15話 灯火の剣士
グローリアの港を発つ商船は、その街を構成する文明の高さからすれば、
それこそ時代が違うかのように、かなり拙く見える。無論、これも意図されたものだった。
外洋へと繰り出す商船というものの役割を思えば、秘匿・独占すべきグローリアの技術を豪勢に使う訳にはいかないからだ。
その最大手とも言える精霊機関など、とても使えるものではない。万一の流出、それが何よりも恐るべきものだった。
鋼鉄の高層建築物を背景に、帆を張って進む船。ある種ミスマッチな光景は、そうした歪んだ事情が作り上げていた。
あるいは、それはグローリア自体の外部に対する姿勢を現すものでもあった。
グローリアを成す勢力、それらが収める領土はいずれも地続きだ。
故に海洋を渡る、という事自体がその外部への接触をするものであると言える。
それが良き付き合いであれ、悪い付き合いであれ、その手札の殆どを見せるつもりはない。
そう牽制しているかのようでもあった。
ともかく。グローリアの港から発つ船はおしなべてそのような具合で、
おおよそ、脅威を感じさせるものではない。殆どが商船だ。
グローリアの街に見合わないとはいえ、この世界においても例外たるこの街と比べなければ、
その姿は一般的な船とそう違いがあるものでもない。
故に、隠せるものもあった。港を発つ商船、そのうちの1つ。
長距離の航海に向けたものなのだろう、見るからに抜けて堅牢な船、その船上で。
波に揺れる足元も、潮風を目前に受ける経験も、これまでに経験したことはない。
だが、それに対して恐れを感じることもなかった。
柵に手を置いて、リリアは、生まれて初めての海の上からの景色を眺めていた。
――――――――――――――
「ふぁあ……おはよう、ジストさん」
「入るぜ、おっさん」
それはまだ同じ日、その朝のことだった。
早朝ジストに呼ばれ、リリアとジェネは隊長の執務室を訪れていた。
外はまだ薄暗い。だがこの施設に生きる者たちとっては、既に活動を開始する時間でもあった。
眠気眼を擦るリリア、それに微笑みながらジストも挨拶を返す。
「おはよう。朝早く悪いな。だが理由あってのものだ、容赦してくれ」
「……例の緊急の連絡、ってやつか」
この呼び出しの理由については、ジェネにはすでに想像がついていた。
というより、昨日そう言われていたものが引っ込められた様子を見ていた。
遅かれ早かれ、その話が入るとは予想できていた。
「?」
「ああ、その通りだ。どうしても早い時間のうちに話しておきたくてな」
昨日、唯一それを聞いていなかったのがリリアだ。
疑問符を浮かべるリリアだが、伏した理由が理由だ。
ジストはそれをあえて話題に出さず、本題へと入っていく。
「ギャング『ブラスターズ』の基地から入手した通話履歴の解析が完了した。
明らかになったのは会話内容と、そして通信相手の居た場所。場所についてはかなり大雑把なものではあるがな。
そして通話内容からすれば、相手は奴らに、魔物の発生装置を提供した者である可能性が高い」
「何だって? ……ってえと、犯人の尻尾が掴めたってことか!」
その内容は、彼らが団結した切欠でもある、魔物の発生騒動に大きく関わる内容だった。
内容を簡潔にまとめるジェネに、頷きを返すジスト。
その声の盛り上がりが、この情報の喜ばしさを表していた。
少なからず大きくなった声、そしてこの場の雰囲気は、まだ意識が浮ついていたリリアにも影響を与えていく。
話の内容自体は、きちんと頭の中に入っては居たようだ。時間差で、その情報を咀嚼して。
そして、今この場で飛び起きたかのように大きく反応した。
「えー……と……って、犯人が見つかったの!?」
「その張本人かは不明だが、真犯人に大きく近づけるチャンスであるのは間違いない。
これを期に、俺は奴らの足取りを追いたいと考えている。君たちも協力してくれるか?」
「勿論! 」
「そりゃそうだ、俺たちはそのために戦ってたんだからな!」
問いの形で言葉をかけるジスト。だがそれは、既に回答を確信している面もあるものだった。
力強く答える二人は、その信頼に違わない姿だった。ジストは再び微笑んで頷く。
「……愚問だったな。だが、本当にありがたい。
通信先と特定できたその場所が、中々厄介な場所でな。大々的に防衛隊を率いるわけにもいかない事情があった」
「なんだ? ややこしい場所なのか?」
「ああ……リリア、一ついいか?」
ジェネからの質問に答える前に、ジストは不意にリリアへと話を振る。
無論、無関係な話をする訳もなかった。
「なに?」
「グローリア領外……というより、アスタリト領に足を踏み入れたことはあるか?」
「アスタリト? ううん」
重ねた質問としてジストが口にした、グローリアと対となる勢力、アスタリト。
対とは言うものの、複数勢力の連合体であるであるグローリアに対し、
それら全てを更に上回る、ただ絶対的な強者として、千年以上の歴史のもと覇者としてあり続けてきた国家の名前だ。
内容としては突飛なその質問は、しかし先のジェネの問いの答えにも繋がるものだった。
「であれば、これがその最初となるだろう。
今回、その通信相手の反応が……アスタリトの西方の辺境。そこのある森林部付近からである事が確認された」
「!」
彼の口ぶりから、その答えは予想は出来ていたが。言葉として受け取って、改めて衝撃を受けるジェネ。
グローリアに害を与える存在として、敵国たるアスタリトが浮上したこと。
その意味がわからない程、ジェネは愚昧ではなかった。それが、表情の緊張感を大きく高めていく。
「……アスタリトか。話がでかくなってきたな」
「敵国のスパイだった……とだけ、疑えればよかったがな。
今回のギャングとは、グローリアの……少なからず権力を持つ存在との接触も確認できている」
「なんだそりゃ? 暴れてたアイツらに、グローリアとアスタリト、両方が関わってたってことか?
なんでそんな事やるんだ?」
「それはわからない。まだ予想もつかない、複雑な事情が隠れている可能性もある」
あの日ジストが目にした、機密性の高いはずの武器や傭兵達。彼はそれを、そう解釈した。
それはこの二勢力と直接関わりのないジェネにとっても、違和感を感じるに十分だったようだ。
続いてジストが言うように、それらが何を示すのかまでは明らかにはできていない。
その中で、彼は予想を口にしていく。
「だがアスタリトが本当に絡んでいるとして、最悪を予想するのであれば……
グローリアとアスタリトは敵対関係だが、今の所、武力を伴うような衝突は発生していない。
小康状態とも言える情勢、それを動かすのが目的であるのかもしれん。
……荒事が起きて得をする者は、どこにでも居るものだからな。このグローリアであっても、例外ではない」
「それって……戦争を起こそうとしてる、ってこと!?」
彼の紡いでいく幾つかの予想、それから繋がるものに思い至って、リリアが声を張り上げた。
大きな争いが発生していない現代、リリアにとっては歴史の中での出来事を指す言葉だ。
だがそれが何を生むのかは、多少の偏りがあるとはいえ……彼女が学んだ、その歴史が教えていた。
「そんなのっ、絶対に止めなきゃ!」
猛るリリアの姿は、これまで見てきたその姿とまさしく一貫したものだ。
それはその背景に大国の名が浮かび上がろうと、変わることはなかった。
危うさすら感じさせる、まだ幼い彼女の、不相応までに強固な精神。
だがその危うさごと、守ると決めていた。深く頷いて、ジストもそれに同意する。
「ああ、俺も同じ思いだ。目的については、あくまで俺の予想であるとはいえ……
どちらにせよ人々を脅かさんとしていること、それを看過するわけにはいかない」
「そのために精霊達を狂わせてるってなりゃ、いよいよ許せねえよな!」
その意志に、ジェネも続いた。あるいはその思いさえ、ジストと共有していた。
二人の視線に頷いて返すリリア。そこまでは、分かっていなかったかもしれないが。
ともかくそれを見て、ジストは話を本筋へと戻していく。
「アスタリトの西端、リーブルという港町がある。反応のあった場所に近い町だ。
ここには少数だが、グローリアからの商船も出ていてな。
昨日のうちに、それに乗船させて貰えるよう手配しておいた」
「へえ、一応敵国なんだろ? 国交がない訳じゃねえのか」
「それを許す情勢……というのもあるが、最も大きな理由は別にある」
それは、この勢力にも関わる話だった。
ちらりとリリアの方を見て、あるいは他の情勢の話と同じ様に、
思い当たるものがなさそうな様子だけ認めると、ジストはそのまま説明を始めた。
「グローリアを構成する大きな勢力の1つに『デゼト商会』という組織がある。
世界中に取引先を持つ巨大な組織で、商社という形態上、領土などを持つ勢力ではないが……
その資金力、影響力は凄まじく、他のグローリア勢力の比ではない。
グローリアが勢力として形を保っていられるのも、デゼト商会の莫大な存在感あってのものだ」
「一番力を持ってる勢力、ってことか。ええと……フォリナス教団、って奴よりもか?」
「その認識でいい。無論兵力となれば別だが、デゼト商会はフォリナス教団にも莫大な額の献金を行っていてな。
教団もそうそう口出しはできん立場にある。
そしてその取引先には、無論アスタリトに属するものも含まれている。
いくらグローリアという勢力自体の成り立ちがアスタリトへの反発にあったとしても、
その生業に対しては物申すことは出来ない、というわけだ」
ジストの説明を聞きながら、ジェネも物事の整理を脳内で進めていく。
まず感じたのは、その歪さだった。
反アスタリトとも呼べる者たちから生まれたはずの勢力が、今その志を持たないものに支配されている。
だが既にその存在なしに、組織を維持することはできない。
それは思想の形骸化、あるいは破綻ではないのかと思った。
「……あんま気悪くしないで欲しいんだけどよ、よく持ってんな、ここ」
「それだけ精霊機関という物が特別という事なのだろうな。
『グローリア総括』とも呼ばれる、便宜上グローリアの取りまとめ行っている組織……
本来のグローリアの中枢組織だが、その直下である『スメラギ技術連合』だけが
精霊機関の研究も、そのコピーの製造技術も握っているからな。
アスタリトに対する最も大きな対抗力を、内輪揉めで失うわけにもいかんという事だな」
ジェネのその言葉自体を否定しなかったのは、ジストも少なからずそう思っている面もあるからだろう。
続けて彼が語った、組織体を維持できている理由もまた、
破綻を繋ぎ止めるための材料、という面が強いものではあるのだが。
あるいはそれも、ジストほどに立場の深い者であれば分かっているのだろう。
少し息を吐くと、時計に目をやって、話の軸を戻した。
「話を戻すぞ。出港予定は今からすると……これから2時間後だ。
とはいえここからの移動もある。急で悪いが、今から準備を頼む。
航海の日程は5日ほどだ。備品は俺も持ち込むし、船にもそれなりにあるだろうが、
それを見越して支度をしてくれ」
「うんっ! ……って、ジストさん、そんなに長く離れてもいいの?」
そうして彼が語った旅程に、リリアが一つ疑問を浮かべる。
彼の立場を思えば、。言われて、ジストは机上に視線を落とした。
既に一日を始めている、自分の部下からの報告、その書類が目に入る。
「まあ、憂いが無いと言えば嘘になるが……」
彼としては、自分の立場自体はどうでもよかった。というより、何とでもなると思っていた。
憂いと口にしたのは、状況のことだった。
先日、カタスト博士から伝えられた話にしてもそうであるし、
書類に記載されている……つい昨晩、グローリア近郊で観測された、謎の爆音もそうだった。
何れも看過することの出来ない事象ではある、だが。
「……今はこれに注力するべき時だからな。何としても尻尾を掴むぞ」
昨今の世界を脅かし続けていた魔物騒動、その黒幕の影を捉えたこの状況は、何よりも大きかった。
グローリア近郊であれば、頼りになる部下たちもいる。
ジストはそう考えて、迷いを振り切っていた。
「ああ!」
「うんっ!」
あるいは、その宣言でもあるような勇ましい言葉に、二人並んで威勢よく答える。
して。この三人が出会うきっかけでもあったこの魔物騒動、それを巡る物語は、急速ににその状況を変えつつあった。
――――――――――――――
(グローリア、やっぱりすごいんだなぁ……あそこだけ、違う世界みたい)
彼女の立つ側からは、遠くなっていくグローリアが見える。
そこから見える文明差のミスマッチに対して、リリアはそんな感情を抱いていた。
思えば、こうした距離感でしっかりあの街を見つめることも無かった、と気づく。
村から見たそれとも違う印象のグローリア。言語化の難しい、不思議な感覚だった。
それはあるいは、意味のない思考でもある。故にその心の中心は、思い浮かぶものへと次々と移ろっていた。
(……アスラじいちゃん、ペティばあちゃん、元気かな)
次に心に思い浮かんだのは、育て親の二人だった。
もうこれで何日、顔を合わせていないだろうか。
記憶の残る範囲でも、これだけ長い間二人に会わない事は今までなかった。
グローリアを発つ前に、自分の丈夫を知らせる手紙はしたためておいた。
届けば、二人の心配を和らげるものになるだろう。だが逆に言えば、リリアはその返信を見ることもなかった。
心配、そして浮かぶ寂しさを抱きしめながら、リリアは更に小さくなっていくグローリア、
その向こうの故郷へと思いを馳せていた。
揺れる心境に反応してか、彼女の周囲に精霊たちが浮かぶ。彼らの、リリアを慰める意志なのだろうか。
そんな朝焼けを背景にするその姿は、あるいは幻想的な光景にさえ見えるものだった。
「あ、あのー、もし!」
「ん?」
それが、彼女の目を引き、声を掛けさせる切欠になっていた。
不意に掛けられた声に、リリアは振り返って、すぐ声の主が視界に入る。
真っ先に目を引いたのは、美しい長髪の黒髪。
そしてそれに見合うような、可憐な少女だった。だが身長も年齢も、リリアよりは一回り上だろうか。
凛とした顔つきは、この僅かな対面でも、真面目さを印象として与えていた。
振り返ったリリアを迎えた彼女は、しかし、妙に緊張した表情を見せていた。
逆に不思議に思って、その顔を見つめるリリア。しばしの後、先に彼女が口を開いた。
「……ごめんなさい。不思議な光景だったので、つい声を掛けてしまいました」
「え……ああっ、精霊!?」
彼女が語ったその理由で、リリアはようやく、自身の周りの光景に気づくことになった。
憂う彼女を守るように浮かんでいた精霊たち、それはやはり、リリアの無意識に発生していたものであったようだ。
そしてこの場では、彼女の意識に従ってか。やがて精霊たちは次々に、不可視の姿へと変わっていく。
「驚かせちゃったらごめんなさい。私もそんなつもり無かったんだけど、気がついたらこんな事に……」
「いえいえ、咎めたりするつもりはありませんでした。
まあ立場としては、ちゃんと確認しないといけない事ではありますがね」
意識の外とはいえ、変に目を引く光景が作られていたのは確かだ。
間に挟まっていた精霊たちが姿を消したことで、その出で立ちにはもっと深く目が行く。
何より、一層目を引いたのは。腰に下げた一振りの刀だ。
鞘に収められ、その刀身は隠されているものの、リリアの得物であるそれよりも細長い物であるように見えた。
とはいえ、その正体は重要ではない。
それを下げている事自体が、この見知らぬ少女の人となりの一部を明らかにしていた。
言葉にした、「立場」。それも含めて、彼女は自己紹介を始める。
「申し遅れました。私はアカリ。
商船のお手伝いと用心棒を務めています。以後、お見知り置きを」
「あ、船の人!? ごめんなさい、乗せてもらってるのに!
私はリリアです、ジストさんの……ええと……」
それに自己紹介を返す時になって。
リリアは、今の自分の立場を紹介する言葉を考えていなかったことに気づく。
ここに至るまで、ジストが様々な障害や敵、視線を掻い潜っていることは知っている。
異国へ渡るという時に、隠れるように商船を使っているのも、その対処の一つ。それもわかっていた。
彼と目的を共にする仲間であると、白昼堂々と言うわけにはいかないということは、リリアも感じていた。
とはいえ言い繕うための方便も、まだ若い彼女にはすぐには思いつかなかった。
彼の年齢からすれば、子の世代に類する親類とするのが丁度いい年齢差であるが、
あまり近すぎる関係を名乗ると、後で何かしらに尾を引くことも考えられる。
ジスト自体、グローリアにおいては高名な英雄なのだから、なおさらだ。
そして何より、リリアの性格、そして感性として。嘘を付くということが、ハードルの低い行為ではなかった。
「……友達? かな……」
して。考え込んだリリアが答えとして選んだ言葉は、それだった。
それは関係を説明する上では、強度の低いものではあるが……だからこそ、嘘にもならない物でもある。
リリアがこれを選んだのは、そうした理由もあった。
だが、その代償と言うべきか。回答としては、突飛なものになってしまったと言わざるを得なかった。
「……お友達……」
呆気に取られたかのように、顔に驚きを広げるアカリ。
彼女はジストの事を知っているのだろうか。いや、グローリアの者であれば知らないほうが珍しい。
歴戦の英雄たるジストに対し、このような少女が友達であると言えば、怪訝になるのも不思議はない。
(あ、やっぱ変だったかもっ……!?)
リリアも嘘を言ったつもりは無い。ただ口にしてはならない物事もあると分かっているが故に、選んだ回答だ。
しかし彼女の様子にやはり不自然だったと、一瞬それを後悔するリリア。
だがそれも、直ぐに晴れることになった。
直後、アカリの表情が一変する。大きな笑顔が、リリアへ向いていた。
「ジストさんは……確か、リーブルまで同乗されるとお伺いしています。であれば、私とも目的は同じですね」
「えっ……?」
それは一先ず、リリアの緊張を解く言葉ではあったが。
そこから続いた突然の告白、今度は逆にリリアが疑問符を浮かべる。
僅かに緊張が浮かぶ。ジストの目的は公にはされていないはずだ。
その上で、彼女の言う目的がどの粒度であるのかはわからない。
だがそれも取り越し苦労であるかのように、笑いかけてアカリは続ける。
「私も正式な船員というわけではないのです。
この船の行く先……アスタリト辺境の港町、リーブルに用事がありまして。
船に載せてもらう代わりに、お手伝い兼用心棒として雇って頂いているのです」
「へぇ、そうなんだ! 用心棒って、なんだか格好いい!」
それは知ってか知らずか。緊張の原因となった目的という言葉を、直ぐに弁明するものだった。
ともかく心配する必要が消えて、リリアも笑顔と共に、素直な言葉で彼女を称賛する。
気が楽になったのもあるだろうが、この手の言葉はやはり、彼女の感性に強く触れやすいようだ。
一方で、これもまたいきなりの称賛に、面食らったような表情を見せていたアカリ。
だがやがて飲み込めたのか、照れ混じりに笑顔を深めた。
「……ふふん、そうですか? これでも私、武者修行の身なのです。剣にはそれなりの自信があるのですよ」
「武者修行! それでリーブルに?」
「ええ。リーブルに向かうのもその一環でして。
何でも近日、闘技大会が開かれるのだとか。私の剣を試す、絶好の機会です!」
「へえ、凄いなぁー!」
その流れで若干誇らしげになるアカリに、リリアはただただ憧憬を彼女に向ける。
英雄譚を人生の指針として育ってきたリリアだ。英雄や勇者、豪傑という存在への憧れは勿論あった。
その中で出会った近い歳の少女であるアカリの、無頼的でかつ求道的な生き方は、その感性を強く反応させていた。
熱い視線を受けながら、アカリは視線をわずかに動かす。
それは正しくは、先程から悟られない程度に目を配っていた箇所だ。
あるいは、切り出すタイミングを伺っている、そうしたものだった。
「ところで、リリア。それを見るに貴方も、剣の使い手では?」
その瞳はリリアの腰、下げた直剣に向いていた。
アカリの表情は、笑みを浮かべたのはそのままだ。
だがこの瞬間、それが含む色は僅かに変わっていた。視線も、そして雰囲気もそうだ。
先程までの、少女同士の朗らかな会話とは違う。興味、そして楽しみ。そうした色が、確かに含まれ始めた。
その小さな、しかし確かな急変に、リリアも一瞬、息を飲む。
「うん。剣が得意かどうかは、あんま分かんないけど……
精霊たちが助けてくれるから、あんまり負けたことはないかな。
剣って言うより、力押しーっ、って感じだけど。でも、大人だって何人も倒してきたんだから!」
「……なるほど」
「……アカリさん?」
会話を交わしていく度に、アカリが浮かべたその色は、一層強くなっていく。
あるいは、それは。剣を帯びていることよりも、リリアの纏う気配に反応してのものだったのかもしれない。
その様子を問うように声を掛けたリリアに、一度空気を落ち着けるように、アカリは目を閉じて、息を吐く。
「私、戦いの場に身を置いて長くて。何となく分かるのです。
どれぐらい強くて、どれぐらい相手を倒してきたのか、と」
「へぇ。じゃあ……私のことも、分かっちゃった?」
「ええ。分かりました。嘘ではないこと」
直後。アカリの笑顔が、今まで僅かに醸し出していた方へと急激に傾いた。
興味、負けん気、闘争心、あるいは。そこに敵意はない、だが緊張感が確かに跳ね上がる。
その色の笑顔のまま、アカリはリリアに尋ねる。
「リリア、貴方に興味があります。一つ、手合わせをお願いできませんか?」
もはや取り繕うつもりも無かった。それは直球の決闘の申し込みだった。
突然の申告を受けて。リリアの心は、その瞬間、思考よりも前に立った。
いや、正確には。先に口に出した言葉にその予兆はあった。
気がつけば。同じ色の思いが、リリアの表情にも浮かんでいた。
「うん、やろう。私もアカリさんの事、気になっちゃった」
誇らしげな色を持つ不敵な笑みと共に、リリアは答える。
その言葉は、どこか、心に生まれたその感情に内容を任せたものだった。
同性で年の近い、同じく剣の使い手であるアカリ。
武者修行の最中という彼女が見せた、挑戦的な様子に、リリアの心は反応していた。
無意識に、再び精霊たちがリリアの周囲へ現れる。彼女の闘志が、可視化されたように。
ただ、それももはや、彼女らの闘志を消すには至らなかったようだ。
「でも私、女の子に負けたことないよ?」
「私も。ふふ、楽しみです」
あるいは、出会ってほんの僅かである二人、であるにも関わらずのこの急接近は。
今、同じ色を浮かべて笑い合う、この感性の重なりが理由であると言えるかもしれない。
――――――――――――――
所変わって、同じ船の船内にて。
狭い廊下に、窮屈そうに屈めた翼、それを隠すためのローブを羽織って歩くジェネ。
目的は廊下の西尾区、他の部屋より一回り大きな部屋だ。ノックと共に、声を掛ける。
「おーい、おっさん。入るぜ」
「おう。どうした?」
陸の建物でいえば、平均程度の大きさであろう一室。
だが船内としては、かなり上等であろう部屋。
ここにジストが居るのは、ひとえに彼の名声が故と言うにほかならなかった。
入るなり、ジェネは室内を見渡す。そこまで広くは無い部屋だ、そう時間はかからない。
だが目的のものが無いのか、彼は疑問符を浮かべる。そして、それを言葉にした。
「あれ、ここにもリリア居ねえのか?」
「ここには来ていないな。部屋には居なかったのか?」
「ああ。まったく初日だってのに、どこほっつき歩いてんだ?」
彼が気を揉むのは、姿の見えないリリアについてだった。
ジェネが口に出したそれに、ジストは呆れるようにため息をつく。
それは彼女の性格を思えば、むしろこうなるのも自然であったからだ。
「……強行日程の中で負担になるかと思って自由にさせていたが。
集合をかけていたほうが良かったかもな」
「あいつ、物怖じすること無さすぎだな……おっさんの部隊の基地に入った時も、次の日には平気で彷徨いてたしな」
「全くだ。もっと見てないと駄目だな」
それは感心でもあり、呆れでもあり。
苦笑のように二人に浮かぶそれが、リリアへの感情を率直に表していた。
それもまた、あの彼女の一面であるという事。それを分かっているからの反応だった。
「まあ、船に乗るのも初めてとは言っていたからな。子供だし、興味も湧くだろう。
船員には俺の関係者であるとは伝えてある。
腐っても中々の名前だ。危ないことに巻き込まれることもないだろう。
とは言え、船の仕事の邪魔になっても良くない。少し探しに……」
そのジストの言葉が、耳に入った音によって止まる。
それはこの最奥たる部屋にも微かに響くように届いた、威勢のいい叫び声だ。
声の高さからして、少女のものだろう。いや、聞き間違えるはずも無かった。
『……は?』
言外の連携があるように、即座に立ち上がるジスト、そして出口へ振り向くジェネ。
廊下へ出ると、再び同じような声が聞こえた。音の向きからして、甲板のほうだと分かった。
もう互いに何を言うでもなく、甲板へ繋がる方へ廊下を駆け出していく二人。
陽光と青空が出迎える、その出入り口に飛び込んで。
「でりゃあああああああッッ!!」
「ふぅッ!!」
その甲板の中央、開けた場所、船員の人だかりの中心。
可憐な少女二人が、その外見の愛らしさに見合わぬ苛烈さで、木剣での打ち合いをしている姿が目に入った。
その周囲に舞う輝く精霊、そして見えた、青っぽい服装の少女。
最早、その詳細を確認するまでもなかった。二人はもう一度駆け出す。
「な、何やってんだ、あいつっ!」
「ええい、一体どういう事だっ!!」
よりその中心へ近づいて、二人の行き先が分かれた。
ジェネはそのまま、中心のリリアの方へ。
そしてジストはそれを囲むうちの一人、不安な表情を浮かべる太った男の方へだった。
鬼気迫る様子のジストの様子を確認して、男は更に顔を青くしていく。
それは、彼らの関係をそのまま表していた。駆け寄ったその勢いのまま、ジストは彼へと叫んだ。
「ドウマ商団長! これは一体どういうことだ!」
「も、申し訳ございません、ジスト隊長!
今回の用心棒として雇っておりました者と、ご息女の間で手合わせしたいと申されまして、
ご決心も固く、私では止めることも……一応、用心棒の者には怪我などさせぬよう伝えております」
「……あの子がやる気だったということか」
「は、はいっ」
彼からの弁明を受け止めながら、ジストは再びリリアの方へと視線を向ける。
ジストも子であるという説明はしていなかったのだが、ひとまずここでは置いておいた。
そこまで来てようやく、その相手……アカリの姿も捉えることになった。
「逸ってしまったようだな。すまない、商団長。しかし……」
リリアよりは年上であるが、大人と言うには十分に幼い姿に、少なからず驚きを感じるジスト。
リリアの力はよく知っている。だからこそこの打ち合いが成立している事自体が、そう感じさせていた。
そしてその一方、直近まで到達したジェネが、今まさに彼女に呼びかける。
「リリアーっ! いきなり何やってんだーっ!」
「えぅっ、ジェネっ……!?」
突然呼びかけられて、流石のリリアも動揺を見せる。
昂った闘志に従って飛び込んだ状況だったが、
心のどこかでは、あまり良くない事であるとは思っていたのかもしれない。
少し引きつった顔で、恐る恐るといった仕草でリリアは振り返る。
全力疾走の負担に加えて、心配と焦りと、僅かな怒り。
そんな表情が、息を切らしたジェネの顔に浮かんでいた。
「ば、バカヤロっ、すぐ危ない事ばっかしやがってっ……!」
「や、やっぱり駄目だったかなっ、ごめんっ!」
まさに必死。そんな姿からの言葉に、リリアもすぐに謝罪の言葉が口に出た。
一方その様子に、アカリも一旦戦闘の姿勢を解いて歩み寄る。
荒くなった呼吸は、リリアの剛撃を受けたが故の、当然の様子でもあった。
「はぁっ……あの方もジストさんのお連れ様ですか?」
「う、うん。私の友達……と、ジストさんも」
リリアが言ったように、ジストも今、ここまで歩み寄っていた。
ジェネの隣に並んで、しかし彼とは逆に、冷静に諭すような声を掛ける。
「全く……目を離せばすぐこれだ。
元気なのはいいが、もう少し大人しくする事も覚えるべきだな。
特にこの航海は移動が目的だ。本番は到着した後だぞ?」
「うう……ごめんなさい」
二人から立て続けに叱られて、リリアは完全に項垂れてしまった。
一方で。ジストは何か思う物があるようで、言葉を返さないまま、より近くなった二人に視線を向ける。
二人の様子、戦いの場となった甲板、そして武器の木剣。次々に、その焦点を変えていく。
「ほら、戻ってきな……」
「いや、待て」
「え?」
そして意気消沈したリリアに笑いかけるジェネ、その言葉を肩に手を置いて止める。
ジストの視線が、今度は明確にアカリの方へと向いた。当然、彼女も気づいて視線を返す。
「用心棒というのは君だな。君から持ちかけた模擬戦のようだが、どういうルールだ?」
「え……はい。相手の武器を落とす、致命の隙を作る。それが勝利の条件です」
「……寸止めが出来るのであれば、自分の持つ武器からの衝撃以外に怪我はないはず、か。
君はそう出来る自信がある、ということか?」
「はい。慣れていますから」
「……これは直接関係ないが。既に知っているだろうが、リリアは無意識に精霊の力を受ける、特殊な力がある。
剣の勝負としては少々不公平な面もあると思うが、良いのか?」
「構いません。身長、体重、手足の長さや膂力が、人によって違うこと、優れていること。
それと何ら変わりはありません!」
突然のジストからの質問に一瞬面食らったものの、すぐに自分の言葉でそれに答えていくアカリ。
それを元に、また考え込むジスト。今回は長くはならなかった。
再びアカリの方へ、今度はリリアにも向けて、口を開く。
「分かった。邪魔して悪かった、続けてくれ。リリア、船や荷物を壊すなよ」
「えっ、いいの!?」
「ええっ!? おい、おっさんっ!」
そこから放たれたのは、突然の転身だった。
突飛な言葉に、リリアも喜びより驚きのほうが勝っていた。
ジェネも思わず、同然の異議を唱える。それに対して答えるように、ジストは続ける。
「ただ、俺もここで同席させてもらうぞ。万一の事に備えてな。
逆にリリアに寸止めが出来るかという不安もある。それを無理やり止めるのも、俺の役目だ。
それに……これは俺の勘だが。リリアにとっては、大きな収穫になるかもしれん」
「なんだって……?」
彼が語ったのは、万一への措置と理由についてだった。
理由については大きくぼかされているそれは、
どちらかと言えばその措置だけが、説得力を生み出すものになり得ている。
だが彼の存在自体が、それを十分なものにしていた。ジェネもまた、ため息のように大きく息を吐く。
「まあ、おっさんがそう言うなら、見ててやるけどよ……リリア! 怪我すんなよっ、がんばりな!」
「うんっ、ありがとっ!」
引き下がる事を選んだジェネが、リリアに声援を送る。
それを受けながら、リリアは再びアカリの方へ振り返った。
「ありがとうございます、ジストさん……! さあリリア、続きを!」
「うんっ、行くよっ!!」
試合を再開できることに、リリア同じ様に笑みを顔に浮かべたアカリが、再び木剣を構える。
木剣を両手で持ち、縦一文字に構える静の構え。これが、彼女の剣術であるようだ。
対照的に、リリアは横に大きく振りかぶる。再び姿を現した精霊たちが、その腕を包みこんで行った。
「せやああああッッ!!」
「はっ!」
そのまま飛びかかって、リリアが大振りで木剣を振るう。
空気を圧し折るような重い一撃、アカリはそれを受けて、しかしその全てを止めはしない。
「っ、わっ……!?」
巧みな刃捌きと力の加え方によって、アカリの持つ木剣の刃に沿って受け流されていく。
その受け手を無くした力が、今度は軽いリリアの身体を引っぱり、体制を崩させる。
その隙を見逃さず、アカリは素早く剣を構え直す。そして崩れた体勢、その先の剣を狙い振り下ろした。
「そこっ!」
鍔のすぐ近くを狙った一撃は、それによって剣をはたき落とすためのものだろう。
彼女の狙いに気づいて、リリアは無理やり足を差し込むように前に出し、重心を支える。
より一層舞う精霊たちが、その瞬発力を助けていた。
なんとかアカリの剣が触れる前に整えた体勢によって、リリアはその一撃を受け止める。
「なっ……!」
「くうっ、せりゃあッッ!!」
「う、くうぅっ!!」
そして力勝負になれば、リリアに分があった。
振り下ろされた木剣を逆に跳ね返すように、リリアは剣を振り上げる。
強烈な弾き返しだったが、アカリは何とかその柄から手を離さなかった。
寧ろ勢いに任せて、アカリは後方へと身を躱していく。膝立ちで着地すると、リリアを見据えた。
(これは確かに、並の大人なら相手になるはずもありません……!)
それでも、彼女の闘志は一切揺らぐことは無かった。
寧ろこれほどの相手に出会えた歓喜が、より一層その心をヒートアップさせていく。
そして逆に、その所作は落ち着いていた。
「……よく受けているな。並の大人であっても、これだけ耐えるのは難しいだろう」
「そりゃつまり、あいつが並じゃねえってことか?」
「そうだ。剣術の質からして、恐らくは戦いには慣れている。
であれば、あの年齢の少女としては力もある方だろうが、リリアのように規格外のものがあるようには見えない。
つまり、技でリリアの攻撃を受けきっている、という事だ。これは裏返せば、リリアの弱点とも対応している」
「弱点?」
彼の語る所見のうち、最後に飛び出た言葉に興味を見せるジェネ。
それは、今の戦いによって思いついたものではない。これまでのリリアの戦いを見て、感じていた事だった。
「早さも力も、同年代どころか大人すら圧倒するものを持っているんだ。
適当に振り回すだけでも、簡単に相手を倒してしまえる。その経験こそが、あの子の弱点だ。
そもそも、戦いの中に生きていたわけでもないんだ。喧嘩程度の戦いしかやったこともないだろう。
工夫も技術も必要としない程の強さを持っているのだから、それらが育つ機会も、必要も無かったというわけだな」
「……なるほど。収穫ってのはそういう事か」
その言葉の裏に、先程ジストが口にした言葉の真意を捉えて。
ジェネが答え合わせのように口にしたそれを、頷いたジストが肯定した。
「……ああ。だが彼女は、戦う事を選んだ。弱点をそのままには出来ない。
その中で力で大きく劣りながらも、高い技術によって一歩も引けを取らない、
そういう戦士と出会えた事は大きいはずだ。足りないものを、感覚で感じ取ることができるだろう」
「おっさんが相手してやるんじゃ駄目だったのか? おっさん、リリアよりも力強えだろ」
「結果的な実力がそう離れてないのがいいんだ。本気でやるからこそ、糧になる。
それにどうしても、小さな女の子に攻撃するというのは苦しい。いくら訓練と言ってもな」
「……ま、それもそうか」
苦笑、それと冗談のような言葉で、その説明は締められた。
とはいえ、紛れもない本心でもあった。リリアを案じた上で、共に戦うと決心して。
偶然とはいえ出会いによって、その懸念の一つを解消する切欠を得られたのは、僥倖と言う他なかった。
あるいは。ジストはそれさえも、彼女の力であるとも感じていた。
(……出会いと親睦。それもまた、この子の力か)
その視線の先へ、再び意識を向ける。
互いに息を整えた中、再びリリアが剣を構えていた。
その脳内は、あるいはジストの思惑通りか。彼女との戦いに、その思考の全てが使われていた。
(押しきれないっ……! 全部、流されちゃってる!)
脳内で、自然に今までの記憶が巡る。力で負けた経験が、完全に無いわけではない。
巨大な魔物とは拮抗、あるいは不利となることもあったし、ジストに至っては強烈な一撃さえも止められた事がある。
あるいは更に前、剣の稽古をネルにつけてもらっていた時、演算型の精霊術で押し切られたこともあった。
だが明らかに力で勝てていて尚、これほどまでに受けられる経験はそうそう無かった。
アカリの実力を感じさせられる、何よりの感覚だった。
「いくよっ、アカリさん!」
だがリリアもまた、燃え上がった心が消沈することは無かった。
精霊たちを纏った木の剣を構え、掛け声と共に下がったアカリの方へ駆け出していく。
その道すがら、慣れた足取りを踏んで、その身を横に翻し、身体を回して。
勢いを得る、得意の動きだ。輝く剣、そして精霊たちと共に大きく踏み込んだリリアが、アカリの眼前へと迫る。
そして勢いのままに、その剣を振り下ろした。
「はああああああっ!!! "ステラドライブ"ッッ!!」
「……貴方と出会えた縁に感謝をっ、リリア!」
対するアカリも流れるような小さな動きで、木剣を左腰へと構える。
今は外している剣……刀を下げている、その位置だった。
意識をより鋭く高めて、顔から笑顔が消える程に感覚を研ぎ澄まして。
眼前に迫ったリリア、それを捉えた瞬間に、体の動きの全てを一本に連動させ、一息でその剣を振り上げた。
「"灯籠一刀流奥義、『昇り龍』"ッ!」
二振りの木剣は、真っ向からぶつかり合う形になった。
だがその内情はこれまで通り、単純な大技同士、力同士のぶつかり合いではない。
最大の剛撃、それを受けるに最も相応しい位置、向きに振り上げる。その為の集中だ。
リリアはそれを、手応えで感じる。受けられている、ということを。
(このままじゃ、だめッ……!!)
リリアの剣は、誰から教わったものでもない。
強いて言えば、インスピレーションは紡ぐ星の剣士の伝承から受けたもの、という程度だ。
得意技の回転斬りなどその筆頭で、精霊の残光がかの英雄の姿っぽい、というだけで形を成していた。
実情としては我流、あるいは剣術と呼べるものでもなかったかもしれない。
ジストが言うように、それでも問題は無かったのだ。だが戦いに向き合う、今は違う。
だからこそ。この剣戟の中で、ようやくそれに意識が向いた。
技を、技として磨くこと。
「……たぶん、こうッッ!!」
「はっ!?」
突如。アカリの受け止めていた木の刃が、急激に重くなる。
自分の渾身でも、助力する精霊達の量でもない。最も重い攻撃となる力の入れ方、それを探した。
それは感覚頼りのものではあるが、当てずっぽうという訳でもなかった。
紡ぎ輝く剣を振るう英雄、その姿を夢見て、何度も繰り返した動きなのだから。
「くっ、うっ……うおおおああああっ!!」
だがアカリも、一方的に押し切られはしなかった。
同じ様に、何か技を研ぎ澄ますものを見つけた訳では無い。
逆にそれは根性だった。振り上げる剣に、もう片方も添えて叫ぶ。
昂ぶる闘志が、この鍔迫り合いを続けさせていた。
それはリリアも同じだ。ぶつかる闘志が、相手を上回らんと猛る。
耐えられなかったのは、それらだけだった。
「へっ」
「え」
突如。今までの音と全く違う音が、二人の間から響く。
激しく、しかしそこまで重くは無いものがへし折れたかのような、バキッという音。
いや、最早目で見るまでも無く分かった。得物たる木剣が、2つ同時に折れてしまっていた。
そして加えられた力は、それで消えるわけではない。
2つの折れた木は、反応する時間すら与えず、まっすぐに二人の少女の顔面を捉え――
「……そこまでっ!」
して。可愛らしい少女たちの顔に、傷がつくことは無かった。
いつの間にかその傍らまで移動していたジストが、両手でその両方を掴んでいたからだ。
同時に、手合わせの終了を告げる声を響かせる。
あるいは渾身の代償か。それを合図に、二人同時にへたり込んでしまった。
「びっくりしたあっ……ジストさん、ありがとう」
「武器に対して、少々打ち合いが激しすぎたな。だが本気だからこそ、得られるものもあったはずだ」
「リリア、大丈夫かっ?」
「えへへ、平気。疲れちゃっただけ」
遅れて駆け寄ったジェネの心配に、リリアは笑顔を返す。
ともかくジストの対応によって、生傷はないようだった。
そのままリリアは、正面のアカリへ視線を向ける。リリアとは対照的に、その表情は暗かった。
「リリア、ごめんなさい。怪我させないようにすると言っていたのに、こんな事に……」
無論、手合わせの勝敗の結果が故ではない。
本気の勝負の末とはいえ、少なくとも自分には止められない危機を引き起こした事が、影を落としていた。
そんな彼女にも、リリアは笑いかける。
「大丈夫だよ、結局怪我はしてないから! それに私も、木なのに全力で振っちゃってたし」
「しかし、ジストさんとの約束も……」
「まあ、確かに一言申したい気持ちはあるがな。
だが、こちらも得難いものを貰えたようだ。今回は不問とさせてくれ」
「そ、そんな……でも」
それを慰め、赦す言葉が続いても尚、アカリは自分の過失を見過ごせずにいた。
そういう性分なのだろうという事は、リリアにも、この場で初めてあったジェネやジストにも伝わる。
だからこそ、リリアも見過ごそうとしなかった。
気がつけば。項垂れた彼女の手を、小さなリリアの手が包んでいた。
「アカリさん! ここで、ええと……そう、手合わせ! 出来たこと、本当に良かったよ!
私とそんなに変わらなそうなのに、武者修業とか、用心棒とかやってて、こんなに強くて……!
すごいかっこいいし、アカリさんと会えたこと、本当に嬉しいから!」
満面の笑顔で、リリアは彼女にそう伝える。
それは世辞でもない、紛れもない本心だった。だからこそ、それはアカリに届いていた。
しばらく、沈黙のままのアカリ。その間も、彼女の瞳は揺れる。
やがて、感じ入るように俯く彼女。だがその表情には、微笑みが浮かんでいた。
「……お友達の皆さんが、とても貴方を大事にしていること。その理由が分かった気がします。
リリア。私も、その一人となってもよいですか?」
「勿論っ! アカリさん、これからも仲良くしてねっ!」
揺れるアカリの言葉に、リリアはその笑みのままに快諾を返す。
少し顔を上げて、目を開いて。彼女のその笑顔が、アカリの視界に入る。
今度は明確な意志と共に、笑顔を返すアカリ。小さいが、確かな意志の籠もった声で、それを伝えた。
「……ありがとう」
「うんっ!」
心温まる、あるいは微笑ましいと言うべきか。
その光景に周りの船員たちも、ジェネもジストも口を挟まずに居たが、
やがて一段落ついたと見て、その貧乏くじはジストが引きに行った。
「さて、日も昇ってきた。それぞれのやることに戻らなければな」
「そうでした! リリア、また後で!」
とはいえ、その内容としては正当なものだ。
与えられた時間のおかげか、アカリもすぐに切り替えることができたようで、
すっと立ち上がると、リリアに手を振って駆け出す。
リリアもまた、その背中に手を振って返した。
「うん、またね!」
「……リリア。お前、誰とでもすぐ仲良くなるなぁ、ホントに」
「そ、そうかな?」
そんな最中、不意にそんな声を掛けるジェネ。言い方はともかく、内容自体は彼女を褒めるものだ。
ちょっと恥ずかしそうな反応を返すリリアを見て、ジェネはまた、これまでの彼女のとの記憶を思い起こす。
紛れもない自分も、彼女のそうした所に惹かれた一人なのだから。
「まあ、美徳と思っていいさ」
そう総括して。
彼女の笑顔に向けて、ジェネも笑い掛けた。
――――――――――――――
「闘技大会?」
「うん。リーブルで近々あるんだって」
場所を移して。3人は、ジストの部屋に再び戻っていた。
その中でリリアは、アカリから聞いた話を口に出す。あるいはそれは、世間話ぐらいの感覚であった。
だが、ジストはその言葉に明確な反応を見せる。
「なるほど。好都合かもしれんな」
「え?」
そしてそれは意外にも、好意的なものだった。思わぬ反応に、リリアからも声が漏れる。
その理由を、ジストは続けて話し始めた。
「検知出来た反応は大雑把なものだ。向こうに着いた後、現地で情報を集めるしか無い。
どれほどの規模のものが開催されるのかはわからんが、
高名な傭兵や腕っぷしで有力な者となれば、様々な情報に詳しい者もいるだろう。
情報を集める上では、人が多いのは悪くない傾向だ。有名な者であれば、尚更な」
「なるほどな……ま、どうやって教えてもらうかってのはあるだろうけど」
「そこはまあ、色々あるさ。ともかく、当てになれば幸いといったところだな」
それは、至って現実的な話だった。
今の状況を思えば当たり前の話であるが、
ちょっとつまらなそうに、リリアはこの話題を続ける。
「ジストさん、参加したりしないの?」
「するわけないだろう。特に得るものはない上に、余計な注目を集めて正体がバレれば、一瞬で大事になる。
ただでさえ敵がわからない状況で、アスタリトに真っ向から敵対するわけにはいかん」
「そりゃそうだけど……でも、注目を集められる自信はあるんだ」
「まあな」
「こんな状況じゃなけりゃ、試してみても面白かったんじゃねえか?」
リリアもジェネも、彼の規格外の強さについては知っている。
それだけに、彼がもし、その力を存分に振るうのなら。
瞳に映る憧憬は、そういう気持ちがあってのものだ。それを、苦笑しながらジストは制する。
「言ったろう? 得るものがないさ。名声ならもう十分に得た。それに……」
そこで、二人にわからないように。しかし確かに、ジストはその視線をずらす。
僅かに耽る思慮、そして決心。それらは、態度に出ることはない。
あるいは、それが彼らではなく、自らに向けての言葉でもあったからだった。
「俺の力は、人々を守るために使う。そう決めているんだ」
――
「それよりリリア。お前こそ、突然出るとか言い出すんじゃないぞ?」
「い、言わないよっ!」
「目離してる間にどっか行って、気がついたら闘技場のど真ん中に立ってるってのも無しだぜ?」
「だからそんなことしないってばーっ!!」