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5.び っ く り し た

「ブリュンヒルデ・フォン・クルーガー嬢は画家になるべきだ!」


 帰宅した俺は、イザベラにそう意見した。


「美術部室で彼女の絵を見た。あれは凄い。あれは良い」


 勢い込んで話す俺に、イザベラは目を白黒させている。


「美術部室なんて、いつ行ったの?」


「今日だ! 今期の行動計画書が未提出だったから受け取りに……」


 しまった。肝心の書類を受け取り忘れた。あの絵の素晴らしさに我を忘れていた。あの後ブリュンヒルデ嬢を探して学園内を駆けずり回ったが見つけられなかった。この感動を本人にどうしても伝えたかったのに。


 見つからないものは仕方がない。

 帰宅の為に馬車に乗り込んだ後で、彼女は寮生だったことを思い出した。


 しまった、シュネー寮を訪ねれば良かったんだ!


 気が動転し過ぎて後手後手に回っていた。


 馬車の中で頭を抱えながら、俺は考え続けた。

 あぁいった素晴らしい絵をもっと見たい。彼女が描き続けてくれる為に、どうしたらいいのか。


 答え。彼女が画家になればいい。

 どうにかしてあの子に画家の道を目指して貰えないかと考えあぐね、妹に言ってみたのだが。


「兄さまが出資者(パトロン)になると? 残念ね。出資者(パトロン)になるならわたくしとヒルデガルドさまが先よ」


「さすが、イザベラ! あの絵の良さに気が付くとは見る目がある! 俺にも一枚かませろ」


「二重に残念なことにね、あの子、画家になる気はないの」


「えぇぇぇぇぇ?」


「兄さまの顔も残念なことになっているわよ?」


「なぜ? あんなにいい絵を描けるのに?」


「絵は領地にいるおばあ様に贈る為に描いているのですって。なんでもおみ足が不自由で、王都に来ることなど叶わないだろうからって」


「いや、でも、あの腕を眠らせるのは、惜しくないか?」


「わたくしもそう思うわ。でも本人にその気がないなら、どうにもならないじゃない?」


「イザベラ。正式に俺を彼女に紹介してくれ。クルーガー嬢を説得したい。あの腕前でありながら画家の道を目指さないなんて、美術界の大損失だっ」


 その後も懇々と美術界の損失を訴え続ける俺の情熱に押されたのか、妹はブリュンヒルデ嬢を正式に紹介してくれた。ナンパ目的じゃない、兄はそんな不真面目な人間ではないと解って貰えてホッとしたのは言うまでもない。





 会うの三度目。正面からブリュンヒルデ嬢を見るのは、あのお茶会の日から数えて二度目。じっくり観察したのは初めてだった。

 真っ直ぐな黒髪は長く背中を覆っている。つぶらなオニキスの瞳がキラキラ輝いている。こぶりの鼻に、小さく形の良い唇。特筆すべきはビックリするほど肌がきめ細かく綺麗だということか。これが正真正銘の“雪肌”だと思った。イザベラやヒルデガルドさまのような派手な美女ではない。だが、楚々として奥床しい様子は好感が持てた。


 改めてきちんと挨拶をした俺に、


「“はじめまして”、じゃないから“二度目まして”?」


 なんてとぼけた答えを返した女の子は、ブリュンヒルデ嬢が初めてだった。


「前回会ったお茶会のとき、俺の顔を見て首を傾げていたのはなぜ?」


 俺はそんなに覚えられていなかったのだろうかと思ってした質問に


「あぁ、失礼いたしました。双子のお兄さまがいると、イザベラから伺っていましたので。なるほど、と」


 そんな素っ気ない返答。俺とイザベラは似ていると思いながら観察していた、ということかな。俺に靡かないなんて、まったくもって珍しい!

 この子は中身が面白い。


 でも相変わらず笑顔は見せて貰えなかった。

 笑ったらきっと可愛いだろうに。



 なんとかブリュンヒルデ嬢と友だちになって(立ち位置的には親友の兄という認識かもしれないが)、俺とイザベラが束になって彼女に画家を目指してくれと説得する日々が始まった。


 あまりしつこくして嫌われたくないから、ちょっとした冗談のようにさり気なく。でも忘れないでね、こっちは君の絵のファンなんだよと、熱く語った。


 なんだかんだ理由をつけて、学生会の手伝いをして貰うようになった。勿論、イザベラもついて来た。イザベラが学生会室に出入りするようになると、ジークフリートの機嫌が良くなった。ジークは小さい頃からイザベラのことが好きなのだ。兄としても親友としても、二人が仲良しなのは好ましいことだった。


 有名なギャラリーや博物館の絵画展にブリュンヒルデ嬢を誘って共に見学した。もちろん、二人きりはイザベラが許してくれないので(あいつはブリュンヒルデ嬢の保護者か?)、イザベラやジークフリートも同行した。


 王子殿下であるジークフリートがいると仰々しい警護がつくが、身の安全には代えられない。メリットとしては、博物館が貸し切り状態になることか。じっくりゆっくり展示物を見ていて気が付いた。


 どうやらブリュンヒルデ嬢の美に対する感性は俺に近い。いいな、と思う系統が似通っている。

 綺麗なモノが好きで、可愛いものが好き。ちょっと収集癖があるかもしれない。


 そして。

 大階段にある大きな花瓶に生けられた美しい花々を見た時。


「あぁ……うつくしいですねぇ……」


 感じ入ったような彼女の言葉に頷きながら、なに気なく見た彼女は自然に優しく微笑んでいた。


 び っ く り し た 。


「―――ブリュンヒルデ君?」


「はい。なんでしょう?」


 つい、と俺を見あげたその顔は、いつもの無表情だった。

 なんてことだ。

 笑えないと思っていた彼女は、実はちゃんと笑えるのだ。あの花々を、美しい物を見た時、口角が上がっていた。

 たぶん、無意識なのだ。


 それに気が付いた俺は、以前にも増してブリュンヒルデ嬢を観察した。


 温室に今年いちばんに咲いたバラの花を見たとき。


 学生会室でジークフリートとイザベラのじゃれ合いのような会話を傍で聞いているとき。


 ヒルデガルドさまからの差し入れで、王都一番のパティシエが作ったリンゴのケーキを食べたとき。


 風景画を描いているとき。


 ほんのちょっとだけ、彼女の口角が上がるときが確かに存在するのだ。それは毎日観察して、一緒にいる時間が長くないと見逃してしまうような、本当に僅かな違いで。


 そこに気がついたら、無表情であったはずのブリュンヒルデ嬢も、実は表情の変化があるのだと気が付いた。喜び、楽しみ、嫌悪や苛立ち、全ての感情を抑え込んでいる訳ではない。負の感情のときは、わずかに眉間に皺が寄る。皮肉な気分のときは、右の口角だけ微かに力が籠る。ほんの微かに目尻が下がって口角が上がって、“笑っている”。

 眉間に皺が寄って口角が下がって“怒っている”或いは“不快”。


 そして何よりも、その瞳に感情を乗せるのだ。ちゃんと瞳を見れば、彼女が喜んでいるのか、楽しんでいるのか、悲しんでいるのか、苛立っているのか、判るのだ。


 ちゃんと、判るのだ。




「イザベラ。ブリュンヒルデ嬢も、笑うことがあるんだな」


 ある日、そう話しかけた俺に妹は“なにをいまさら”と呆れたような顔をした。


「兄さまもブリューの魅力に気が付いてしまったのね……」


 溜息混じりの呟き。


「あの子の微笑みは貴重なのよ? 兄さま如きがおいそれと拝んでいいものではないの」


 “如き”って、お前ね。仮にも血を分けた兄に対してその評価はいかがなものかと思うよ?


「もっとも、そのおかげで魂が浄化されるかもしれないから、兄さまには有難いことかもしれないけど」



 ……我が妹は、なにを言っているのだろう?





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