16.ブリュンヒルデの変化
ラインハルトさまやヒルデガルドさまたち三年生が卒業して、俺は二年生に進級した。当然、ブリュンヒルデたちが高等部一年生に進級する!
やった! 階は違うけど同じ校舎だ!! 高等部にあがってからこの一年、長かった……これから二年間は彼女と同じ学び舎で過ごせる。今までより格段に近い距離になる!
ブリュンヒルデは今年16歳になる。
我が国の貴族女性は、伝統的に16歳になる年がデビュタントの年だ。大体は王家主催の王宮での夜会(人によっては公爵家主催の夜会の場合もある)に出席してお披露目をする。そのデビュタントを果たしたら大人の仲間入りをしたと見做されるのだ。
俺は、そのデビュタントの、ブリュンヒルデのパートナーになりたい。
そう思っていた。
のだが。
「あれは、身内の男性がパートナーになるもんだぞ?」
ジークにばっさりと言われてしまった。
「身内以外なら婚約者だな」
さらに追い打ちがきた。“婚約者”。恐れていた言葉だ。幸い、まだブリュンヒルデはフリーだ。婚約者はいない。そう、イザベラから聞いている。
実は、去年から父上にお願いしてクルーガー家には婚約の打診をしているのだ。クルーガー伯爵本人にも王都に来ていただいて面会した。
だが、返事が芳しくない。
「娘本人の自主性に任せていますので」
人の好さそうな笑顔で答えたクルーガー伯爵。
ブリュンヒルデの飄々とした雰囲気とあの黒髪とオニキスの瞳はこの人譲りだろう。それ以外は似ていなかったので、お母上に似たのだろうと推測する。(まだ見ぬお母上だが、会える日が楽しみだ!)
そしてこの返事は、親の独断で縁談を纏める古い価値観を持った人ではないという証明で、同席していたうちの両親もそれに賛成した。
が、今回ばかりは侯爵家の権力を使って欲しかったよパパン。父上も母上も、実はブリュンヒルデを気に入っている。なんせ、愛娘を守り、その性格を良い方へ変えた張本人だから。だからこそ、彼女の意に添わぬ結婚はして欲しくない、と。(父上にはこっそり“お前次第だ、頑張れ”と言われている)
つまり、俺が本人を口説き落とせってことだよね!
一応、親公認で口説く権利を貰った訳だよね!
だけど。
去年、ラインハルトさまとは本当にいろんな話をした。シェーンコップ先輩の情報を得たのもそのときだったし、その中で耳に痛い、というか俺が焦ってしまう情報があった。
『黒姫のことだがな、オリヴァー。ただでさえ、クルーガー伯爵領は裕福だと評判だ。そこの総領娘だぞ? 爵位を継ぐ予定のない次男、三男坊の男子学生から超優良物件として垂涎の的だ。
そのうえ、彼女が初等部一年時に見事ボヤ騒ぎを治めたことは、彼女の優秀さ、冷静さを際立たせ名を挙げた。
さらに、お前をきっぱり袖にした態度で女神扱いだ。学園に居る間はイザベラ嬢という防波堤がいるから表立って申し込む野郎はいないだろう。だが、彼女がデビュタントを果たしたら、正式な縁談が山のように持ち込まれるだろうな』
それを聞いて、焦って早計かました俺は、剣術試合の対戦中に、シェーンコップ先輩にあんな阿呆なこと言っちゃったんだよなぁ……。後悔先に立たずって、まじな格言なんだね。
因みに。
そのシェーンコップ先輩だが、王国騎士団に就職し近衛隊に配属され、ちゃっかり俺のファンクラブ会員だった女子学生を口説き落として、今は婚約中だってさ。
けっ。お幸せにっ! 幸せにしかならない呪いをかけてやる! って、卒業式のとき言っておいたから、たぶん、幸せだろう。感謝しやがれ。
と、まぁ、そんなこんなで。
デビュタント。あぁデビュタント。デビュタント。
目下の俺の悩みの種だ。
ぼんやりしていたら、デビュタントが終わり、ブリュンヒルデに婚約者候補が殺到してしまう! その前に、なんとしてもパートナーになって周りを牽制しなくてはならないのにっ!
◇
「とりあえず、さっさと本人に申し込めば?」
いつもの通り、放課後の学生会室でメンドクサイ書類を片付けつつ交わすジークとの会話。
「……できない」
項垂れる俺。ちなみに、今の学生会会長はジークフリートだ。二年生だけどね、たぶん、来年もやるんじゃないかな。王族である殿下より上の役職に就きたくないと、学生会メンバー全員の意見だったから。
「は? なんで? お前のそのいつもどおりの厚顔無恥さで、申し込みに行くんじゃないのか?」
ジークフリートくん。きみはなんと無神経なことを言うんだい?
「ジーク? 君、ほんとうに俺のこと、嫌いなんだね? 本気なんだね?」
「ぅえ? ど、どうした?」
「どうもしないっ」
「オリヴァー? 拗ねてる?」
「おふたかた。遊んでいないで、お仕事を先に片付けてください」
俺たちのじゃれ合いに茶々を入れたのは、高等部一年のエミール・フォン・ファルケ。
ラインハルトさま推薦(彼のブルーダーの弟だったんだって!)で、今年、学生会に入会した専科の男子学生だ。
名字のファルケで判るとおり、ファルケ辺境伯のご子息。ファルケ辺境伯一族は戦闘集団として勇猛果敢、強さを尊び、人種国籍は問わず迎え入れることでも有名だ。過去には王国騎士団の騎士団長を務めた御仁が山ほどいる。
そんな一族出の彼は、専科を選んだのが不思議なくらい体格もいいし、剣の腕もたつ。なんで騎士科を選択しなかったの? と聞いたところ、“実家で一通り嗜んできましたので”という返答だった。
今は、王国騎士団に顔を出してそっちで鍛錬を続けているのだとか。叔父さんもいるんだって。学園で習うことなんて、既に修得済みでいまさら必要ないってことなのかもね。
そんでもって俺への当たりが強い。俺のこと、嫌いなんだろうなぁって分かる態度を取って来る。ま、別に構わない。仕事はきちんとしてくれるから。
ところで。
肝心のブリュンヒルデなのだけど。イザベラに付き合ってこの学生会室に顔を出してくれるようになった。たまに。本当に、たまに。
凄く、すっごく、嬉しい! たまに、とは言え、また彼女に会えるようになったのだ! 週に一度、こっそり拝みに行った日々に比べれば、なんという良環境! 圧倒的僥倖!
そんなことを考えていたらノックが4回。来た!
「イザベラさまとご友人です。入室許可をお願いします」
という護衛(ジーク付きの近衛騎士だよ)の声がドアの向こうから聞こえた。
「入れ」
嬉しさを押し隠したジークが答える。
「失礼いたします。差し入れをお持ちしましたわ」
そう言っていい笑顔のイザベラが部屋に入って来た。手に何やら箱を持っている。茶菓子だろうか。彼女の後ろに続いて入室したのは―――。
ブリュンヒルデ。
長い黒髪。触れたら溶けそうな白い雪肌。記憶にあるよりも、少し背が伸びた。そして記憶にあるような無表情ではなく。
ゆるやかに。
そう、まるで在りし日のヒルデガルドさまのように、ゆったりと微笑んでいるブリュンヒルデ嬢が、そこには居た。
何が彼女を変えたのだろう。




