13話 心のままに-1 奪われたもの
「こちらを。こちらが翌日のもの、こっちが今朝のものです」
「ありがとう。ネル女史、こちらです」
医務室となる部屋。そこに連れられたネルに、バインダーが手渡される。
素早い手つき、あるいは焦ったそれで目を通していくネル。
進めていく度に、その瞳に訝しさが込められていく。
「これって……」
「ええ。リリアが言うには、船体の爆発には巻き込まれていたはず。
だがそこまで時間が経ってない中、漂流していたはずの彼女には目立つ外傷が無かった……
その理由が、それというわけです」
ジストの説明に対して、しかしネルは言葉を返せなかった。
内容が理解できなかったわけではない。分かったうえで、新たな謎に直面していた。
その返答を待つこと無く、ジストが続ける。それは、検査結果の解釈を口に出すものだった。
「彼女の体には、確かに外傷を受けた跡があり……
そして翌日の時点、あるいは海面で目覚めた時点でその大部分が既に治っていた」
それは、あるいはあの日のリリアの謎を解き明かすものでもあり。
ネルがそうであるように、新たな謎を生むものでもあった。
そしてネルも、自分がここに呼ばれた理由を悟る。そしてジストも、それを切り出した。
「あの子の特殊体質については、これまで接して幾らか理解はしています。
だが、特殊な再生能力があるとは本人からも聞いた事がありません。
ネル女史、貴方は何かご存知ですか?」
「いえ。あの子に精霊たちが力を貸す姿は、これまでも見てきましたが、
傷の再生に特別な動きを見せたことはありません。
あの子、落ち着きがないから小さな怪我が度々あったりするんですけど……
おおよそ、普通の子供の治癒速度と大きな差があるようには感じませんでした」
「なるほど。やはりそうですか……」
だがネルの返答は、その答えに近づくものではなかった。
あるいはそれが分かっていたかのように声を変えすジスト。それは、これから口に出す話に繋がっていた。
「もう一つあります。こちらの頁が今朝の検査結果です。
既に健康体以外の何者でもない、そうした状態ですが……
この平常時と先程のデータで、体内の生命活動……それらの規模に大きな差が発生しています」
「本当だ……!」
「ええ。自己回復力を上げる類の治療が施されていた、そう結論づけられると考えています」
口に出されたそれは、またも先に生まれた疑念の答えとなり、そして新たな疑念を生むものだった。
全く背景が掴めない、ただ発生した現象だけが判明していく。
場の空気は晴れないまま、ジスト続けて、その見解を口に出す。
「これは仮説ですが、何者かがリリアを治癒した可能性を考えています」
「でも誰が? このレベルの再生力の促進なんて、きっと精霊術とは思いますが……
グローリアで広まるような物には、私の知る限りではまだこれ程の効果を発揮するものは無いはずです」
「そこは完全に謎、としか言いようがない。
リリアを助けた目的も、その手段も、全く検討が付かないのが現状という所です」
それに対する幾つかの意見を交わしても、その判明の糸口が出てくることは無かった。
ジストが言うように、謎である。今はそう結論づけるしかない。緊張もあって、大きく息を吐くネル。
その心中は、一連の出来事の真ん中に立つことになった妹分に向けられていた。
「……リリアは、大丈夫なんでしょうか」
「先に言った通り。少なくとも検査結果上では、身体は健康そのものと言えます。
ただ。私達の知らない勢力が、彼女に関わっている可能性があることを念頭に置くべきでしょう」
ネルの懸念へ、ジストは丁寧に言葉にして返していく。
その内容はこの場で行った会話の総括でもあった。話していく中、ジストの瞳に強い思いが込められていく。
リリアへの懸念を抱くのは、ネルだけではない。それをまさに今、ここで表明するかのように。
「……だがこれ以上、あの子に危害が加えられることは許さない。私が守ります、絶対に」
続けた言葉にも、その思いが強く表れていた。
リリアの意思の力は、おおよそ、年齢不相応としか言いようのないほどに強固だ。
今まで彼が見てきた人間という枠で見ても、ずば抜けているとさえ感じていた。
だがそれは、まだ少女である彼女を思えば、本来は危うさとして庇護するべき、それは分かっていた。
だが。
全身を武装した男に対しても、不条理を叫び挑みかかる勇気。
傲慢な庇護を拒み、自らの勇気を説く自信。
そして劣勢にも窮地にも怯むこと無く、良い結果を掴み取る強さ。
これまで見てきた、勇敢な彼女を。
幼さの一言の下にただ庇護に置くことを、それを正しいとは思えなくなっていた。
それは傲慢であり、彼女への侮辱であると。
そして。自分の立場を俯瞰した上でそれを認めること、それこそが自分に求められている勇気だとも感じていた。
あるいは、以前リリア本人から言われた言葉、それをなぞるように。
「……これからどういう結果が出るにせよ、あの子は怯まずに行くでしょうね」
「きっとそうでしょう。だからこそ、傷つけさせはしない。
私の戦いは、戦友を守ることにこそありますから」
現実的な話としても、ただでさえ味方の少ない状況だ。
騒動解決までの力は少しでも用意したいのが実情だ。それを思えば、尚更だった。
それも含めて、付き合いの長いネルにとっても同じ認識なのだろう。
諦めたように語るネルに、ジストは意気込みのようにもう一度返した。
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「お、おい! どうした!?」
「何があったんだ、おい!」
口々に飛び込んできた少年たちへ言葉を掛けるが、その返答はない。
真っ先に駆け寄ろうとするリリアとジェネ、それを腕でノインが制する。
「私が行こう。ガラスが散っている」
「う、うん!」
そのまま素早く駆け寄って、ノインが少年の体を抱え上げる。
機械である彼には出来るのだろう、丁寧にガラスの破片を取り除いてから応接用のソファに寝かせた。
「すぐに救急を呼ぶ」
「うん!……って、え!?」
振り返ったノインの言葉に答えるリリア、その表情に不意に驚愕が浮かぶ。
視線は勿論、少年の方へ向いていた。
それは向かい合う者たち全員がそうしていて、遅れてノインも再び振り返る。
「……ここは」
少年の、小さな高い声が室内に響く。
窓の壊れようからも、それなり以上の衝撃と共に現れたと思われる彼は今、
まるで何事も無かったかのように、その上体を起こしていた。
表情にも、苦悶やその類の色は浮かんでいない。ただ無表情で、正面を見つめていた。
「おいっ、大丈夫か!?」
「随分派手にやられたんだなー、喧嘩か?」
「……」
その身を案ずるジェネ、そしてニーコの言葉に、しかし彼は口を開かなかった。
反応が無いわけではなかった。声を掛けられて、視線は確かに彼らの方には向いていた。だが、それだけだった。
「……っ!」
それどころか、声掛けを続けようとしたジェネが、思わず言葉に詰まる。
その理由は、彼の見せたその無表情にあった。この状況にそぐわない、というレベルではなかった。
自分たちに対する困惑も、状況への不安。あるいは見えないバックボーンを反映したもの。
そうしたものさえ、全く見えない程の無表情だった。
「……」
その中でも彼は、沈黙を守り続けていた。
不気味ささえ感じさせるその無表情と沈黙に、ただそれだけでこの場の雰囲も重くなる。
だがこうした時でこそ。彼女には、真っ先に踏み出す、その力があった。
「ねえ、君。名前は?」
雰囲気を打ち破るように声を出したのは、リリアだった。
内容自体に大した意味は無かった。
名も大きな個人情報ではあるが、彼の纏う大きな謎はそれ以外であるからだ。
無論それはリリアも分かっていた。だからこれは、彼と話すこと自体を目的とした話題の1つというつもりだった。
して、その思惑は正解だったのか。今まで閉じられていた少年の口が開く。
「……ゼニア」
「ゼニア、でいい?」
「そう呼ばれてる」
顔は無表情のまま、かなり平坦、ともすれば素っ気ないような口ぶりで答えた少年に、
しかしリリアは笑いかけながら掛け合いを続けていく。
ここまで来ても、彼の言葉や仕草は無色そのもので、心境や事情を悟る事は困難だった。
それでもリリアは、ゼニアと名乗った彼への質問を重ねる。
「ねえ、ゼニアはどうしてここに?」
「わからない。『博士』がそうした」
「ハカセ……? 誰だろう?」
それは勿論、言葉を交わす中で彼への理解を深めるのが目的ではあるが、
彼の乾いたような、返答はとにかく情報が不足していて、言葉の解釈すら難しかった。
肝心のゼニア自身も深くを語ろうとはしない。その態度も合わせて、尚更謎は深まっていく。
「ともかく、負傷しているのは確かだろう。
ここでは治療の手段も限られている。救急を……」
「必要ない。出血も止まっている。博士からはこの場で待つように言われている」
精霊機甲たるノインとの会話も、その抑揚のない口調も含めて、
もはやどちらが機械であるかもわからない程だ。
彼の語るように、衝突やガラスで傷ついたはずの表皮の具合もそうであるし、
むしろ彼に向けて困惑を隠せないノインの様子を見れば、尚更だった。
「『博士』とは、グローリア所属の研究者か?」
「分からない。『博士』は何も話さなかった」
続いてのノインの質問にも、彼の調子は変わらなかった。
相変わらずの情報の不足した言葉で、その背景が伺い知れるものではない。
だが。この何度か繰り返した問答が、やがて皆に、彼の内情をそれとなく悟り始めさせていた。
「ゼニア……貴方って、どこに居たの……?」
まるで、心を態度、そして彼が語る極めて断片的な言葉からも。
彼がおそらく……かなり特殊、あるいは異常な環境に居て、
その影響を多分に受けた存在であるという事に。
僅かに、回答まで間を置くゼニア。その口が開く。
「……何と呼ばれている場所なのか、わからない」
「そ、そんな事……!?」
「へえー、気にならなかったのか?」
「わからない」
それはまたも、内容のほぼない応えであり。
そしてあるいは、その考えをより固めるに十分の答えでもあった。
そのまま言葉を交わすリリアやニーコの後ろで、ジェネとその隣に立つレオが目を合わせる。
「何かしらの研究施設に捕らえられていて、逃げ出してきた、とか? 考えすぎだろうか」
「つい先日まで、ギャングに誘拐されてた人が沢山居た街だ。
何があっても、不思議じゃねえと思うが……余所者の俺が言うのも何だけどよ」
二人が語るのも、そうした上で考えられる彼の境遇についてだった。
情報が不足していることに変わりはなく、かなり脚色を含むものではあるが、
ジェネが口に出したように、現実の問題として否定できるような考察でもなかった。
そうした最中。不意に、ドアをノックする音が鳴り響く。皆、一斉にそれに反応した。
ただの挨拶としては、それは明らかに大きく、激しかったからだ。
そしてノインが出迎える前に、その外から声が響く。
「グローリア警備隊である! 警備兵ノイン、応答せよ!」
「……警備隊? おっさん達の防衛隊とは違うのか」
「防衛隊が軍としての色も持つのに対し、治安維持に特化したのが警備隊だ。
管轄も異なる。複雑な関係がある、と言えるな。……ともかく、行ってくる。ゼニアを頼む」
「うん」
ジェネが口に出した疑問に答えながら、ノインは踵を返して扉の方へ向う。
扉を開けると、そこには迷彩服を身に着けた男たち、4人ほどが並んでいた。
その列から一歩前に立つ男へ、ノインは敬礼を返す。
その姿を、人ならざる瞳に映しながら。続けて言葉も返した。
「お待たせしました。所属とご要件を」
「グローリア警備隊、特務12番隊である。
この公園に不穏な者が居ると通報が入った。直ちに捜索に協力されたし……ん?」
ノインからの質問に答える最中。その室内が見えたのだろう、その男は目を細める。
そこにその姿を……ゼニアの姿を捉えて、見開く。それは先の言葉の答え合わせでもあった。
声色を大きく跳ね上げて、男は話を再び切り出す。
「おお、あの者だ! 直ちに引き渡しを……!」
「待たれよ、部隊長殿。その前に2、3点、お聞かせ願いたい」
まるで勢いで押し切るかのような口ぶりの男。だがそれをノインの腕、そして言葉が制する。
表情の無い彼が、これまでに何を見ていたかは外部には伝わるものではない。
だが、それ故に見抜いたものもあったのだろう。今の彼は、完全にそれらを訝しんでいた。
「な、何を……」
「この公園の管轄は防衛隊である。通報が入ったのであれば、防衛隊を通じ私への連絡が入るはず。
現状そのような報告はなく、その上で警備隊が独断で、この場で行動しているのは何故か。
通常、防衛隊への連携の後、然るべき体勢にて対応するべき事案と思われるが」
「火急の対処のためだ! 不審な人物を『作法』のために放っておけるものか!」
「であれば、見ての通り私が確保している。彼は抵抗もなく、状況としては緊急度は低い状況かと考えられる。
引き渡し等、重大な判断は私に行うことは許されていない。
そのため改めて防衛隊へ連携の後、私の管理責任者であるジスト隊長に相談されたし」
そして、ノインは疑った点を次々と言葉にして、非協力的な立場を明らかにしていく。
一見、なんの変哲もないこの部隊。そこに多くの違和感が在ることに、彼は感づいていた。
(到着も早すぎる。通報に対応した、というような速度感ではない)
そのうえで、ゼニアを探していたという点。それがより違和感を深めていた。
「あ、後で然るべき手続きは行う! とにかく引き渡せ、警備兵ノイン!」
対する男といえば。その疑問に対する答えさえ持ち合わせて居ないようだった。
取り繕う余裕も無くなってきたのか、焦りがその表情に浮かぶ。
まるで、この男の背景を透かすかのように。
そしてもう一歩近づいて、ノインはとどめとなる、もうひとつの疑念を口にした。
「もう一つ。現在のグローリア警備隊の特務部隊は再編され、10番隊までのはず」
「な、なぁっ……!?」
「……今の部隊編成すら知らないとはな」
それすらも不意打ちを受けたかのような反応を返す男に、呆れるようにその看破を告げるノイン。
この男たちが、最初に名乗ったそれらでない事は最早明らかだった。
そして逆に、その目的としていた……ゼニアと関わりがあるということも。
「大方、ゼニアと関係があるのだろう。何者……」
「……ぐううううっ、貴様ああっッッ!!」
その最中。男は観念、あるいは我慢の限界になったか、突然ノインに掴みかかった。
人であれば、首元となるあたりを締めるように握りしめる男。
軍人を騙るだけあり、その握力は確かなものなようだ。だが人ならざる彼には、さしたるダメージにはならない。
その姿勢のまま、ノインは更に告げていく。
「公務の妨害のつもりか。いいだろう、これでお前達を捕える理由も……」
たとえ掴みかかられても、大したダメージも無いどころか、制圧に動く理由さえ手にしていたノイン。
誰が見ても、この場の優勢は明らかだった。男が、それを口にするまでは。
「……私の邪魔をするな、この出来損ないの失敗作ごときがぁっ!」
「……!」
それは苦し紛れの負け惜しみでしかない、ただの暴言だ。
だが。ただそれだけの言葉が、彼の持つ「心」を、大きく揺さぶっていた。
思考回路に、嵐のようなノイズが吹き荒れる。絞り出すように、ノインは声を出す。それが限界だった。
「何故、それを……」
「やかましい! ただ処分されるだけの存在が、貴重だからとたまたま仕事を貰えただけで偉そうに!
だがあの判断は間違っていなかったようだな! 貴様が出来損ないである事は、今またしっかりわかった!」
自失しているかのように威勢をなくしたノインに、男は溢れ出した濁流のように暴言を吐き続ける。
その言葉自体は多分に背景を含むもので、その詳細まではわからない。
だがノインに関わる話であること、そしてそれが、彼の大きな痛みである事だけは確かだった。
故に。それを許すことは、彼らには出来なかった。
「やはりさっさと処……ぶびゃあぁっ!!??」
突如、暴言をぶつけ続けていた男の身体が大きく吹き飛ぶ。
それは、ノインの背後から伸びた手足によるものだった。
太く逞しい腕が、細いが鋭い脚が、その言葉を否定していた。
「テメェ、黙って聞いてりゃ……!」
「友に対する暴言、許すことはできんな」
「……ジェネ、レオ」
「今はシェイド、と呼び給え!」
「ふんっ。お前は頭カチカチでインケンのやな奴だけどよ。
知らんやつに好き放題言われる筋合いはねえ、ってこった」
そのまま彼を守るように、前に出る二人、レオに至っては、いつの間にか怪盗の仮面まで着けている。
いつしかニーコも、その隣に並んでいた。感情を露わにする二人と比べて複雑そうな口調ではあったが、
その気持ちは同じく持っていることは明らかだった。それらは確かに、ノインの心を支えていた。
一方、不意打ちを受けた男は狼狽しきっていた、焦るように立ち上がると背後の男たちへ指示を出す。
「マ、マーズ隊長!!」
「な、ななな……! もういい、制圧し、ぎゃぶえええええええええっ!!!」
そして制圧の号令を、マーズと呼ばれた男が出した、はずだった。
それを遮る、強烈な打撃音。それなりに体格のあるマーズの身体が、先程の比ではないほどに吹き飛んでいた。
その軌跡に浮かぶ、輝く精霊たち。
視線を戻せば、更にノインの前に立つ影が増えていた。正拳を打ち込んだリリアが、強い気持ちを瞳に宿して叫ぶ。
「出来損ないとか、失敗作とか……!
あなたが何を言ってるのか知らないけど、そんな簡単に他人を貶す言葉ばっかり口にしないで!
あなただってノインの事、なに知らないくせにっ!」
「あ……べ……」
「た、隊長ーっ!!」
強い怒りを込めた言葉だったが、届いてはない。
その言葉を向けていたマーズは、完全にノックアウトされていたからだ。
部下である他の隊員たちが駆け寄る中、リリアを先頭として彼らも歩み寄る。
「さーて、俺も……俺達も同じ思いだぜ。まだやるか?」
「分かったろう。数でも劣れば、質ですら怪しいのがお前達の現状だ」
「お、おのれ! ……ん? この音は……?」
尚も敵意を見せ続けていた隊員たちだったが、不意に耳に入った音に、態度を急変させる。
その音は、リリアたちにも勿論聞こえていた。サイレンのような、警報の音だった。
男たちの表情に、大きな焦りが生じていく。
「ま、まずい……! 防衛隊のサイレンだぞ! もう勘付かれたのか!?」
「くそっ、一旦出直すぞ! 奴らに捕まったら何もかも終わりだ!」
そして、先程まで宿していた闘志は既に消え果て。
彼らはマーズを抱えると、早々に駆け出した。焦りはその態度にさえ浮かぶ程だ。
防衛隊に対してのこの反応は、あるいは先のノインが掛けた疑念、その答えであるとも言えた。
「あっ! おい、待ちやがれ……」
「焦る必要はない。奴らの情報は十分に得た。あとは防衛隊、そして本物の警備隊に回しておく。
だが……」
追撃に出ようとするジェネを静止しながら、その理由を話すノイン。
だが彼の話は、そこで終わらなかった。続く内容は、更なる懸念だった。
「……この音は防衛隊の緊急出動時のサイレンだが、私にその連絡は通っていない。
先も話に出した通り、ここは防衛隊の管轄であり、私もまたその一つ。
もしここに緊急出動がくるのであれば、連絡がないことは考えづらい。
つまり……これもまた偽装である可能性がある」
「あん!?」
「ガハハハハ!!! そのとーーーーりッッッ!!!」
そこへまた突然、別の方向から声が響く。近くの茂みからだった。
響くサイレンにも負けない程の大声に、この場の全員が響く。その声の主が、派手に飛び出す姿も捉えることが出来た。
見栄を切るように着地すると、その男……無精髭を生やした老人は誇るように語った。
「あいつら、まんまと騙されおったわ!
我が……えー、発明品、4527号! この『超絶音声錯乱機』によってな!
ガハハハ、この音が『「これ」から鳴っているだけ』とは思わんかっただろう!!?」
その言葉の勢い、語気、そして本人の活力。まるで全員を圧倒しようとするほどだ。
老人はそのまま手のひらに握った装置を操作する。すると、響いていた音も止んだ。
感覚に合わない現象と、老人の言葉に。リリアは疑問を口に出す。
「これから、鳴ってるだけって……?」
「少女よ。お前達にはこれが遠くから響くサイレンとして聞こえただろう?
だが実際は違う! そう感じるような音が発されていたに過ぎないのだ!
見よ! 通行人も平然としておるだろう!? 音量自体はこの場に聞こえる程度だったのだ!
つくづく、何を造ってもワシは天才だーっっ!!!!」
「わ、わあっ……!?」
それに反応して語られた話の半分は、リリアの頭には入ってこなかった。
あまりに大きく勝ち誇るこの老人の態度に、完全に圧倒されていたからだ。
溌剌、活発たる精神を持つリリアですら、こうなるほどの苛烈な様子。
それを差し止めたのは、彼らの更に背後から響いた声だった。
「博士」
「んん? おう! 起きていたか、ゼニア!」
それは、既に平然と立ち上がったゼニアからのものだった。
先程出た名前、『博士』の名を呼ぶ彼に、軽快に声を返す老人。
これもまた、先に出た謎の答えだった。挟まれた形になったリリアが、確認するように問いかける。
「ゼニア、もう起きて大丈夫なの!? ……って、貴方が『博士』さん!?」
「いかにも。スマンスマン、天才すぎて盛り上がってしまった。
ワシの名は、えー……カタストという。ゼニアの、まあ、後見人のような者だ」
「カタストさん? あ、私はリリアっていいます」
その口ぶりの端々に残る、僅かに見える引っ掛かりのようなもの。
先程までのあまりに堂々とした口ぶりから見ても違和感ではあったものの、
ひとまずリリアはそれを飲み込んで、相槌を返した。同じく頷いて、カタストと名乗った老人は続ける。
「訳あって、奴らから逃げていた身でな。どうやらゼニアが世話になったようだな、礼を言うぞ」
「逃げてた……って、あいつ詰所に飛び込んで来てたぞ!?」
「それも訳あって、という事だ。切羽詰まり、他に手段もなかったのでな。
まあ見ての通り、その程度ではびくともせん程度には頑丈だ。あまり気にせんでくれ」
「……」
カタストが口にしたように、彼は至って平然とした様子だ。
手当ての際に拭われて以降、傷からの出血も見受けられない。
それは一見普通の少年に見える彼が、そうではないことを物語っていた。
「カタスト博士。 貴方がたが何者かに追われている事は理解した。
私は正しく防衛隊から派遣されている存在だ。保護を……」
「あー、やめいやめい! 先も見ただろう、警備隊というのは嘘とはいえ……
ワシらを追っておるのはグローリアだ。複雑な事情があるのだ、特に、今のグローリアはな」
「……!」
ノインからの提案を断るカタストの言葉に、皆それぞれに反応する。
ここにいる者たちは皆、先の戦いにグローリアの暗部を見た後だ。
それは彼の言葉への納得と共に、カタスト、そして謎だらけのゼニアへの疑問も深まっていく。
あるいはそれを雰囲気で悟ったか。カタストはそれを突くように口を開いた。
「やはり気になるか? 其奴の様子が」
「……うん。痛がったりしてなかったのもそうだし、変な人達に追われてるのものそうだし、
話したときだってそう……いったい何があったの?」
その先頭で改めて、疑問を言葉にするリリア。
すぐ後ろのジェネも、レオも、同じ思いを乗せて彼を見つめていた。
一呼吸と頷きでそれに返して、カタストは話し始める。
「分かりやすく言おう。其奴は文字通り、心を失っているのだ。
考えも研究内容もつまらん、阿呆な研究者どもの狼藉でな」
「え……!」
彼が言ったように簡潔な言葉で語られたそれは、しかしリリアたちに衝撃を与えた。
それは先程、冗談のようにレオたちが口にしていた内容と偶然にも重なっていた。
だが口ぶりからすれば、その予想の一端になった『博士』であった彼の立ち位置は、その逆にあるようだ。
「グローリアに、非人道的な研究を行う組織が存在するという事か?」
「非人道的……かは知らん。つまらん研究なのは確かだがな」
そこから連想される事象については、はぐらかしたのか、あるいは本心であるのか。
彼の感性からくる言葉で、明言が避けられた。そのまま彼への問答は続いていく。
「それじゃ、カタスト博士がそれからゼニアを助けた、ってこと?」
「結果的にはそうなる。じゃがワシはそいつらの邪魔をしたかっただけだ。
あまりにつまらん事をしているものだからな」
「それがさっき言ってた……心を奪う、ことか?」
その最中のジェネの言葉に、カタストはにやりと笑みを深めた。
まるでそれを待っていていたかのように。次の言葉は、大きく色を変えていた。
「お前達は、『生きる』とは何だと思う?」
「え?」
いきなり突飛な質問を投げかけられて、リリアは返答に詰まる。
いや、返答を待っていたものではなかったようだ。殆ど間などなく、カタストは語り始めた。
「猛る情熱。どん底の悲しみ。業火の怒り。渇望、好奇心、あるいは……!
魂を突き動かす、いいや! 魂そのものが叫ぶ程の思いを抱いたことがあるか?
その心のままに征くこと! それこそが『生きる』という事だ!
体面も面目もしがらみも恥も倫理も、それに勝ることは許されない!
魂が叫ぶままに、それを為すことが『生きる』という事だ!!
たとえそれが、世界を滅ぼす事になろうともな!!」
カタストの語気は、あまりに堂々と、そして力強いものだった。
口を挟むことなど許さない、そう宣言するかのように。
それは、まだほんの僅かの時間しか共有していないこの男の存在を、これ以上なく伝えるものだった。
宣言するかのような言葉の後、一呼吸置いて。カタストは語気を落ち着けて続けた。
「故に。その芯たる心を奪うというのは、生きる事に対する冒涜だ。
そんな研究に価値などありはせん。だからこうして邪魔をしてやった」
そしてこの場を圧倒するような言葉を、リリアたちへの回答へと繋げるカタスト。
兎角、凄まじいまでの威圧感こそ纏っていたものの、
これ以上無く彼の存在を示したそれは、この状況への説得力を与えていた。
またニヤリと笑って、カタストは彼らを一瞥する。そこから最初に口を開いたのは、リリアだった。
「カタストさ……わっ!?」
しかし。その会話は、不意に近くに発生した衝撃によって遮られる。
咄嗟に衝撃から身を庇ったリリア、そして姿を表す精霊たち。その先には、細い槍が突き刺さっていた。
だが抉れた地面が、その槍の硬度、そして威力を表していた。
直後、触れられることなく、その槍が再び浮かび上がっていく。その行く先は、この攻撃を行った当人の手だった。
「いかん! あんなモノまで出してきおったか!?」
見上げて、リリアたちはその犯人を視界の中心に捉える。
だが。ひと目でそれを形容すること、そして理解する事は出来なかった。
「何っ……えっ!?」
「ありゃ何だ……!?」
まず、理解できた事。
彼らが恐らく天使の様に、多くの羽根で構成された白い翼と、四肢のある身体を持つことだ。
だが天使である、というにはあまりにも、その姿は不気味だった。
灰色の、見るからに彫刻のような箇所と、痛々しいほどに赤い生肌のような箇所の入り混じる、やけに細長い身体。
そして、ギョロギョロと剥き出しにされた、片方だけにしかない瞳。数として3体が、彼らを見下していた。
「なんだよあれっ、気持ちわりいっ……!」
「該当データ無し。人ではないのは確かだ、だがグローリアの兵器としても、あのようなものは……」
戦慄を引き起こすようなその姿は、この場の緊張感を急激に高める。一つの行動さえも重くなるほどに。
その最中だ。その口部が不気味なまでに大きく、そして同時に開いた。
「……いかん!」
『……"ギョオオオオオオオオオオオオオオオオ"!!!!!!!!!』
直後。それを予見したのか、真っ先にカタストが動き出す。
全員の盾になるように前に出た、それとほぼ同時に。
その不気味な『天使』たちは、甲高い奇声を一斉に上げた。それは、凄まじい程の音圧による攻撃だった。
そして同時に前に出たカタストの手元、小さな機械が動作する。
「発明品535号、"驚愕・巨大掌"ッッ!!」
それはどういう仕組であるのか。
一瞬にして巨大な機械仕掛けの両手のひらへと姿を変え、その音圧を防ぐ壁となった。
だがその手の軋み、そして防いだ範囲以外の抉れる地面が、その威力を物語っていた。
「うおおおおっ!!」
「きゃああっっ! カタストさん、大丈夫!?」
「無論! だが……なっ!?」
リリアから投げかけられた声に答えながら、カタストは焦りを浮かべて振り返る。
その視線の先。ゼニアが、完全に地面に突っ伏していた。
そして『天使』のうち一体が、一瞬にして彼の身体を抱え込んでいた。
「うおおおおおおおッ! させるかああああああああ!!」
その場。神速のようなその行為に、反応できた者がただ一人居た。
『天使』が飛び立つその前に。レオが細い紐で、その身体を絡め取っていた。
だがそれは、行動の抑制には至らなかった。天使はそのまま身を宙に浮かせ、レオの身体も同様に宙に引っ張られていく。
「ぐううううっ!?」
「レオッッ!! くそ、"射抜け"ッ!!」
彼、そしてゼニアを助けんと、精霊術、風の矢を素早く放つジェネ。
だが『天使』はその意志ある風さえも躱すと、そのまま公園の外の方へと身を翻す。
逃走の構えだ。苦虫を噛みつぶすような表情を浮かべながら、
カタストは再び正面、『天使』たちに向き直りながら叫ぶ。
「お前達に頼みがある! ゼニアを取り返してくれ! こっちはワシが食い止めよう!
発明品2355号、"重力自在発生靴"ッッ! どりゃああああああああ!!!!!」
願いと共に叫び、カタストはその左足を大きく踏みしめる。
それと同時に、彼の眼前の空間がまるで歪むようねじ曲がった。
それはゼニアを捕らえた方へ、追って飛び立とうとしていた『天使』たちを地上に叩き落とす。
だが、行動の全てを縛り付けられたわけではなかった。歪んだ空間、それを打ち破るように『天使』たちは立ち上がった。
それを睨みつけるカタストの背中へ、リリアが答える。
「うん、わかった! それじゃあ……!」
切羽詰まった状況の中、必死にリリアは脳を動かす。
空を自在に飛ぶ『天使』を捕える、その方法、そしてそれができる存在。
悩み考える理由は一つ。全員が全員、そちらへ向かえると思っていなかったからだ。
何故なら、それは。
そしてきっとその思いは、共有されていた。口を先に開いたのはニーコだった。
「おいノイン! あん時みたく、お前がジェネ担いで行って来い!」
「なっ!?」
「飛んでるアイツ撃ち落とすんだ! ジェネが行ったほうがいいけど、お前なら運べるだろ!?」
ニーコからの突然の提案に困惑を見せるジェネ。
先の騒動の際、二人がそうして移動している姿を見ていたが故の意見だ。
だがこの切羽詰まった状況、考えるべき事は1つではなかった。それをノインが口に出す。
「待て。公園の被害が拡大している、すぐに利用者の避難を……!」
「そんなん私の仲間とでやっといてやる! 早くしろ、逃げられるぞ!!」
「ジェネ、ノイン、お願い!」
「リリア、お前……!」
だがその懸念さえも、ニーコは強固な姿勢で跳ね返した。
その背中を押すように、リリアも二人に言葉を重ねる。
だが尚更、ジェネは踏み出せない。残す側にリリアが居ること、それが重くのしかかっていた。
残る彼女が何をするつもりであるか、もう分かりきっている。
彼の脳裏に浮かび上がるのは、あの日の大空に飛び出す彼女の姿、そして。
気づけば反射的に、その言葉は激しくなった。
「行けるわけないだろ! こっちのほうが相手の数多いだろうが!」
「私は大丈夫だから! それにカタストさん、一人で放っておけない!」
「放っとけないのはお前のほうだっての! 危ない事にばっか突っ込もうとしやがって!!」
リリアも引き下がることなく説得を試みるが、ジェネの意思が曲がることもなかった。
当然だ。一度体感したリリアの喪失、それは彼が現状、何よりも恐れるものだ。
どんな相手にも果敢に立ち向かう彼女だ。目を離すこと自体がその恐怖を生んでいた。
「……気持ちはわかる。だが」
だが。頼みを向けられたもう一人。ノインの意見は、違っていた。
呟くような言葉を残すと、半ば不意打ち気味に、ノインはジェネを担ぎ上げていた。
そのまま体を浮かび上がらせて、ゼニア達を連れ去った方向へと体を翻す。
「どあっ、おいっ!」
「時間がない、文句ならば後で聞く。リリア、お前を信じる。だが無理はするな」
「うん!」
「おい降ろせ、ノインお前っ……!」
合図のような言葉を躱した後、ジェネからの文句ごと引き受けて。
ノインは背中の推進機を激しく稼働させ、飛び立つ。その背中を僅かな時間だけ見送ると、
リリアはまた、カタストの背中へと視線を向けた。
その隣のニーコの傍らには、彼女の友人である妖精たちも集まっていた。
「よっし、公園にいる奴らを追い出すぜ! 行くぞお前ら!」
『うん!』
「リリア、すぐ戻って加勢してやるからな! 無茶すんなよっ!」
切羽詰まる状況だ。先に決めた目的に向けて、ニーコの行動も早かった。
リリアを案ずる言葉だけ残して、仲間たちと颯爽と飛び立つ彼女達。
そして。リリアが動き出したのもほぼ同時だった。
「うん、ありがとう! ……カタストさん! 危ないッ!!」
視線の先。地上戦に移行した『天使』達に囲まれるカタスト、
正面の一体を受ける彼の、その側面で槍を構える『天使』が見えて。
反射的に動き出すリリア、その四肢を輝く精霊たちが包み始める。
直後、爆発的な踏み込みと共に、右腕に力を込めて。
「おのれっ小癪な……! むっ!?」
「"ステラストライク"ッ!!」
視線の端でそれを捉えたカタスト。
だがその刹那、間近に迫った『天使』は大きく前方へと弾き飛ばされた。
代わりにその場に現れたのは、眩いまでに姿を現した精霊たち。
そしてそれを右腕に纏い、打ち抜いたリリアだった。
「カタストさん、一緒に戦うよっ!」
「何ぃ? ワシがいつ手が要ると……! いや、猫の手でも借りたい、か。
それにこの状況で戦うことを選べるとは、ただの生娘というわけでもなさそうだな」
彼女の言葉に一度は反発したが、この状況だ、それを受け入れるのに時間はかからなかった。
隣に立つリリアと共に、吹き飛んだ側に合わせ、間合いを取る『天使』らを見据える。
その表情に、にやりと不敵な笑みが浮かんだ。
「いいだろう、少女よ! 貴様の魂、見せてもらおう!」
「リリアって呼んでよ、カタストさんっ!!」
そして承諾であろう言葉を叫び、再び構えるカタスト。
リリアもまたその言葉に返しながら、同調して戦闘態勢を取った。
(……なんだろう、これ……)
その最中。リリアは自分の中に生まれた、不思議な感覚に気づいていた。
それは先日共に戦った老婆……ギルダの隣に立った際と、今とで。どこか、同じものを感じる事に。
理由までは分からない。そして、それを探る余裕もこの場には無い。
一旦余計な考えを振り切ると、リリアは眼の前へ集中力を高めた。