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OverDrivers  作者: jau
14/30

14話 心のままに-2 臆せず進め、若人よ

「キ、カカカカ……」


 うめき声か、あるいはただの稼働音か。

不気味な音を上げながら、リリアに吹き飛ばされた『天使』も立ち上がる。

鋼鉄の壁さえ砕くリリアの一撃を貰ってなお、その所作には大きなダメージは見受けられない。

それはこの『天使』たちが、生半可な存在ではない事を表していた。


「手短に説明するぞ、少女よ。

 奴らはとある組織が生み出した兵器、その失敗作だ」

「失敗作……!? でもっ」

「うむ。出来損ないであるが、それなりの戦闘力は有しておるようだ。

 故にこうした使い走りに起用されている……侮るな!」


 リリアの隣に並ぶカタストが、口早に彼らの説明、そして警戒を付け加える。

改めて『天使』たちを見据えるリリア。壊れたかのように細動するそれらの目には、何の感情も浮かんでいない。

それどころか、目としての機能があるかさえ、外からは感じられないようにだった。

それに先制し、白衣の外套、袖を捲るカタスト。

腕に装着された装置……小さなレンズがついた腕輪を敵へと向ける。


「発明品5391号、"変異収束光線砲スプレッド・グロウブラスト"ッッ!」


 彼の叫びに合わせて、そのレンズが輝きを放つ。

瞬間。レンズから放たれた10本超の光線が、うねりと収束を描く線を引き、既に『天使』たちの眼前に迫っていた。

だが相対する『天使』たちも、その瞬間に動いた。手に握った槍が急速に回転を始める。

いや、手首ごとその槍を回していた。それもただ速度頼りではない、文字通り光の速さで迫った光線、その盾となるように。


「ちっ、小癪な!」

「カタストさんっ!」


 悪態を付きながらも、それを牽制としてカタストは踏み込んでいく。

その最中、先程光線を放った腕輪が、今度はその裏側を展開させる。腕から手刀の形に伸びる刃を形成していた。

老齢な外見からは想像出来ないほどの鋭い踏み込み。これもまた一瞬で距離を詰めると、彼はその腕輪の刃を振り下ろす。


「発明品3756号、"斬首・斬手刀エクスキューション・ヘルカッター"ッッ!!! ……ぐっ!?」


 だがその刃も、『天使』が持つ槍を破るには届かなかった。

受け止めた『天使』の足元が凹む。それはこの一撃の重さを表していたが、尚もかの身体へのダメージはない様子だ。

そして、それは明確な隙となった。その隣に立つ天使の槍が、カタストの方へ向けられる。

今度は防ぐためではなく、攻撃のために。防御の時間も許さず、その槍が鋭く突き出された。


「危ないっ! ……くうっ!」


 だが、カタストもまた一人ではなかった。抜刀したリリアが、精霊を纏う剣でそれを受け止めていた。

受け止めたリリアの顔が苦悶に歪む。『天使』らの膂力が、どれほどのものであるか物がっていた。


(な、なんて力っ……!?)


 並の男であれば、力で薙ぎ倒してしまえるリリアだ。これ程までの圧力を受けた経験は、人生でも殆ど無かった。

尋常でないその力に、鍔迫り合いが徐々に、自分に傾いていく。

心の中に生まれ始める焦り、あるいは不安。だが。心の軸までは、そうではなかった。


「うおおおおおおおおおおおおッッ!!!」


 それらを振り払うかのように吠えるリリア。

その闘志に呼応して、精霊たちが溢れるように姿を現していく。そしてその全てが、リリアの腕を後押ししていた。

それは抑えられていた剣を、逆に押し返し。そして閾値に達した時、『天使』の槍を腕ごと跳ね除けた。

間髪入れずに、リリアは更にもう一歩踏み込む。輝く刃を構え直し、その先端を向けた。


「せやあああっっ!!」


 そして精霊たちの力と共に、直剣を真っ直ぐに繰り出した。

防ぐ術はとうにない。それは『天使』の胴体の真ん中を、一直線に貫いていた。

生物であれば、致命の一撃にもなるような傷だった。


「……え?」


 だが。全身から力の抜けることのないその様子が、かの者がその例外であることを証明していた。

攻勢となった彼女、それ自体を隙と捉えるように。『天使』の、口となる部分が開いていた。


「……いかんっ!」


 同調して、カタストと鍔迫り合う側の『天使』も口を開けている。

そこでカタストも感づいたようだったが、もはや動くだけの時間は残されていなかった。


『"ギョオオオオオオオオオオオオ"!!!!』

「ぐおおおおおっ!!」

「きゃああああっっ!!」


 高い奇声による衝撃波が、至近距離から襲いかかった。

激しい音の振動によって、そのまま吹き飛ばされた二人。

人数の目減りによって、その出力自体は出会い頭に放たれたそれよりは抑えられていたものの、

カタスト、そしてリリアと精霊たちが受け身を取ったときには、既にかなりの距離が離れるほどだった。


「ぐうぅ……おのれっ」

「カタストさん、大丈夫!?」


 精霊が身を守ったリリアに対して、カタストのダメージは小さくなかったようだ。

立ち上がろうとして、しかし片膝をつく彼に駆け寄るリリア。

彼の状態は、見るからに芳しくなかった。大きく息を荒くするカタストが、途切れ途切れに声を返す。


「スマンな……大口を叩いておいて、このザマとは……ぐうっ」

「カタストさん、無理しないで! ……っ!」


 なおも立ち上がろうとする彼を制して、リリアは再び『天使』らの方へ目を向ける。

その敵意は収まることなく、こちらへと向いていた。

リリアが胸を貫いた個体にも、やはり所作にはさしたるダメージも見受けられない。

状況の悪さが、これ以上無く表れていた。

それでも。離さなかった剣を握り締めて、リリアは一歩、前に出る。


「バカモノ! 奴らの強さが分かったろう、一人で戦えるものか!

 ワシのことはよい、早く逃げよ!」


 彼女の意図を読み取ったカタスト。

それが無謀と言えることも。故に、リリアを逆に制止した。

当然だ。言葉にしたように、おおよそ勝機を見出せる状況ではない。

リリアも、それがわからない訳ではなかった。

敗北、死への不安、そして恐怖は先程よりも、ずっと大きく膨らんでいる。

彼女の年であれば、もはやそれだけに支配されても不思議ではないほどに。


(……でも)


 震えそうになる手足、纏まらない思考は、彼女の中にも確かにそれがあることの証左だった。

だから。口から出た、それは。カタストのみに向けられたものではなかった。


「……"孤独の寒さ、それに勝る大敵などない――"」

「……なに?」


 それは何よりも、自らを奮い立たせる者の言葉。

この選択を取らなかった時に犠牲になるもの。それを思った時に、リリアの脚は前に出ていた。

唱えるように、リリアはかの英雄……紡ぐ星の剣士、エレナの格言を口にしていく。


「"隣人を愛することが、私の力である"! 逃げないよ、カタストさんっ!!」


 そう叫んで構えるリリアに呼応して、その全身を包むように溢れる精霊たち。

ほぼ同時に、『天使』らも動き始める。二人へ向かって、その脚を動かし始めた。

それを睨みつけて、迎撃するようにリリアも動き出す。


「ばっ、馬鹿なっ……! おい、よせっ!」


 カタストの制止の言葉も振り切って、リリアはただ、正面の『天使』らを見据える。

考えるような余裕は無かった。ただ奮い立った勇気だけが、彼女を動かしていた。

今彼らと敵対しているのは、カタストらの事情に巻き込まれたようなものだ。

そして正直なところ、カタストの言葉もうまく噛み砕いて理解出来ているわけではない。

あまり、複雑な話が得意なわけでもないのだから。


 それでも。カタストもゼニアも、彼女にとっては既に守るべき隣人だった。

そうした感性を、リリアはかの英雄から、そしてこれまでのまだ長くない人生の出会いの中で育てていた。

それが、彼女をこの困難へと立ち向かわせていた。


 してこの場では、それは蛮勇とも呼べるものである。だが。

あるいはそうであるが故に、これからの出来事は起こったとも言えた。


「……わっ!?」


 突如。まるで砲弾が着弾したかのように、リリアの眼前、『天使』の居た場所が弾け飛ぶ。

突然の衝撃に、リリアも思わず脚を止める。正面の土煙で、その詳細は見えない。

だがそこから吹き飛ばされた『天使』の姿だけは、捉える事ができた。


「な、何だっ!?」


 更に後方から眺めるカタストにも、その詳細は分からなかった。

晴れる土煙だけが、それを明らかにしていく。

着弾点の中心、そこにあるのは砲弾ではなく、人影だった。そこから、声が掛けられる。


「全く……毎度毎度、いつもお前は最前線に居るな」


 そしてそれは、土煙が晴れるその前に、リリアにはその正体を伝えるものとなった。

彼女の金色の瞳が、潤んで、そして輝く。

晴れた視界の中に映るのは、その特徴的な服装……グローリア防衛隊、そのアーマースーツだった。


「だが……流石に波乱に巻き込まれ過ぎだ!」

「ジストさんっ!」


 彼女を叱る言葉と共に、ジストは立ち上がる。

自分が吹き飛ばした方向へ視線を向け、吹き飛んだ『天使』らが、既に立ち上がろうとしているのを捉える。

その目が、更に鋭くなった。戦闘態勢を維持したまま、リリアを守るように彼女へ近づく。


「ノインから緊急の連絡があった際、ネル女史と共に居たものでな。

 彼女の精霊術で()()()()もらった」

「ネル姉の……って、"39番"!?」


 その中で彼が口に出した言葉に、リリアは驚きと共に聞き直す。

39番。彼女の扱う演算型の精霊術、その内、『力』を操る術だ。

付き合いの長い彼女の持つ精霊術の内、「飛ばした」という言葉で連想でき、

そしてそれが、信じがたいものでもあるがための確認だった。


「そうだ。一か八かではあったが……流石の精度だ、舌を巻くほかないな」

「そ、そっちかな、凄いの!?」


 そんな彼女の思いを知ってか知らずか、ジストはさも当然のように頷いて見せる。

確かにネルの精霊術の扱いは卓越しているとは言える。

もし防衛隊の基地付近から撃ち出されていたのであれば、ここまではかなりの距離になる。

その上で、尚も平然としている事のほうが余程衝撃は大きかった。

だがそれを気にすることが出来たのも、視界の隅、『天使』たちが立ち上がるのを見るまでだった。


「ともかく。まずは奴らを制圧するぞ!」

「うん!」


――――――――――――――――――――


 一方。グローリアの市街地、その空で。

鋼鉄の高い壁で囲まれたグローリア、その領地外へと飛び立とうとしている『天使』、

その体に絡まった紐にしがみつき、レオは吠える。


「ぬああああッッ、止まれ、このおおおおっ!!」


 彼が武器としても用いる紐は、その細さに見合わない凄まじい強度がある。

レオ自身も、これが破れるとは考えていない。

だがそれ故に、この紐に絡め取られてなおも動きを制することの出来ない『天使』の頑強さを感じることになっていた。


「おいっ、ノイン! 離せ、離しやがれっ!!」


 それを追うノイン、そして彼の抱えるジェネ。

だが今になってもなお、ジェネは半ば強引に連れ去った彼への文句を口にしていた。

暫くはそれを受けるままだったノイン。彼の気持ち自体は、思考回路の範疇で理解できていた。

だから答えを探すこの沈黙は、心の範疇がさせるものでもあった。


「離せ、はなっ……!」

「ジェネ」

「あんっ!?」

「覚悟を決めろ。奴を早急に排除し、リリアの救援に向かう。彼女が心配であれば、まずは全力を注げ」


 故に、その言葉の内容、掛けるタイミングが正解であるかは誰にも、ノイン自身にも分からなかった。

だが、あるいはジェネ自身も、言われるまでもなく分かっていた言葉でもあった。

逆切れのように、ジェネは叫ぶ。


「……分かってるっつーのっ! ああ、やってやるよ!!」


 して結局その言葉は、ジェネの内心を埋め尽くしていたリリアへの不安を、一旦押し込めるものとなった。

ジェネのその両掌、彼の湧き上がる闘志を表すかのように、炎と風が収束していく。

『天使』に振り回されながらもそれを視界に捉えたレオ。この上空の長距離でも届くように、渾身の大声で叫んだ。


「ゼニアは私がなんとかするッ、やれーッ!!!!」 

「ああ、任せろッッ! "撃ち抜け"ッッ!!」


 そのままジェネは両掌を突き出し、炎と風の奔流たる、無数の熱線を放った。

かつてギャングの幹部、アーノルドに放ったものだ。

熱線は逃げ場を塞ぐように大きく膨らむ軌道を取ると、『天使』その一点を目掛けて一気に向きを変える。

迫る大量の攻撃に流石に感づき、明確に反応する『天使』。

四方八方からの攻撃を避けるための回避行動、僅かな隙だが、それで十分だった。


「させるかッ! "怪盗技術(トリックスキル)、『六道縛』”ッッ!!」


 更に懐から取り出した紐が、『天使』の翼、その片方を縛り付けていた。

先程実感したように、この体全てを押さえつけることはレオには出来ない。

だがこの一瞬だけ、揚力、推力を生み出しているであろうその翼を抑えること。

それならば出来る、そしてそれが出来ればいい。故に一点に集中したその拘束は、確かに意味を成していた。

初動の鈍った『天使』の体、その背中側に集中して、炎の奔流が突き刺さっていく。

強靭な体とはいえ、この奔流を前に無傷とは行かない。散り散りになっていく翼と共に、その背中が弾け飛んでいく。

それでも尚、ゼニアを抱え込む腕だけは緩むことは無かった、その直後。


「レオ、任せるぞ」


 熱線とは違う攻撃がその腕部へと突き刺さり、弾き飛ばしていた。

腕の砲門を構えたノイン、彼の射撃によるものだった。

拘束が外れ、そのまま熱線の追撃を受け続ける『天使』からゼニアが放り出される。

口調に反して大音声となったノインの言葉、それに返事をして、レオもゼニアの方へ器用に飛び出した。


「おうっ! おおおおおおおッッ!!」


 そして体にかかる力、全てが自由落下に依るものになる前に、レオはゼニアを抱える事に成功する。

そのまま体を翻し、懐のどこからか取り出したマントを大きく広げ、器用に身に付ける、そして。


「"怪盗技術(トリックスキル)、『翔衣』”ッッ!!」


 どういう仕組みであるのか、あるいは言葉通り技術によるものなのか。

マントは風を受ける生み出すものと化し、自由落下から滑空へとレオの体を解放する。

一方で、全ての熱線による攻撃を受けた『天使』は、飛行する力を失い、彼を追い越して地へと墜落していた。


「よっし!」

「行くぞ」


 滑空によってゆっくりと高度を落としていくレオに、ノインらも追従する。

やがて着地して、レオ抱え込んでいたゼニアを横にする。そこへ二人も駆け寄った。

あるいは戦いの最中で既に目を覚ましていたか、その眼がゆっくりと開かれる。


「おい、大丈夫か?」

「……なんで助けた? 信じられる理由は、ないのに」


 彼が開口一番にしたのは、彼らの行為への疑問だった。

やはり大きく言葉を欠いた口調であるが、要するに。

カタストの語った事情には、信頼できるような要因はないだろう。そういう事だった。


「……待て。まだ反応がある」

「!」


 彼からの問の最中、3人は再び緊張感を高め、ゼニアを守るように前に出る。

その視線の先。墜落した『天使』が、再び立ち上がっているのを捉えていた。

強力な精霊術の直撃、高高度からの墜落によるダメージは小さくはないようで、

動作の所々でガクガクと不気味に稼働しているが、今も尚、確かな敵意を向けていた。


「……まあ正直、あの博士を信じた訳じゃねえよ」

「敵対する状況はあった。奴らは何にせよ、警備隊を騙る者たちの後続として送り込まれていた者たちだ……だがな」


 その中で、彼らはゼニアの問に答えていく。

あるいはそれは、白状でもあった。彼らの本心、それに違いなかった。

だが。


「それ以上に、奴らは私の友を侮辱した。敵とするには、十分だ!」 

「ま、そうだな!」

「結果的にレオも連れられる形になった。明確な戦う意思となった事は、否定しない」


 もう一歩、前に出ながら、彼らは自らを突き動かしたものを口にしていく。

直後。真正面、『天使』が爆発のような踏み込む。それを予見したものでもあった。

槍を振りかぶる正面、ノインがその腕部を構える。

単純な強度だけではない。その武器が力を発揮できない、その距離を狙ったものだった。

そして目論見通りに、彼の装甲がその槍を弾く。瞬間、その友たる二人が跳ねた。


「止まれえッ、『六道縛』ッッ!!!!」


 それは、『天使』にトドメとなる拘束を為すためのものだった。

レオの細い紐が、素早く『天使』を包みこんでいく。

それから離れようとしたのだろう、『天使』の暴れる様、その肩をさらにノインの腕が掴んでいた。


「逃がすものか……!」


 『天使』は、声を出す機構を持たないようだ。

だが攻撃手段にもならない奇声があがる中、フリーとなったジェネが腕を振りかぶる。

その手のひらには、炎と風が宿っていた。


「うおおおおおおおおッ、"爆ぜろ"ッッ!!!」


 最早回避することも叶わず、ジェネの拳が『天使』の胴体、その中心へ直撃する。

巻き起こる爆風はその胸部、また装甲ごと吹き飛ばした。大きく距離の離れた『天使』。

だが、それすらも致命打にはなり得なかった。立ち上がるその姿に、レオもジェネもその顔を歪ませる。


「ちっ! 頑丈な奴だなっ」

「だがもう、好きにはさせん!」


 しかしその頑強さも、彼らの威勢を削ぐことはなかった。

尚も向かい来る天使へ、その闘志を変わらず燃やしていく。

その様子を、背後から見つめるゼニア。


(友への暴言。それが闘志を燃やす理由)


 彼の脳内は、ヘレ博士の語ったそれが故か。とても平坦に言葉を紡いでいた。

……内容は、彼らが語った言葉の反芻だ。不気味な強敵たる『天使』へ怯まず挑む彼らを、

積極的に自らを助けようとした行動をゼニアはまだ、それを納得できる形で解釈できていなかった。


(わからない。そんなものが、態々戦闘まで行うほどの理由になる事が)


 状況の理解という点では、彼の脳内は年齢不相応という程に冷静で、達観していた。

それ故に。不気味で理解の及ばない強敵を前にして、なおも士気高く戦う彼らを疑問に思っていた。


「……友」


 口にした言葉、彼らが理由として口にするもの。

理由はわかるはずもなかった。だがそれが、それに心を燃やす彼らの姿に、

心を封じられた彼の、だがそれがあった場所が、なにか疼くように感じていた。


「"キョオオオオオオオッッ"!!」

「があっ!?」

「ジェネっ、ぐああっ!!」


 正面。無理やりに道をこじ開けるように、音圧による衝撃を放つ『天使』。

それにより吹き飛ばされたジェネを案じたレオ、更にその隙を狙い、鋼鉄の腕が振るわれていた。

二人が大きく後退したことで、一直線、ゼニアへの道が開かれる。

間髪入れず、『天使』の身体が飛び出す。狙いは勿論、小さな彼の身体だった。


「まずいっ……!」

「ゼニア、逃げろ!」


 彼らからの言葉を受けて、もう一度、胸の奥の揺らぎを感じるゼニア。

眼前に迫る『天使』を文字通りの無心で見据えながら、もう一度、それに意識を向けていた。


 心を失っている彼には、その言語化は出来なかった。

だが、たとえそうでなくても言葉にするのが難しい色であったのは間違いない。

奮闘するジェネ達に呼応した『それ』は。しかし彼らではなく、自らへと向かうものだった。

もっと言えば、それは衝動、という言葉の方が近かった。『それ』は思考を、やがて飛び越していく。

瞬間。彼の青い髪が揺らぎ、隠れていた左目が『天使』を射抜く。そして、青い影が奔った。


 それは彼らの語った理由、それを受け取ってのものではなかった。

強敵へ立ち向かい、吠え、猛る彼らの燃える心。それそのものへの感化、そして共鳴と言えた。

 

「"ラピスブランド"っ!!」


 速さにとっては自信のあるレオでさえ、反応が遅れた程に早く。

それに対しての行動すら許さずに、踏み込んだ影……ゼニアは、その右腕を振り抜いていた。


「ゼニ、ア……?」

「な、何があった……!?」


 初めて聞いたであろう、張り上げるゼニアの声。具体的な動きを捉えることは叶わなかった。

それが手刀のようなものである、と気付いたのは、『天使』の頭がずり落ちてからだった。

遅れて、その両腕、そして両足。四肢となる部分も、一直線の断面を残して胴体から離れていく。


「反応消失。倒した、ということか……?」


 これまで驚異的な耐久力、あるいは生命力を誇っていた『天使』。

それを一撃で葬ったとあって、この場の全員、それこそノインですら驚愕を隠せずにいた。

逆に最も踏み込む形となったゼニアが、振り返る。そして誰に言うでもなく、口を開いた。


「……胸が熱い」

「え?」


 その口から語られたのは、突拍子もない言葉だった。

それはあるいは、ここ少しの思考への、自らでの総括でもあった。

ゼニアはそのまま続けていく。


「協力する理由を考えてた。でもそれを見つける前に、動いてしまった。

 今はただ。灼けるような感覚だけ、ここにある」 


 言語化のできなかったそれを、もう一段階解像度を落としての言葉だった。

故にそれは、外部からの理解は困難なものだった。

それでも言い切ると、今度は言葉を、彼らへと向ける。


「……これが、理由?」


 それは、自らの心に生まれた『それ』、その正体を探るものだった。

相変わらず口数の少ない、言葉が欠けているような質問。

ただでさえ突飛な質問だ、回答するのは簡単ではない。だが、その返事まではそう時間は掛からなかった。


「……きっとそうだ。私も、そして……この二人もな」


 それは、ノインの声だった。

その言葉の内容、そしてこの問いに自ら答えた事。

彼の背景を思えば、意外とも言える行動だ。だが見方によっては、だからこそ彼が答えたとも言えた。

心。それに苦しめられ、悩まされ、そして殉じる事、それに向き合う宿命が、ノインにそう答えさせていた。

それが在ることが、本当に幸せであるのか。彼もまだ、その答えまで辿り着いているわけではない。それでも。

あるいは、それは。心を失ったといわれる彼への応援でもあり……そしてその芽吹きを、後押しする思いもあった。


「悪くねぇだろ?」


 ノインの言葉への同調と共に、ジェネも笑う。その声は、ゼニアに返されたものだ。

少し視線を動かせば、レオも頷いて彼に笑いかけていた。

いずれも……問い、あるいは困惑する彼に、歓迎する思いを表すものだった。


 それは、あるいは。ゼニアを連れ出したカタストが演説した、感情の肯定と似通っているものだった。

同じような事を、ゼニア自身も何度か、直接カタストから聞いていた。

科学者、研究者でありながら、理屈を放り投げた話題。心を封じられた状態で、理解することは叶わなかった。

だが。


「……うん」


 今は少し、それを理解できた気がした。

小さな声、だが確かに。ゼニアは掛けられた言葉に、頷いて答えた。


――――――――――――――――――――――――――――

 ここまでの総括として。

『天使』の強さは、恐るべきものと言って差し支えない。

複数の強力な武器に、凄まじい膂力と耐久力を持つ強靭な身体。

いずれも、リリアが相対した存在としては卓越した存在だった。ジェネ達が相対した『天使』らを見ても、それは明らかだった。


「うおおおおおおおッッッ!!」


 その強靭な『天使』は今。得物たる槍ごと、その左腕を粉々に破壊されていた。

それを打ち抜いた、ジストの拳。留まる事なく、今度はその胴体を狙って、裏拳の形で腕が振るわれる。

思わず飛び退き、もう一体と並び立って姿勢を整える『天使』。

それを、ジストは仁王立ちで睨みつける。ただの威圧目的ではない、観察を含むものだった。


「あれは『グローリアの英雄』ジストか!? 実際に見るのは初めてだが、恐ろしい強さよ……!」

「……」


 恐るべき天使すらも圧倒する彼の様子に、称賛と共に畏れも見せるカタスト。

それはもう少し前、ジストの後衛に回るリリアも同様だった。

彼が強いことは知っていたが、彼女が実際に戦いぶりを見たのは、出会った日の魔物の急襲の時以来だ。

もっと言えば。精神的に追い詰められていた面もあった男だ。

十全な精神でいる今の強さは、その比ではない、想像を絶するものと言えた。

その正面、相対する天使が口を開く。音による攻撃の予兆だ。彼に知らせんと、リリアが叫ぶ。


「気をつけて! あいつら、声で攻撃してくるのっ!」

「何っ……」

『"キョオオオオオオオッッ"!!!!』


 その警告から間髪入れず、『天使』二人による音圧が放たれる。

距離を取っているという状況が、それを可能にしたのだろう、

格闘戦の最中にリリアとカタストに放ったそれよりも重なり、激しいものだった。

文字通りの音速で迫る衝撃に、右腕を畳むように胸の前へ、鋭い目つきを向けるジスト。それが直撃する、刹那。


「……ふんっ!」


 到着した音圧に直接ぶつけるように、彼は構えた右腕を振り抜く。

鳴り響く、暴力的なまでの風切音。その一撃によって、音圧の衝撃は一瞬にして四散してしまった。

その標的たるジストを、僅かにも後退させることすら叶わずに。

その背後。目を瞑るほどですらない、完全にただの空気の流れとなったそれを頬に浴びるリリア。


「ジストさん、すごいっ……!!」


 口から出た称賛は、もはや感動の色すら入っているものだった。

彼女が憧れ、生きる指針とした、英雄という存在。窮地に現れ、恐るべき敵すらも圧倒する力を持つ、人々を守る存在。

眼の前でそれを体現するジストはまさに、当代に英雄と呼ばれる所以を彼女に見せていた。

そんな彼女の緊張感を引き戻すように、ジストから声が飛ぶ。


「攻撃を防いだだけだ、気を抜くな! 

 どうやら深いだけの傷の効果は薄いようだな。

 だが物理的に無くなった箇所を動かすことは出来ない。身体を削ぐことを目的とするぞ!」

「うん!」


 直後。距離を取っての攻撃を無駄と悟ったか、『天使』は左右に分かれて二人へと襲いかかる。

いずれも早回しのように高速で脚を動かすその様子は、不気味な顔もあり、まさに戦慄すべき様子ですらあった。

ジストの方へ向かうのは、腕を失った方だ。戦力比を思えば、その行動は自滅にも近い。

だが逆に、それは万全な方がリリアへと向かっているという事でもあった。


「っ……!」


 いち早くそれに気づいたジストだったが、『天使』の動きはそれを許さなかった。

かなりの近距離ながら、格闘は届かない程度の距離で様子を伺いだす。

消極的な姿勢というだけではない。ジストが攻めれば躱し、彼が引けばその隙を突くことができる体制。

つまりは、時間稼ぎだ。


「リリア、くっ!」


 それでも尚視線をリリアへ向けようとしたジストの頬へ、鋭い手刀が伸びる。

寸での所でそれを交わしたジストだったが、彼が反撃の姿勢に入る前には、既に『天使』は再び間合いを元に戻していた。

未だに謎だらけの相手である『天使』だが、時間稼ぎが目的であることは既にジストも感じ取っていた。

恐らくこのままじりじりとした立ち回りを続けたとしても、ジストは負けはしないだろう。

だが、生まれた大きな不安は彼の心を揺さぶる。


「くそっ……!」


 リリアの様子を伺うほどの隙だけは、『天使』も許しはしない。

不安は焦りへと変わる。時間を掛ければ、リリアが危険だ。

それが逸る動きへと繋がりそうになったその時。

きっと背中合わせになのだろう、だがそれでもしっかり耳に入るように、大きな声でリリアが叫んだ。


「ジストさん、私は大丈夫! 信じて!!」


 それは意思疎通と共に、彼女の戦意を宣言するものでもあった。

溢れ出る精霊たちを身に纏って、同じ様に突進し、そして五体満足かつ槍を構える『天使』に剣を構える。


(……1つ、わかった事があるの、ジストさん!)


 先程のジストの戦いを、リリアはただ、憧れだけで見ていた訳ではなかった。

幼い頃から精霊の助力を受けてきた彼女は、長らく。自分を上回る力を持つ存在自体に関わる事がほとんどなかった。

それこそ育て親である、大工を生業とする祖父アスラやその仕事仲間でさえ、単純な膂力ではリリアに勝てないのだから。

故に常に側にあるこの膂力、その使い方への理解は、ある地点で止まっている所があった。

そしてこの場で今、自分を超える力を持つジストの戦いを見たことが、それを越えさせていく。


「……うおおおおおおおおおおお!!!!!」


 手に入れた、力があることで、「どこまで出来るか」というイメージ。

リリアの身体とその剣が、空に輝く星のようになる程に、精霊たちに包まれていく。

その魂の猛りを表すように吠えて、リリアは逆に向かい来る『天使』へと突撃する。

その足取りは得意技たる回転斬り、それに繋がるものだった。

槍を構える『天使』へ。本命の回転斬りへの勢いを得るための、一度目の斬撃を構える。

その刹那、より一層精霊たちが輝く。


「……はあッッッ!!」


『天使』の持つ槍がリリアに刺さる、その前。

それの届くさらに外の時点で、リリアは渾身の力でその剣を振るっていた。無論、刃の届く距離ではない。

だが凄まじい力で振られたその刀身は、空気を歪ませるような衝撃を生み出し。

更にその衝撃に乗せて、刀身の精霊達が一斉に放たれる。その衝撃を、後押しするように。

精霊による、斬撃の衝撃波。そう表現できる攻撃だった。

そしてそれは、槍の射程外から『天使』に襲いかかる。既に前のめりになっていた体勢で、避けることは叶わなかった。

精霊たちの乗った衝撃波は、その先端に位置していた槍をへし折り、全身を圧し崩し、

そして前方向に向かっていた慣性をも完全に押し返すほどの衝撃を与えた。

逆向きに吹き飛び、体勢を崩した『天使』。だが、まだ終わらない。


「ふううッッ……!」


 リリアの得意技。それは回転によって力を得た後の一撃こそ、その本体であるのだから。

衝撃を作り出したこの剣閃、その勢いを維持したまま、身体を一回転させるリリア。

彼女は既に、『天使』の側まで踏み込んでいた。今度は間違いなく、刃の届くその範囲に。


「"ステラドライブ・インパルス"ッッ!!!」


 そして再び衝撃波を纏うほどの力で、その剣が振り下ろされた。

爆風のような一撃が、『天使』ごと地面を穿つ。それこそ、先程のジストの登場よりも数段大きな規模ですらあった。

当然の用に沸き立つ土煙を引き裂いて、何かがその外へと飛んでいく。

それが、戦いの結果を外に知らせる事になった。尚も無表情のままの、『天使』の頭部だった。


「……勝負あり、だな!」


 大きく吹き飛んだ頭部は、彼の視界の中にも入った。

リリアがもう一方を撃破するまでの時間で、既に『天使』の身体を捕えていたジストが笑う。

既に両手足を喪失し、開きかけた口も潰されている。もはや戦闘能力は残っていないと言えた。

それは、この場の戦闘の終わりを意味していた。丁度そのタイミングで、空から場へと声が投げかけられる。


「おーい、リリアっ、ジイさん、無事かーっ! ……って、もう終わったのかよ!」


 公園を飛んで回っていた、ニーコの声だった。自分持ちの仕事が、ようやく終わったのだろう。


「あ、ニーコっ! それと……」


声の方へ顔を向け、リリアは気づく。その隣に居る2つの影は、ニーコの友達である妖精のそれではなかった。

ジストが身につけるそれと同じような意匠のアーマースーツに身を包み、

精霊を操る装置、精霊機関由来のものであろう、背中の装置によって身を浮かせていた。


「仕事が早すぎですよ、隊長。俺の取り分が無いじゃないですか」

「最後のほうだけ見てたよ。今回も派手な活躍だったね、"一番星のお姫様スターライト・プリンセス"」


 彼らもまた言葉を投げながら、地面へと降り立つ。先に掛けたほうが男、後が女の声だった。

そして頭部を守るヘルメット、それを開放して顔を見せる。

胸部に刻まれた紋章は、ジストのそれと同じもの。男の方はその側に2番目を、女の方は3番目を表す意匠が刻まれていた。

それが彼らの立場を物語る。故に彼らのことは、リリアもここ数日で既に知る相手だった。


「マルクトさん、ブレシアさん! ……ってなに、その呼び方?」

「こういうとこでは、活躍が大きくなれば異名で呼ばれるものさ。

 特に君のような、謎に包まれた存在なら尚更ね。みんなが君に興味を向けている……ねえ、隊長?」

「……リリアの事はあまり詮索するな。そう伝えた筈だ」


 リリアの返事と質問に、マルクトと呼ばれた男性が答える。

その言葉は、まるで皮肉のようにジストへも向けられた。

おおよそリリアには向けた事のないような低い声で返す様子は、ジストにとって都合の悪い内容であることが伺えた。

それに追撃するかのように、ブレシアと呼ばれた女性も続いていく。


「私らはあの英雄ジストへの嫌がらせの為に集められた問題児の集団「ゲイルチーム」なんでね。

 社会規範なんて期待するほうが間違いですよ。

 そのジストが連れてきた、凄い力を持つ秘蔵っ子。気にしないほうが無理ってもんです。

 何、本人に直接ぶつけたりはしませんから、勘弁してくださいな」

「はあ……まあ、頼むぞ。それより……」


 言葉に反し、悪びれる様子もないような軽薄な言葉に、ジストはただため息をつくばかりだった。

ともかく一呼吸置いて、ジストは立ち上がる。『天使』を脇に抱えたままだ。

動く力を失ったのか、あるいは。もはや『天使』は微動だにしていなかった。

そして彼らに近づくと、それを差し出して見せる。


「この兵器の調査を。まだ稼働する可能性がある、気をつけろ」

「なんですか、こりゃ? 見てるだけ運気が下がりそうって感じですが」

「ノインから貰った報告によると、とある少年と研究者の追手として放たれたようだが……」


 そこまで話して、ジストは話を振るように向きなおる。

それを予見していたのだろう、既に近づいていたカタストが頷いた。


「カタストさんっ」

「いかにも。ワシがその研究者だ」

「なるほど。お話を聞かせて頂きたいが、よろしいですか?」


 ジストの尋ね方は、言葉自体は確認の形式だったが、実情はそうではない。

謎の存在である『天使』、そして彼らが追われている理由。

闇に包まれたそれを、防衛隊である彼らが看過する理由はなかった。

特に今……ジスト自体が、グローリアの闇を探っている真っ最中であるのだから。


「……助けられておいて悪いが、ワシも少々事情があってな。

 直ぐにグローリアから離れねばならん事情がある。

 もしお前達の世話になるのであれば、それは叶わんだろう?」

「ええ。そうなるでしょう」


 だが彼の返事は、今までの態度に反しての非協力的な姿勢を見せるものだった。

対するジストの言葉も、譲歩の気配を全く見せないものだ。

だがそれも、カタストの様子を崩すに至らなかった。

彼は強い目つきのまま、言葉を返す。


「……交渉とさせて貰えないか。

 ワシをグローリアから見逃して貰えるのならば。情報を提供しよう。どうだ?」

「ジイさん、立場が分かってるのか?」

「こいつより、あんたのほうが怪しく見えてくるよ」


 その言葉に更にブレシア、そしてマルクトが咎めるように口を挟む。

先程とは裏腹に、この二人は完全にジストの助勢へと入っていた。雰囲気が重くなっていく。

複数の威圧するような視線を受けてなお、カタストの様子は揺るぎない。

その中でジストは、ちらりとリリアの方を見る。

揺らいでいた瞳が閉じて、意志を宿したそれになったのを見て、ほぼ同時に口を開いた。


「あのっ」

「……いいでしょう」

「へっ!?」


 口を挟もうとしていた内容が急転して、リリアは思いっきり威勢を折られた。

驚いたのはリリアだけではない。マルクトも、ブレシアも驚愕を隠せなかった。

思わず声にして、ジストの意志を問いただすマルクト。


「隊長……」

「色々と判断してな。それに……ノインから報告はあったが、リリアを助けてくれたのには違いないようだ。

 独断となったが、すまんな」

「ふん。隊長はあんたなんですから、好きにしたらいいっすよ」


 それも、ジストの弁明を受けるとあっさりと引き下がった。

ともあれ、救われたのはカタストだ。頭を下げて、話し始める。


「感謝する。ワシもあまり時間がない、この場で話させてくれ。

 ワシも深く事情を知っているわけではないが……これは"フォリナス教団"のものだ。

 恐らく、証拠と出来るものは見つからんだろうがな」

「何っ!?」

「フ、ワシがグローリアを離れたい理由が分かったか?」


 カタストが口にした内容に、ジストは大きな驚愕を見せた。

そして交わした言葉には、多くの行間が含まれているものでもあった。

それが共有されたことを確信して、さらにカタストが笑う。

ジストの背後、表情を固くした二人も同様だろう。

そして、残り二人。

 

「ねえ、ニーコ」

「あん?」

「フォリナス教団ってなんだっけ?」

「知らねー」

「ぶっ!?」


 行間など関係なく、全く言葉の意味を理解していなかった二人に、思わずブレシアが吹き出す。

行間はともかく、リリアが口にした単語がどれだけ普遍的なものであるかを物語っていた。


「あんた達、グローリアに住んどいて知らないってどういう事だい。

 特にニーコ、あんたずっと前からここに居るだろ」

「え、えーへへ……」

「知らんもんは知らん!」


 ブレシアからの言葉で、リリアはようやく、それがいつもの墓穴だったことに気づいて誤魔化す。

一方のニーコはもはや恥ずかしがる様子すらなく開き直っていて、二人の様子に呆れ半分になりながらも、

ブレシアは二人への説明を始めた。


「……連合勢力であるグローリア、その枢軸を構成する4勢力のうち1つだよ。

 元々宗教国家として、グローリアが出来上がる前からこの辺りの土地に根付いていた宗教の勢力さ。

 今のグローリア領の半分ぐらいは、フォリナス教団が治めていたってぐらいでかい国だった。

 当然、今のグローリアでも大きなウェイトを占めてる、ってわけさ。ま、他にも()()()()()があるけどね」

「へえ……って、そんなとこがひどい事してるの!?」


 彼女の説明によって、ようやくリリアも事態の重さを理解するに至った。

それはあるいは、ジストが今、高名を持ちながらも孤軍奮闘を余儀なくされている理由にも繋がるものだ。

驚くリリアに、マルクトが補足を入れる。


「まあ、でかい所こそ汚いことやってるってのは、よくあることさ。

 問題は尻尾が掴めるか、だけどな……でかいからこそ、表に出さないように出来るって側面もある」

「カタスト博士。他に何か手がかりは?」

「うむ……先も言ったように、そやつらを分解しようが、ワシが話そうが、証拠にはできんだろう。

 いくらでも揉み消す手段は用意しているに違いないからな」


 更なる質問に、しかしカタストも悩みを表情に浮かべて答えに詰まる。

その態度こそが、この事態の難しさを証明していた。

文字通りに頭を捻るかのように思惑を続けるカタスト、やがて、なんとか絞り出すように続けた。


「だが尻尾が掴めるとすれば……

 『煌翼の剣』の不自然な解体、それが関わっているかもしれん。古い名だが、知っておるか?」

「! ええ……これはまた、懐かしい名前を」

「『煌翼の剣』? なんですか、それ」


 今度はマルクト、ブレシアの二人も、その固有名詞に心当たりがないようだった。

それ故の質問に、ジストは頷いて答える。


「15年以上前に存在していた、フォリナス教団の抱える聖騎士団、その特務機関だ。

 とはいえ俺も詳しくはない。存在していた時代は俺はただの一般兵であったし、

 今の立場になった時には、既に解体されていたからな。確かに、不自然ではあった」

「うむ。何か証拠があるわけではないが、『煌翼の剣』は重要な立ち位置でありながら、

 とくに理由なく解体されている。もしかしたら、何かの関係が掘れるかもな」


 そう話して、一呼吸置くカタスト。

この話の終わり、それを表しているようだった。そして、それを言葉にする。


「ワシの持っている情報は、これぐらいだ。

 何分、ワシ自体は他所の研究者でな。奴らの邪魔をしようとしただけに過ぎん」

「わかりました。情報の提供、感謝します。

 マルクト、ブレシア。引き上げるぞ。『天使』(そいつ)は技術部に回しておけ。

 カタスト博士の言う通りなら、大した証拠にはならんだろうがな」

「了解」


 それに感謝した上で、そそくさと帰還の指示を出していくジスト。

あるいは、それは約束の履行としての態度でもあった。

飛び立つ最中、ブレシアがリリアへと声を掛ける。


「了解。お姫様、あんたも来るかい?」

「ううん。やらなきゃいけないこと、もう少しあるから」

「はいよ。あんまり遅くならないようにね。隊長が心配する」


 軽口で、しかし真面目な、案ずる言葉を言い残して、

ブレシア、そしてマルクトは再び空へと舞い上がる。帰還のための飛翔だ。

その背中を見送って、リリアも、ジストも一息をついた。

そして話を変えるように、ジストが先に口を開く。


「ノインには片付いたことを知らせてある。そろそろ……おっ」


 その名前を呼んだのと、ほぼ同じタイミングだった。

ジストの部下二人とは違う、だが似た系統の音が入れ替わりに響く。

見上げれば、ノインが降下してきていた。真っ先に、ニーコが声を投げた。


「へっ、今戻ったのかよ、おっせーな……って、お前だけか?」

「二人は今ゼニアを匿っている。

 私は公園警備の任務もあるからな、カタスト博士への隠れ家の連携を担当することになった。

 カタスト博士、こちらを」


 そう答えて、ノインは小さな紙をカタストに手渡す。

それが、ゼニアが匿われている場所を記したものだろう。


「ほう、それはすまんな」

「あ、私も。ジェネと合流しなきゃ……って、え?」


 それを受け取って、カタストが開く。

その横で中身を見て。リリアは、思わず呆気にとられてしまった。


――

 一日に、同じ店に何度も来ること。

故郷の村の、自らが働いていたあの店を除いて、リリアにその経験は殆ど無かった。

そして、店じまいの看板を無視してその扉を開けることも。


「おや、リリア様!」

「あはは、お昼ぶりです、カゲツさん」

「邪魔するぞ」


 カゲツへ挨拶を返しながら、店内を見渡すリリアと、その後ろにつくカタスト。

閉店時間故に誰も居ない中、1つだけ人影があるテーブルが見えた。

そのうち1つに生える大きな翼は、そのグループが何であるかを示していた。

声を掛けながら、リリアは手を振る。


「ジェネーっ!」

「ん? お、来たか!」


 彼女の姿を認めると、ジェネ、そして同じテーブルに座っていたレオ、そしてゼニアが立ち上がる。

目を引いたのは、その目を赤く腫らしたレオだった。だが表情は明るかった。

カゲツの浮かべる笑顔、そしてこの状況が、彼の様子の理由を物語っていた。


「すまんな、事に巻き込んでしまって。行くぞ、ゼニア」


 そのカゲツに詫びを入れつつ、ゼニアを手招きするカタスト。

素直に従うゼニアの様子は、先程あった時と変わらない平坦なものだ。

だが笑みを浮かべているジェネやレオの態度と、彼の存在は無関係ではないのだろう。


「いえいえ、坊ちゃまのご友人とお聞き致しましたので。またのお越しを」

「ああ、またグローリアに戻った際は頼むぞ」


 軽い挨拶の後、踵を返すカタスト。

それを見送る最中、ふと思い出してリリアが声を掛けた。


「あれ? 博士、グローリアの出入り口って検問所があったと思うけど……大丈夫なの?」

「ワシの発明品があればどうということはない! お前たちも、世話になったな。さらばだ!」


 その心配にも笑って返して。

威勢のよい別れの言葉と共に、扉の奥へと姿を消すカタスト。

その最中、連れられたゼニアが一瞬だけ、足を止める。

小さな声で、だが確かに口に出していた。


「ありがとう。また」

「……ああ!」

「また会おう!」

「今度はもっと話そーね!」


 それを、彼らが聞き逃すことはなかった。口々にその背中へ挨拶を返して。

一呼吸、店の中に静寂が訪れる。

次に口を開いたのは、カゲツだった。


「感謝と言えば、もう一つ。やらなければなりませんな」

「……ああ」


 それは、レオに向けたものだった。

言葉としても、音の向きとしてもそう示したものではないが、レオには伝わっていた。

二人の様子に、リリアもジェネも振り向く。そこへ、二人して頭を下げていた。


「こうして、カゲツと話せる機会を作ってくれた事、そのために動いてくれていた事!

 感謝してもしきれない思いだ、ありがとう……!」

「私からも。坊ちゃまにお許しいただける機会を得られたのは、お二方のお陰でございます。

 重ねて、既に度々坊ちゃまにご助力頂いている事。本当に、本当にありがとうございます」


 そして、二人への感謝を連ねて述べる。

それは語っていた軋轢、その雪解けが行われたという事を表していた。

自身にそれを受けるだけのものがあるとは直感では思えなかったが、

ただそれが喜ばしくて、リリアは笑顔でそれに返す。


「仲直り出来たのならよかった! 正直、あんまり何もしてないけど」

「そんなことはないさ。カゲツと向き合う事、目を逸らしている事。

 君からまっすぐに言われて、向き合うことができた。状況にも味方されてようやくの、情けない限りだが」

「そのようなことはございません……! 

 ご友人の為、自らの辛苦に飛び込む姿。それを情けないなど、思うはずがありません」


 なおも卑屈気味なレオの総括だったが、

それを否定するカゲツの様子は、やはり完全な仲直りができたという証だろう。


「それに。そもそも立派なモンだったと思うよ、俺は。あんだけしっかり謝れるヤツ、多くねえさ」

「……そうか?」

「ああ」


 それに加えるように、続いてジェネも彼を称えた。

向けた笑顔も、相槌も。親愛と敬意の込められた、温かなものだった。

特に今回、共に行動していたからこそのものだった。


「……ありがとう」


 もう一度。レオは感謝の言葉で、ジェネの言葉に返した。

その様子にカゲツも、そしてリリアもまた笑顔を深めた。

一段落ついて、リリアはふと、窓の外に目が留まる。既に夕暮れも深まり、夜へと移り変わらんとしていた。


「あ、もうだいぶ暗くなっちゃった」

「そうだな。おっさんが心配しちまう。それじゃ、俺たちもお暇するぜ」

「ああ。気を付けてな」


 それを合図に、リリア達もまた帰宅の体制と入っていく。

とはいえ荷物も下ろしてない。特に準備というものも無かった


(……ん? 荷物……?)


 そう思い巡るところで、何かの引っかかりを胸に覚えるリリア。

そして、その直後。ドアノブに手を掛けたリリアに声を掛けたカゲツが、それを言い当てることになった。


「そういえば……リリア様、ミーア様がお渡しした書物はどちらへ?」

「……あーっ! ノインのとこに置きっぱなしだったーっ!

 ごめんジェネ、帰るまえに取りに行かなきゃーっ!!」

「あ、ああーっ!?」


 それは騒乱の一日において、全てを片付けてゆったりとしていた雰囲気を全て押し流してしまった。

一転して、大焦りで店から外にでるリリア。

その別れの挨拶も、この一日を体現するかのように忙しないものになった。

 

「お、おじゃましましたーっ!!」


――――


「さて……もう少しだな」


 華々しい建造物が立ち並ぶ、グローリアの都市。

それを眺められるようになった程度に、距離を歩いて。

地続きとは思えない、別世界のようにゴツゴツとした岩肌だらけの土地を、カタストは歩く。

その背中を、無表情で追うゼニア。顔には疲れの様子も浮かぶことはなかった。

そんな彼に、唐突にカタストは声を掛ける。


「ゼニアよ。騒乱の真っ最中となったが。すこしは何か思い出せたか?」

「彼らが昂ぶった時。ここが揺れた。悪くなかった」

「……そうか!」


 それは素直な反応だった。それに明確な喜びを見せるカタスト。

まだ感情というにはあまりに小さいものである、それでも。

この決して良くはない道を、上機嫌で歩くだけのものにはなっていた。


「何だい。随分と楽しそうじゃないか」


 その様子へ。突然、違う色の声がかけられた。しゃがれているがはきはきとした、女性の声だ。

顔から笑顔を消して、カタストは声のした方を眺める。

少し先の前方、高い岩肌の上から眺める影が2つあった。そこへ、カタストは叫ぶ。


「お前の面を見たせいで全て楽しさが吹っ飛んだわ、クソババア!」


 月明かりを背景に、それを受ける影。逆光の中、その表情を捉える。

岩肌に腰掛けて、不敵な笑みを返す女性。それは、ギルダだった。


「あたしはお前さんが野垂れ死んでるのを楽しみにしてたんだがね。

 ……あの()鹿()()が大慌てのようだよ。何のつもりだい?」

「はんっ! ワシの高崇かつ論理的な精神性を貴様のような蛮族に話したところで分かるものか!

 おいっ、ダウナー系魔法少女! 貴様もおるのだろう!」

「……ああ」


 罵り合いの最中、カタストはもう一つの影……ギルダの背後に立つ少女に向けて声を投げる。

カタストが呼んだ奇妙な呼称を示すように、きらびやかで可憐な服装に身を包んでいる少女。

だが帰ってきた声は、気だるそうな声だった。視線は、もはや顔ごと横に向いていた。

まるで対照であるかのように、カタストの態度は収まる様子はなく叫び続ける。


「さっさとその徘徊老人を連れて帰れ! ワシは忙しいのだ!」

「呆れた……いきなりほっつき歩いて、徘徊老人はどっちだい。……おい、お客さんだよ」


 そんな罵り合いの最中、ギルダは不意に、カタストの方……要するに、その背中側を指差す。

振り向いた先に、人の群れが見えた。いずれも表情は厳しく、穏やかではなかった。

その先頭に立つのは、昼間ゼニアを捕らえようとした……マーズと呼ばれていた、あの男だった。


「ここで捕えられなければ……我々は()()()だ!! 確保するぞ、かかれえっ!!」


 月明かり以外に照らすものがない中、有視界にカタストらを捉えて、彼らは一斉に走り出す。

昼間と最も違うのは、その数だった。わずか数人だった以前とは違い、一見でも50人以上は居ると分かる数だった。

それだけではない。いくつか、空を飛んでいる影も見えた。直感で、『天使』であるとカタストは判断した。

その様子に、ギルダはけたけたと笑う。


「ほら、大慌てだと言ったろう? あたしは手伝わないよ」

「ふんッ! 誰が貴様の手など借りるか! ゼニア、下がっておれ」


 その茶々を一蹴すると、カタストは、左腕の腕輪を構える。

そして大きく息を吐いて、吸って。大地が震えんばかりの大声で、叫んだ。


「……"地獄型超級機械装備ヘレティック・メカニカル・ガジェットッッ、第5391号ッッ!!! 

 変異収束光線砲スプレッド・グロウブラスト"ッッ!!!」


 それは昼間に使用したそれと、同じものに見えて。

だが放つ腕輪の輝きは、もはや比較になるものでないほどだった。

真夜中の地上に突然、恒星が出現したかのように辺りが光に包まれ、そして。


「え、あ……?」


 光が止んだ時には、飛ぶ影はもう存在せず。

呆けた声を出すマーズ、周りに居た人員は、その9割が消滅していた。

昼間の『天使』のように受け止めるなど、叶うはずもなかった。

その様子をつまらなそうに眺めつつ、嘲るギルダ。


「ま、大慌てと言っても……()()じゃなあな」

()()()()なら、負けるはずもない」


 その相槌として、半ば呆れながら背後の少女が口に出した、その名前。

カタスト……いや、ヘレ博士と呼ばれたその男は、今度はその腕を振り上げる。

そして再び、大声で叫ぶ。


「"地獄型超級機械装備ヘレティック・メカニカル・ガジェットッッ、3756号ッッ!!!

 斬首・斬手刀エクスキューション・ヘルカッター"ッッ!!! 」


 腕輪から伸びる機械の刃を表す番号。だがこれも、もはや比較にならなかった。

物理法則を無視するという段階ではない、その刃は、ヘレの身長の数十倍のサイズまで巨大化していた。


「ひ、ひひひひっ、ヒっ……!」


 もはや軍勢とも呼べなくなった残党、その戦闘で。

あまりに現実離れした後継に、マーズはもう正気を保てていなかった。

そして、ヘレももはやそんな男を見てすら居ない。突如、背後のギルダに向けて叫ぶ。


「おいクソババア! 貴様には1つ、言ってやりたい文句がある!!」


 そして、その刃が動き出す。

鉄塊、もはやそんな言葉すら生易しい程の質量を、軽々と振りかぶり、そして。


「なーにが「弱者のふりもたまにはいい」だッッ!!! フラストレーションが溜まって、堪らんかったわッッッ!!!!!」


 ヘレの絶叫とともに、それは振り下ろされ、そして。

余りの質量に、もはや大規模な爆発とも言える衝撃が辺りを一斉に襲う。

その攻撃を受けた者たちの運命は、もはや言うまでもない。

砂埃が止んだ時。岩肌で凸凹していたはずの大地は完全に吹き飛び。

ヘレが打ち抜いた場所を中心に、巨大なクレーターさえ出来ていた。


「……」

「フッ、"地獄型超級機械装備ヘレティック・メカニカル・ガジェット、535号。

驚愕・巨大掌ウルトラマジック・ビッグハンド"。驚かせてしまったか、ゼニアよ?」


 規模が大きすぎる攻撃は、多少下がったところで巻き込まれないものではなかった。

結局、ゼニアの身はヘレのもう片方の腕から伸びた、機械の手で守られていた。

なおも平然としているゼニアに笑いかけるヘレ。

それを、いつの間に移動したのか。今度はクレーターに腰掛けたギルダが見下ろしていた。


「……馬鹿って言葉はあのクソジジイのためにあるね。

 あんな雑魚共のためにここまでやる必要がどこにあんだい」

「同感」


 そして、背後の少女も一緒だった。二人して明らかに出力過多であるその様子に呆れていた。

その最中、クレーターの中空……ギルダが今座る程度の高度、その空間が歪む。

いや、そこに存在していたものが、欺瞞していたのだ。巨大な二対のプロペラを回す、航空機が姿を現していた。

その航空機からだろう、辺りに響く声が発される。かなり高い、少女と思われる声だった。


『お待たせしました、ヘレ博士』

「おう、来たか! 行くぞ、ゼニアよ」

「はい」


 おそらく、全て取り決めていたのだろう。

降ろされた梯子を登り、ヘレ、そしてゼニアがその航空機の中へと登っていく。

その様子を無言で眺めるギルダ。不意に、航空機から発される声がそちらへ向いた。


『ギルダ学長。 ヘレ博士の独断行動、お詫び申し上げます。

 この場はどうか、引き下がっていただけないでしょうか』

「心配させて悪かったね。別に()()()から追えって言われてるわけじゃない。

 あたしはただそのクソジジイが野垂れ死んでたら面白いと思って来ただけさ。

 だが……」


 そこから出た謝罪と要求に、ギルダは軽い口調で答える。

その内容自体も、それを宥めるようなものだった。だが。そこまで言って、突如空気が変わる。


『……っ!』


 通信機越しに、声の主が同様を見せる。

それはこの巨大なクレーター、全てを覆い尽くす程に強く激しい、殺気だった。

当然。その犯人はギルダだ。そのまま、不敵な笑みと共に告げる。


「その馬鹿を殺せって言われたら、あたしは喜んでやるよ。注意するこったね。

 帰るよ、アイリス」

「……ああ」


 そして言いたいことを言って、背後の少女……アイリスと呼ばれた少女に合図をした。

自分も言いたいことがあるような様子を見せたアイリス。だがすぐに首を振ると、目を閉じて。

直後。ギルダも、アイリスも。その場から姿を消していた。


『……』


 結局、返答を待つこともなく、取り残されたままになった航空機。

もう、何も発されることはなかった。

再び空間へとその機体を滲ませて、そして同化していく。

そして残るのは、巨大なクレーターだけだった。


――――――――――――


「……うーん」


 広げた本を前に、リリアは頭を悩ませる。

勿論、ミーアから貰った本だ。つまり彼女が敬愛し憧れる英雄、紡ぐ星の剣士、エレナに関わる本。

であるというのに、彼女は浮かない顔をしていた。


「やっぱり無いなぁ……」


 リリアの悩みの種になっている、その原因は。

先のゲルバとの決戦の後、気絶した時に見た夢の光景だった。

鮮明でないことを、はっきりと覚えているという不思議な感覚である上で、

あの場に出てきた片方はエレナである事は、ほとんど確信できていた。だが。


(やっぱ、ただの夢だったのかなぁ……?)


 彼女に纏わる記録だけは、真剣に読み込んできた中で。

あの光景に該当するシーンが、リリアには思い当たらなかった。

エレナの「せんせい」という言葉だけが、その唯一の手がかりであるものの、

彼女の師にあたる者の存在など、今まで見たことも聞いたこともなかった。

今回ミーアから貰ったものは、リリアがまだ読んだことのないものもあったが、

読み進めている現状、それに類するものは出てきていない。


「浮かねえ顔だな、なんかしっくりこねえのか?」


 そのフラストレーションが、まっすぐに顔に出ていた。その様子を、今彼女が居る部屋、その主であるジェネが案じる。

彼もまた、エレナに関わる本を読んでいた。

机にはジストから手配してもらったものだろう、幾つかの本が既に並んでいて、

その知識欲が伺える。今のこの行動も、そこから繋がるものだろう。


「ううん。見たことない本だし、面白いけど……ちょっと、気になってることが出てこなくて」


 そうして、今手に持つ本を閉じるリリア。そして時計に目を配る。

そろそろ、寝に入るまでの支度を始めるべき時間へと差し掛かりつつあった。

気にはなるが、身体に疲れがないわけでもない。大きく伸びをすると、辺りに置いた本を纏め始めた。


「うーん……ま、今日はいいや。まだいっぱいあるし。そろそろ部屋に戻るね」

「お、もうそんな時間か。あいよ」


 ジェネもそれに答えると、辺りに置かれた本を纏める。

それなりの冊数になったそれは、それだけ彼女が熱心に読んでいたという事を示していた。

纏め終わったそれらを手提げ袋に入れて、リリアは部屋の扉を開け、廊下に一旦立ってから振り返る。


「ありがと! それじゃあジェネ、おやすみ!」

「ああ。おやすみ」


 和やかな、就寝の挨拶を交わして。ジェネはドアノブに手を掛ける。

彼の手によって閉まっていくドアを、すこし名残惜しそうに見つめて。

リリアは自室の方へ身体を向ける。その、視界の端。


「……あっ」


 ただ先程まで向いていたから、ドアの閉まる瞬間が目に入っただけ。

ジェネの姿が、扉に遮られる瞬間が目に入っただけ。ただ、それだけだった。


 ただそれだけが、彼女の心の奥底の、その引き金を引いた。



「……っ、何だ!?」


 背にした扉のその向こう、それでも聞こえた。何かが次々と床に落ちていく音だ。

リリアがそこに居たのは、本当に数秒前。なれば、この音は。

心臓を一気に跳ねさせながら、ジェネは急いで扉を開ける。


「リリアっ!? っ、ど、どうした……っ!」


 その先の光景に、彼女は居た。

ずり落ちた手提げ袋、それからこぼれ落ちた本を傍らに。

震える様子のリリアが、そこにへたり込んでいた。


「あ、あ、ジェネ……え、や、ちがっ、ごめっ……」


 様子がおかしいのは、見れば明らかだった。

全身を震わせる姿も、恐ろしいものを見たかのように開いた瞳孔も、紡ぐことすらできない言葉も。

そして、ずっと溌剌で勇敢だった彼女から想像できないほどに、怯えきった表情も。

それを瞳に入れた瞬間、自分の胸が、急激に締め付けられるのを感じた。もう考えるほどの余裕は無かった。

気がつけば同じく床に屈んで、彼女の背中に腕を回していた。


「しっかりしろ、俺は大丈夫だ……! 何があった!?」

「ち、違うの、ごめっ、あの……」

「……謝らなくていい、落ち着いて……辛かったら、喋ろうとしなくてもいい」


 錯乱している様子のリリアに、ジェネは案じる言葉も、努めて考えながら口にしていく。

声を掛けるしかなかった中でも、出来るかぎり、言葉を柔らかくして。

原因については、考える余裕もなかった。いや。考えたところで、出るような材料もなかった。

暫くそうしている間に。やがて、リリアは彼にもたれ掛かって、消え入りそうな声で言った。


「ごめん……いっしょにいて……」


――――――


「……そういうわけだ」

「ふむう」


 再び、ジェネの部屋で。

ジストとネルを相手に、ジェネは状況の説明を行っていた。

夜更け、緊急の連絡があると部屋を訪れた二人が、ジェネの部屋で眠るリリアを発見したことからだった。


 二人の様子は日頃から見ている。そこまで疑いを持つわけでもないが……

ジストの立場としては、事情を聞かざるを得ない状況ではあるし、

規律としては、そもそも断ずるべき行為ではある。二人は正式な隊員ではないが、

そこは施設の責任者として、線引はしなければならないとは思っていた。

それが、彼に二の句を迷わせる。だが、この空気は別の人物が解決することになった。


「……正解です、ジェネさん」

「え?」


 押し黙っていたネルが、突如微笑みと共にジェネを褒める。

流石に突拍子もない行動だ、困惑を隠せないジェネに笑いかけると、ネルは立ち上がりながら続ける。


「この子、引き金の詳細はわからないんですけど……何かのトラウマがあるみたいなんです。

 私も何度か、その場に居合わせたことがありました。

 時間からも様子からも、もう落ち着いてるとは思うんですけど……ジスト隊長、すこしリリアの事を診ててもらえますか?」

「……わかりました。ジェネ、緊急の連絡の内容については、リリアが起きてからまた話す」


 その言い回しに、彼女の真意を先に悟るジスト。

あるいはジェネも、その目的については察していた。彼女の目が、まっすぐにジェネの方へ向いた。


「ジェネさん、リリアの事で聞いてもらいたいことがあるんです。少しお時間、頂けますか?」


――――――


 彼女に連れられて、ジェネは場所を移していた。

とはいえゲイルチームの拠点の外に出る訳では無い。その中の休憩室とも言える場所だ。

あまり離れてはいないが、少なくとも声が届くことはないだろう。それが目的であるのは分かっていた。

ネルが振り返る。真意たる話の始まり、その合図だった。


「まずは、感謝させてください。

 あの子が、この騒動に巻き込まれてから。ずっと良くしてくれて」

「良くしてやってる、なんてつもりはねえよ。寧ろ……俺のほうが、貰ってばっかだ」


 ジェネの答えは、世辞でもなんでもなく、本心そのものだ。

今でさえ、掛けられた言葉の数々をすぐに思い出せた。

そんな彼に笑いかけながら、ネルは本題を続ける。


「だから、貴方には知っておいてほしい事があるんです。

 本当は私が言うべきじゃないかもしれないけど

 ……すんでの事故で、あの子が傷つくようなことが起きてほしくないから」


 その話しぶりは、決して明るい話ではないことを伝えていた。

軽くはない、だがジェネには迷いはなかった。

頷いた彼にもう一度笑いかけて、ネルは再び口を開いた。


「ジェネさんって確か、アトリアの村でリリアと会ったんですよね?」

「ああ」

「それじゃあ、育て親のアスラさん、ペティさんはご存知ですか? 村の村長夫妻の方なんですが」

「ん、ああ。奥さんの方は会ってねえが、爺さんには会った。話したのは、ほんのちょっとだけどな」


 最初に投げかけられたのは、いくつかの質問だった。

あるいは。その言葉の中には、既に答えとなる意味を持つ物も含まれていた。

だがネルも、もはや遠回しに伝えるつもりなどなかった。


「……リリアはお二人のこと、じいちゃん、ばあちゃんと呼んでるんです。

 お二人の年齢からすれば、それは自然ですけど……思いませんでした?

 じゃあ両親は、どうしてるのか? って」

「……あ」


 そして。ネルが伝えたいという事、それに察しがついて。

ジェネは急激に、自分の血の気が引いていくのを感じた。

あるいはそれを解すかのように、改めて微笑むネル。

だがその笑みには、悲しみの色がどうしても混じってしまっていた。

あるいはそれは、自分に向けての……彼女の境遇を口に出すうえで、それに耐えるためのものでもあった。


「こういう言い回しをすると、たぶんもう、二通りぐらい予想がついていると思います。

 もう……言ってしまいますね。

 あの子、孤児なんです。……正確には、捨て子だったようです。

 赤子の頃に、村長夫妻の家の前に置かれていたんだそうです」

「……っ!!!」


 努めて、軽く事実だけ口にしようとして。

ネルのあまりに重いその口調が、それが出来ないことを現していく。

言う通り、既に予想がついていた内の1つ。それも、悪い方。

予想できていたからと言って、心の準備が出来たわけでもなかった。

反応を言葉にすることすら叶わず、ジェネの心は、大嵐のように荒れていた。

悲しみなのか怒りなのか、それすらもわからない程に。ただ、荒れ狂っていた。


「少なくとも、村の誰かが捨てたわけではないのは確かなようでした。

 グローリアの技術であれば、そのぐらいは調べられますから。

 そして今見て分かる通り、村長夫妻も、あの村の方々も本当にリリアの事を愛して育てています。

 だからあの子も、普段は気にすることもない、って言ってるんです。

 ……でも、いや、だからこそ。あの子が不意に起こす不安定な状態は、

 その事が関係しているのかもしれません」

「……リリア……」


 太陽のように明るく、優しく、朗らかな彼女の、その根底に刻まれた暗い過去。

それが彼女を、ああまでさせる事。その上に、今の彼女があること。そう思うと、もう考えも纏まらなかった。

深く沈痛するジェネ。ネルも、気分を大きく落としているのは同じだった。

だからこそ、話す選択をした事。それは間違っていなかったと感じた。


「だから……どうか、このまま優しくしてあげてください」

「……ああ」


 話の最後、ネルからの願いになる言葉。

ただそれにだけは、ジェネは意地で頷いてみせた。


――――――


 その後。頭を冷やすと言って一人きりになった休憩室で。

ジェネはただ、リリアの境遇に思いを馳せる。

大事なリリアの、本人も知らずに傷跡が残るほどに重い過去への悲しみ、それも当然あった。

だが、それ以上に。

彼女の境遇を通して、自分の境遇を省みる事になっていた。


 宿痾とも呼べる、風を受け、飛ぶことのできない翼。

それは生まれた故郷、周囲の者たちへの関係の全てを狂わせた。

今、彼がここに居る理由に直接つながるものでもあった。

本来であれば最も近い存在たる、両親。だが抱く感情は、明るいものではなかった。


 友となった、レオの事も振り返る。

彼のように、自分は謝れるだろうか? そして彼のように、自分は許せるだろうか?

そんなに生易しくはないと、あるいは断じていた、だが。


 リリアの事を思った際。今までそう断じて、あるいは見ないようにしてきたそれは。

果たして、正しかったのだろうか?


「っ、くそっ……!」


 思わず、壁に拳を打ち付けるジェネ。

その答えは、その夜のうちに出ることは無かった。

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