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短編(日常・恋愛)

ビール片手に滅びゆく世界を眺めながら、私は姉のことを想う

作者: 鞠目

 人類滅亡の日がやってきた。


 午前7時。

 目覚まし時計が起床時刻を告げる。五月蝿いアラームを目を閉じたままなんとか止める。だめだ、まだ起きられそうにない。あと5分したらスマートフォンのアラームが鳴ることになっている。私は悩むことなくあと5分だけ寝ることにした。

 午前7時5分。

 スマートフォンのアラームが鳴る。寝ぼけ(まなこ)でなんとかアラームを止めるとカーテンの隙間からほんのり光が差し込んでいるのに気がついた。朝日に照らされてふよふよと宙を舞う埃が見える。埃だとわかっているけれどなんだか綺麗だなあと思う。埃だけど。

 私はむくりと起き上がりカーテンを開けた。海辺のマンションの窓からは朝日を浴びてきらきらと光る海が見えた。夏にはまだ少し早いからか海の青さが薄く感じた。


 朝のニュース番組を見ながら着替えを済ませて朝食を食べる。朝食いつも通りバタートースト、ちぎったレタスにミニトマトを添えただけの簡単なサラダ。それからホットコーヒー。もそもそと頬張りながら今日の仕事の予定を再確認する。

 身支度を済ませいつもと同じ時間に家を出発。そしていつもと同じ道で駅に向かう。駅に向かう途中、コンビニに寄り500mlのペットボトルの水とドライフルーツを購入。通販でまとめて買ってもいいのだけれど、なんとなく毎日コンビニで買っている。

 コンビニでレジをしてくれたのは「研修中」の名札をつけた若い中国人男性だった。たぶんはじめましてだと思う。支払いを終えてレジ袋を受け取る時「頑張ってくださいね」と声をかけてみた。男性は少し驚きながらもかわいい笑顔を見せてくれた。

 いつもと同じ時間に駅に着き、いつもと同じ電車に乗る。既にたくさんの乗客がいたが私の目の前の席が運良く空いて座ることができた。今日は運がいい。会社まで電車で一本、30分で最寄駅に着く。

 降りる駅まであと二つになった時、目の前に立つ女性の鞄にマタニティマークが付いているのが見えた。

「よかったらどうぞ」

 考えるよりも先に口が動いていた。私はすぐに立ち上がって席を空けた。

「え、いやあ……」

「私はもうすぐ降りるんでお気になさらず」

「そうなんですか、ありがとうございます」

 女性は少し申し訳なさそうにしていたが譲った席に座ってくれた。席を譲るまで気づかなかったが女性のお腹はかなり大きかった。立ったままはしんどかっただろう。自己満足だけれど席を譲ってよかったなと思う。


 会社に着いて自分のデスクに座る。仕事を始めると一定間隔で次々と部下が私のもとにやってきた。

「部長、来月退社される杉本さんの寄せ書きにメッセージをお願いできませんか?」

 色紙を持ってきたのは入社一年目の里中さん。まだスーツを着こなせていない。ジャケットを羽織った男子高校生と言っても通りそうだ。最年少ということで寄せ書きの取りまとめをしてくれているようだ。


「あの、来週のコンペで使うプレゼン資料ができたのでご確認いただけませんか?」

 タブレット片手にやってきたのは最近結婚したばかりの渡辺さん。たしか30歳だったと思う。もともと頑張り屋だったが結婚してからより一層頑張っていると思う。里中さんと違いジャケットを着こなしているがシャツの(しわ)が少し気になった。コンペの時はちゃんとアイロンをあてたシャツを着て行ってもらおう。

 渡辺さんのさらに後ろからも視線を感じたので見てみるとチーフの山田さんが嬉しそうにこちらを見ていた。彼も部下の頑張る姿が見られて嬉しいのだろう。


「産休前のご挨拶に来ました」

 そう言いながら個包装された可愛らしいフィナンシェをくれたのは宮野さん。ゆったりとしたワンピースを着ているがお腹が大きくなっているのがわかる。彼女は明日から休みに入る予定になっている。

「お腹の子、女の子なんです」

 そう言う彼女の顔はもう母の顔に見えた。


「篠原さんの歓迎会、どこでしましょう? いつもの店にします? それとも新しい店に行ってみますか?」

 オレンジ色の可愛らしい表紙のスケジュール帳とボールペンを持って聞きに来たのは、さっき嬉しそうに渡辺さんを見ていた山田さん。年は私の5つ下だ。頼りになるチーフだが見た目がかなり若いのでたまに彼がチーフということを忘れることがある。

 そういえば篠原さんは仕事には慣れただろうか? 先週中途採用でうちの部署に来てくれたばかりの彼女。第二新卒だったはず。後で声をかけてみよう。

 自分の仕事を進めながら、入れ替わり立ち替わりやってくる部下と話しているうちに一日はあっという間に過ぎていった。


 午後9時。

 私は何人か残っているメンバーに声をかけてから会社を後にした。電車に揺られて家に帰り、シャワーを浴びてから夕飯を食べた。

 夕飯は昨日の残りのおでん。もう暖かい季節だけれど急に食べたくなったのだ。二日目のおでんは味が染み込んでいて美味しかった。特に大根がいい具合になっていてビールのあてにぴったりだった。食べ終わってからもう少したくさん作っておけばよかったなと後悔した。


 午後11時。

 今日が終わっていく。いつもと同じ一日が終わっていく。唯一異なることと言えば明日が来ないということだけだと思う。




 一年前。

 仕事から帰ると家の電気がついていた。私は一人暮らしだ。合鍵を持つ人もいない。電気をつけっぱなしにしていたのかもしれない。そっとドアを開けて家の中を見ると(なぎさ)がいた。私の双子の姉が。

「おかえり」

 姉はにこにこしながら言った。リビングのソファにどかっと座っている。

「ただいま」

 私は真顔で答えた。

「もっと驚いてもいいんじゃない?」

 姉は不満そうに言った。

「十分驚いてるよ」

 私は真顔のまま言った。そう、私はかなり驚いていた。姉は社会人になってすぐに自殺していたから。

 姉は死んだ当時の姿をしていた。品のいい白いワンピースを着た、25年前の姿のままの姉。何の特徴もない私と違いスタイルがよく顔が整っていた姉。勉強もスポーツもできて社交的な姉。そんなかつての姉が何故か目の前にいる。

「どうしてここにいるのか聞かないの?」

 黙って姉を見つめていると不服そうな表情で聞かれた。

「聞いたら答えてくれるの?」

「そりゃあ答えるわよ」

「じゃあどうしてここにいるの?」

美里(みさと)に未来を伝えるためよ」

 そう言うと姉はにやりと笑った。

「未来?」

「そう、未来よ」

「誰の?」

 私はとりあえず聞いてあげた。姉の顔に『もっと質問して!』と書いてあったから。私は未来に興味がない。

「世界の未来よ」

「世界の?」

 私の未来を伝えに来たのかと思っていたので想定外の答えに少し驚いた。世界の未来だなんて、なんともスケールの大きな話だ。

「今からちょうど一年後に世界が滅びるの」

「へー、そうなんだ」

 私にはそれ以上もそれ以下の感想もなかった。世界が滅びる。もう決まったことなら仕方がないなあと思いながら私は持っていた鞄を床に置いて着替え始めた。


「驚かないの?」

 私が着替えていると姉が聞いてきた。少し焦っているように見える。

「驚いたよ」

 そう言いながら私は部屋着に着替えた。洗面所に行き手を洗って戻ってくると怖い顔をした姉が私を睨みつけた。

「もっと驚きなさいよ! どうしてあんたはいつもそうやって落ち着いたままなのよ。気になることはないの? 滅びる理由とか、回避する方法とか知りたくないの?」

 姉には申し訳ないが私には興味がない。でも興味がないと言ったらさらに怒られるのは目に見えていた。

「どうして姉さんは私に伝えに来たの?」

 質問を求められているようなので唯一少し気になったことを聞いてみた。すると姉は両手で頭を抱えてため息をつき、そして小さな声で「そうだ昔からあんたはこういうタイプだったわ……」とぶつぶつ呟いた。

「私はね、あんたの悲しむ顔が見たかったから来たのよ」

 姉は手を下ろすと私をじっとりと見つめ、嫌な笑顔で私に言い放った。

「なんでも完璧を求められる私と違い、周りから特に期待されることもなく楽な生き方をしているあんたが嫌いだった。私たちは双子なのに私だけが過度な期待ばかりされた。社会人になっても期待はどんどん大きくなる一方。期待に少しでも沿えなかったら失望されて、文句を言われる。わかる私の苦しみが?」

 長台詞を一度も噛まずに言い切る姉。やはり姉は器用だなあと思う。思いながらやかんに水を入れ、コンロに乗せて火をつける。換気扇を回してから再び姉を見ると、呼吸を整えた姉が再び口を開くところだった。

「プレッシャーに耐えきれなくなって飛び降りた時もどうして私だけがこんな目に遭わないといけないのか理解ができなかった。同じ双子なのに楽そうに生きるあんたが嫌いだった。だから! 世界が滅びるってわかった時、それを伝えて絶望するあんたの顔が見たいと思ったのよ」

 そう言うと姉は狂ったように笑い出した。姉の笑い声が部屋中に響き渡る。長台詞は一旦終わったようだった。笑い続ける姉を見て、大変だったんだなあと思いつつ、私はカップラーメンの支度を始めることにした。


「ちょっと」

 カップラーメンの蓋をめくり、かやくの袋を開けていると姉が真顔で私を見ていた。

「どうしたの?」

「どうしたの? じゃないのよ。もっと何かリアクションがあるでしょう普通」

「何に対して?」

 私は首を傾げた。

「私が言ってたこと聞いてた?」

 眉を(ひそ)める姉。

「聞いてたよ」

 首を傾げる私。

「じゃあどうしてそんなに平然としていられるのよ!」

 姉はソファから立ち上がると私に向かって怒鳴り散らした。やかんのお湯が沸騰したので私は姉を一瞥してからコンロの火を消した。そしてカップラーメンにお湯を注いだ。

「無視しないでよ!」

 再び叫ぶ姉。私は再び姉を一瞥してからスマートフォンのアラームを3分で設定した。

「ごめんなさい。お腹が減っていたから」

 私がそう言うと姉の顔が真っ赤になった。口がわなわなと震えている。そんな姉を見て、死んでも人の癖って変わらないんだなあと私はしみじみと思った。生前、姉には怒ると口がわなわなと震える癖があった。

「姉さんが私のことが嫌いでも私にはそれに対してどうしようもないでしょう? 好きになって欲しいって言っても無理そうだし。それに世界が滅びる日がわかったからといっても別にやることもないしどうでもいいなと思ったの」

 私が思ったことを言うと姉は呆れた顔をして固まってしまった。姉からのコメントがないので私は発言を続けることにした。

「姉さんも色々大変だったかもしれないけれど私も色々あったのよ? そういう相手のことが考えられないところは姉さんの短所だと思うの。そこは死んでいたとしても改善した方がいいんじゃないかな」

 姉の顔がまた真っ赤になった。まるでゆでだこみたいだ。相変わらず表情が豊かだなあと思う。見ていて飽きない。

「もういいわよ! あんたなんか残された時間を意識して生きていけばいいわ。このことを知っている人間はあんただけよ。他の人間に言ってもいいけれど誰も信じるわけがないわ。一人で抱え込んで死んでいきなさい!」

 姉は長々と大きな声で叫んだせいか肩で息をしている。化粧も崩れていてせっかく綺麗な顔をしているのに台無しだ。姉が「もう帰る」と言って玄関に向かおうとするので私は最後に新たに気になったことを聞いてみた。

「ねえ、世界が滅びるってどんなふうに滅びるの?」

「は? そんなことも考えられないわけ? いいわ、教えてあげる。23時59分に窓の外を見ればよくわかるわ。水平線が赤く輝くの。そしてそのまま赤い光が地球を覆い尽くすと地上にいる全ての生き物が灰になるの」

「全て?」

「そう、全ての生命が死滅するわ」

「そうなんだ。それってどういう原理?」

「知らないわよ。そうなるって決まっただけだから。あんたなんか赤い光に怯えながら最期を迎えたらいいわ」

 そう言って姉は出て行った。姉は私のことをあまり名前で呼んでくれなかった。心の距離がよくわかる。あ、そんなことを言ったら私も「姉さん」としか呼んでなかった。お互い様かもしれない。

 気がつけばスマートフォンのアラームが鳴っていた。



 午後11時55分。

 私はいつも通り酒を飲んでいる。姉の話が本当なら世界が滅びるまで残り5分を切った。私は飲みかけの缶ビールを片手にベランダへ向かった。ベランダから見える景色は真っ暗だった。空に浮かぶ月が仄かに海面を照らしている。少し肌寒かったので私は一度部屋に戻りカーディガンを羽織ると再びベランダに出た。

 私はこの世界が嫌いじゃない。今の仕事にはやりがいを感じているし楽しいことも多い。宮野さんは明日から産休。渡辺さんは来週コンペ。篠原さんの歓迎会は再来週で杉本さんの退社は来月の予定だ。せっかく決まった予定が実現しないのは少し寂しいなあと思う。

 缶ビールが空になったので私は冷蔵庫に取りに行くことにした。冷蔵庫のドアを開けると500mlの缶ビールがまだ4本あることに気がついた。時計を見ると午後11時57分。世界滅亡までに飲み切るのは難しそうだ。

 冷蔵庫のビールを全て飲み干すことを諦めた私は一本だけ持ってベランダに出た。普段は安い発泡酒を買うのだけれど今月になってからは奮発してビールを飲んでいる。どうせ滅びるなら少しぐらい贅沢してもいいかなと思って。

 一年前は世界がどうなろうがどうでもいいと思っていた。滅びたら滅びたで「あー滅びちゃった」と思うだけだし、滅びなかったら「あ、滅びなかった」と思うだけ。そう思っていた。思っていたのに今更になって滅びなかったらいいなあと思う自分がいる。不思議なものだ。


 午後11時59分。

 突然水平線が赤く輝き出した。子どもの頃に科学館で見た太陽プロミネンスの映像を思い出す。鮮やかな赤い光は輝きを強めながら、大きな波のようにこちらに迫ってくる。どうやら世界は滅びるみたいだ。

 姉は生前嘘をつかない人だった。それは死んでからも変わらなかったようだ。世界が滅びるのは残念だなあと思う反面、姉が変わっていなくて良かったなあと思う自分がいた。


『プレッシャーに耐えきれなくなって飛び降りた時もどうして私だけがこんな目に遭わないといけないのか理解できなかった』

 一年前に姉が来た時に言っていた言葉が急に頭によぎった。死ぬ間際までわからなかったことは死んでからわかったのだろうか? ちょっと気になる。あの時ちゃんと聞いておけばよかった。

 迫り来る赤い輝きを眺めつつ飲む缶ビールは意外と美味しかった。もしこの場に姉がいてくれたら一緒にビールを飲みながら胸に残った疑問が解消できたんだろうなあ。そんなことを思いながらため息を一つ。


「私は嫌われていたけれど、渚のことを嫌いだと思ったことは一度もなかったよ」

 赤い光に包まれる直前、私は姉に伝えられなかった言葉をようやく口にすることができた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)いやぁ~言わずもがな凄い描写ですよね。世界の終焉を背景にこの手でおはなしをつくり、感情移入される手腕に唸らされました。鞠目さまはあまり書かれないですけども、たとえばヒューマンドラマを…
[一言] この主人公である妹のようになりたい。 (*´ー`*) 「これが最期の夕暮れか〜」、とか思いながら好きな酒を飲みたいものです。慌てすぎると、酒の味もわからなくなるので。 渚さんは、自分で自分…
[良い点] すごくテンポが良く、緊迫感がある中でも「ビール」がいいアイテムになっていると思いました! 面白かったです!!
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