エヴァの夢
「今年も紫陽花が咲く季節になったか。梅雨がしばらく続くな」
「雨が続くと気が滅入りますよね。体を壊さないで下さいね、おじいさん」
車椅子に乗った老翁とその孫娘だろうか? 2人は屋内の窓辺に立ち、曇天の空から庭に降り続く雨をじっと眺めている。雨粒をとめどなく受け続ける紫陽花の青は鮮やかに美しいが、老いた男の体調を気遣う女性には、花の風情から季節の移ろいを感じる余裕など、ほとんどない様子だ。
「体を壊すな……か。はははっ、今まで何度おまえにそう言われたか分からんな。今日もおまえの気遣いを聞けてよかったよ、エヴァ」
老いた男は微笑みながら、エヴァと呼んだ女性の手を握り、
「ずっと連れ添ってくれてありがとう。幸せだった」
そう最期の言葉を残すと、エヴァに力ない体を委ね、そのまま事切れた。
こうなることは分かっていた。自分の存在意義は十分理解していた。だが、彼女の感情を司る心の回路は、何十年も一緒にいた伴侶を失い、受け入れられない悲しみのエラーを、今、発し続けている。
女性型アンドロイドのエヴァは、現代世界において多大な学術功績を上げた、若い頃の老翁と結ばれるため、タイムゲートを潜り、未来世界からやって来た。人間と見分けがつかない超高性能アンドロイドであるエヴァの内部構造には、現代世界の老翁が提唱し、研究を進めた、技術の発展形が使われており、科学者としての老翁が彼女の生みの親と言っても過言ではない。
(私はこの人に尽くさないといけない)
心を持つアンドロイドであるエヴァは、未来世界で老翁に関する歴史情報を知り、自らの意志でそう考えるようになった。老翁が生涯独身であった事実も彼女を突き動かしたのだろう。未来政府の時間省から許可を取りつけ、現代世界にタイムワープしたエヴァは、若い頃の老翁とめぐり逢い、2人は結ばれた。
エヴァの支えもあり、老翁は元の歴史より優れた学術功績を上げ、引退後も死ぬまで幸福な生活を送ることができた。
(私の存在意義はあった。この人の伴侶になれてよかった……でも、私はこの先どうすればいいの?)
老翁を埋葬し終えたエヴァは、部屋の遺品を茫洋とした様子で整理していると、ある小さな木箱を見つけた。開けてみると、中には一枚の便箋と、銀色の粉が詰まった小瓶が入っている。
(エヴァ、この手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にいないのだろう。君を残していってすまない。もしもだが、私とどんな形でもいいから一緒にいたいと思っているのなら、小瓶の銀色の粉を振りまいてみなさい)
老翁が遺した手紙を読み終えたエヴァに迷いはなかった。小瓶の栓を抜き、細かい銀色の粉を部屋の中で振りまくと、空間に散らばった粉が人形に集まり、若い頃の老翁の姿を形作る!
「あなた……」
エヴァは若い姿の伴侶に抱きつこうとした。しかし、何も手応えがない。触れない。
(どうして!?)
混乱している彼女を諭すため、若い姿の老翁は優しく語りかけた。
「エヴァ、今の私は魂となって君を見守っている。君の傍にずっといるよ」
「魂のあなたには触れないの!? どうしたらあなたを抱きしめられるの!?」
そう悲しい叫びを上げたエヴァは、ハッと気づいた。
「そういうことだったのね……。現代世界で、あなたの技術を発展させていったのは、私。アンドロイドの私を伴侶にしたから、あなたは生涯独身と歴史に記録されている……」
「よく分からないが、若い頃、アンドロイドの君と出逢ったとき、こうなる予感はしたんだ。魂の姿となった私に触れるには、死を越える研究が必要になる。やるんだったら長い道になってしまうよ?」
生きていく目的ができたエヴァは、その日から伴侶の老翁の研究を引き継ぎ、彼が遺した技術を発展させることに没頭した。
それから300年後。幸せそうにいつまでも語り合うアンドロイドのカップルの姿が、森の木陰に見える。
語らう2人の男女は、仲良く手を繋いでいた。