用心
「お互いの確認のためですよ。私があなたの知っている教授だとは限りません。とある存在が通信に割り込んで私を演じている可能性があった。お互いが顔を合わせた時と同じ存在であることを確認するためには必要な会話でした。私で無いのなら出発時に渡していた赤い紙のことは知らないはず……知っていてもその利用方法までは知らないということです」
「用心深いですね」
「用心に越したことはありません。何があってもおかしくはない。何をしてきてもおかしくはない。何のきっかけで滅ぼされてもおかしくない。そのような存在達と相対しているのです」
これまで何度も聞かされた言葉にリヒトは重さを感じてツバを飲み込む。
「この通信も何がきっかけで傍受されるか分かりません。要件を手早く済ませましょう。状況報告をどうぞ」
「ダヴィッソンには昼過ぎに到着しました。その後、先に都市に入っている調査員と合流する予定でしたがまだ合流出来ていません。現在行方不明です」
「行方不明ですか。彼に関しては生存を確認する術がありませんね。とりあえずは放置しましょう。生きているのせよ、死んでいるにせよ、調査をしていく内に何かしらあるでしょう。都市の様子はどうですか?」
「見た目的には特異なモノはありません。都市の人々は数年前の流行病での悲しみが癒えてないようで顔色は暗い人が多いです」
「空気も暗いということですね。陰の空気は良くないモノを呼んでしまう可能性が高いですね」
「他には奇怪な噂話について少し内容を聞くことが出来ました。流行り病で亡くなった人が歩いているのを見たと」
「こちらが事前に聞いている内容と一致しますね」
「聞いていたのなら噂の内容くらいは事前に教えてくれても良かったのではないですか?」
「余計な前情報が無い方が良いと判断したのです。思考を一方向に傾けてしまうのは危険なので。常に何が起こっても良いように心掛けておいて下さい」
「心掛けすぎて胃が痛いんですが」
「胃薬の調合くらいならリヒト君でも片手間で出来るでしょう」
「……自分で対処しろってことですね」
「そうですよ。大学の講師として派遣された以上は全て自己責任です。世界の命運を背負った自己責任です」
教授の度重なるプレッシャーにリヒトは胃に痛みを感じた。
「大学に戻ってきたら良い胃薬の材料くらいは提供しましょう。私の菜園で育てているので」
「無事戻れたら受け取りますよ。話の続きですが、噂についての真偽はまだです。目撃情報はいくつかあるのですが、全て暗い路地など視界が悪い場所での目撃なので他人を見間違えたり、病んだ精神が見せた幻という可能性があります」
「それならそれで結構。いえ、そうであってほしいと願いますよ」
「自分もです。明日は都市内の墓地の調査を行う予定です。死者が歩いているとなると、確認はしておかないといけないと思いますので」
「危険ではありますが、行かないことには進みませんね。メルはどうしますか?」
「一緒に来て貰う予定です。自分では気付かない箇所に気付く可能性がありますので」
「そのために連れて行ったのですから当然ですね」
「正直、あまり頼りたくはないです。メルは子供ですから」
「頼れるモノには頼って下さい。頼るモノを選べるほどの余裕はないですよ」
「……分かっています」
「不満はあるでしょうが、メルは頼もしい子です。かの存在に対してあなた以上にね」
「それも分かっています。続きの報告よろしいですか?」
「どうぞ」
リヒトが報告の続きをしようとしたタイミングでメルが本を読み終えて顔を上げた。メルはリヒトが水晶に向かって話をしているのを見て満面の笑顔を浮かべた。
「あーー! 教授とお話してるんでしょ! 私も! 私も教授とお話するんだから!」
「いや、まだ報告の最中だから」
「メルの頼みではしょうがないですね。最低限の報告は受けましたし……ここからは三人でお話しましょうか。メルから旅の道中の話も聞きたいですし」
水晶越しの教授の声を聞いてメルがリヒトを押しのけて椅子に座ろうとする。リヒトは抵抗するだけ無駄だと分かっていたので逆らわずに椅子を譲り、後ろへと移動してベットの上に放り投げられていた本を拾う。
「メル、本を片付けるのを忘れてるぞ」
「後でやるよ」
「先にやりなさい」
メルの頭にリヒトは優しく本を置く。
「教授、リヒト君に乱暴されてまーす」
「それは大変だ。彼の部屋を今から牢屋に改装しておかないとね」
「冗談だと分かっていることにいちいち反応しませんよ」
「つまらない人間だね。ジョークに反応することも必要だよ。後、これは本当のことだけど君の部屋は私が物置にしているからね」
「教授!?」
「急に荷物が増えてね。私の部屋に置き場がなかったんだよ。ちょうど君が居なくて助かった」
「助かったではないですよ……戻るまでには荷物を片付けて下さい」
「片付けてほしいのなら戻ってきてくださいね」
「必ず戻りますよ」
「また教授とリヒト君ばかりが話をしてる! 私も話すの!」
メルが不機嫌そうに床を踏みつけて大きな音を出した。
「メル、もう夜なんだから静かに」
「これは放っておいた私達が悪いですね。話をしましょう、メル。その街はどんな街ですか? 楽しそうなモノはありましたか?」
「ちょっと見ただけだけどつまんなそう。外で誰も遊んでないし、静かだし……でねでね!」
教授とメルの雑談はメルが寝落ちするまで続いた。