20話 激突する双星、そして
時は少し巻き戻って、リリア達が森林へ旅立って少したった程の時間。
慌ただしく人々が仕事に励む領主の館、その一室で。静かに、ドアが開く。
「失礼します」
「来たか。すまんな、急に」
部屋に入り、頭を下げるリーンを出迎えるドグマ。
机上に積まれた書物の一つを手に取り、席を立つ。
「それだけ重要な事という事でしょう?」
「まあな。一つ、伝えておきたい事が出来た。王命にも、関わるかもしれんと思ってな」
「!」
その言葉に露骨に反応するリーン。
そしてドグマは、その答えたる書物……いや、雑誌と呼べるであろうものを彼に手渡す。
「これを見よ。グローリアで発行されている、所謂ゴシップ紙という奴だ。
下世話な話や噂話、そういったものばかりをを乗せる、な」
まるで貶めるかのような言い回しは、しかし、その本の特色からすれば当然とも言えた。
この場で出てくるには、場違いとも言えるようなものでさえあった。
表紙に並ぶ不躾な言葉の数々が、その中身を見るまでもなく品位を現しているかのようで。
だが。ドグマが手渡したこと、ただそれだけでリーンが目を通す理由には十分だった。
「それが何か……っ!?」
受け取ったその流れで、付箋の貼られたページを開き、視線を落としたリーン。
そこに載っていた写真を目にして、その色が変わる。
「リリア……!?」
それはページの多くを埋める、ある人物を撮影した写真だった。
何かしらの検閲があるのだろうか、顔だけは隠されていたものの。
その衣服や体格、そして身に纏う、輝く光の粒。それはもはや見間違うはずもなく、一人の少女に思い当たった。
「輝く光を身に纏い、巨大な魔物すらも打ち倒したとか。俄に噂話が広がっているようだ。
その桁外れた剛力や、街に現れた魔物を倒したことから、
グローリア防衛隊の隊長、英雄ジストの隠し子であるなどという噂もあるようだな。
……その根拠自体は、一笑に付すべきものであるだろうが」
その場面は、床に散った品物やなぎ倒された棚、その中心で魔物を殴り上げた姿だ。
ノインやニーコと共に戦った、ゲルバの作り出した魔物と相対した場面だろう。
自らよりも何倍も巨大な魔物に立ち向かい、そして打ち倒す姿は、
僅かしか彼女の姿を見ていないリーンにも、しかし違和感がないと言える姿ではあった。
しかし。ドグマが口にした情報は、ただ彼女への感心だけで終わるものではなかった。
「確かに短絡的としか言いようのない珍説でしょうが……素性のわからない、グローリアの存在であるのは確かだと」
「ああ。だが……グローリアに潜む者達からも、その珍説を後押しする情報が入っている」
「!」
更に深まっていく話を補強するように、ドグマは新たな書類をリーンに手渡す。
今度は公的な、端正に文字の詰められた一枚の紙だった。
内容を目で追うリーンに、そのままドグマは内容を話していく。
「グローリアの防衛隊……実質的な軍組織だな。その中で、英雄ジストの連れ子の噂話が上がっているようだ。
"一番星のお姫様"、などと持て囃されておるらしい。
そして英雄ジストは、現在長期の休暇に入り、行方知れずの状態にあるとか」
「……!」
話を頭に入れて。点と点が、線で繋がる感覚を受けるリーン。
認識を共有した事を理解して、ドグマは頷いた。
「実子であるかはともかく……彼女が、リリアがかの英雄と関わりがあるのは間違いない。
ならば十中八九、レイザと名乗ったあの者が英雄ジストだろう」
そしてドグマは、今までの話から察せる情報を言語化する。
それを改めて受け入れて、大きく息を吐くリーン。若干悔しさを込めて、呟く。
「あの覇気。只者ではないとは思っていましたが」
「まんまと招き入れてしまうとはな。私の目も鈍ったようだ。
情報があと一日でも早く入っていれば……まあ、後悔しても仕方があるまい」
同じように息を吐いて、ドグマは再び椅子に腰掛ける。
それを合図に、話の流れを一旦リセットする二人。先に口を開いたのはドグマだった。
「王命と、関わりはあると思うか?」
「このタイミングです、おそらくは。敵かどうかは分かりかねますが」
「グローリアをあれほど見下しておる奴等だ。その英雄まで懐柔できているとは思い難いがな。
だが、向こう側からすれば、姿勢を見せるための使者としてはこれ以上無い存在でもあると言える」
「……何にせよ。話を聞けば、分かることです」
王命。その言葉を中心に、彼らは彼らのみで共通した認識の下、言葉を交わしていく。
詳細は外に伝わるものではない、だがその表情が、この話題の重さを示していた。
そして決心か、リーンの瞳が鋭く、力が込められる。
「ああ。凄まじいほどの実力者と伝え聞く。油断はするな」
「ええ。お気遣い感謝します」
意図を察したドグマからの警告。それを受けて、リーンの瞳に更に強い意志が宿る。
彼が思うは、少なからず接したリリアのことだろうか。
躊躇いの色が、ほんの僅かだが表情に浮かぶ。
「……やはり重く感じるか? 少なからず関わりのあった者に、剣を向けるのは」
あるいはそれを案じてか、ドグマから、違う色の声が掛けられる。
その言葉を、目を閉じて受け取るリーン。自分の心に、目を向けるように。
「否定はしません。ですが……王命を前に、迷う私でもありません」
開かれた目に宿らせた、強い決意。それが口にした言葉を、より強固なものとして彼に受け取らせた。
それに何か思う所があるように見つめて、しかし息を吐くと、ドグマはまた新たな紙をリーンへと手渡す。
「早朝、彼らが町を出たという報告があってな。
集めた各所の目撃情報から、レルムに入ったことが分かっている」
「大森林に?」
「ああ。かの夜の妖魔の令嬢以外、何もない場所だ。
何が目的かはわからんが……深い森だ。追うならば、アーミィ嬢らの力を借りるといい。
従者のレオナ殿は、気配の察知力に長けている。私からも協力を要請する。これはその文と、館までの地図だ」
「ありがとうございます。
ですが……あの森です。彼女の館を除いて、まともに目印になりそうな場所もない。
そこへわざわざ立ち入るとなれば、彼女らもまた、連中に通じている可能性もあるのでは?」
「可能性は否定できん。とはいえ、今更アスタリトに反旗を翻すような性分とも思えんが……
だがそうであれば、件の者共もアーミィ嬢の館へ向かった可能性は高い。
何れにせよ、お前も向かえば鉢合わせる形になるだろう。あとは苦労することになるだろうが……」
「ともかく、まずはアーミィ嬢に会ってこそ、という事でしょう。それでは早速、失礼します」
いくつかの可能性を話し合った後。それを受け取ると、リーンは踵を返して部屋の外へ歩き出す。
その背中を見送って、ドグマはまた、一つ大きく息を吐いた。
「……相変わらず、強固な男だ。だがそれも、王が心配する要因なのだがな」
最初に吐いたのは、リーンを案ずるような言葉。その関係性が伺えるようなものだ。
半ば呆れるかのようにまた息を吐いて、
「さて……鬼が出るか蛇が出るか、か。
これだけ大きな役者ばかり揃うとなると、いやはや、恐ろしいばかりだ」
残した独り言と共に、窓の外を見つめるドグマ。
町を挙げての祭りたる闘技大会の当日となり、いつもにも増して賑やかな港町が映る。
その裏にあるものを覗こうとするかのように、ドグマは厳しく目を細めた。
――
「ふぅ、はあっ……ふぅ……」
「あはは、落ち着いた?」
長く続いた嗚咽も、ようやく収まって。
微笑みとともに、リリアはアーミィと名乗った少女に笑いかける。
何度か、呼吸を整えて。顔を上げた彼女は何故か、その顔に不敵な笑みを浮かべていた。
「……手を掛けさせてしまって悪かったな、人間。礼を言おう」
「へ?」
その口から放たれた言葉。それは彼女の外見、そして今までの様子とはかけ離れた口調だった。
思わず呆然とするリリアに、彼女は得意げに続けていく。
「しかし侮るな。今回は少し不覚を取っただけ。
あのような連中、私が本気を出せば――あぐうっ!?」
「だ、大丈夫!?」
しかしその突然の得意げも、貫かれた翼の痛みが遮ってしまった。
また蹲る彼女を、改めて心配するリリア。痛々しい、鉄の銛が目に写った。
「ジェネ、レイザさんっ! これ、どうしよう……!」
「反しを削いだ上で引き抜くか、あるいは……ともかくこのままでは良くない。早く手当を」
「ま、待てぇっ……! このぐらいぃっ、見てなさいよっ……!」
「そんな事言ってる場合じゃない! こんなひどい怪我っ……」
「もう、だから大丈夫だって言ってるでしょっ!」
あるいは、やはり粉飾であったのか。
余裕がなくなった今、全く一貫性のない口調で。しかしアーミィは断固として手当を拒絶する。
それが意地、あるいはプライドによるものであるとは理解できたが、
しかしそれならば尚更、リリアも引き下がることはなかった。
そんな彼女にも姿勢を崩さずに、アーミィは、自らの貫かれた翼へ手を当てる。
「あーもーっ、黙って見てなさい! "シェイプシフト"っ!!」
彼女の言葉と共に、触れたその先……翼が突如、闇に溶けたかのように、軟体のような暗い不定形へと変わる。
その姿のまま、潜んだ影の形は移ろっていき、やがて再び実体化する。
その形は、貫いていた銛を避けるような形状になっていた。
支える対象を失った銛が、地面へと音を立てて落ちる。
「へぇっ、すごい! 姿を変えられるの!?」
「ふふん。どうだ、人間! 驚いただろう? これが夜の妖魔、アーミィ様の……!」
それを待って、再び先の形へと戻る翼。
気づけばアーミィ自身も、失った得意気を取り戻していた。
その態度は、もはや意地と言っていいもので。呆れたように、ジェネは零す。
「もう無理だろ、そのキャラは……」
「うるさいわよ! ……って、わわああっわあ、龍人っ!?」
そんな彼に、露骨に反発するアーミィ。が、その意気すらも長続きしなかった。
彼の姿を認めると、逆に驚きと怯えの混じった様子へと逆戻りしてしまう。
先の窮地がそれだけ周囲の状況に目をやれるほどの余裕もなかった、ということなのかもしれない。
「最初から居たよ。俺はアスタリトとは関わりねえから、怯えなくても大丈夫だ」
「べっ、べっべべべ別に怯えてなんかっ……!」
「別に強がらなくてもいいよ。ジェネ、優しいから大丈夫だよ」
「つ、強がってないしっ!?」
もう、彼女の小心を理解するに十分ではあったが。
少しその理由を考えて、ジェネは言葉を選んで返した。だがもう完全に動転を隠しきれていないアーミィ。
正真正銘の小心者らしい彼女が強情になる理由は、高貴さを感じさせるその装いが、それとなく示していた。
ともかく。咳払いで話を切り替えて、ジストは彼女に歩み寄る。
「ひっ……!?」
「俺はレイザという。俺達はこの森であるものを探していてな。
もし恩を感じてくれているのであれば、一つ質問させてほしい」
「な、何だでございますでしょうか!?」
が。ジストの纏う雰囲気、緊張感、あるいは覇気は今の彼女には耐え難いものだったようだ。
それが表れたもはや滅茶苦茶としか言いようのない口調に、小さく息を吐くジスト。
努めて優しい口調を意識して、続ける。
「落ち着いて貰って構わないし、話しやすい話し方で構わない。君はこの森には詳しいのか?」
「え、ええはいうん、この森には」
「落ち着いて」
「……はい」
そしてなおも変わらぬ様子の彼女を認めると、半ば強引に、ジストはアーミィに心を沈めさせる。
しばしの沈黙、そしてアーミィの深呼吸。数度に分けて息を吐いて。
せめて顔面だけには不敵な笑みを貼り付け直してから、アーミィはようやく、それに答える。
「……イエスよ。私はここで暮らしてきたんだもの」
震え混じりだが、ともかく。ようやく整ったアーミィの言葉は、彼の望んだ答えだった。
ともかく落ち着いた今の口調が、彼女の素なのだろう。
そこから流れるように、ジストは質問を重ねる。
「であればもう一つ、訪ねたい。
ここからの方角から……この方向にもう少し進んだところだ。そこに何か施設や建物などはあるか?
詳細を知っていれば、それも聞かせてもらいたいが」
「あっち? ああ……私の暮らす館がある。 ここ暫く、あいつらに取られてたけど……」
「変な奴らって、さっきの人たち?」
「そう。突然入り込んできて……」
ジストの指差した方に振り向いて答えるアーミィ。その表情には、少なくない不安が浮かぶ。
口にしたように、その体験は恐怖と共にあったのだろう。彼女の様子を察しながらも、ジストは質問を重ねる。
「館を占領した戦力は、先の奴ら以外にも居るのか?」
「いいや。今はあの4人だけ。最初に来たときは、もっといっぱい居たけど……」
「……」
彼女への質問を重ねていく中、ジストはある可能性に思い当たる。
続けた質問は、そこから投げかけられたものになった。
「……館を占領していた連中が、何をしていたかは分かるか?」
「え? ……ううん。よくわからなかった。変な荷物で、なにかしてた、ってことぐらい。
奴等がそれを触ってる時に、精霊たちも動いてる気配もしたけど……分かったのは、それぐらい」
「精霊たちが動く荷物って、もしかして!?」
「ええと、精霊機関、ってやつか!?」
「その可能性は、十分に考えられる」
アーミィの曖昧な答えは、しかしリリアやジェネにも、その地点まで到達させるものになった。
精霊機関は、グローリアの技術によるものである。それを用いる者が、彼女の館に居るということ。
それは、偶然とも思えるこの出会いで、道が交わったことを示すものでもあった。
「な、何か知ってるの? あなた達……
……そうだ! あいつらの荷物、まだ私の館にあるかもしれない! 見せたら分かるかしら!?」
「え、ほんとにっ!? ジェネ、ジ……レイザさん!」
「ああ。それを見せてもらいたい。案内を頼んでもいいか?」
これまでの旅路、ようやく見えたその明確な切欠に、リリアも声を明るくする。
その願いに少し押し黙ったアーミィだが、やがて。その瞳に決意を込めて、三人に目線を返した。
「もちろん。あなた達は恩人だもの。それに……あいつらの事は、私も知りたい。知らなきゃいけないから!」
「うん! よろしくね、アーミィ!」
「きょ、きょりかんっ!?」
それに返すように、アーミィの手を両手で握るリリア。
敬称のつかないその呼び方は、彼女の雰囲気が故だろうか。
とはいえその親しさに驚いて、露骨に狼狽する様子を見せるアーミィ。
それは、彼女の他人との関わり合いの少なさを表すものでもあった。
「ハハ、圧倒って感じだな?
俺はジェネ。見ての通り龍人で、夜の妖魔とは似たもの同士ってわけだ。よろしくな」
「よ、よろしく」
リリアに握られた手はそのまま、視線を向けてジェネにも返すアーミィ。
自己紹介の中で語られた言葉、その一つに、リリアが反応する。
「へ、似たもの同士って?」
「まあ、端折って説明するとな……
精霊が生物の形を形成して生まれて、そして根っからの生物も含めて交配を重ね、
やがて肉体としても固まってとして定着した種、ってのがこの世界に居る。
俺達龍人や、アーミィみたいな夜の妖魔がその一つってわけだ。
精霊由来の特殊な力や体を残しながら、
確固たる肉体は持ち、精霊の集合体によって体を成してるわけじゃない、ってな」
「ニーコみたいな感じとは違うの?」
「逆にニーコとかの妖精は、もっと精霊よりの存在って感じだ。
あいつらは体を精霊たちが作って、それに宿った一つの意思がある、ってイメージだ。
妖精に限らず、こういう存在も色々居るんだ。俺の友達にも……おっと、脱線しちまった。ここまでにしとくか」
「へぇ……! どんな子なんだろう……!」
そしてしばらく、その説明を挟んだジェネだったが、長くなった話を自覚して半ば強引に切り上げた。
そして目を輝かせるリリアを傍らに、ジストに視線を送る。
頷いて、今度は彼がアーミィに歩み寄った。
「俺はレイザという。よろしく頼むぞ、アーミィ嬢」
「え、ええと……!
リリア、ジェネ、レイザね……ええ!」
ともかく、アーミィも再び落ち着くよう努めると。
彼らの名前を確認するように繰り返して、彼女もまた頷きを返した。
その語気を見るに、何にせよ、リリアの友好的な姿勢は彼女にはプラスの方向に働きはしたようだった。
そして彼らに背を向けると、先導して彼女は歩き出す。
「そんなに遠くはないわ。こっちよ!」
「うんっ!」
そして彼女に連れられて、歩き出す一行。
三人のうちで、その先頭はリリアだ。
実年齢は不明だが、歳近いような印象のアーミィに、話したがっているのが見える。
そして彼女を見守るジェネと続く。それらの背後から、ジストは全員に目を配っていた。
その、最中。
「……っ!」
彼は唐突に、その背後を振り返る。
声にはしなかったその直感、前方のリリア達には気づかれなかった振り向き。
しかしそれの成果は無かった。視界に入るのは、相変わらずの深い森の光景だけだった。
――
そのまま、深く暗い森を進んでいく一行。
どこまでも続きそうな、代わり映えのしない景色。
それが一変したのと同時に、アーミィは振り向いて告げる。
「ここよ」
かなり背が高く、深い木々に囲まれる中。
しかしその中で覗く青空に照らされて、その館はあった。
この自然の中とは思えないほどに、植物の侵食を受けず綺麗に整備された館の姿は、
まるで砂漠中のオアシスのように、深い森林対比され輝くかのようだった。
「わあつ……すっごいっ……!」
「ふふふ、そうでしょう? もっと驚いていいのよっ、私が毎日雑草抜いてるこの庭に!」
「じ、自分でやってんのか? それはそれですげえな!?」
「そりゃそうよ。二人で暮らしてるもの……まあほとんど、レオナにやってもらってたけど」
「レオナさんって?」
脱力しそうになる自慢を挟むアーミィ、その中で飛び出した新たな名前にリリアが反応する。
振り返ったアーミィの瞳に、愛しさと、確かな悲しみが浮かんだ。リリアが反応するまえに、アーミィの口が開く。
「私の従者よ。ずっと一緒に暮らしてた……でも、あいつらに攫われてしまった」
「そ、そんなっ! なんてことを……!」
その理由、彼女らを襲った悲劇にリリアも衝撃を受ける。
目に、この黒幕に対する明確な怒りが浮かぶ。朗らかな彼女の、だがその正義感を表すこれ以上無い感情だ。
あるいはそれは、アーミィをより信頼させるものでもあった。
「もしあなた達と、同じ敵が相手になるのなら……どうか協力させて。私は絶対、レオナを助けたいの!」
「うんっ!」
その信頼を表す言葉をを交わしながら。
いつしか一行は館の正面、大きな扉の玄関口に到着していた。
アーミィは更に一歩、その扉へと歩み寄り、その取っ手に手を掛けた。
「あれ、開いてる……? 戸締まりぐらいしなさいよっ、あいつらっ!」
「あははっ、それもそうかも!」
「よっぽど焦ってやがったか?」
冗談なのか、あるいは本気なのか。
アーミィの言葉に朗らかな反応を返しながら、その扉が開かれるのを見つめるリリア、ジェネ。
そして、一歩後ろに立つジスト。前方の三人を温かな気持ちで見守る、その最中。
ゆっくり開かれていく扉、その隙間から。漏れ出る気配を、ジストは真っ先に捉えた。
「……下がれっ!」
「えっ!?」
「なっ、おっさっ……!?」
その感知とほぼ同時に、ジストはナイフを抜き、リリアやジェネ、アーミィすらも追い越してその最前線に立つ。
それから、ほんの刹那の後。この静かな森中に響かんとするほどの、金属がかち合う音が響いた。
ジストのナイフと交差した、鋭い1対の剣。鍔迫り合いとなった中、その主から、声が発される。
「……今のを受けてなお、だたの水夫であるなどと言うつもりはないだろうな。
どうだ? レイザ殿……いや。グローリアの英雄、ジスト」
高い、女性のような声。続いて、館の外から差し込んだ光がその姿を顕にする。
絶世とも言えるほどの可憐で端正な顔つき、美しい、後ろに纏められた銀髪。
アスタリトの騎士としては格別の軽装に、輝く星の標章。
リリアが、知っているその名前を叫ぶ。
「……リーンさんっ!?」
「お前たちのことは、嫌いじゃなかった。次がこうなるとはな。
だが。我が王に仇なすのであれば、容赦はしない。……"エクスレア"ッ!」
彼女に言葉を返した、その直後。叫んだリーンが、眼の前から消える。
「え、きゃああッ!?」
「うおおおッ!!?」
更に響く、何度もの金属音。リリアは、ジェネは、そしてアーミィはただ、遅い来る衝撃しか理解出来なかった。
顔を上げると、ジストの姿もなくなっていた。
直後、背後からの物音が響く。振り向いた先、すこし離れた庭の広場に、膝を着いたジスト、滑る身体を手で支えるリーンの姿があった。
何があったかさえ、リリアたちには分からない。
そしてジスト自身も、緊張度は極限まで高まっていた。
(くそっ、早すぎる……! なんとか弾いて距離だけは取らせたが、手元で受けるだけで精一杯だ!)
彼の擬態用の衣服は、既に所々が刃で切り裂かれ、血が滲んでいた。
だが、闘志が揺らぐことは無かった。同じく体勢を立て直したリーンに、牽制するように叫ぶ。
彼がここで剣を向けていること、そこに、一つの答えを見出しながら。
「『瞬く星の勇者』リーン! そうか……お前が出てくるのであれば、アスタリトが俺の敵というわけだな!」
「そうか。アスタリトの敵であるというのなら、最早言葉も不要だ」
交わした言葉で、その答えを同時に得る二人。
その表面に映る気迫は正反対に見えて、だがいずれも猛烈な敵意と意思を相手にぶつけ合っていた。
一瞬で剣呑になる雰囲気の中、その中心に立つジストを案じて、リリアとジェネが駆け出す。
「ジストさんっ!」
「おっさ……」
「近づくな! お前達にどうにか出来る相手じゃない!」
だがジストはそれを、普段は二人にぶつけることは無いほどの気迫を持った声で制する。
最早、視線すら向ける余裕はない。だが止まった足跡で、二人が従ったことを悟る。
だがやはり、心配の種は彼らだった。
(この速度だ……自分の身ならともかく、皆を狙われれば守り切るのは難しい……! くそ、一か八かだっ!)
その中に、一つの思いつきを得て。
ジストはリーンへと少しずつ距離を詰めていく。近づく足取りは、彼も同様だった。
そこで、ジストは思いつきの内容を口に出す。
「あの子達に手を出すな。互いに高名を持つ者として、一対一、正々堂々と決闘と行こう。どうだ!?」
「ふざけた事を。付き合う義理があると思っているのか?」
リーンはその冷徹な表情のまま、ジストの提案を跳ね返す。
わかってはいた、だが。苦境に、苦虫を噛み潰すような表情を見せるジスト。
だが。リーンの瞳が、ちらりとリリアの方を見て。その雰囲気が、僅かに変わる。
「……だが、いいだろう。
俺は名に興味などないが、お前を一人で破ったとなれば、アスタリトの権威はより強固になる」
「……感謝するぞ! 名に違わぬ勇者のようだな、リーン!」
「勝手に言っていろ。"エクスレア"っ!」
その判断は、果たして言葉だけのものであるのか。あるいは、自分が省みなかった感傷が故か。
だがそれを判断する間もなく、再びリーンの体が消える。
ジストの目がそれを認識した時には、既に至近距離、二刀の刃が振り下ろされていた。
もはや受けるという意識もなく、ジストは見えたと同時にナイフを横に切り払う。
「……ーっ!」
「がっ!?」
得物の質量の差を、圧倒的な膂力が埋め、そして上回り。
ジストはその一撃を、地面に叩き落とすような形で切り払った。
地に叩きつけられたリーンの体、それを捕らえんと手を伸ばす、だがそれもまた届かなかった。
伸ばした腕に走る衝撃。それがリーンの起き上がりざまの蹴り上げであると気づいたときには、
既に彼は立ち上がり、次の刃を振っていた。
「ぐうっ!?」
直前の直前とも言えるタイミングで胸を逸らして、ジストはその直撃を免れるものの、
再び割かれた衣服、その胸元から血が流れ出す。僅か一瞬、攻防によるお互いのダメージ。
だがそれに気を割く間もなく、更に踏み込むリーン。流れるように、両手の刃をジストへと振り回していく。
「ぐうううっ……!」
力より数を増した、無数の剣閃。受け止められた時点で、次の攻撃へと移していく。
それは先ほどのようにジストの刃から、逆に力を受けないようにする対策でもあった。
その全てを往なしながらも、防戦一方に押し込まれるジスト。
上半身は、もはや反撃に出る余裕はない。とはいえ、相手に蹴り返すような隙もありはしない。
ならば。
「……はぁっ!」
「っ!?」
その体勢を出来るだけ崩さぬまま、ジストは四股を踏むように大地を全力で踏みしめる。
地を伝って、振動がリーンの足元へと伝播する。威力よりも、不意を突くこと自体を目的にしたものだ。
しかし豪傑たるジストの足踏みは、リーンの足元を揺らがせるほどのもので、止まったその隙に、ジストはナイフを振るう。
「くっ!」
「……くそっ」
だが。またもジストの攻撃は、空を切ることになる。
目にも留まらぬ内に、リーンはその身を翻し、間合いを取っていた。
再びの睨み合い。だがまたすぐに、嵐のような攻防に入るのは明らかだった。
「ひ、ひええっ……」
「おっさんっ……くそっ……!」
遠くで見守るだけでも、この戦いが自らより遥かに格上であると分かる。
怯えるアーミィの隣。自分の無力にも否応なく目が向いて、ただ悔しさを込めてジェネは拳を握りしめた。
「……あのさ」
その、更に隣から。
リリアの、妙に落ち着いたような声が響く。
むしろこの状況としては相応しくないような、その色に。ジェネも意識が割かれる。
「リリア、どうした?」
「あのさ。なんで、戦ってるんだっけ」
「そ、そりゃあ……リーンさんが、この館を乗っ取った奴等の仲間だったから、だろ?」
「本当に、そうかな」
「……ん?」
少し言葉を交わして。リリアの不思議な態度、その心が僅かに見える。
何か、この状況に納得が行っていないようだった。リリアの提起に、ジェネも思索を走らせ始める。
扉を開け、リーンが飛びかかってきたあの状況から、交わした言葉を順に再生して。
(……そういやリーンさん、なんで俺達に襲いかかってきたんだっけか?)
そして。リリアが引っかかっているであろう箇所に、ジェネも辿り着こうとした、その時。
「……って、おい! リリアは!?」
「えっ!?」
ジェネとアーミィの隣から、既にリリアの姿は消えていた。
ここに居なければ、行く場所は一つしか無い。ジェネは急いで視線を上げる。
そして。想像通りの最悪の場所に、その姿が見えた。
「リリっ、アっ……」
それを遠目に見て、ジェネは、いつかの日のことを思い出す。
初めて出会った日のうち、ジストと口論した、あの日だ。
再び打ち合おうとしていた二人、その中心に向け、跳躍するリリアの姿があった。
「リ、リリアっ……!!」
「馬鹿なっ、何を……!!」
驚愕の光景に。流石の二人も動きを止める。
その視線の先、リリアの表情には。先程の不思議な様子、その答えが映っていた。
それは、普段の彼女を思えばかなり特異といえる感情の出し方。
だが、それほどまでに。リリアは、怒っていた。
「……ねええぇッッッッ!!!!!」
その怒りごと。精霊たちを纏い輝く右足を、リリアは思いっきり地面に叩きつけた。
大地が爆発したかのような凄まじい地響き、そして衝撃が辺りを襲う。
当然。その最も大きな被害に遭うのは、至近距離の二人だった。
「うおおおおっッッ!!?」
「ぐ、うううううッッ!??」
吹き飛ばされたその体も、巻き起こった土煙に隠れていく。
犯人たる、リリアの姿も。外部から全く状況が掴めず、ジェネはただ心配と不安を叫ぶ。
「リ、リリアーっ!?」
「わ、私の庭がーッッ!!!?」
そのリリアを呼ぶ声も、アーミィの個人的な、しかし悲痛な叫び声も。
その結果を得るのは、この土煙が収まるのを待つ他無かった。
そして。晴れた土煙、その中心には。
見るも無惨な姿となった、大きなクレーターの生じた庭と。
その中心に立つ、今度は正直な怒り顔のリリアだった。
「うわあああああんっ、私の庭ーっっ!!」
「あ、あちゃあ……」
だが真っ先に飛び込んできた泣き顔のアーミィに、リリアの怒りも引っ込んでしまう。
怒り心頭だったといえばそれまでだが、彼女が整備してきたというのは聞いている。
流石に大きな罪悪感を抱く彼女に、アーミィは、涙の中に作り笑顔を浮かべる。
「だ、大丈夫よっ、リリア……あなたは恩人だもの! 恩人だもの!!」
「ご、ごめーんっ! ちゃんと直すからーっ!!」
その様子が余りに痛々しくて、平謝りに尽きるリリア。
遅れて、ジェネも近づく。かなり複雑な思いの籠もった表情だった。
「リリア、お前また無茶しやがって……!」
「だって。二人ともなーんも話聞かずにいきなり戦い始めるんだもん。
だから怒っちゃった。まあ、私が言うのはなんだけど……」
叱るとも、怒るとも違う声色。
しかしリリアは露骨に、その怒りを違う二人へと向ける。
「……つまりそれは」
「俺達のせい、ということか」
「そうっ!!」
そして。土煙を抜けて、その当事者である二人が現れる。
至近距離で衝撃を受けた関係か、その姿は完全に砂に塗れてしまっていた。
だがリリアの語気は、そんな姿にも容赦のない苛烈さを持っていた。
「いや、まあ。確かに今思えば、早合点だったようにも思うが」
「そーです!!」
「……なんだこの空気は」
「他人事みたいに言わないっ!!」
「……」
先程まで、段違いの戦闘を繰り広げていた二人。
だが今は、この少女の怒りを前に、ただ横目で目を合わせるしか出来なかった。
――
ともかく。剣呑な雰囲気は収まって。
リーンは今、剣の代わりにショベルを手にしていた。
「……つまりお前たちは、グローリアからの内通者を追ってこの国に来て」
そして。同じくショベルを片手に、ジストも荒れた庭土を集める。
「そして君も、その内通者を捕らえるために動いていた、と」
「ほらーっっ!! だから言ったじゃないっ!!!」
そして。
言葉を交わした後の結論に、リリアは再び吹き上がりながら、一輪車の中に積んだ土をクレーターへと注いでいた。
それは要するに、先程の戦いはやはり、早合点だったという事を意味していた。
そして唯一、その責を持たないジェネが、庭に設置されたベンチに腰掛けながら話に参加する。
「俺達は、最初から敵じゃなかったって事だな。
でも何で、リーンさんがグローリアの裏切り者を追ってんだ?
アスタリトからしたら、味方になるんじゃないのか?」
「まあ、ここまで来たらもう言ってしまってもいいか……
そのグローリアの内通者と通じているのは、アスタリトの純粋な勢力じゃない。
政権の転覆を狙う、王国への反逆者たちだ」
「ええっ!?」
「何だとッ……!」
その最中。リーンから大きな、衝撃的な事実が明かされる。
それは予想だにしていない、だが彼らにとっても黒幕と呼べる存在に、初めて触れた瞬間だった。
思わぬ前進に、ジストは話に強く食いつきを見せる。
「君主制たるアスタリトに、そんな存在が……?」
「今の解釈としてはな。その目的も、正体も明らかになってはいない。
だが、その存在だけは掴んでいる。国内のテロ組織や紛争の影で、それらをバックアップしている痕跡をな」
「なんでそんな事を……!」
「さあな。愚か者の考えなど知る由もないが、アストラ王がそれだけ憎いらしい」
作業の傍ら、吐き捨てるように答えるリーン。
それは彼の国に対しての、あるいは黒幕たちに対しての立ち位置を表すようだった。
明確な侮蔑、あるいは怒り。彼はそのまま続けていく。
「その規模は決して小さくない。内部、それも大物の裏切り者がいるのは確かだったが、
連中は逃げ回る事だけは得意なようで、尻尾を掴むことも出来なかった。
……そこに、今回のグローリアからの使者との密会の情報を掴んだ。そこから奴らの正体を掴もうとしていたわけだ」
「そして。そのグローリアの使者というのは……
奇しくも、グローリアへ害を与えている裏切り者だった、というわけだな」
そして。今回の要点となる内容を、ジストが言語化する。
それを言葉から受け取って、リリアも脳内で咀嚼する。
「……これって、どういうこと?」
だが数秒後、それはその形のまま口から出てきてしまった。
苦笑しながら、ジストがそれを更に細かく説明する。
「つまり勢力図としては。
アスタリトとグローリア、それぞれに転覆を目論む反逆勢力があり。
それらが手を結んでいる、という形だ。……目的についてはわからんが。
大方それによる勢力図の大幅な書き換えに乗じて、自らの利を得たい、という事だろう」
「大きな戦争も、今はない。平和による体制の安定は、いつの世も権力闘争を呼ぶものだ。
……現国王、アストラ王の治世でさえ例外ではないというのは、嫌になるがな」
二人の語る情勢の考察に耳を傾けて。
リリアはもまた、改めてその意味を自分なりに解釈していく。
そして、今までの経験を回想して。ぽつりと、口から言葉が溢れた。
「色んな人も、精霊たちも傷つけて、それでも凄くなりたいなんて……」
「逆なんだろ。他人を、精霊達を傷つける事自体を、何とも思わないやつだって居るってことだ。
……だから、俺達が許さねえって言い返してやらなきゃいけねえ」
「……うんっ」
そこに、ジェネの言葉も重ねて。ようやく据えられた目的に、頷きあう二人。
一旦話は落ち着いたと見て、ジストはまた新たな話題を切り出す。
「……さて、目的の擦り合わせはこんなものか。そろそろ、件のものを見に行きたいが」
「そっか、とりあえず話す間、ってことだったもんね。アーミィっ!」
「はーいっ」
リリアの呼び声に答えて、館の入口、日陰からアーミィが姿を表す。
近づいてくる彼女の目線は、露骨にその穴へと向いていた。
リリアが叩き開けた時からすれば、随分と埋まっているそれに胸を撫で下ろして、
彼女は一行へとしっかり目を向けた。
「大事なお話は終わりでいい? それじゃあ、案内するわ」
「ああ、頼む」
――
アーミィの館は、彼女曰く、二人で暮らすとしているものとしては余りある程に巨大だ。
その大量にある部屋の一室へ、彼女は誘っていく。
全員が入ったのを確認すると、そのテーブルの端に残された荷物を指差して、伝えた。
「ほら、これ。あいつら貴方達にやられて消えちゃったから、荷物は残ったままだったわ」
「……精霊機関を利用した機器だ。恐らく通信機だろう。
やはり奴らはここで、ギャングの首領・ゲルバと何かしらの通信を取っていたんだ。
この機器は回収させてもらってもいいか? グローリアで解析すれば、新たな証拠が掴めるかもしれん」
「勿論よ。その辺りはお任せするわ」
同じように近づいて、それを確認するジスト。
本来であれば、グローリアの領内にのみにあるはずの機械と呼べる存在。
紛れもなく、追い続けた者たちの証跡そのものだった。
「ゲルバとは?」
「えっとね、グローリアに居た悪い人! 魔物を出す装置を使って、街で暴れたりしてたの!」
「魔物……グローリア領内で起きていると聞く魔物騒動、その鍵となる装置を使っていたと言う事か」
「ああ、そうだ。俺もリリアもおっさんも、その解決が目的なんだよ」
「そうか。魔物を発生させる装置……アスタリトの反逆者共とも、無関係ではないかもな」
ゲルバの件も含め、リーンへも情報の共有を行っていく一行。
新たな情報を得られたのは、彼もまた同様だった。
情報を噛み砕いていくその最中、先に聞いた言葉を改めて口に出すリーン。
「そういえば、気になる言葉があった。消えたとは?」
「ああ……この館を占領してた4人ぐらいが居たんだけどよ。
ぶっ倒したと思ったら、精霊に戻って消えやがったんだ。
口も利いてたし、精霊が人間に化けてたってのとは違うと思うんだけどな……」
「……精霊が、人間に……?」
答えたジェネの言葉の内容に、リーンは深く考え込む。
それは、思い当たるものがあるかのように。それを態度から察して、リリアが更に尋ねる。
「何か知ってるの?」
「アスタリトの上級の精霊術に、精霊により分身を形成し、意識を転送させ遠隔で操る術がある。
俺は精霊術には詳しくはないが、それこそ王都から、この町まで分身を飛ばすことも出来るようなものだと聞いている。
……なるほどな。尻尾を出さないために、密会にも分身を寄越したというわけか。悪知恵の回る奴らだ」
「う……それって、逃げられちゃったってこと?」
「そういう事だな」
だが、それはこれまでの新たな情報と違い、明るいものではなかった。
黒幕へ辿るための1つの手がかりが失われた事を理解して、リリアも、ジェネも悔しさを見せる。
空気が重くなる中、それを遮るように、続いてジストが口を開いた。
「であれば。残る最大の証拠は、グローリアから渡ってきた使者そのものというわけだな。
わざわざここからゲルバに連絡を取っていたんだ。その張本人がここに居たはずだ」
「ええ。最初はあと3人ぐらい多く居たんだけど、そいつらは確か……2日前ぐらいに居なくなってたわ」
「2日前か……くそっ、それなりに空いちまったな……逃げられたか?」
「……いや。逃げてはいないんじゃないかな?」
もう一つの手がかりと言える、グローリアからの使者の情報についても、芳しくない情報が集まる。
しかしその中で。意外にも、次に口を開いたのはリリアだった。
普段あまり思考の方面で主張することのない彼女に、興味の視線が集まる。
「何でだ?」
「だって、逃げるのならこんなの置いていかないよ。
こんなの、ここに居ましたって証拠だし、話の内容ももしかしたら分かっちゃうかもしれないんでしょ?」
「それもそうか……それじゃあでもなんで、置いていったんだ?」
「考えられるのは逃げたわけではなく、今後もここを拠点に活動するつもりで、今は何かしらの理由で移動している、などか」
「……詳細は省くが、アスタリトは夜の妖魔には基本的に不干渉の姿勢を取っている。
確かに制圧してしまえば、隠密性の高い拠点としては使えるだろうな」
「うう……まあでも、ドグマ辺境伯は色々気にかけてくれた方だけど」
そのリリアの考察を皮切りに、様々な意見や派生の考察が出始める。
浮かび上がる、様々な内容を頭に入れて、各々、考え込む。
可能性の中、その筋道が通りうるものを探して。
「……まさか」
そして、その答えの1つへと到達して。リーンが口を開いていた。
一斉に視線が、彼の方へと向く。
「何か分かったの!?」
「……1つ、伝え忘れていたことがある。
ドグマ辺境伯は、アストラ王が幼き頃から親交のある忠臣として名高い方だ。
政治の場での発言力も強い。王に忠誠を誓う主流派、その中心人物の一人と言える方でもある」
「俺も聞いたことのある話だ。この付近を治める辺境伯は王の忠臣である、と。
……そうか。アスタリトの転覆を狙う者たちにとっては、仇敵とも呼べる存在であるのか!」
彼の話から、さらなるピースを手に入れて。
ジストも遅れて、その答えに辿り着いた。口調からもそれを察して、リーンは頷く。
「どういうこと?」
「奴らは、密会のためだけにアスタリトに渡ったわけではないのかもしれんという事だ。
無論、ここでアスタリトの協力者と会うことも目的だったのだろうが。
政敵の誅殺に、グローリア特有の技術を使うこと自体を目的としていたのであれば……」
「誅殺って!? それって……魔物を出す装置を使って、辺境伯さんをっ!?」
それを尋ねるリリアに、ジストはその思考の流れを口にしていく。
その結果を口に出したリリアに、先のリーンと同じように頷いて、更に続ける。
「わざわざここから指示してゲルバに魔物を使わせたのも、
グローリアを実験台にしたデモンストレーションだったのかもしれん。
……アスタリトの反逆者たちに、その力を見せるためのな」
「それだけに終わらない。
今のアスタリトの主流派は、グローリアには慎重な、ともすれば穏健とも言える姿勢だ。
だがグローリアの技術によって忠臣が殺されたという錦の御旗は、グローリアを攻撃する大義名分になる。
そして、その一派の発言力を大きく削ぐ材料にも。……一石二鳥と言う事だな。忌々しい」
「その手引きをした奴は、勝ち馬に乗らせてもらって成り上がる、ってか。ふざけた奴らだ!」
続くジストの、リーンの、ジェネの言葉で、これまでに浮かび上がった情報、それらが繋がっていく。
二大勢力を巻き込む巨大な思惑、それによる危機が、すぐ近くまで迫っている事も。
その中心に居る、辺境伯の顔を思い浮かべるリリア。関わりのあった者の危機に、心は昂っていた。
「誅殺を果たせば、この地は長く治めた主の居ない土地になる。
だから荷物を残し、これからも隠れ家として有効活用するつもりだった、という所か。
俺達にここを嗅ぎつけられた事自体が想定外なのだろう。
つくづくフェムト教授には感謝しなければならないな……」
「とにかく、急いで戻らなきゃ! 辺境伯さんが危ないんでしょ!?」
「つっても、どっから襲ってくるんだか……リーンさん、何かねえか?」
「ある。闘技大会だ」
「えっ!?」
リーンの答えに、リリアは思わず声を漏らす。
昨日からこの町の大きな行事として名の出ていた、その闘技大会である事は明らかだった。
アカリが、モースが肯定的に語っていた、その闘技大会だ。
「辺境伯も責任者として、そして主催として常に闘技場内に滞在する。
狙うとすれば、ここだろう」
「えっと……闘技大会って、今日から始まるんだよねっ!?」
「ああ。今日の午後から、明日の午後までだ。
奴らの決行がいつかは知らないが……もはや余裕はない。
これまでの話は全て仮定だとしても、見過ごすには余りに大きすぎる」
答えるリーンの表情は張り詰めていた。
いや、状況を共有した今、皆が同じようにこの緊迫を共有していた。
目を閉じて、リリアは色んな人の顔を思い浮かべる。
晴れ舞台を喜んでいたモースやエリス、アカリ、そして脅かされんとしている、ドグマの顔を。
(色んな人を傷つけて、そして闘技大会まで、そんな事に使おうとするなんて……! 絶対に許せない!)
この町にたどり着くまでに出会った人々が笑顔と共に語っていたそれを、汚されたような気分で。
それが、なおもリリアの心を昂らせていた。その号令となるように、叫ぶ。
「町に戻ろう! 辺境伯さんを、町を助けなきゃ!!」
「ああ! これ以上、奴らの好きにはさせねえ!」
「勿論だ。ついに掴んだ尻尾だ、絶対に捕らえるぞ!」
「俺は先行して、辺境伯へ危機を知らせてくる。知っての通り、速さには自信があるからな」
「うん! リーンさん、お願い!」
その意志を共有して、慌ただしく部屋を飛び出していく一行。
先行すると伝えたリーンについては、すでにもう姿さえ見えなくなっていた。
その最中、リリアの隣にアーミィが寄る。
ただ一人違う立場を持つ彼女だが、しかし同じように、その瞳には強い意志が宿っていた。
「リリア、私も行くわ! 途中で出ていった3人がレオナを連れて行ってたの!
きっとレオナも、そいつらのところに居るから!」
「うん、分かった! 一緒に行こうっ!」
駆け出したまま、リリアも館の外に出る。
高い木々に囲まれている館でも、日が差し込むほどの角度。
すでに正午に近い時間であることを知らせるそれが、彼らを尚更急がせた。