教授
街の東部での探索を終えて、リヒト達が宿へと戻ってきた頃には少ない街灯が道を僅かに照らすばかりでほぼ暗闇になっていた。
「真っ暗だったね、外」
「宿屋の店先に灯りがあって助かった。無かったら少し探すのに苦労していた」
「街灯もっと増やせばいいのに」
「街灯を建てるのもタダじゃないからな。建てるのにも維持するのにもそれなりの予算が必要だ。二年前の流行り病で都市の財政も悪化してるんだろう。昼間見たところ、街灯だけならそれなりに建っていた。全部の街灯を夜に付けておく余裕が無いんだ」
「貧乏って大変ねぇ」
「俺達も裕福ではないさ。大学から支給された旅費は多くない」
リヒトは紙とペンをカバンから取り出すと、部屋に備え付けられていたテーブルの上に置いて椅子を持ってきて座る。
「お手紙でも書くの?」
「状況の整理。頭の中だけで思考すると見落としてしまう情報があるからこうやって文字にすることで見落としを無くす。加えて新しく見えてくる情報同士の繋がりがあるかもしれない」
「ふーーん」
リヒトが今日、収集した情報を纏めている姿をメルはしばらくつまらなそうに黙ってベットに寝そべって眺めていたが、飽きてしまったのか旅道具が入っているバックをあさり始めた。
「何を探しているんだ?」
「本」
「それなら大きい方のバックじゃなくて小さい方だ」
「分かった、ありがとうね」
メルは小さい方のバックから厚い表紙の本を一冊取り出すと再びベットの上へと戻った。本の表紙は擦り切れており、本の題名すら読めなくなっていた。絵本などではないことは見た目だけで分かり、子供が読んでも面白くはないだろう本をメルは栞を目印に開くと静かに読み始めた。
リヒトはメルが静かになったのを横目に情報の整理を再開した。
(都市内の様子は思っていたよりも流行病の後遺症が残っていた。住民は活気を取り戻せていない。精神的に病んでいる住人もいるらしいので不思議なモノを見たという証言はその人達からの証言の可能性もある。死んだはずの人間を見かけたというのは他人を見間違えたという可能性も高い。現在のところ、噂の信憑性についてはまだまだ証言が足りない。気になる点としては連絡員が結局見つからなかったという点か。宿屋の店主に聞いても最初に泊まる際、少し話をしただけでその後は会っていないというし。街の住人に聞こうにも俺は連絡員が男性だという情報以外を知らない)
リヒトは今日見聞きした情報を紙に描き下ろした後、手書きした街の地図を横において交互に視線を送る。
(今日は東地区を時間の限りで調査した。明日は西地区、特に墓地を見ておきたい。朝食を食べた後で外周を回るように散策しながら向かうか)
ペンを置き、リヒトは軽く体を伸ばしながら立ち上がると腰に巻きつけていたベルトを外して持ち物確認を始めた。鞘を壁に立て掛け、ベルトに付いていた小物入れから数本の小さなナイフと長方形の紙束、液体の入った小瓶、包帯などの応急処置用品を取り出してテーブルの上に並べた。着ていた赤銅色のシャツも脱いでベットへ裏地を広げるようにして置く。その裏地には無数の文字が刻まれた札が縫い付けられていた。
赤銅色のシャツはウォリックシャー大学の講師に支給される制服であり、大抵の攻撃から着ている人を守る防御魔術が込められていた。
リヒトは並べた品々に欠損や損失が無いことを確かめた後で改めて身に付けると部屋に運び込んだ大きなリュックの中身を広げ始めた。こちらには旅の道具の他、小物入れに入っていた品々の予備が入っていた。リヒトはいくつかあるリュックから複雑な文様が刻み込まれた両開きの木箱を取り出す。
リヒトはテーブルの上に置いていた資料を整理して木箱を置く。木箱には金属製の鍵がかかっていたが、リヒトが鍵の部分に右手の指を二本かざして小さく空中に文字を描くように動かすと触れてもいないのに鍵が外れた。
リヒトが慎重に開けた木箱の中には縦長で楕円形の透明な水晶が収められていた。両開きの扉の裏には棚が備え付けてあり、いくつか小瓶が格納されていた。
木箱の正面に座ったリヒトは木箱の棚から小瓶を一つ取り出して蓋を開けると中の液体を一滴、水晶に垂らした。液体を垂らされた水晶は小さく振動して淡い青白い光を発し始める。
リヒトが水晶を見つめてしばらく待っていると水晶から声が聞こえてきた。
「生きてますか~」
からかうかのような妙に明るく緊張感のない第一声にリヒトは思わず箱の扉を締めてしまいそうになる。
「……返事が無いということは死んでますかね」
「生きてますよ」
透明な水晶が収められた木箱は通信魔術を内包した魔道具だ。水晶に調合された薬品をかけることで電磁波を発信させて、電磁波を受診した遠隔地との会話を可能になっていた。一般的な運用はされておらず、ウォリックシャー大学内の通信でのみ現在は運用されていた。
「生きてないとこうやって通信が出来ないでしょう」
「そんなことはありませんよ。何者かがあなたの死体を操作して私と会話している可能性がありますから」
「ならこうやって話をしている時点でアウトでは?」
「出発する前に渡した赤い紙は持ってますか?」
「ええ、腰の小物入れの中に」
「出して広げてみて下さい」
リヒトは声の指示に従って赤い紙を取り出した。赤い紙は四つ折りで収納されていて広げると正方形になった。
出発前に調査資料と一緒に渡されたので大事な物だとは思っていたがリヒトは用途がよく分かっていなかった。
「広げました」
「そうですか。では、生きているようですね」
「どういった理屈ですか?」
「実はその赤い紙にはあなたの生命を感知する魔術をかけていまして、あなたが死んだら燃えるようになっています。そして私の手元にも同じ赤い紙があります。紙が燃える条件をもう一つありまして、両方の紙が開かれた瞬間になります。今、こちらの赤い紙を開きましたよ」
開いたという声がした瞬間、リヒトの手元にあった赤い紙が燃え始めた。
「!?」
驚いたリヒトはすぐに火を消そうとしたが、行動する前に赤い紙は燃え尽きてしまった。テーブルには燃えたような跡は一切残さずに紙だけが燃え尽きた。
「驚いた様子から察するにちゃんと燃えたようですね」
「……どういった仕組みですか」
「残念ですが、秘匿事項なので教えられませんね。君が教授になれば知ることになるでしょう」
「秘匿が多いですね。それだけ重要だということなんでしょうが、こんなにも手の込んだ仕掛けにする必要がありましたか? 教授」
リヒトは声の主である教授に呼びかけた。