12話 僕らはきっとまた出会う
グローリア防衛隊、ゲイルチームの拠点。
その隊長のために配備された一室で、ネルは机の上にバインダーを差し出す。
「ジスト隊長、こちらが例の……」
「ありがとうございます」
それをすぐさま手に取り、開くジスト。
瞳に映る文書、その1つに視線を鋭くしていく。
「やはりグローリア勢力外への通信記録がある、か……」
「ええ。詳細な座標については今も解析中ですが」
「ただの内乱、という訳にもいかないものですね」
ため息を付きながら、バインダーに留められた用紙を次々にめくる。
その気の重そうな表情を晴らすようないい情報は、なかなかその目に入ってこなかった。
やがてその最後まで目を通すと、ジストはそれを返して立ち上がる。
「ありがとうございます。一旦、現状はわかりました」
「こちらこそ。解析は今も教授が進めています、大きな結果が出たら早急に報告しますね」
バインダーを回収して、ネルもそれを追って立ち上がる。
あるいは互いに、予想がついていた内容だったのだろう、内容への言及は多くはなかった。
「そういえば、報道になってるのも見ましたよ。
ギャングとグローリア運営層の癒着だー、って。正直表に出るとは思っていませんでしたけど」
「流石にあれだけ誘拐被害者が救出された今、完全な隠蔽も無理だったようで。
ただせいぜい、適当な中間の担当者が首を切られて終わりでしょう」
世間話のように続いたのは、先の騒動についての話。
まさしく当事者となった立場、そうした目線での言葉。
そのうえでジストは、その予後について半ば嘲るように言う。直接見てきたからこそ、今の彼から組織への信頼の具合が伺えた。
「元『ブラスターズ』メンバーへの尋問はどうですか?」
「さっぱり、といった所です。どれもこれも知らんの一点張りで、
しかも困ったことにそれが嘘らしい形でもない。
外部と連携を取っていたのは、リーダーであるゲルバに絞られていたようですね。
そして……そのゲルバは行方もわからず、死体も発見されていない」
「!」
続く質問へのジストの回答に、ネルが反応する。
対するジストも表情に浮かぶ訝しげな思いを深めて、続ける。
「リリアから聞いた限り、奴は船が爆発したときには既に海面に投げ出されていたとか。
もし死んでいるなら、爆発に巻き込まれたにしろ、そのまま沈んだにしろ……そろそろ発見できてもいい頃です」
「そうでない以上、生きている、もしくは……」
「消された。今回の出来事にグローリアの上部が関わっている以上、そういう可能性もあります」
明かされた情報から、二人は現状の認識を一致させていく。
ゲルバの果てについては、ネルもリリアから聞いていた。
だが現状については、やはり巨大な何かの影を感じずには居られない、そうした状況だった。
「……あの、リリアの様子はどうですか?」
その中で、すこし控えめそうにネルが話題を変える。
友人として大事に思っているリリア。その思いが逆にそれが私事であると感じて、引け目があったようだ。
そのまま部屋を出て、廊下の中を歩きながらジストは応えていく。
「見る限りは元気ではありますが、念の為検査を実施しました。
あの年齢です、体への影響も鑑みてのものですが……」
そう語るジストの表情は、明るいとは言い難いものだった。
話題の内容を思えば、理由は嫌でもその方向に察してしまう。ネルも態度を一変させる。
「リ、リリアに何かっ!?」
「いや、現在の状態については特に問題なく、健康であるようです。ですが……妙な痕跡が見受けられる、と」
「え……?」
リリアのこととなれば、そうなるのも無理はなかった。
再度問いただすネルに、要領を得ない回答を返すジスト。
当然得られる情報もなく、不安と困惑を見せる彼女に、立ち上がりながら続けた。
「よろしければ、医務室まで同席いただけませんか。
貴方は古くから彼女を知っているとお聞きしていますし、何かわかるかもしれません」
「も、勿論です! あの子、見ての通り特殊体質だから、
昔から私達のほうでもたまに診てあげてたんですっ」
「それなら尚更好都合です。行きましょう」
――――――――――――――――――――
一方その頃。グローリアの一角、人通りの少ない路地にある、小さな喫茶店。
客の少ない店内、その一テーブルに座るリリア。
「わーい、いただきます!」
「こりゃすげえな……どうやってんだ?」
目前には、豪勢なパフェが鎮座していた。満面の笑みがその顔に浮かぶ。
隣で同じくそれを見いたジェネも、その容貌に同様に驚きを見せていた。
口にしたように、ただ盛られているだけではない。
無数の技術によって構成されたものであることは、詳しくないジェネにも伝わっていた。
その様子を、向かいに座るミーアが笑みを浮かべながら眺めていた。
「凄いものだろう? ここは私の知り合い……普段から世話になっている人の店なんだが、
珈琲もこうしたメニューも、私の知る中でも一番だと思ってる。
君への恩は返しきれるものじゃないが、どうか楽しんでほしい」
「恩なんてそんな……おいしい!」
「はは、よかった」
それを口に入れて、リリアはより一層喜びを深める。
その感情を目一杯表した、彼女の愛らしさに溢れた笑顔に、ミーアも、隣のジェネもつられて笑った。
素直な少女の笑顔とは、こうまで力があるものであると示されているかのように。
「ジェネさん。あなたも遠慮なく」
「ああ、頂いてるよ。むしろすまねえな、リリアへの恩返しの場だってのに、おこぼれを貰っちまって……」
「いいや。貴方もあの場で戦っていた事は知っている。
私にとっては貴方もリリアも、本当に尊敬する、英雄だと思っている。どうか遠慮しないでほしい」
その流れで向いた視線の中、ミーアはジェネにも重ねて感謝を表す。
それを受け取るように、ジェネも再び笑う。その隣で、リリアはその言葉に反応して蕩けていた。
「英雄……えへへ」
「……ほんとに好きなんだな」
その所以が既に知れ渡ってなお、呆れんばかりという反応にジェネも笑った。
とはいえ、それ以上はジェネも言及しなかった。
先の騒動における活躍自体は、間違いなく英雄と言って差し支えないものであるのだ。
(……ま、俺だってそう思うけどな)
そして。ただ自分一人が知る彼女の姿、飛び立つ背中を想起して。
ジェネはその態度に感情が出てしまう前に、カップに再び口をつける。
流し込むコーヒーと共に、一旦その光景ごと心の中にしまい込んで。再び向き直った。
そんな彼の心の動きを横に、ミーアが話を切り出す。
「そうだ、英雄というところで……頼まれていたものを持ってきたんだ。ハルドマン、あれを」
「はっ」
先の事件もある。恐らくは警備役なのだろう、隣の席で待機していた男へ呼びかけるミーア。
それを受けて立ち上がった男が、リリア達のテーブルの上へ荷物を運ぶ。
中身がリリア達に見えるような向きで置かれたその荷物袋の中は、本の背が並んでいた。
そこまでで、その内容が彼女には伝わったのだろう。リリアがより一層目を輝かせた。
「私の書斎にあった、『永き冬』とその英雄『紡ぐ星の剣士、エレナ』に纏わる本だ。
君が読んだことがないものも含まれていればいいが……これら全て、君に貰ってほしい」
「ほ、本当にいいの!? や、やっぱり後で返すほうが……」
彼女が用意した本は、凡そ10冊超ほどあった。
それは年季を感じさせるものもあり、中身を見るまでもなく、既知でないとわかる物も含まれていた。
リリアもかの英雄の足跡を追うことに、まだ幼い人生の少なくない割合を注いでいる。
その上で知らない書籍となれば。故に気が引ける様子を見せるリリアに、首を振ってミーアは答える。
「気にしないで、というよりむしろ、貰ってくれというのが正しいな。
元々引き払う予定の書斎でね。蔵書については引き取り手を探してる最中だったんだ。
君のためになるのなら、丁度よかった」
「そ、それならいいんだけど……ありがとうっ!」
「こちらこそ。帰り際に渡すとしよう、ハルドマン、ありがとう。預かっててくれ」
その遠慮にも、ミーアの言葉で逆に決心をつけて。リリアは感謝の言葉でそれを表した。
ミーアからの合図で、ハルドマンと呼ばれた男が再び自席へと戻る。
再び持ち去られる本を見送りながら、ジェネが呟くように言った。
「へえー、書斎なんて持ってるのか。なんで閉めちまうんだ?」
「家族から引き継いだものですが、場所がいまいち都合が悪くて……
よければ今度、ジェネさんも見ていかれますか?」
「興味はあるけど……生憎旅の途中の身なもんで、荷物を持つ余裕がなくてな。遠慮しとくよ」
膨らむ会話の中、ちらりと隣を見るジェネ。
先程から話続きのはずなのに、リリアの眼の前のパフェは随分と減っていた。
とはいえ彼女の様子からすれば、それさえも愛らしい。この場の本懐を思えば尚更だ。ミーアは再び小さく笑った。
そんな中。卓上へ、また違う方から手が伸びる。
「こちらは私から、ミーア様の無事を祝っての品となります。
どうぞ、お召し上がりくださいませ」
小さなスイーツが乗った皿を差し出す、その主を見上げるリリア。
高貴な雰囲気に身を包んだ、老紳士だった。
初めて見た顔ではない、この店に入ったその時にも、顔を合わせていた。
この行動も無論、その立場を表していた。いの一番に、ミーアが声を返す。
「カゲツさん! ……ありがとうございます、すみません、ご心配をおかけしたようで」
「噂はお聞きしておりました。ご無事で大変嬉しく思っております、ミーア様」
会話の内容も、そして優しい声質も、この二人の親しさを感じ取るに十分だった。
ミーアは再びリリアとジェネに振り返ると、カゲツと呼ばれた老紳士に手を向け、紹介する。
「こちらはマスターのカゲツさん。私の友達の保護者……執事となる方でね。私も常日頃お世話になってるんだ」
「はじめまして、カゲツと申します」
その流れのまま、二人へ礼をするカゲツ。
放つ雰囲気に違わず、緩やかで落ち着いた口調はは尚更その印象を強くしていく。
いつの間にか完食していたリリアが、笑顔で言葉を返していく。
「はじめまして! 私リリアっていいます! パフェ、とっても美味しかったです!」
「それは良かった。ミーア様の恩人とお伺いしておりました、喜んで頂けたのであれば何よりです
ぜひ、こちらもお召し上がりください」
そんなリリアの笑顔に、カゲツも微笑みを返す。
運ばれた小皿は、当然のように人数分用意されていた。それに視線を落として、またリリアは頬を蕩けさせる。
それなり以上に量のあるパフェの後だが、問題はなさそうだった。
「ところで、レオの姿が見えないみたいですが……最近、学校にも来ていないと聞きました」
その中に、聞き覚えのある名前があるのを捉えて。
リリアの隣で同じく小皿に手を掛けていたジェネの動きが、一瞬止まる。
確かにあの場では、あれ以降に顔を合わせてはいない。後々ジストから無事だという旨を聞いただけだった。
気にはなったが、同名の別人である可能性も十分にあった。そう思って、再びその動きを再開させる。
一方で、二人の間の会話も進んでいく。
「お恥ずかしいですが……ここ最近で、口論となってしまいまして。その流れで」
「また家出したということですか。まったく、あいつは……!」
「ええ。時勢もあるとはいえ置き手紙もありましたから、そこまで心配はしていないのですが……
唯でさえ大変であったというのに、別のご心配までおかけして申し訳ございません、ミーア様」
「いやいや。本当なら直接呼び戻してやりたい気持ちですが、私は今自由には動けず……申し訳ない」
「そのような事、とても……! 今回はとても内部的な事情ですから、ミーア様にご足労頂くわけもいきません」
会話の中で明かされていくのは、それがかの怪盗少年であるかの情報ではなく、
レオと呼ばれている者が家出していること、そしてミーアとも近い仲であるということだ。
だが。スイーツを一口で食べきるその間に。思い巡らした結果が、ジェネに口を開かせた。
「……レオって短い銀髪で、お前ぐらいの背丈の奴か?」
「そ、そうです。私の友人、同級生になる……もしや、レオをご存知なのですか?」
「俺が知ってるのと同じ奴、ならな。まあ、少し話しただけだけど」
彼の特徴を話すうえで。少しだけ考えて、ジェネは彼の怪盗の名を伏せておくことにした。
それは一種の教養の表れでもあった。
あくまでも予想でしかなかったが、彼はそれを周囲に隠しているのではないか、と。
してミーアの返答に、本来であれば大きな特徴になるそれが出ないことから、それは次第に確信へと変わっていく。
そして、話を聞いていたその隣のリリア。彼女も出されたものを食べ終わって、1つ思いついた提案を打ち上げた。
「話したことあるならちょうどいいじゃない! ジェネ、私達でそのレオって人探そうよ!
どうせジストさんも、調査にはもう何日かかかるって言ってたし!」
「え? まあ、やること自体は文句ねえけどよ……手がかり無しは、なかなかキツイんじゃねえか?」
その提案には、ジェネはいまいち煮え切らない態度を返す。
理由は、概ね口にした通りではあった。だがただ一つだけ、この場で発言できない判断材料も持ってはいた。
故にそれは、あるいは。態度を委ねるものでもあった。
(……まあ、無くはないかもしれねえけどな)
一方でミーアも、彼女のその提案を素直に受け取れずにいた。
こちらも理由は明白だった。それを直接、口に出していく。
「い、いや! レオはしょっちゅう行方知れずになるんだが、こういう時、いつもどこに居るか分からなくてな。
それにせっかく恩返しのために用意した場だと言うのに、また頼み事をしてしまうのは……」
「いいよ、気にしないで! さっきも言ってたけど、ミーアさんだってあまり外出歩けないんだし!」
それでもなお快諾しようとするリリアに、隣でジェネも笑みを溢す。
リリアがこうした態度を取るであろうことは、既に分かりきってもいた。
そしてその姿勢が崩れなかったことで、ジェネもついにそれに乗りかかった。
「まあ、やってみるか。顔自体はしっかり覚えてるしな!」
「お、お客様! あくまで私事でございますから、何もお手を煩わせるほどのことは……」
「大丈夫、無理やり引きずってきたりはしないよ。心配してたよって、ちょっと声かけてみるだけ」
同じく引け目を感じ遠慮するカゲツにもそう返して。
まだ残っていたカップの中、後入れもの諸々で甘くした珈琲を飲み干すリリア。
小さな決意と、相変わらずの強い意志に溢れた瞳を横目で見て、またジェネも笑った。
「美味しかったです、ごちそうさま!」
――――――――――――――――――――――――――――
それから、リリアらしい強い意志によって、半ば強引に二人を納得させたうえで。
店の外で、護衛と共に家路へと走る車へと乗り込んだミーアへと手を振って、
改めてリリアは、厚いローブで身を隠した……外出用の装いに身を変えたジェネに振り返る。
その左手には、ミーアから譲り受けた本が詰められた袋、そしてそれを包む精霊たちの姿があった。
「重くねえか? 俺が持つぜ」
「大丈夫、精霊たち支えてくれてるし!それじゃ、どこから探そっか!」
「……なー、リリア」
そしてこの状況は、ジェネの先程までは隠す必要があった、その判断材料が口に出来る状況に映っていた。
故に躊躇いなく。真っ先に、ジェネはそれをリリアへと投げかける事にした。
「『怪盗シェイド』って聞いたことあるか?」
「え、うん! ちょっと有名だよ! こないだ公園でゴミ拾いしてた!」
しかしそのリリアの回答に、思わず脱力しそうになるジェネ。
確かに以前、歴代が怪盗として名を馳せていたうえで本人はそうではない旨を聞いてはいたが、
一般市民であるリリアがこの認識となっている現状、怪盗が本当にそれでよいのかと疑問符さえ浮かべていた。
「……で、怪盗シェイドがどうしたの?」
「……」
そしてここで、少し悩むジェネ。
怪盗の名前を市民として耳にしている立場であるリリアに、簡単に種明かしをしていいものかと。
謎に包まれた正体。怪盗というのは、得てしてそういうものであると理解しているが故に。
「まあ、単刀直入に言うとな。探してるレオってのは、多分そいつのことだ」
「えっ!? そうなのっ!?」
が、それも長くは続かなかった。
仮面一枚でゴミ拾いをしている怪盗の姿を思い浮かべて、勿体ぶる必要はないと判断した。
そしてその情報は、確かにリリアに衝撃を与えたようではあったが。
「……じゃあ、怪盗シェイドを探せばいいのね」
「ま、そういう事だな」
彼女がそれを飲み込むまでには、本当に短い時間しか必要としなかった。
それは怪盗シェイドの名が、今までどの様に名を馳せてきたものであるかを表している。
「なんかよく出るところとか無いのか?」
「やっぱり公園周りかなぁ。
おじいちゃんとかおばあちゃんの荷物とか持ってあげてるの、私もたまに見るし……
ニーコもずっと公園に居るけど、気にしないことすぐ忘れちゃうからなぁ……」
「……」
目撃情報が長閑すぎることについては、もはやジェネも触れないようにした。
ただの襲名とはいえ、どこが怪盗なんだ。呆れを心の中に収めながら、偶然以外の方法を探して。
そこで先に口を開いたのは、リリアの方だった。
「そうだ、ノイン! 公園の警備員やってるって言ってたし……
怪盗シェイドって見た目だけならすごい怪しいし、ノインなら何か知ってるかも!」
「お、そうなのか?」
彼女の口から出た名に、ジェネの声色も明るくなる。
ノインは先の騒動で、行動、そして心を特に共にした仲間だ。
この地に来るまでは知識としてすら無かった、精霊機甲という存在、
だがそれさえも乗り越えるほどに、少なからず友情を感じていた。そんな彼の登場に、その心境も盛り上がっていた。
「あいつなら話が早いな、早速行こうぜ!」
「うん!」
そしてジェネからしても、彼への解釈も一致していた。
時に感情的な面も見せては居たが、基本は冷静かつ正確、機械的な印象のあるノインだ。
その彼がレオの足取りを追うきっかけとなるのであれば、心強さも感じていた。
そうした判断も合致した上で。交わした言葉を合図に、二人は歩き出す。
「そういや、いつの間に仲良くなってたの?」
「前ん時にな。……いい奴だよ、あいつ。色々複雑な事情があるみたいだけどな」
――
道すがら、幾つかの言葉を交わして。
さほど離れていなかった、かの公園まではそう時間は掛からなかった。
リリアには既知の場所でもある。以前、ニーコ達が決闘していた場所……警備員の詰所まで、既に足を運んでいた。
よく見てきた場所ではあったが、入るとなると今回が初めてだ。
少しだけ迷ったリリアだが、やがてすぐ心を決めて、その扉を叩く。
「ごめんくださーい……あれ?」
だが、反応は無かった。不在ではないことは、代わりに耳に入った、内部からの話し声で分かった。
その内容までは聞き取れないが。中に居るであろう存在を思えば、不思議に感じるのも無理は無く、
二人はそのまま顔を見合わせる。
「ノイン、こういうの厳しそうだけど……入っちゃっていいかな?」
「ま、そうだな。顔見知りだし、怒りゃしねえだろ」
そして、これからの行動の意図も合わせると、再び扉の方へ向き直って。
今度はその扉を、自らの力で押し開ける。
「ごめんくださー……」
して。その内部には、全く予想だにしない光景が広がっていた。
「3対1で、ニーコちゃんの勝ちっ!」
「ひゃっほーッ!!
二度と逆らうんじゃねえぞこのインケンあたまかちかちバカバカアホアホおたんこなすっ!」
何かに対してニーコの勝ちを宣言する、彼女の友人である妖精たち、数人。
そして勝ち誇るニーコの姿、そして。
「ふざけるな。審査員が完全に買収されているだろう。こんな不正審査が通るものか……!
レオ、今すぐ友人を数名招待出来ないか。
あのような卑怯で愚かで傍若無人な者が作る雑で独善的な料理に敗北したなど、たとえ不正であろうと認めるわけにはいかない」
「す、少し落ち着け、ノイン……! 私は間違いなくお前の炒飯のほうが……」
「当然だろう、負けるはずがない」
少なくとも、冷静、機械的といったものからかけ離れた、間違いなく怒っている姿のノインと。
そして今、まさしく探していた張本人である怪盗シェイド……ノインをなだめる、レオの姿があった。
それに机に並ぶ、何皿かの炒飯。しばらく黙りこんで、漏れるようにリリアがの口から声が出た。
「……なにこれ?」
――――――――――――――――――――――――
そして。この混沌と言える場面の再開はひとまず、事情聴取から始まることになった。が。
「いやさ、炒飯が食いたくなったんだよ」
「……うん? ニーコ、ご飯食べなくてもいいんじゃなかった?」
「まあそうなんだけど、食いたくはなるんだよ、たまに。
で、流石に火が要るじゃん? それで必要な諸々もあるしさ、だからここ使ってやったんだよな」
「許可した覚えは無い」
「……うん」
「そしたら恨めしそうに見てくるから、言ってやったんだよ。お前にはやらねえよ!ってさ。
そしたらこいつ、私の炒飯を馬鹿にしやがってさ!」
「先に侮辱を重ねたのはお前だ。私にはその品質のものすら作るのは不可能などとな。耐え難い暴言だ」
「うるせーな! だからさ、勝負してやる事にしたんだ! どっちが美味い炒飯作れるのかってな!」
「私もこれの傍若無人な振る舞いを腹に据えかねていたところだ。ここで上下関係を確定させられるのであれば悪くないと。だが……」
互いに自分の意見を主張し合う中、ノインの頭部が動く。
その先は、奥のテーブルに座る、ニーコの友人たちだった。
彼の瞳となる部分が露骨なまでにそこを睨んで、妖精たちは思わずその身を竦ませる。
『ひぃっ』
「その審査に身内を、それも3人も連れてきた。これでは公正な審査など望むべくもない。
このような状況でなお審査を強行し、理不尽な勝利を手に入れようとした卑怯者。それがこの妖精だ」
「うるせえうるせえ見苦しいぞ! 早く負けを認めろ!
ヘンな目で私の友達見てんじゃねーぞ!!」
「……」
一通りの説明が終わって、尚も衝突を続ける二人。
彼らを眼前に、リリアは次に出す言葉を完全に見失っていた。
この争いがあまりにくだらないものであるのか、あるいは宿命の決戦であるのか。
そのレベルの高低さえ判断できずにいた。
「で、家出中のレオ君は何してんだ、こんなとこで?」
「いや道を歩いていたら突然「来い」と言われて……」
「……」
途切れた言葉の後は、この状況が代わりに物語っていた。
要するに、ニーコが行ったそれへの反撃だったのだろう。
道理の通らない事に対抗する自分の行動がそれでいいのか、そんな事を思いつつも、ジェネもかける言葉を探す。
いや。あるいはこの強硬な態度自体が、そんな事は分かっているからかもしれない。
大きく息を吐いて、ようやくリリアが口を開く。
「……ともかく。確かに決闘なのに、結果に明らかに贔屓が入るのはおかしいよ。だから……」
そのままスタスタと歩いて、調理器具の掛けられた方へ向かうリリア。
そこから匙を一本取って、勢いよく振り返る。
「私が決めてあげる。それでもう、文句無しだよ」
「リ、リリア……お前さっき、あんなに食ったばっ」
「わかった!?」
それに挟まったジェネの注意を、あるいは故意にかき消すような威勢のある言葉で、リリアは二人へと宣言する。
一瞬気圧されたような様子を見せたが、すぐにふっと笑うニーコ。対するノインも、頷きでその意志を示した。
「公正な審判が行われるのであれば異論などない。結果は見えているがな」
「言ってろバーカ。頼むぜ、リリア」
「そう言うんなら最初から正々堂々やればいいのに……これ、どっちがどっち?」
「あ、こっちがニーコちゃんの……」
先に勝ち誇っていたニーコでさえそんな態度を見せることに呆れながら、
リリアはテーブルに座る妖精たちに尋ねると、彼女らも素直に答える。
僅かに話しただけだが、何か。妙に落ち着かない素振りであることが気に留まった。
(……ま、いっか)
ともかく。まだだいぶ残っている皿の上の炒飯に目を向ける。
位置関係で把握しないと分からない程度には、どちらも卒なく作られているように思えた。
それに匙を伸ばして、口に運ぶ。
「それじゃニーコのから……っッッ!!?」
「きっ、君、気をつけ……!」
その直前に飛んだ、レオからの警告が間に合うこともなく。
口を閉じたその瞬間、リリアの体が跳ねるように震えた。
全身に走ったのは、強い刺激、そして強烈な塩辛さに対する、脳内からの警告だった。
直後、顎に強い力が込められた。吐き出すことは、彼女自身の心が許さなかった。
ただ止まることもできなかった。
食器棚に早足で近づいて適当なコップを手に取ると、
再び早足で机の上のピッチャーへ手を伸ばし、文字通りの流れ作業のようにコップへ注いでそのまま呷る。
口の中に残る刺激物、それらを無理やり流し込みながら。
「はぁッ、はあッ……!」
「よっ、どうだ? 実は作ってる時に思いついてさ!
塩って美味えし、めちゃくちゃ入れたらそれはそれで面白いんじゃないかってさ!
まあ確かにやばい味になったけど、こういうのもいいだろ?」
大きく息を荒げるリリアに、そんな様子も知らないかのように笑いかけるニーコ。
その言葉には、生物としての隔絶が垣間見えていた。
ニーコには味覚はあるが、生命維持活動のための食事は必要としていない。
精霊が食事を必要としないように、その変異体たる妖精も同じだ。
実のところ力に繋がらないわけではなく、無意味ではないのだが、
普遍的な生物が体を維持・成長させるための栄養摂取とは大きく意味合いが異なっていた。
そして、その齟齬が何を生むかと言うと。
味覚の仕事である、体への害になる危険な食事を防ぐための、警鐘を鳴らす役割。その欠如だった。
残るのは、ただの娯楽。それが絶望的な程の塩分を含んだ料理を生み出し、
そしてその機能を持ったリリアの舌は、これ以上ないほどの警告を体に鳴らしていたのだった。
「か、辛すぎーっっ!! こんなの全部食べたらホントに死んじゃうよっっ!!」
「えー? 面白いと思ったんだけどなぁ」
「ねえ、あなた達もホントに美味しいと思ったの!?」
「……」
当然のように怒るリリアに対しての呑気な様子も、その隔絶の具合を表していた。
その矛先が向けられた妖精たちも、押し黙って目を反らしている。それはノインが掛けていた嫌疑の、答えを表していた。
ともあれ、もはや審査の結果は語るまでもない。勿論それを分かって、ノインは勝ち誇る。
「異常な感性が見て取れる。これで勝とうとしていたのだから、笑いものだ」
「何だお前! まだお前のが勝ったって決まったわけじゃねえぞ!」
「万一にもあり得ない。先ほどのリリアの様子を見れば歴然だ」
「うるせえうるせえ、リリア、こいつのも早く食ってみてくれ! 絶対大した事ないはずだ!」
「はいはい、それじゃ……」
ただ一人、今も気を吐くニーコに最早呆れ混じりに笑い返して、リリアは再び匙を握る。
破茶滅茶な理屈で作られたニーコのものに対して、次はおそらく、そうした印象とは程遠いノインのものだ。
先程は酷い目に遭ったとはいえ、リリアも随分と心は軽い。
きっとそういう事は無いだろう、そう思うのは自然だった。
「いただきまーす、ん……」
して。次のものを咀嚼するリリア。
今度は態度の急変も、大きな反応もなかった。
その様子を眺めるノインが、勝利を確信する。しかし。
「んん……?」
いや。寧ろ、
それは卒なく作られた料理を食べた反応としては、"無さすぎる"というのが正しかった。
その顔に浮かぶのも、感じた美味しさから生まれる笑顔ではなく、
あるいは状況に見合わない、訝しげな表情を浮かべていた。
「リリア、どうした」
「うーん……」
その様子に疑問を抱いて、ノインが声をかける。
本人が悩んでいるような様子なのだ。外部からその感想を窺い知るのは難しい。
いや、ただ一人。
事前に真面目に、ノインの作ったものを食べていたレオだけが、複雑そうな表情でそれを見つめていた。
そんな状況を作り出していたリリアだったが、やがてジェネへと振り返ると彼を呼ぶ。
「ジェネ、こっちこっち」
「ん? どうした?」
彼が近づくその間に、もう一度飯を掬うリリア。
それを今度は自分の口に運ばずに、そのまま近づいた彼に振り向く。
「ねえ、ちょっと食べてみて」
「んあっ……!?」
そしてその匙をジェネに、そのまま向けて差し出した。
リリアの所作には、ほんの僅かの躊躇いすら浮かんでいない。平然とそうしていた。
それを眼の前に、ジェネの心がドキリと跳ねる。
「……?」
そんな事も知らずに不思議そうにする彼女に、掛けるべき適切といえる言葉を考えるジェネ。
年齢もある、それは懸念とも呼べるものでもあった。
彼女の少女らしい無垢たる部分がそうさせているのは分かっている。
そういった事を気軽にすべきでない、知り合いだとしてもちょっとは他人を警戒しろ、
そうした言葉が浮かんで消える。
「……あ、ああ」
そうして考え込んだ末。
ジェネはその匙を手渡しになる形で受け取ることを選んだ。
これで先の懸念が全て解決出来た訳ではないが、それでも取り敢えず、それを口に出すのは辞めたようだった。
ただそれらの疑念をすべて押し込むように、ジェネはそのまま、口内に飯を放り込む。
「……」
その後、先のリリアと同じように押し黙るジェネ。
それは、あるいは驚愕でもあった。
この料理が、疑念を押し流すその役割すら熟せない。
それ程に、印象が生まれないことに。
「そうかぁ、これが勝ちになんのかぁ」
「何だ? その行間が多分に含まれた感想は」
直感はそのまま口に出て、ノインを反応させることになった。
彼が指摘したように、その言葉には言外に、この料理への低評価が込められているのは明らかだ。
ジェネはそのままニーコの作った方にも手を伸ばして、警戒からごく少量だけ掬って口に運ぶ。
一瞬歪む、彼の顔。
「……まあ、勝ちでいいんじゃねえか?」
「うん、そうだよね」
そこで合致した意見は、ノインのものの方が優れているという事、そしてそれに釈然としないという事だった。
「なんだよー、そんなにダメか? よくわかんねえなあ、料理って……
ちっ、運がよかったなっ! お前っ」
ここに来てニーコも、自分の感覚が一般的なものと大きくズレていたことを認識したようだった。
そしてその断絶を痛感していたのは、彼女一人ではなかった。
彼らの感想を受けるままだったノインが、声を発する。
「……分かった。ニーコ、この勝負は預ける」
「は?」
それは、これまでの展開のちゃぶ台返しとも言える発言だった。
それも、勝負の上では優位に立っていたノインから。
勝利の放棄とも言えるその発言に、ニーコを中心とした周りも驚きを見せる。
彼はそのまま、その理由まで述べ始めた。
「私の持つ情報に調理の情報がないことがまず大きな問題だった。
お前の凄惨な料理を相手に、消去法での勝利など不本意以外の何でもない。
完全に勝利できるものを作ってみせる」
「なんだお前、マジで勝ったつもりか? 運が良かっただけなんだっつの!
ニーコ様が本気になればお前ぐらいなぁ……!」
とはいえ少なからず棘のある発言に、再びニーコもヒートアップしてしまう。
そのまま引き続いていく言い合いを眺めながら、隣のリリアへジェネがポツりとこぼした。
「あいつ、冷静に見えて結構直情的なとこあるよな」
「確かに。意外とニーコと気が合うのかも?」
「あんっ!? 寝ぼけたこと言うんじゃねーぞ、リリア!」
「糾弾のつもりはないが、どこを見ていればそう思える?」
それに返したリリアの呟きには、二人ともほぼ同時に異論を唱えた。
だがそれこそ、息が合っているとしか言えないほどの同調だ。
その様子に半ば呆れて、より小さな声でリリアはまた呟いた。
「……やっぱり合ってるじゃない」
「まあ、ともかく。勝負は一旦終わりという事でいいか?」
その背後から声を掛けるのはレオだった。
今まで沈黙していたまま状況を静観していたが、一区切りついたという上での発言だろう。
その真意になる言葉を繋げていく。
「それなら、自分はこの辺で……」
「あー……いや、ちょっと待ってっ!!」
だが、それが通ることはなかった。
突然叫んでそれを静止したリリア自身、忘れそうになっていた面はあるが、そうする事自体は当然だった。
レオ、つまり怪盗シェイドは当初、リリア達が探していた張本人なのだから。
とはいえこの中では、ほぼ初対面である彼女から突然声を掛けられてレオも驚く。
「な、何だい? 私は怪盗と名乗ってはいるが、特に悪いことは……」
「悪いことしてない、ってことはないでしょ? 執事のカゲツさんとか、ミーアさんが心配してたよ」
「ううっ!? 家の事まで知っているのか!?」
そのまま素性たる情報も含めて、遠慮なくリリアは指摘していく。
明らかに焦りを大きくしていくレオに、助け舟であるかのようにジェネが説明を入れていく。
「リリアはあの日、とっ捕まって地下牢に入れられてたんだ、
そこから脱獄するとき、お前の同級生も助けてたんだってよ。それで面識が出来たんだ」
「何っ……!」
「もっと言えば、あの日にギャング達のリーダーを制圧し、魔物発生・施設爆破を阻止したのもリリアだ。
我々の英雄とも言えるな」
「……! そうか……」
更にノインからも同様に説明が加わり、レオはその目を見開く。
先の場では、二人は顔を合わせては居ない。その最後に、レオの側から遠くの人影を見ただけだ。
間違いなく激戦といえたあの場だ。その立役者がこのような少女であることも衝撃だったが、
成し遂げた事。それに対して、レオはまず膝をついて頭を下げた。
「先に礼を言わせてくれ。私の友、そして恩師を救ってくれてありがとう」
「ど、どういたしまして! ……でも、私が助けたばっかりじゃなかったから。
マイ先生にもミーアさんにも、沢山助けられたもん」
「……そうだろうな」
それを受け取りながらも、ミーア達も称える言葉を返すリリア。
頷いて、レオもふっと笑みを深める。
その最中。これまで出た情報から繋がった要素を、ジェネがレオに問いただす。
「ってえと、家出……ってわけじゃなくて、
あいつらにとっ捕まってたから帰れなかったってわけか?」
「ならいいじゃない、帰ったら。あんまり心配かけちゃ駄目だよ」
そして目的である帰宅への説得に繋げる二人。
だが、レオはそれに首を横に振る。
それは質問に対して、あるいはリリアからの説得も含めてのものだった。
「半分正解、というところだな。もう1つ理由があって……」
その言葉に、この場の視線がレオに集中する。
それを続きの催促と捉えて、レオは話し始めた。
「もう私がレオである事を知っている以上、隠す必要もないか……
カゲツは執事であると同時に、かつ私の技の師匠でもあるんだ。
私の技術は、全てカゲツに教わった。そしてこの生き方、その理念も」
「カゲツさんが……!」
反応するリリア。驚きもあるが、その瞳はどこか輝いていた。
ああした落ち着いた雰囲気の老紳士にそうした一面があるという事が、なにか刺さるところがあるようだった。
あるいは共感する所もあるのだろう、レオもそれににやりと笑う。
「格好いいだろう? 私もそう思っているからこそ、師として尊敬している。
だが……先の事件、きっかけはミーアが拐われたことだ。
すぐに助けに行くことを主張した私を、カゲツは止めた。
今思えば……どこから知ったかはわからないが、グローリアの上位層が絡んでいることを掴んでいたんだろうな」
「それで喧嘩しちゃったのか?」
「ああ。今まで小さな幸せを愛し、守れと教わってきたのに、
それが脅かされている今、なぜ力を振るわせてくれないのかとな」
語っていくレオの態度は、どこか自嘲するかのようだった。
それはこの話に対する、彼の思いに他ならない。その語気のまま、彼は続けていく。
「それで飛び出した。今思えば、私ごときで立ち向かえる相手ではないからだろうな。
事実、奴らの根城に飛び込んだ後、私は何の身動きも取れなかった。
結局まともに行動できるようになったのは、君たちが来てくれた後だ。
その後のことも思えば、私一人ではどうしようも無かっただろう。カゲツが言った通りだった」
「そ、そうは言っても、ちゃんとマイ先生もミーアさんも無事じゃない!
何も出来てないわけじゃ……!」
「そうだ。レオ、卑屈になる必要はない。我々も絶体絶命だった。
あの場に君が居なければどうなっていたかはわからない」
「結果オーライ、とは言ってもな。
大口を叩いて出た上でそんな様を晒した後、厚顔無恥で帰るというのもな……
結局、こうしてフラフラしているというわけだ」
その態度へ励ますような言葉を掛けたリリア、そしてノインだったが、
それは彼の態度を翻させるきっかけにはならなかった。
レオは結局その姿勢のまま、一連の話を総括する。
まるで諦めたような話しぶりの彼に、リリアは引き下がれずに言葉を返した。
「そ、それじゃあどうするつもりなの? ずっと帰らないわけにはいかないでしょ?」
「……」
その問いかけに、レオは俯いて押し黙る。
迷いと憂いが見て取れる表情。それはその答えを示すものだ。
現状が正常な状態だとは、自分も思ってはいない、だが。
どうにも進みようのない彼にリリアが口を開こうとして、それが遮られる。
不意に、彼のその肩が叩かれた。ジェネの腕だった。
意図が掴めずに顔を上げるレオに、ジェネが笑いかける。それもまた、憂いの色を含めたものだった。
「ごめんなんて、中々言えねえよ。
……どうすりゃ、いいんだろうな。俺達みたいなのは」
「……!」
続けてジェネが放った言葉。それは突飛な言葉ではあった。
だが、多分に含まれたその行間は、どうやらレオには伝わっていたようだ。
驚いた仕草を見せるレオと合わせて眺めながら、リリアもまた、彼の言葉の真意に近づいていく。
「ジェネ、それって――」
だが、その問いかけがこの場に届くことは無かった。
遮るように響く大きな音。この詰め所唯一の窓の方から、それが割れる音だ。
「っ!?」
「きゃっ、何っ!?」
レオに集中していたこの場の意識が、一気にそちらの方へ向く。
直後、緊張感が更に大幅に高まる。
それは、窓を破ったのであろうその存在を確認したからだった。
「……っ!? 君っ、大丈夫!」
少年。まさにそう表現するのが相応しい、見た目だけならニーコほどに幼い人間が。
硝子で切ったものだろうか、あるいはここへ飛び込んだ、その要因によるものか。
所々から血を流して、そこに倒れていた。