10 糖度100パーセント
近くのマカロンを取って口に含むと、甘酸っぱいベリーの風味が舌いっぱいに広がった。私は、こんなお洒落なもの家では食わないな、なんて思いながらそれから2、3個は口にして、お母さんとしばらくの間恋愛の話や学校の話などで談笑をしていた。すると姫が戻ってきて声をかけようとした瞬間、お母さんがそうだ! と手を叩き、椅子の上の買い物袋の中から何やら取り出した。
レースとリボンがあしらわれたパステルピンク色のワンピースのスカートがひらりと空中を踊る。糖度100の甘々な服を見せてにっこりと笑った。
「知り合いのブティックに寄ったんだけど、怜に似合うと思ってつい買っちゃった」
姫の顔をそっと盗み見た。眉を寄せて目を細め、唇はへの字に曲がっている。
「お母さん......」呆れたように眉間を指で抑えて呟いた。
「せっかく可愛い顔してるんだから生かさないと。勿体ないわよ」
「いや。生かすとかそういう問題じゃなくて。俺男だし、そんなの着れないよ。アキラが着るといいよ」
私は突然自分の名前を出され、一瞬反応が遅れるも、食べかけのマカロンを口から外し「は!?」と叫んだ。
「それは名案ね! アキラちゃん、ちょっと向こうで着替えてらっしゃいよ。私の部屋を貸すから」
「え、え? あっ。私絶対に合わないから姫が着て!」
「僕も見たいな。アキラが着てるところ」
ちょっと待て。話が違う! 何故か姫は学校でよくするようなふわふわと天使のような笑顔を浮かべていた。たまに天然で意地悪なところが炸裂する。
私は流されるまま、お母さんに連れ去られ、ワンピースと一緒に個室に押し込まれた。しばしうろたえて睨めっこをする。いっその事逃げ出したい気持ちだ。
そもそも、こんな服着たことがないから、どうやって着るのかさえわからない。頭からいれるのか、それとも足からいれるのか? 苦戦すること10分、なんとか目の前の洋服と決着をつけた。サイズは少しだけゆとりがある。姿見があったけど自分の格好を見るのには勇気が必要だった。私は恥ずかしさで頭が沸騰しそうになりながらゆっくり部屋から足を伸ばした。そして静かに二人の前へ近づいた。
「あの……私本当にこういうの似合わなくて」膝上のスカートの裾を両手で軽く握って小声で呟く。
お母さんは即刻、声を明るくした。 「すっごく可愛い!! 小さいお姫様見たいよ、アキラちゃん」 私は初めて言われた言葉に口をきゅっと結んだ。そして密かに姫の方へ視線を向けた。黙り込んでいる。やっぱり女装した男の子にしか見えないか。
「ね、姫も可愛いと思うでしょ」 お母さんがそう振った。姫は二度大きく頷いてくれた。それから、
「アキラ、その格好でギターを弾いたら?」
「でも、弾く時はかっこいい服の方がいいんじゃないか?」
「え? なになに、アキラちゃんギター弾いてるの!?」
「はい。音楽好きなんです」
「アキラは歌も歌えるんだよ。綺麗な声してるんだ」
私は顔を熱くしてうつむいた。
「きゃー、もう格好いい。今度アキラちゃんの歌、私にも聞かせてね」 「私の歌で良ければ」人に聴いてもらえる機会なんてめったにない。私はそんな風に言ってくれるのは、素直にありがたいなあと思った。
「だから、……また遊びに来てもいいですか?」
私なりに、それは勇気を出した質問だった。その質問には、姫が答えた。
「うん。何ならいつでもギター弾きにおいでよ。僕もしばらくはお父さんのアトリエを借りて絵を描くから、アキラの弾く曲を聴かせてほしい」
「怒られないかな?あんな神聖な場所使ったりして」
「大丈夫、お父さん忙しいし。それにアキラが居てくれたら僕が寂しくないから」
そう言った姫の眉尻は垂れ下がっていた。
「なんだか妹ができたみたいで嬉しいわぁ。アキラちゃん、お姉ちゃんって呼んでもいいのよー」
お母さんは私の頭をひしりと抱きしめて撫で乱した。いい香りと、大人の女と人の柔らかさに私は思わず顔を赤らめた。でも、私にもお母さんがいたらこんな感じだったのかなぁ。
明るく笑う姫と、そのお母さんの二人の会話を見ていたら、どこか羨ましくて、やるせなかった。
私たちは日が暮れるまで会話をした。久しぶりにこんなに楽しくて笑った。姫の暖かい性格はきっと母親譲りなんだろうと思った。
元の服に着替えた途端ほっとした。やっぱこの服が一番自分らしい。駅までの距離を姫と歩いていく。
電車のホームに入る手前、振り返って私はまた学校でと口にした。それから帰ろうと足を踏み出した時、姫は私の手首を掴んだ。
おどろいて足を止め、姫の顔を見る。すると、姫の手は私の頭へと伸びて、私は思わず肩を竦ませた。
姫は私の頭の上に、あるものを乗せた。いや、挟んだ。何だろうと思ってそれに手を伸ばし触れてみると、姫はにっこりと笑って。
「プレゼント」
「……な、なに?」
「猫の髪留め。お母さんに貰ったんだけど僕よりアキラの方が絶対似合うから」
「あ、ありがとう」
私は片手で何度も飽きずにそれを触って確かめた。姫のやさしさは、だいだい色。私にはない色。心の中をすぐに灯らせてしまう。
「姫ってさ、格好いいよね!」
私は正直な気持ちを吐き出した。姫は頭を掻いて視線をちらほらとさまよわせた。それからふいと、風みたく揺れて私の耳元に顔を寄せると、
「じゃあ姫じゃなくて王子様って呼んで」
と小さく言った。その声がいつもの姫よりも男っぽく聞こえたから、私は何だかドキドキして、目線の先にあった喉仏を見つめて、はっと一歩後ろに退いた。姫はいたずらっ子のような笑顔で「なんてね」と言って舌を出した。
心音メトロノーム130BPM。平静を装って姫の肩を軽く小突いた。
「姫は姫の方が似合ってんだから、冗談言うなってば」
私は男友達にするノリをして誤魔化しながら、ホームの方へ駆け出した。
「じゃあまた学校で!」改札をくぐりながら手を振った。姫も最後まで緩く手を振って見送ってくれた。
電車に乗っている間、今までの時間が本当で、今いる空間がどこかそっけなく思えた。だから私は繰り返し今日の出来事を頭の中で再生をした。私が音楽も聞かずに外にいるのは久々のことだった。音楽を聴いてしまったら、今この胸の中にある嬉しさや温もりが溶けて混ざってしまいそうで、大好きなsaggyも何も聴きたくなかった。私はドアの向こうの追いつけない景色を眺めるまま何度も何度も頭の上の猫の飾りを触って楽しんでいた。頭の中でもう一人の私は大声で叫んでいた。糖度100パーセントだ!




