであるが。
だからこそ、掛けた言葉は寧ろ、少し笑うような色が混じった。
「そういう訳だ。手助けは出来ん。行けるか?」
「侮るな。この程度の相手、造作もない。……しかし、見事な信頼だな。
あの英雄ジストが頼るほどの器ということか、彼女は」
「リリアか? ……そうだな」
交わした言葉の中、リリアの名が出る。
問われて、不意に。混濁した意識の中、ジストは彼女とのこれまでを振り返る。
まだ10代、それも前半の少女だ。それを信じる理由を、ジストはこう総括する。
「……あの子はきっと、本当の英雄になる。俺はそう思っている」
その言葉に、語ることのない隠された暗い事実、その揶揄を浮かべながら。
――――
それから、僅かに日の傾いた刻。
リリアは既に、町の入口に辿り着いていた。行きの、数分の一ほどの時間だ。
勿論アーミィの道案内や、行きは慎重な姿勢だったというのはあるが。
それほどまでの全力疾走をこなしていた、というのが第一にあった。
「ぜえっ、ぜえっ……! つ、ついたぁ……!」
「リリア、大丈夫?」
全身を上下させて、呼吸するリリア。その背中から降りたアーミィが、案じる声を掛ける。
その荒々しい呼吸も、身体を包んだ精霊たちが守りきれず、汚れてしまったお気に入りの衣服も、彼女の渾身を表すものだ。
痛々しささえ感じさせてしまう風体だが、しかしリリアの意思は全く衰えない。
伸びる影は、段々と伸びていく。時間が経っている証拠だ。それがリリアの心を尚も燃え上がらせていた。
「ま、まだまだ、急がなきゃっ……」
「ちょっと待って。その格好じゃ怪しまれちゃうわ」
「え……」
だがそれでも尚、アーミィは彼女を止めると、自分の髪の毛を数本引き抜く。
それをリリアの衣服にあてがうと、唱えた。
「"シェイプシフト"っ」
その毛先が、彼女が身を移ろわせる時のように黒く変異し、広がって。
彼女の服を包んでいく。やがてそれが広がり切ると、その汚れを隠すように、服と同じ色に同化した。
「……薄皮みたいなものだけど、すこしは見た目もマシになるでしょ」
「あ、ありがとう! こんな事も出来るんだ!」
「いいわよ、お礼なんて……あなたのほうが、ずっと凄いもの」
「え?」
その言い回しは、間違いなくリリアの称賛のためのものであったが。
いまいち伝わらず、呆けた声を出す彼女に、アーミィは何か恥ずかしくなって、ごまかすことにした。
「……何でもないわ。あなたの休憩が済んだら、行きましょ」
「もう大丈夫。うん、行こうっ!」
「本当に?」
「うん!」
そんな彼女の内心を知ってか知らずか、その体力、あるいは不屈さを見せつけるリリア。
気遣う彼女の言葉にも、重ねて元気よく答える様子は、決してただの痩せ我慢だけではない事を示すかのようだ。
荒れた呼吸は、まだ完全に整っているわけではない。
ただ瞳に灯る意志の色が、それを表していた。それにアーミィもどこか気圧される、絆されるように。
僅かだが、自分よりも身長の低い彼女。人間らしい彼女は、見た目通り、ローティーンの少女である。
だがほんの少しのこの付き合いでもう、その存在感に感じ入いるものがあった。
「わかった。でも、無理はやめてよ」
「あはは、分かってるよ」
「お願いよ。……"シェイプシフト"」
そして町に踏み入れるその前に、アーミィはまたも自らの姿を変えていく。
今度は、完全に自分に向けたものだった。闇に溶けていくのは翼、そして顔。
やがて色づくと、翼は完全に服と同化し、顔つきもまた可憐だが、確かに違う方向性のものへと変わる。
言うまでもなく、正体を隠すためのものだった。
「町に入るときはいつもこうしてるの。辺境伯はこの顔も知ってるから、むしろ都合がいいかもしれないわ」
「わっ、変装まで出来るんだ! かっこいい!」
「へっ!?」
その様子が何か感性に触れるものだったか、リリアは目を輝かせてそれを称賛する。
意外な言葉に面食らうアーミィ。今までの生活が故か、あまりそうした言葉には慣れていないようだ。
照れながら、何かを言おうとして。しかし、それは直前で変わった。
「……ほら、行きましょ、リリア」
「え? うん……」
正論じみた、しかし強引な話題の強制終了。
直前の様子、そしてこの言葉に、リリアも違和感を覚えないわけではなかった。
とはいえ、先を急ぐタイミングであるのは確かで。今、それを口にすることは避けた。
改めて町へと歩き出しながら、話はこれからの方向に向かう。
人が多い町中は、先程のように爆走するわけにもいかない。
だが逆に言えば、落ち着いた形で言葉を交わすタイミングでもあった。
「ともかく、まずは辺境伯に会うのよね?」
「うん。確か今はずっと闘技大会のとこに居るって、リーンさんが言ってたよね」
「そうね……となると問題はどこから入るか、ね」
「へ? 普通に入っちゃ駄目なのかな?」
会話の中、アーミィが最初に障壁として上げたそれに引っかかるリリア。
噛み合わないような答えを返すアーミィが、その理由から話していく。
「闘技大会って、この町、リーブルの年一の大きなお祭りだもの。
入場券なんかとっくに売り切れちゃってるわ。真正面から入るのは、多分もう無理よ」
「え!? あ、そういえば凄い人気だって、辺境伯もモースさんも言ってたっけ……!」
「だけど、簡単に忍び込めるようなところでもないわよ、多分。
それだけ大々的にやってるんだから、きっと警備だって厳しいもの」
「そ、そうだよね……! うう、どうしよ……ん? モースさん……?」
そこから続く、更に厳しい状況に頭を悩ませていたリリア。
それが突如、自分が口にした名前に反応する。続いて、記憶を呼び起こしていく。
今日もまた嵐のような出来事が故に忘れていた、その貰い物の事を。
「リリア、どうしたの?」
「そうだっ!」
思考がそれに辿り着いて即、リリアは腰に付けた小物入れ、小さなバッグを開く。
どこに入れたかは覚えていた。その内袋を開き、取り出した。
そう。モースから貰った、闘技大会の招待券だ。
3枚貰ったうち、ジェネにだけ渡していた都合、丁度2枚入っていたのだ。
覗き込んでいたアーミィも、それを認めて。リリアに問いかける。
「にゅ、入場券持ってたの!? しかも、招待券じゃない……!?」
「えへへ、色々あって! 勝手に使っちゃうのは悪いけど……これで大丈夫だよね!」
「ええっ!」
しかし繰り返すようだが、現状はゆっくり出来る状況ではない。
道が開けたというだけで十分だ。大雑把な理由で、アーミィも納得した様子を見せる。
何よりも先に進むことが必要な場面だからこそ、二人は迷うことなく進み出した。
――――
しかし。
繰り返すようだが、闘技大会はこの町を挙げる大祭りであり、その会場はその中心点だ。
その周辺にこそ、祭りとしての出し物は集まるものだ。
故に二人はまず、恐るべき規模の人の波を泳ぐことを強いられてしまっていた。
「はぁっ、はぁっ……人、多すぎぃっ……!」
ただでさえ小さな身体の二人だ。
いくらリリアが無双の膂力を持つとしても、そう簡単に人の波を掻き分けることなどできない。
リリアも人を押し倒して進むような事は望まない。だからこそ正面からこの人の波に立ち向かっている、のだが。
逸れないようにアーミィと繋いだ手、それを離さないようにするだけでも大変だった。
「うう、帰りたい……けど、帰れないからぁっ……!」
「アーミィ、頑張ってぇっ! あ、見えたっ、受付っっ!!」
アーミィも、この人の波を泳ぐ経験自体は無いようで、泣き言ばかりを口にしていた中。
希望の光とも言える闘技場の壁面、受付となる入口がようやく姿を表す。
あるいは、すでに受付の役割は終えた時間であるからか。周囲に反して、そこは人の波が僅かに薄まっている場所だった。
オアシスを見つけたかのように駆け寄ると、リリアは受付の男性に招待券を繰り出した。
「すみませーん、2人です、お願いしまーす!」
「はい、はい……お、『無垢の王者』モースの招待券! 嬢ちゃん達、モースの知り合いかい?」
「あはは、そんな感じですっ」
「そりゃすげえ! モースがキングになってからずっとここの受付やってるが、
妹ちゃん以外がこれを使うの、初めて見るぜ。よっぽど仲いいんだなぁ!」
受付を務める男性は、リリアが差し出したそれに大きな興味を見せていた。
あの人の良さげなモースだが、しかしどうやら、この招待券を渡すのは珍しいらしい。
それを利用しているように思えて、リリアは少し心を痛める。
(なんか……悪いことしちゃったかな?)
「でも確か、妹ちゃん以外だと女の子は一人だって聞いてたような……」
「へっ!?」
それが故に、続いた言葉には過剰な反応を返してしまった。
少なくともこの場においては貰ったものを使っているだけではあるのだが、
その引け目が、取り繕う余裕を奪っていた。
「え、ええと……」
「リリア……!」
それが却って、不審な所作へと繋がっていく。
リリアは元より、本心以外に従って行動するのが得意ではない。
引け目は、頭の回転を鈍らせるのに十分だった。
不安そうにその様子を見つめるアーミィ。その助け舟は、会場の内側から現れた。
「リリアちゃんっ……!」
「あ、エリスさんっ!」
モースの妹である、エリス。リリアの名を呼びながら現れた彼女が、受付へと駆け寄る。
あまり走る事自体に慣れていなそうな所作であったが、一先ず、その直ぐ側までは辿り着いて。
「お、モースの妹ちゃんじゃねえか? あんたとも知り合いかい?」
「は、はい……あの、恩人で……後ろの子も、大丈夫ですっ」
「ほー、そうか! そりゃモースも招待する訳だ。止めて悪かったな、嬢ちゃん達。入んな。
妹ちゃん、知り合いなら招待席に案内してもらっていいかい?」
「はいっ」
確かに事前との情報とは異なる、面識のないアーミィも居る状況ではあったが。
ともかくリリアが困っていた様子に、エリスはまずそこに助力する形を見せた。
たどたどしい口調だが、そこは面識も、モースの信頼もあるのだろう。受付の男は素直にそれを受け取って、
リリアたちは無事、会場の内部へと脚を踏み入れた。
「兄さんの試合が終わったから、会場内を回ってみてたの。今ついたの? その子は?」
「ジ、んんっ! ……レイザさんもジェネも、仕事で来られなくなっちゃって。
だから代わりに、友達と一緒にと思って! 駄目かな?」
「ううん、そんな事ない。兄さんもきっと喜ぶわ」
「ありがとう。アーミィです、よろしく」
「うん。よろしく」
受付の男が言う、招待席への案内の最中で交わした、状況とアーミィの紹介。
いずれも嘘というわけではないが、それでも事実を隠して口にするそれは、重かった。
とはいえ、エリス自身はそれを素直に受け取ってはいた。
取り繕うように、リリアは話題を切り出す。
「ところで、モースさんの結果は?」
「ふふ、勿論、勝っちゃったの。ふふふ……!」
答えるエリスの口調は、これまでの会話よりもずっと明るい声だった。
兄を語ること、兄の勇姿を口にすること、それ自体の喜ばしさを表現するかのように。
それが全面に現れた言葉で、リリアは尚更、自分の立場を省みていた。
(……隠し事みたいに言うの、やっぱり嫌かもっ)
彼女の、モースの気持ちを裏切るような気がして。それから、目を逸らすことは出来なかった。
俯いていた顔を上げるリリア。これまでの会話よりもずっと直球で、再び彼女に問いかける。
「あの、私達! ちょっと辺境伯と急いでお話がしたくて、どこにいるかな?」
「辺境伯? 第一試合の前に、開会式で話してて……
招待席のあたりから繋がるとこに、もっと高い所に出る入口があって。
そこから展望台みたいになってるとこで話してた。だから近くに居ると思う」
「ほ、本当!?」
その質問には普通に答えるエリス。
だが正直な内容を口にするうちに、だんだん焦りも隠せなくなってきたリリアの様子に、
流石にその異変に気づき始める。
「な、何かあったの? リリアちゃん……!」
「え、えっと……!」
リリアも流石に、その内容を口にすることは迷った。
この平和な空間には、そしてエリスにはあまりに剣呑すぎる話であるからだ。
だが。少し考えて。嘘で言い繕うことのほうが、悪いように感じて。
リリアは、正直に話すことを決めた。
「……うんっ! もしかしたら、辺境伯が危ないかもしれないの! それを早く伝えたくて……!」
「えっ……!? ど、どういう事っ!?」
「ごめんなさい、色々あって!」
無論、無関係な者にこの場で手早く話せるような内容でもないし、
それを伝える話術に、リリアが長じているわけでもない。
口にできたのは、説得というには余りに弱い話だけだった。それでも。
「……あなたの言う事だもの、信じるわ。それに、辺境伯も大事だもの」
「本当っ!?」
何よりも。リリアがそれを話しているということだけで、彼女が信じるには十分だったようだ。
それは彼女の行い、そしてその精神性が呼んだ信頼といって差し支えのないものだ。
笑みを浮かべる彼女に、リリアもようやくその表情を明るくする。どこかそれに納得をして、アーミィも笑った。
「それじゃ、急がなきゃ……! こっちだよっ」
「ありがとう、エリスさんっ!!」
――――
町を挙げての闘技大会。その舞台となるのが、このリーブルで最も大きな建築物である闘技場だ。
その上部。闘技場の中心から差す日光を背に、ドグマは室内へと歩みを進める。
背後から響く歓声。それは彼が先程行った、その闘技大会の開幕を告げる宣言、
そして第一試合を飾った王者、モースの試合によるものだ。
大会の運営に携わるものだろう、通路の脇に待機していた男が近づく。
「辺境伯、お疲れ様でした」
「うむ。モースも見事なものだったな。あれほどの体格の相手にも、一歩も引かずに圧倒とは。
闘いと政治、戦場は違えど、私もかく有りたいものだ」
「ええ、同感です。素晴らしい戦いでした」
先の試合についての談笑を交わしながら、建物の更に奥側へと歩みを進めるドグマ。
彼らが口にするような、勇猛果敢なモースの戦いぶりだ。観客の熱狂も当然と言えた。
「それでは少し席を外す。招待客もいる、挨拶回りにいかなければな」
「はっ!」
簡潔に自らの行き先を伝えて、ドグマはそのまま歩み去っていく。
闘技大会の傍ら、その心境には懸念が浮かぶ。
肌感覚と言うべきか、先刻にリーンと話した事以上に、その心は警戒へと向いていた。
(例年に増して、盛況な事だ。本来ならば喜ばしいが、事を起こす側としては好都合か。
今年も無事に終われればよいがな……)
先に見た、闘技場の埋め尽くされた観客席を思い起こす。
催しの成否で言えば歓迎するべき光景ではあるが。そう思って、再び息を吐く。
思考の最中、目的地への次の区画へ脚を踏み入れるドグマ。
辺境伯当人用の区画から、招待客の座る席へと向かうための廊下だ。
重役が通る廊下であるということから、僅かな隙間を除いて外からの視線はそう入らない箇所。
その代わりに並ぶ蝋燭がこの区画を照らすが、日光を全面に取り入れる他の区画からすれば、ずっと薄暗い場所であった。
「……ん?」
円状の闘技場に沿い、なだらかなカーブになっている廊下、その視線の先。
規則正しく並ぶ蝋燭、その一部が欠けていることに気づく。
物理的な機構だ、欠けることもある。だから、ドグマが目を凝らしたのは別の理由があった。
深くなった闇、その最中に浮かぶ、何かのシルエット。四肢を持つ、人のようなものであると見抜いて、ドグマは口を開く、
「……何者っ、ぐはぁっ!!?」
しかしその叫び声は、自らの悲鳴によって遮られてしまう。
その原因は。右肩を貫く、細い刃によるものだった。
一瞬の間に、既に至近距離まで接近していた"それ"の姿もようやく捉える。
背中から広がる、鴉のような翼。そして生物感を感じさせない、硬質の甲殻のようなもので覆われた全身。
"鉄の悪魔"。そう形容できる姿だった。
「……」
「ぐうっ!?」
その勢いのままドグマを押し倒すと、何の言葉も発することなく、左腕から直接伸びる刃を一旦引き抜いて。
今度は致命となりうる箇所へ向け、その狙いを定めていた。
絶体絶命、その最中。ドグマの視界の端が突然輝いた。
「でやああああああああああっっ!!!」
「リ、リリア嬢っ!?」
その刃が振り下ろされる、その寸前に。
その光が、光を纏ったリリアの正拳が、"鉄の悪魔"へと突き刺さっていた。
勢いを乗せた渾身の一撃に、廊下の反対側へと、その鉄の身体が大きく吹き飛ぶ。
だがそれも途中で受け身を取られ、向かい合う。意志の読み取れない目が、リリアを睨みつけていた。
「辺境伯さんっ、大丈夫っ……え、あれって……!?」
改めてその姿を目にして、リリアは驚愕する。
それは、この戦いの始まりとなったあの日、村に訪れた"鉄の悪魔"。それと、瓜二つと言える見た目だったからだ。
(いや、別人……? あんなに、背高くなかった……でも!)
だが。立ち上がったその姿には、続けて違和感を覚える。
村で見たそれは、遠目で見てもわかるほど、子どものように小さい背丈だった。
対して。眼の前の"鉄の悪魔"は、大人の人間と言えるような体躯だ。無論リリアよりも、ずっと背が高い。
同一の存在ではないかもしれない。そう考えついたが、しかしそれは手を止める理由にはならなかった。
むしろ、それは。敵であるという、何よりの証明であった。
「させないわっ! もう誰も傷つけさせないっ、絶対にっ!!」
闘志を全面からむき出しにして、リリアは後ろ腰に下げた剣を抜刀する。
呼応して、この薄暗い空間全てを照らさんばかりに、姿を現していく無数の精霊たち。
それは突然の波乱の中、これまで戦い続けてきた、彼女の強い意志の表象のようでもあった。