19話 謎めく闇を追いかけて
翌日。
再び集合した部屋の中で、リリアは驚きを見せることになっていた。
「『閃く星の勇者』……!」
「ああ、そうだ」
それは昨日、ジストが照合したリーンの情報の共有だった。
しかしそれと同時に、目を輝かせるリリア。
理由は、言うまでもなく。苦笑しながらジストは説明を続けていく。
「エレナに倣った、星の異名を持つ王国の英雄の一人。
アスタリト王の右腕、懐刀とも言える存在になるな。
偶然縁を持つことになるとは……つくづく、数奇な運命の元にあるようだな、リリア」
「た、確かに物凄く強いと思ってたけど……!
エレナに倣って『閃く星』かぁ……かっこいいなぁ!」
「ハハハ、そりゃそうなるか」
そしてリリアに浮かんで居た驚愕は、いつしか全て憧憬に変わっていた。
相変わらずの様子に笑うジェネも合わせて見て、ジストは少し思慮を走らせる。
(……話すべきか。彼が敵になる、その可能性も)
それは、彼女の今の感情と真っ向から反する内容だ。
今話せば、憧れはそのまま反転し、余計な恐怖を煽るかもしれないと。
何より人懐っこいリリアだ。ショックに繋がるかもしれない。
あるいはジェネも、それが分かっていて口を挟まないのかもしれない。
そう迷っていた状況を打ち破ったのは、他ならぬリリア自身だった。
「……でも。アスタリトの騎士さんなら、敵かも、ってことだよね?」
「!」
細めた目に、引き締まった表情。
いつしかリリアの顔は、緊張感のあるものに変わっていた。
懸念の正体そのものを自ら口に出した彼女に、ジェネも、ジストも驚きを隠せなかった。
その様子に、少しむくれるリリア。
「そんなにびっくりしなくていいじゃん。ていうか、ジス……レイザさんが言ってたんじゃない。
私だって軽い気持ちでついて来てないよ」
「で、でもお前、昨日あんなに喋ってたじゃねえか?」
「だって、ほんとにそうかはわかんないじゃない!
それにね、もし敵になっちゃっても……折角話したりできるんだから、仲良くしたいよ!
『分かたれようとも、繋いだ手の温もりを忘れることはない』……から!」
得意の英雄の格言の引用と共に、リリアは締める。
それがリリアの感性、明るく人懐っこい人柄と、現状のシビアな状況を識る判断とを、矛盾せずに纏め上げていた。
齢13の少女のものとしては、余りに確立された精神。
エレナの息吹が、どれほどまでに彼女に影響を与えているかが分かる。ある種、恐ろしさすら感じるほどに。
思わず目を見開いていたジストが、やがて息を吐きながら微笑んだ。
「……いかんな。どうしても子供だと、俺はリリアを侮ってしまっているようだ。
リリアにとって単純な憧れというだけではないんだな、『紡ぐ星の剣士』は」
「うん! ずーっと昔から、私がどうやっていけばいいのか、教えてくれたから!」
「……」
満面の笑みで返すリリアに、またもジストは内心で考える。
口にしたように、リリアのエレナへの信奉は並の憧れの具合ではない。
ジスト自身、自らも英雄たらんと志す一人として、その気持ちは分かる所と、そうでない所があった。
彼女の美点たるこの精神性を育てたのは間違いなくエレナだ。
だが、その裏面とも言える、時々見える危うさもまた、彼女を信奉するが故のもので。
これを、見過ごすべきかもわからなかった。少し考えて。ジストは口を開く。
「……リリア。良ければ聞かせてくれないか?
エレナに憧れた、エレナを人生の指針にするとしたきっかけを」
「お、おいおっさ……っ!」
驚いてそれを制止しようとしたジェネを、鋭い目で逆に制するジスト。
あるいは、先日の会話での続きでもあった。逃げてはならない、そう伝えているように。
「え? うん、わかった! えへへ、どこから話したらいいのかな」
その二人の雰囲気とは裏腹に、リリアはとても気軽そうにそれを承諾した。
むしろ話すことを、楽しんでいるかのように。
しかしその切り出しは、とてもその口調に見合わないものから始まった。
「私ね、生まれた時からお父さんもお母さんも居なかったんだ。
アスラじいちゃんとペティばあちゃんから教えてもらったんだけど、
家の前に、いつの間にか置かれてたんだって。……この剣といっしょに」
「っ……!」
「……」
話の重さが故か、いいや。
その口調は、すでに悲しみを風化させた故のものであると感じたからか。
二人はその口調には、何も言わなかった、いいや、言えなかった。
ジェネに至っては、視線をうつ伏せるほどに態度に出て。流石に、リリアにも伝わった。
「もー、これ話すとみんな暗くなっちゃうから先に言っとくけど!
アスラじいちゃんもペティばあちゃんもとっても優しくて大好きだし!
始まりがそうだったってだけで今はとっても幸せなんだからね。
ネル姉とかニーコとかも、何度言っても親がみたいな話になるとすぐ気使っちゃうんだから……
心配してくれてるのはわかるんだけどさ」
「あ、ああ……」
その様子は、リリアにとってはあまり快いものではないようだった。
名前の上がった者達は、紛れもないリリアの親友たちであるし、彼女もそう思っているだろう。
だからこそ上がる不満でもある。だがおおよそ、仕方ないとも言えるものではあった。ジストがそれを口にする。
「まあ、堪忍してやれ。
お前が本当にそうなのか、気を遣っているのか、あるいは強がっているだけなのか。
そういった事は、周りからはわからないものだからな」
「うん。あはは、まあ偉そうに言っちゃったけど、
私、昔は全然精霊たちの力の使い方とかもわかんなかったから、
色々問題ばっかり起こしてて、友達もぜんぜん居なくて。
八つ当たりみたいにじいちゃん達に聞いちゃったのが、初めて知った時。
その時は流石にへこんじゃった」
リリアが続けていく話は、とても気軽に聞けるようなものではない。
それに見合わないような軽い口調に、傷跡を透かして見てしまうのも無理はなかった。
本人が言うならそうなのかもしれないが、しかし。
ジェネは感情の行き先を、努めて見えづらい指先に集めて聞いていた。
「そのあたりでね。たまたま家にあった『永き冬』の絵本を見てさ。
やっぱあんまりページが多くないから、色々話は端折られてるものなんだけど、エレナの事は書かれてたの。
家族も友達も仲間も過去もなくて、凍える世界の中、どんな寒さにも負けない力を持って現れた、って。
エレナは、友達も仲間もずっと大切にして、その力で世界を救った、って」
そして。英雄たる彼女の名が出て、リリアの口調はより柔らかくなった。
それこそ、愛する人を語る時かのように。
まるで痛ましさなど無かったかのように、リリアは笑う。
「なんか自分で言うと恥ずかしいんだけど……これが自分のことだって思っちゃったんだ。
たった一人から始まったのも、みんなから怖がられるぐらいの力も、一緒だって。
だから私も、きっとエレナみたいに生きればいいんだ、って。
……そこから、今の私が生まれたのでした、って感じかな!」
話を締めて、リリアはまた笑う。
ちらりとジェネの方を見て、しかし予想通りに沈んでいる彼を見ると、
ジストは一旦、自分が先に反応を返すことを決めた。
「まあともかく……納得は行った。
なるほど、導きと言えるほどのものになるわけだ」
「ね! エレナが居なかったら今頃ほんとにぐれちゃって、ジストさんに捕まってたかも」
「縁起でも無いことを言うんじゃない。今は色々と混乱があってこうなっているが、
本来、防衛隊が出動するレベルの悪党というのは中々のものなんだぞ。
俺を引きずり出すとなれば、それこそ街に明確なダメージを与えるほどの規模だ。想像したくもないな」
それこそ冗談すらも軽く口にするリリアの様子を見れば、
確かにこの記憶は、彼女にとっては傷跡ではなく、導きの始まりとしてものなのだろう。
だが。どうしても透けてしまうその傷跡を、彼は無視することが出来なくて。
「……リリア、本当に無理してないのか?」
「え?」
「自分に起きた辛いこと。自分が出来ること。やらなきゃいけないこと。
それに向き合って、応えて生きるのって、楽じゃないだろ。辛くないのか?」
ようやく開いたジェネの口からは、リリアをやはり案じる言葉が出ていた。
それこそ、本人以上にそれを恐れるかのように震えた声。
いや。あるいはそれは、自分に向けた言葉であるのかもしれない。
振り向いたリリアと、目があった。逸らしたくなったその目を、しかし意識してジェネは合わせた。
その先のリリアの顔が、笑顔へと変わる。
「うん、大丈夫。
痛かったり嫌だったり怖かったりもあるけど。
でもそれよりずっと、良かったことのほうが多いし。それにね……」
ベッドに腰掛けて話していたリリアが、その最中に立ち上がる。
ゆっくりと、ジェネの方に近づいて。その手を、両手で取って握った。
「リリ……」
「人と仲良くするようになってから、エレナが言ってたことがまた分かったの。
辛いときに慰めてくれたり、怖かったときに励ましてくれたり。
それが、また頑張れる理由なんだって。
……ちゃんとお礼、言えてなかったね、ジェネ。ずっと。助けてくれてありがとう」
理由のように語ってきたそれら全てを、彼への感謝に込めるリリア。
背丈で言えば年齢の差以上に、自分よりもずっと小さな彼女から見上げられる視線を、出会って以降ずっと受けてきた。
その多くは彼女の強さを痛感するものであるし、そのうち僅かは、彼女の傷跡を見せつけられるものだった。
今回のそれは、どこか、その両方でもあった。
あるいは、決心を込めて。目を閉じて感じ入るように、ジェネは答えた。
「……ああ」
「うんっ……あ、ジストさんもだよっ!」
その最中。話の向きがもう一人から大きく離れていたことを思い出して、焦ったように振り向くリリア。
どういう感情を込めてか、微笑んでいたジストに視線を向けてのものだ。
もう一つ鼻で笑って、ジストは彼女の、焦った故の過ちを指摘する。
「わざわざ言わなくていい。それより、「レイザ」だぞ。密室とは言え、注意しておけ」
「あっ……!」
「まったく、落ち着きねえんだからよ」
「……えへへ」
それに苦笑するジェネに、恥ずかしがるように笑うリリア。
ともかく、すっかり元に戻った雰囲気に機を見て、ジストは話を切り戻した。
「まあ、話を元に戻そう。
リリアの言う通り、アスタリトが今回の件に直接関わっている可能性はある。
わざわざ王の直属たる彼がこの町に現れている、その理由が読めないからな」
「……グローリアを倒すためのでかい作戦だから、信頼できる右腕を付けてる、って可能性もあるってわけか」
「そうだ。彼が敵とすると、まずはこの道筋だ。この場合は敵対は避けられん。
そうなれば……お前達がこれまで戦ってきた相手、その誰よりも強敵であることは間違いない」
話の中では、やはりリーンがその中心となった。
あるいは先日、彼と関わりを持った二人の前だからこそ、警戒すべき理由を口にしているという面もあった。
「幸い、俺達はまだ素性が明らかになっていない。
お前達は交流もある、出来る限り素性と目的を隠し続け、敵対を後回しにするよう務めるぞ。
いよいよ決戦となれば……その時は、俺がやる」
状況故のシビアな言葉。リリアの顔も、緊張感が強まる。その言葉の意味するものが、分からないわけではないからだ。
あるいはそれを悟ってか、補足するようにジストは続ける。
「……一つ言っておくと、殺しはしないさ。正確には殺してはならない、だな。
グローリアのジストがアスタリトの英雄を殺したとなれば、戦争の火蓋を切るのに十分な理由だからな。
敵対した際に彼を生かすのは、絶対条件の一つと言える。
……僅かしか見ていないが、あの凄まじい実力だ。殺すと言って出来るような相手でもないが」
「そ、そっか……」
慰めになったのか、そうでないのか。息を吐くリリアを見終えてから、ジストは更に続ける。
「その他としては……この町に来たのは別の理由の偶然だが、
俺がジストであることが露呈し、攻撃のための潜入であると疑われることか」
「説明したら分かってくれないかな?」
「どうだろうな。王の懐刀とも言われるような存在だ、まず自国の利を最優先に考える人間だろう。
そうだな……彼に命を狙われることになれば、お前達は理由と目的、そして俺の正体も話していい。
現王のアストラ王はグローリアに対して慎重派であるとされている。運が良ければむしろ協力を得られるかもしれん。
とはいえ運を天に任せるには、余りにリスクの大きな相手だ。やはり素性は隠す方向で行くべきだろうな」
「うん。とりあえずは隠れてこそこそ、ってことね!」
「そういうこった」
ジストの出した方針に、二人とも頷いて答える。
その後の対応に違いがあれど、要約はリリアが口に出した通りだった。
「それで、今日はどうするの?」
「ああ。フェムト教授から秘密裏に、ある道具を預かっていてな」
そう言ってジストは、荷物の中から小さな端末を取り出す。
ジストやネルが持っていた、グローリアでよく使われる通信端末とよく似た形だが、
しかし確かに別物であるそれを彼らに見せつつ、その説明を加えていく。
「この町に来た理由の復習になるが、
付近の森林部から、例のギャングとの通信反応が発見できたことが理由だと話していたと思う。
とは言えグローリアからは距離があるからな。その時点では大体の位置しかわからなかった。だが……」
そのまま端末を操作するジスト。
大した情報らしき情報は写っていない液晶、その一点が仄かに光を放つ。
文脈が語るその意味を、彼は追って言葉でも表した。
「決まった精霊の反応、その残滓を追うものらしい。
組みはよくわからんが、使える距離が狭い代わりに、さらに詳細な場所を追うことができるそうだ」
「残滓を……そんなことも出来んのか?」
「お前からそういう言葉が出るんだ、確かに凄いものなんだろう。
これを使い、会話先の場所を特定する。
奴らも状況は把握しているだろう、どうせものけの殻だろうが、何かしらの証拠は掴めるかもしれん。
それからは、言っていた通りこの地での情報を宛てにしての調査だな」
それがもたらす物、そしてその先の展望を口にして、ジストは話を締める。
もう一度、その機器に目をやるリリア。端末にしても液晶に映るものにしても、必要最小限という言葉が似合うような質素な見てくれだ。
フェムトの性格や価値観を表すかのようで、リリアも笑みを漏らす。
「そっかあ、フェムトおじさんがかぁ」
「いやはや、相変わらず舌を巻く知識、技術力だ。
彼に狭い研究室しか与えていないのはグローリアの損失だな。
ともかく。今の動きとしては以上となる。
準備でき次第、出発するぞ」
「うん!」
「おう!」
――――
彼らの大きな指針となるのは、事前調査による精霊の反応だ。彼らの第一歩も、当然ながらそれに従うものになる。
大雑把な感知範囲、その殆どを、町から少し離れたこの巨大な森林が占めていた。
彼らが今、隣り合う草原との境目とも言える場所、そこに居るのもそれが理由だ。
「ええと、ここでいいんだよね?」
「ああ。そうだよな、おっさん?」
振り返ってジストに確認する二人。迎えるように、ジストも頷いた。
そして事前に仕入れた情報を彼らに伝えていく。
「ああ。『レルム大森林』。
先の町、リーブルの数個分の面積を持つほどに広い森だと言われている。
王都に繋がる街道は別にあるから、自然のまま開拓されていないのだろう。
整備された道があるのもごく浅い、一部だけだ。
つまりその奥地までの捜査を行う俺達は、野道を通ることになるというわけだな」
「はぐれたらやばい、ってこったな。リリア、今回ばかりは先走んなよ」
「もー、わかってるよっ」
その最中、気質の突撃癖を揶揄されてむくれるリリア。
とはいえこの森は、彼女自身、それを自覚するのも自然である程の印象を与えていた。
人の通るための整備も行われていないことが伺えるほどの、深く暗い森。
それらから守るように、ジストは前に出ながら続ける。
「ともかく。くれぐれも慎重にな。
魔物や敵の襲撃ではなくとも、自然の中となれば危険は十分に考えられる。
人の手の入っていない場所であれば、尚更だ。声掛けなどで互いに安全を確認しつづけるようにな」
「うん!」
「ああ!」
指示、あるいは警句を受けての返事を受けて、微笑みだけ返して。
歩き出したジストを先頭に、一行は森の中へと踏み出した。
森林の濃度が急激に増え、見晴らしはあっという間に最悪と言える風景に入る。
背後から差す光もだんだんと少なくなっていき、木漏れ日だけが光源となる周囲。
まるで、別の世界に入ったかのようだった。
「……ふんっ!」
彼らの歩む道は、既に草も小木も自由に生い茂る野道そのものになっている。
その中で歩みを止めることなく進めるのは、先導するジストの仕事のおかげだ。
彼が握るナイフは小さいが、確かな切れ味なようで、一振りでその道を文字通り切り開いていく。
とはいえ得物の小ささに苦労を感じたか、最後尾のジェネが声を掛ける。
「おっさん、大丈夫か? 俺と精霊たちでやってもいいぜ?」
「大丈夫だ。必要以上に刈るのは避けたいしな。余計な足跡を残さないに越したことはない」
「そもそも、切っちゃって大丈夫なのかな?」
「事前に調べたが、立ち入りや採取についての規制は特に無いようだ。
とはいえ流石に大木を切り倒せば問題にもなるだろうが……芝刈りぐらいなら問題もあるまい。
……む、棘のある植物だ。気をつけろ」
彼らに応えながらも、ジストはその手、その足を緩めることはない。
後に続く二人への注意まで入れて、なおも進んでいく。
グローリアの英雄。現代に生きる上でそう称される彼。しかし、その戦いの場の実力以上に。
その背中から感じる頼もしさは、この未開の地のような道を進む勇気を確かに二人に与えていた。
英雄譚を人生の指針としたリリアにとっては、尚更だ。
(これが英雄って呼ばれる人、なんだなぁ……)
そんな憧れに浸りそうになって、そして彼に言われた事を思い出すリリア。
彼女の位置からするとジェネは背面だ。声を掛けることで、その存在を確認する。
「ジェネこそ大丈夫? 体おっきいから、通りづらくない?」
「ああ、大丈夫だよ。昔からこういう道には慣れてる。
ほら、龍人ってのは龍鱗もあるだろ? たとえ真正面から突っ込んでも、そうそう擦れたり切れたりもしねえ」
軽く返すジェネ、その声は優しかった。リリアの意図も分かっているのだろう。
彼が最後尾であるのも、当然彼女を守るためのものだ。ジストとの言外の意思疎通であるとも言えた。
答える最中、視界の端に光が映って、そのリリアに視線を落とすジェネ。見れば、精霊たちが姿を現していた。
戦闘中に比べればずっと少ない量だが、彼女の肌を守るように包む精霊たち。
彼らもまた、リリアを守ろうとしていると分かって、ジェネも思わず笑みを零した。
「……ま、お前も似たようなもんか」
「あはは、そうかも。
昔からそうだから、本当に助けられてきたんだね。みんなに……」
ジェネから話題に出されて、リリアも腕を包む精霊たちに愛しむ視線を向ける。
そして、この旅の、ひいてはこの一連の戦いの目的に改めて目を向ける。
彼らを救うこと、そしてこれまでの人生の恩返し。それもまた、リリアが戦う大きな動機。
それを見つめ直して、確かな決心を重ねて。リリアはまた、前を向いた。
――――
「……む、開けたようだ」
それから、二時間ほど経っただろうか。
茂みばかりが続く野道を越え、三人は少し開けた場所に到達していた。
木漏れ日ではなく、確かに見える青空。影の向きが、経過した時間を彼らに教えていた。
その状況が、ジストに一つの判断をさせる。
「よし、少し休憩としよう」
振り返って、その判断を二人に告げるジスト。
確かにこの荒れた道のりを思えば、二人を案じての提案としては不自然ではないものだ。
しかし。
「え、私まだ大丈夫だよっ!? って思ったけど、ジェネは……」
「俺もだよ。さっきも言ったろ、こんな感じの道は慣れてんだ。屁でもねえさ」
二人が反発する反応を返したのは、抱いた使命の重さが故というのはあるだろうが。
それ以上に、ジスト本人の様子による所が大きかった。
リリアもジェネも少なからず顔に疲れが浮かぶ中。先頭に立ち、道を切り開いていたジストは平然そのものだ。
彼らを案じての選択であることは、明らかだったからだ。
「そう言うな。反応を見る限り……まだ道半ばと言える場所だ。
休めそうな場所に次いつ辿り着けるかもわからん。休憩も作戦の一つだと思う事だ」
その士気に関心すると同時に、しかしジストは彼らを宥める方向を取る。
立場が立場だ、大きな説得力と、強い意志を持つ言葉。
体の疲労は確かにあるのだ。張った意地が緩むまで、そうかからなかった。
「うん……ありがとう、ジスっ、じゃなくて! ……レイザさん」
「はは、疲れてんな、やっぱ。んじゃ、そうすっか」
リリアの様子から、あるいは自分の状態も省みてか。
同じくしてジェネも、それに従う姿勢を見せた。
それに頷いて、ジストは荷物を下ろす。その中から包みを二つ取り出す。中身はどうやらパンのようだ。
「軽いものだが、朝に食料は調達しておいた。お前達で食べるといい」
「えっ、ありがとう! ……って、ジっ、んんっ! ……レイザさんのは?」
「ああ。俺にはこれがある」
それをそれぞれ二人に渡すジストに感謝しながらも、リリアは当然の疑問を口に出す。
応えながら、ジストは荷物の違う口を開ける。取り出したのは、手のひらで握れる程度の棒状の物体だった。
その包装を剥がしながら、ジストはその詳細を説明する。
「防衛隊に支給される、いつも使う携行食だ。便利だが、ちょっと独特な味でな。食べるとなると、慣れが要る」
「それ、不味いって言ってんじゃねえのか?」
「……隊員間では、禁句になってる。どうしても頼らなければならない時はあるからな」
その遠回しな表現は、明らかにその不出来なその具合を表すもので。
ジェネからの直球の問いかけにもぼかされたそれに、禁句とした味の感想が滲み出ていた。
剥がされた包装の中からは、紫色の棒状の可食部が見えた。
見ただけでは歯ごたえがあるかも、流動性があるかも判断できないそれは、大凡食欲を促進させるものとは言い難い。
「……ちょっと気になるかも」
「確かに」
だが。それが尚更興味を引く要因となっていた。
なんとも言えない感情と共に、二人の視線はその携行食に突き刺さっていた。
手元にある、安心できる食事たるパンからは意識を外して。それは、興味の具合そのものだった。
呆れたようにため息をつきながら、ジストはちぎった包装越しに、携行食の先端を僅かだけもぎ取る。
量としては、十分の一、といった所だろうか。それを二人に差し出した。
「……警告はしたからな」
「いいの?」
「まあ、栄養素は文句無しの代物だ。これぐらいあれば、俺の補給としては十分だ」
相変わらず味には一切のフォローを入れないジストの言葉を受けて、リリアとジェネがそれを手に取る。
包装の切れ端越しの触感でも、その味を察することはできなかった。二人は顔を見合わせる。
「うーん、どんな味なんだろ?」
「ま、食ってみろってこったな。それじゃ……」
「いただきまーす……っんうぅ!!?」
そして口に入れた、その瞬間。リリアは溢れる苦悶と共に、両手で自らの口を塞ぐ。
それは確かにある、食べ物を無駄にしてはいけないという倫理が働いたものだ。
食感から脳が発した、口に入れたそれを拒否する本能に対抗するために。
「ぶっ、ぐっ……!」
同じように、ジェネも悶えながら顎に力を込めていた。
歯ごたえと流動性、それで言えば流動性がある側ではあるとは言えるが、
しかしべたつくような粘着性と不快な程度にはある歯ごたえ。
そこにチーズのような乳製品の味、その特性を極端に増大させたような刺激的な味。
それらが相乗して襲いかかり、最悪の口当たりを生み出していた。
この未開の地を歩み進んだ勇気が、今、もう一度噛むことを躊躇させるほどに。
「んううっ、んーっ……!」
(か、乾きかけの泥みたいっ……!?)
襲う嘔吐感は、間違いなく体の防衛本能だ。
それに反するものが、何故あの凄まじい技術力を持つグローリアで作られているのか。
もはや味以外に思考を逃がしていたリリア達の前に、ジストが小さな水筒を二本、差し出した。
「まだストックはある。使い切ってしまってもいい」
もはや思考するよりも早く、二人はそれを手にとって、喉に流し込む。
無論、口内を埋めようとしていた乾きかけの泥も含めて。
「ん、ぷっ……ぷはぁっ!?」
「ぐっ、うっ……ふうぅ……」
休憩を開始した時以上に疲弊したような様子の二人。
もう一度息をついて、落ち着いた頃合いにジストは話し出す。
「……こういうことだ。どうにも今の栄養を維持するうえで、この味が一番マシだったらしい。
まあ、出し方が良くなかったな。コツは出来る限り一口を大きくして、少ない回数で食い切る事と言われている。
少しずつだと苦しみが終わらないし、小さいせいで却って味に集中してしまいやすい、とな」
「苦しみっ! 苦しみって言った!」
「でも……いや、苦しみだぜ、これは……」
口を滑らせたのか、あるいはもう本心か。
ジストの表現は、しかし彼らの経験したそれを表すのに相応しかった。
肩で呼吸して、ようやく落ち着きを取り戻していく。
「……でも、防衛隊の人たちってこれを頑張って食べてるんだ……やっぱりすごいなぁ。マルクトさんもブレシアさんも」
その中で。
リリアの思考は、防衛隊の者達へと向く。関わりのあった者達への、新たな尊敬と共に。
だがそれを、ジストが両断する。
「いや、奴等は話が別だ」
「へ?」
「ブレシアは食ってない。これを親の仇のように嫌っていて、自分用の携行食を用意している。
マルクトは……俺が知る限り唯一、これを好んで食ってる。妙な奴だ」
「こ、これを!?」
「ウソだろっ……!?」
ジストの口調としてはほんの世間話のようなものだったが、
つい先程の経験から、それは驚愕と共に受け取ることになった二人。
衝撃的な味が、完全にこの場を支配してしまっていた。最早ジストの想定外と言えるほどに。
状況からしても相応しくないと、ジストは多少強引に話を切り替える。
「ともかく。この携行食のことは置いておいて、そろそろお前達も食事を進めろ」
「あ、うん……」
ようやく視線が、手元にあるパンに向いたのを見て。
そして彼もまた、その携行食を一気に半分ほど口に入れる。
……それがまた、引き金となってしまった。
「えっ、そ、そんなにっ!?」
「お、おい大丈夫か、おっさん!?」
彼が口に含んだ量は、二人に分け与えられたものの数倍だ。悍ましささえ、感じるほどの。
それでなお眉一つ動かさず咀嚼するジスト、しかしその二人の反応には、それを潜めることになってしまった。
「……慣れてるって言ったろう。早く食べなさい」
――――
「よし、一息ついたか? では改めて、進行方向を確認するぞ」
「うんっ!」
異常な食事が産んだ奇妙な雰囲気もようやく収まって、ジストの差し出す端末を、二人が覗き込む。
辺りは全て同じ様な森林が広がっている。端末の表示は、方位磁石としての役割も果たしていた。
「森への到着から信号の場所までで言えば、ここは7分目と言ったところか。
もうすぐ到着だ。気を抜くなよ」
「うんっ!」
目的地を前に、返事とともにリリアはもう一度気を引き締める。
ジェネも頷きながら、ジストへ声を掛ける。
それは、来た道でも掛けたような言葉だったが、その理由は少し異なっていた。
「おっさん、道具の具合とか大丈夫か? 結構酷使してたっぽいけどよ……」
「道具……ああ、このナイフのことか」
それはひっきりなしに使用されていたジストの得物、そのナイフについてのものだ。
一時間以上、小木や芝を切り払っていたとなれば、確かに刃毀れにも気を使ってもおかしくはない。
しかしその心配に、ジストはふっと笑って答える。
「これについては心配無い。
実績で言うならば、以前の魔物発生時から。15年間使い続けて、一度も刃毀れしたことがないんだ」
「へえ、そりゃすげえ……! よっぽどの業物ってことか?」
「いや、由来は知らん」
「へっ?」
ジストが語る、ナイフの強烈な武勇伝。
英雄とも称される彼となれば、一世一代の業物を武器として扱っていても不思議ではない。
そんな納得を、ジストは短い言葉で否定する。
「15年前……20ちょっとの時か。その時の俺はまだ何の功績も上げてない一兵士だ。
業物だのを手にするような名声もない」
「じゃあ、どうしてそれを?」
とはいえ、そうなれば尚更興味が湧くのも当然だ。
こういう話は好みなのだろう、目を輝かせているリリアに苦笑しながら答えていく。
「……つまらない昔話だから、簡潔にな。
今でも覚えているが、魔物が発生してグローリアに大混乱が走る、その前日だ。
送り主不明で、俺宛てに届いた荷物に入っていたんだ。
製造元の記載すらない、この無銘のナイフがな」
つまらない。
そう前置きしたジストだが、しかしその口調は柔らかく、そして感じ入るようだった。
ナイフを見下ろす、その視線にも。
「さっきも言ったように、その時の俺は無名の兵士でしかない。
俺が防衛隊に入ったことを知っているのは、せいぜい故郷の知り合いだけだ。
それも後に聞いたが、故郷から送られたものでもなかったようだ」
「何だそりゃ……言っちまうとあれだけどよ、怪しくねえか?」
「まあ俺もそう思って、その時は処分しようと思ったが……その翌日に、グローリア魔物の大量発生が巻き起こってな。
俺としては始めての実戦だった。それも得体のしれない、大量の魔物との戦いだ。
当時から人を守りたいという思いはあったが、それでも体の震えは止まらなかった」
「……ジストさんにも、そんな時があったんだ……」
「レイザ」
「……ごめん」
今の彼から想像も出来ない様子を、過去のものとして語るジスト。
リリアが見せる驚きは、それだけ今の彼が強固な意志の力を持つ戦士という証だ。
そしてこのナイフは、その時からの彼の相棒であったという事。その詳細を、彼は語る。
「……このナイフは、そんな俺に勇気をくれたんだ。
俺が戦いの場に立つ、その直前に届いたということが、俺を応援してくれているように思えてな。
これを使って戦え、人を守る存在になれ、と。
送り主がどういう思いで送ったかはわからないが、俺を奮い立たせてくれた」
目を閉じて、過去を振り返るように語られる言葉。
彼の様子からも、その当時の感激が伝わるかのようだった。
手のひらを握りしめて、そしてジストは、言葉軽く、二人に笑いかけて続けた。
「そうして実戦でも使ってみたら、何故だかいつまで経っても刃毀れしない。
凄い品だと思って類似品も探したが、似たものすら見つからないと来てな。
結局謎のまま、今も使わせてもらっているというわけだ」
「……よくわかんないまま、一番の武器になってるってことかぁ。私の剣みたい」
「それも……リリアが赤ちゃんのときからあったって話だっけか?」
「うん。誰が置いてったかもわかんないし、誰が作ったかもわかんない」
話から、リリアは腰に下げる、愛用の直剣に手を当てる。
今朝に話したように、これもまた由来のわからない、だがリリアの人生の始まりから側にあったものだ。
ジストのように、象徴的な出来事とともにある訳ではないが。
しかし、その不思議な贈り物に勇気を貰ったジストに、彼女もまた感じる何かがあったようだ。
微笑んで、リリアはその率直な気持ちを口に出す。
「でも。そう思うと、私もちょっと気持ちわかる気がするな。
わかんなくても、きっと、私のためにくれたんだって」
「……そうだな」
僅かな切なさと、確かな喜びと感謝。それを浮かべた微笑みだった。
目を閉じて微笑みを返すジスト。そしてジェネも、合わせて頷いた。
数奇で、ともすれば不幸とも言える運命。だけれども、それを肯定しようとしている彼女に。
そして一呼吸置いて、ジストは話を切り戻す。
「簡潔にと言ったのに、長くなってしまった。許してくれ。
それじゃあ先を……」
そして。ようやく新たな一歩を踏み出そうとした、その瞬間だった。
距離故か、かすれゆく音だったが、確かに聞こえた。
女性の悲鳴のようなものを、三人の耳が捉えていた。
「なっ、何……っ!? 女の人の声!?」
「それなりに深い場所だ。あまり人通りがあるとは思えんが、だが確かに……」
幻聴のような掠れ方。だが人の声など殆どないこの森に、その悲鳴はよく目立っていた。
とはいえ音の具合から、どちらから響いたものかも分からない。
二人が周囲を見回す中、俯いて集中するジェネがその切っ掛けを掴む。
「いや……人じゃないかもしれねえ」
「えっ!?」
「不思議な精霊の気配がする。
……ニーコみたいな、妖精とよく似てるけど、違う気配だ!」
ジェネの説明、そして聞こえた声をできる限り脳内で反芻して。
ただ事ではない声だったのは確かだ。それだけでリリアの心は、すぐに決まった。
「ジェネっ、それってどっちかわかる!?」
「ああ! ……行くんだな、やっぱり!」
「うん! 普通そうな声じゃなかったし、何か怪我しちゃってるかもしれないから!
ジ……レイザさんっ!」
その呼びかけは、まとめ役であるジストへ許可を取るためのものだった。
とはいえ。ジェネがそうであるように、ジストももう、彼女がこういう行動を取ることはわかりきっている。
殆ど即断で、彼も頷いた。
「ああ。獣に襲われている可能性もある。
人通りが少ないのであれば、俺達が見過ごせば次が来る可能性も考えづらい。
助けない道はない。ジェネ、案内を!」
「おうっ! よしっ、こっちだっ!」
そして同意を、続く言葉で示すジスト。
それを合図に、ジェネが、そしてリリアも駆け出した。
――――
彼らが聞いた、その声の先。
同じように広がる、暗く深い森の中で、一人の少女が地に伏せていた。
「うっ、ぐうっ……い、たいぃっ……!」
背に生える、蝙蝠、あるいは悪魔のような鋭い翼。彼女が、純粋な人間ではないことを表すものだ。
しかし、それは鉄の銛に貫かれ、今はただ、痛々しさだけを感じさせるものになっていた。
外見の年嵩は、リリアより少しだけ年上だろうか。
だがその少女らしい姿も、砂にまみれた、本来なら艶めかしく輝く蒼い髪も、それを可憐に左右に纏めた髪型も。
今はただ、痛々しさを強くするだけのものだ。
銛には、縄が括り付けられている。その先を持つ男たちが、すこし離れた背中側で、彼女を見据えていた。
「捕らえたか」
「ええ、しっかり当てました」
言葉遣いから、その統率役であろう、全身を黒いローブで包んだ男。
彼を先頭に、男たちは這いつくばる少女に近づく。
尚も這って逃げようとする少女だったが、とても勝負になる早さではなかった。
すぐにその直上までたどり着くと、ローブの男は、彼女の背中を踏みにじる。
「あぐぅっ!?」
「ふん。かつて隆盛した逆賊『夜の妖魔』ももはや、こんな雑魚を残すのみか」
「は……はなせっ、あぐうううッッ!?」
男は脚を踏み変えて、その背から生える翼も痛めつけていく。
口から放たれる言葉も、おそらく彼女に対する罵倒なのだろう。
激痛と、それと。ぼろぼろになった顔で、懇願するように少女が漏らす。
「うう……レオナを、返してぇっ……!」
「愚か者め。貴様が弱いが故に、従者が犠牲になったのだろうが。
恨むのであれば、己の無能を恨むのだな」
「大体町に出たとこで、誰も助けるわけがねえだろっ!
夜の妖魔なんかをよっ! ほおら、館に戻んゾっ!」
「があ、ぎゃああああああッ!??」
彼女の心を折らんとする暴言の中、男が銛と繋がった縄を乱暴に引き出す。
返しのついた銛だ。そう簡単に取れはしない。故にそれは激痛となって、尚も彼女を苦しめた。
そこに悍ましい嗜虐心さえ見えるのは、間違いではないだろう。
可憐な少女を甚振るそれは、あまりに凄惨な光景だった。
だからこそ。
「あっ、見つけっ……、ッッッ!!」
その光景が目に入って、ただそれだけで。
リリアの心に激情の炎を灯すに十分だった。
暗い森を照らす、精霊の光。もはや男たちが反応する間もなく、リリアの身体は弾けるように飛び出していた。
「"ステラシュート"ッッ!!」
「ぶげやぇっ!!?」
男たちには、突然現れた光弾が突撃してきたように見えていた。
その正体はリリアの、精霊たちを纏った強烈な飛び蹴りだ。
受けることも出来ずに、一人の男が遥か後方まで吹き飛んでいく。
その感性のまま、男たちの背後に回るように着地し、リリアは怒りとともに男たちを見据えた。
「な、何だっ……!?」
「ジェネっ、あと三人っ!!」
だが、発した声はその先、ジェネに向けてのものだった。
丁度リリアに反応して振り向いた男たち、更にその背後を突く形で。
ジェネは、炎風を纏った両腕を突き出した。
「おうっ!! "吹き荒べ"ッッ!!」
「龍人っ!? ぐうっ!?」
「げっ!? あぎゃあああああああ!!」
「うぎゃあああああああっ!」
それに間一髪で反応し、飛び立って避けたローブの男を除いて。
残りの二人が、腕から伸びた爆炎の竜巻に巻き込まれ、吹き飛ばされていく。
まさしく瞬きの間に、わずか一人を残すのみとなり。ローブの男は、苦々しく呟く。
「馬鹿な……何者だ? この場所に、ただ者が訪れるわけがない……」
「さあね! でも……貴方達のやってたことは絶対許せないっ!!」
「丁度いいっ! てめえをぶちのめして、何やってたか吐かせてやるっ!」
そして。凶行を目にしていた二人は、強烈な敵意を持って男を挟んでいた。
その双方へ、ローブの男は突然手を伸ばした。
「調子に乗るな、小童どもっ! "グレーター・ストーム"ッッ!!」
「精霊術っ!? リリア、下がれっ!」
叫びと共に唱えられた、それに呼応して。
男を中心に、風となった精霊たちが巨大な竜巻を生成していく。
段々と勢力を強くするそれは、木々を、草種をなぎ倒して。
視覚的にもわかる巨大化によって、二人へと迫る。
「細切れになってしまえ、小童ど……」
「……はあああああッッッ!!!!」
「……何ぃっ!?」
だが。暴風が故に、塞がれた視界によって気づくことが出来なかった。
その暴風の中心に、逆に飛び込んだ者がいた事に。
吹き荒ぶ風を一切物ともせず。ジストは、既に腕の届く範囲まで踏み込んでいた。
「ふんっ!!」
「ぐうわああっ!?」
もはや逃れる事も出来ず。
ローブを掴まれた男は、ジストの渾身によってそのまま地面へと投げ付けられた。
地響きのような一撃は、その重さを物語る。四散していく風を見送って、
リリアとジェネもその中心へと歩み寄った。
「さあ、観念してっ!」
「ただの人攫い、で済む能力ではないな。
何をやっていたか、何者であるのか。お前たちにこそ吐いてもらうぞ」
地に伏した男へ、リリアが、そしてジストが止めの言葉を告げる。
完全に勝敗は決した今。しかしローブの男が返したのは、嘲笑するような声だった。
「そうか、貴様ら……ククク、わざわざアスタリトまでやってくるとは、ご苦労なことだ」
「何がおかしいんだっ! 面を見せやがっ……なぁっ!?」
直後、やけに強気な男を咎めようとしたジェネ。
しかしその最中、半ば不意打ちに。ローブの中、男の身体だったものが弾ける。
空になったローブから、代わりに現れる精霊たち。それは、先程まで話していた男の正体を現すものだった。
「精霊っ!? どういうことだ……やつの正体は精霊だったのか?」
「いや……精霊自体がそうなってた気配じゃねえ。
ただ案山子として動かされてただけだ、たぶんな」
「……精霊術による、遠隔操作を行う術ということか」
ジェネの感覚、そして分析によって、ジスト達もその正体にたどり着く。
だが逆に言えば、さらなる謎も多数現れている。
その更に源泉の正体、そして目的。この場では、とてもたどり着かないほどに。
「二人とも、見てっ! あの人達もっ……!」
「全て、遠隔操作の駒だった訳だな。
アスタリトの精霊術……その最先端は、これほどの事を可能にするのか」
リリアが指差したのは、最初にリリアとジェネによって圧倒された配下の男たちだ。
彼らもまた完全に姿を消し、その跡に、輝く精霊たちが残るのみだ。
その瞬間は見ていないものの……ローブの男と同様であったことは明らかだった。
ジストが思い悩む中、リリアは地に伏せたままの少女へと駆け寄る。
ローブの男のすぐ側だったおかげか、どうやら竜巻による傷はないようだった。
「大丈夫っ!? あの人たちは追っ払ったよっ」
「う、ううっ……ありがとう、ありがとおっ……」
顔を上げて、リリアと向き合って。少女はまた、しかし先程とは全く違う意味の涙を流していた。
同じように膝をついて、リリアはそんな彼女を抱きしめる。
「私、リリア。あなたは?」
「うう、ひっくっ……私はっ、アーミィ……うええええええっ……!」
その最中の、軽い自己紹介。だがそこで完全に感極まってしまったようで、
アーミィと名乗った少女は、もっと声を上げて泣き始めた。
それを抱きしめながら、リリアは二人へと振り返る。言外に、しかしリリアの意図を理解して、二人とも頷いた。
そのまま、彼女が泣き止むまで。リリアは、そうしてあげていた。