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学園都市『冬檻』

 電車に揺られて、睡魔から這い上がる。西日が差して適度に揺れて、ポカポカ、ガタンゴトンとしているとやはり眠たくなるのは必然だった。

 これから向かう『月和戸(つきわど)寮』にある、まだ会ったことすらない自分の寝台が既に恋しいとさえ思う。寝ぼけ眼で車内を見渡すと一人の青年と目が合ってしまう。


 純白のブレザーは高等部の制服だ。その着こなしから見て高等部の二年以上だろうか。アスカは軽く会釈をして、また寝落ちたように項垂れる。彼は、“なんとなくかかわりあいになりたくない”、そんな雰囲気を放っていた。


 中瀬アスカは昨年の事故で両親を亡くし、その後親戚をたらい回しにされ、年の離れた従兄が寮監を務めている寮に住まわせて貰うことになった。

 それに伴って与えられた新しい環境、制服に、アスカはどこまでも煙たがられている。純白がくすんで見える夕焼けを、時速90km前後で、学園都市『冬檻』へひた走る。


【中瀬アスカ、人生十七度目の夏】


 月和戸寮が面している路地を振り返ると、ガス燈や煉瓦に、絡む蔦、唐草模様のフェンスを見るとどこか時代に取り残されたような感を抱く。白黒映画のワンシーンを撮影しても映えるだろうなと思ったが、頭の中で再生するとすぐに否定された。


 人並みに緊張しながら、インターフォンを押す。晴れている東の空には、夏の大三角が見えた。


「はい」


「こんばんは。今日からこちらでお世話になる中瀬アスカという者、なんですけど」


 緊張していると話している途中で自信が喪失し語尾が曖昧になるという悪癖が出てしまった。


 アスカは電話越しなど、相手の顔が見えない会話の間を苦手としている。声がいつ止み、どこから立ち現れるか知れたものではない。


「あの、うちの寮に何か?」


「わっ!だっ!()ぅ……」


 背後からの声に過敏に反応してしまった体は寮の固い扉に追突し、アスカは情けなくも悲しげな声を漏らした。


「アスカ!」


()ーッ!」


 続いて鼠捕りよろしく勢い良く開かれた黒檀色の扉に撥ね飛ばされて、先ほど声をかけてきた眼鏡の少女の胸に着弾し、二人は重ね合わせになって倒れてしまった。


「早く中に!誰かに見られる、前に……」


「ちょっと、早く退いてください。って大丈夫ですか?」


 アスカの意識が途切れるのを見届けた二人は息を合わせ、


「あ」、と言った。


 ここは、どこだろう何て考える間も無くアスカの頭はクリアにその答えを導き出した。拵えたばかりの寝床、つけたばかりの電灯、一週間前まで空き部屋でしたという香り、といった室内を見渡して、彼は二人の人物を認めた。


 一人は自身の父親の姉の一人息子、荒屋敷真之助だ。記憶ではセンター分けでボブぐらいの長さだった黒髪は、少し短くなりゆるくパーマのかかった茶髪になっている。鼻筋に父親の面影を感じ、アスカは口の中が面白くなくなった。


 もう一人は初めて会う、見たところアスカの転校先の女生徒のようだ。肩にかかる毛先は軽くチョコレート色に近い輝きで頭部を飾っていた。レンズ越しに覗く、鋭い印象を与える眼や眉はやや生真面目な厳しさを持っていたが、全体で見た時のどことない優しさもとい()()()は、彼女の控えめな輪郭とそれを暈す前髪のせいだった。


 アスカは真之助に親しみを込めて送った目線を、壁紙をなぞる途中であえて見下したように変化させながら、見ず知らずの女子の方に移した。


「さっきは驚かせちゃったみたいでごめんね。私は弘田ミチホ、『冠星学園(かんせいがくえん)』高等部二年A組出席番号二十番生徒会会計を務めさせてもらってます」


 自己紹介を受けたというよりは、ゲームキャラクターのステータス情報を開示したといった感触だった。アスカは一言一句聞き取り、彼女にとり自身は“なんとなくかかわりあいになりたくない”相手である、と察せられた。


「どうも。こんばん?」


「ふふふ、アスカ大丈夫、まだ夜だよ」


「こんばんはヒロタさん」


「よろしく中瀬くん」


 別に、わざわざ彼女と関り合いになることもないのだから、彼女にどう思われようとどうでもよい。しかしなぜ真之助の寮にやってきたのか、アスカは疑問だった。


「まあアスカ、月和戸(ここ)は見ての通り女子寮だ。つまりお前は今日から男性を隠し、女子高生として生活してもらう事になる」


 あの話は、……そういうことだったのか。


「わかってると思うが、絶対にバレるなよ」


「ん?ちょちょちょ!ちょっと待ってください!?荒屋敷さん?おっしゃっている意味がよく」


「うーん、本当は誰にも言う積もりは無かったんだけど知られちゃった以上仕方ないですからね。弘田さんには共犯になってもらいましょう」


 ミチホは分かりやすく狼狽え、話を咀嚼するのに時間を要した。


「女子として生活って、いくら何でも無理がありますよ!女装にも限界はあるし、いつ誰とどういう事件が起きるかわかりません。それにまさか、ここで一緒に私たちと住まわせるお積もりですか!?」


「心配には及びません。アスカは昔から女の子に間違われるくらい、ふふふ、ご覧の通り中性的で整った顔をしていますし、体格も同年代の男子の中では華奢な方です。演技も人並み以上にできるでしょうし、何より、協力者が一人いるだけで全然違いますからね」


「私のことじゃないですよね?共犯なんて嫌です。いや、それよりさっきからずっと黙りこくっているけど、中瀬くんだって、いきなりこんなこと言われて引き受けられるわけないでしょう?」


 ミチホはアスカの方を向いたが、彼は両目を閉ざして静かに呼吸しているだけだった。何かを考えているのか、眠っているようにも見える彼は、彼女の言葉に無反応を貫いた。


 アスカも勿論、真之助の馬鹿みたいな話を聞いて驚いていた。しかしそれは突然の事ではなく、前々から予感はしていたのだ。


 父親の姉の息子が、金銭に関して何も問わず引き取ってくれ、これ以上ないような良質な環境を提供してくれる。ただし一つだけ、条件付きで。


「アスカは、了承してくれたみたいですね。ちなみに、弘田さん、この件に関してもう貴女に拒否権はありませんよ」


「え?な、どういう意味ですか?」


「少し意地悪い言い方でしたね。アスカが男であるとバレてしまった以上、貴女には協力してもらいたい。が、もしこの申し出を断ったなら、貴女はここに居てはいけない存在になる。居られなくなるどころか、問答無用で退学、最悪ご実家への強制送還……なんていうのも覚悟しておいていただきたい」


 真之助の声色は先ほどからまるで変わってはいなかったが、アスカは彼に対して少しだけ不信感を抱いたのを否めなかった。権力で他者を黙らせる姿や、真之助から生まれたのではなく周囲の圧力が産出したであろう誠実そうな笑顔や思いやりに、彼が大人になってしまったと感じてしまったから。


 自分が朧気ながら覚えていた、かつては確かに知っていたはずの従兄はもう何処にも存在しないのだと、寂寥感が頭を塞いでしまう。そう感じてしまう事こそが、お前は無力で未熟な子どもでしかないという現実をアスカに突き付ける。


「それでも構わなければ、どうぞ拒否してくださって結構ですので」


「そんな」


「ああ無論、秘密が第三者に露呈されれば、それ以上の厳罰も余儀なくされるでしょう。良いですか弘田さん?要するに、アスカの秘密を何としても守ってさえいただければ問題無いですから」


「無茶苦茶です」


「茶飯事さ。それが冬檻だよ」


「私は、望んだわけじゃ……」


「シン(にい)


 遠い過去に一度や二度使っただけの呼び方で当て付けのように真之助を微睡みから醒め切った目で見据えた。


「女の子になるための準備は全部そっちが援助してくれるんだよね?」


「うん」


「じゃあ、やれるだけ、やってみるよ。でも、あんまり、期待はしないで欲しいかな」


「中瀬くん?」


 アスカはミチホの懐疑を受け止め、その上で強情な態度を取ることを選んだ。


「一方的に巻き込んでしまったのは謝罪したい。ごめんなさい。でも、不穏分子は徹底的に排除したいんだ。あなたがこっちに全面的に同意し進んで協力してくれるようでないのなら、明日にでも実家に引っ込んでいて欲しい。できるよね、シン兄?」


「うーんアスカがどうしてもっていうならな」


「は、はあッ!?」


「どうなのヒロタさんいや、みっちゃん」


「誰がみっちゃんですか!」


 突っ込んでいながら思わず頬を緩めたのを見て、彼女とならまだ上手く付き合える方かな、という希望を抱けた。


「いやもう、どのみち選択肢ないし。私もやるからにはちゃんと協力しますよ」


「話は決まりだね。じゃあさっそくだけどお色直ししてみようか」

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