三波先生の言葉
普通、ずぶ濡れで帰ったらどちらかが風邪をひいて看病をするイベントが発生するのがお約束のはずだが――そんな事は一切無かった。
二人共身体が頑丈なのか、翌日はピンピンしており体調不良どころかむしろ元気であった。
まぁ、テスト期間に入ったので体調不良にならずに済んだのは幸いだ。
やはり人間健康第一である。
そして、七月も中旬を過ぎた頃。
期末テストが終了して、終業式を終えた教室内では成績表が配られていた。
俺は出席番号が一番なので、一番最初に成績表をもらい、その中身を確認する。
よしよし、一年の時とあまり変わらない位か……。
二年になり、少し授業も難しくなってきたが、何とか成績を落とさずにやれたみたいだ。
これなら両親に堂々と報告する事が出来るな。
自分の成績にほくそ笑んでいると、最後に四条が教卓に呼ばれて成績表を取りに行っていた。
三波先生の苦笑いと四条の苦い顔を見たら彼女の成績が容易に想像出来てしまう。
留年――って事にはならないと思うが、そんな時は冬馬共々全力でサポートしてやるか……。
「はーい! 皆さん、これで今学期は終了でーす!」
四条が席に着いたのを確認すると三波先生がパンパンパンと注目を自分に集める様に手を三回叩いた。
一年生の時のクラスは騒がしかったので手を叩く必要があるが、このクラスは良く言えば真面目、悪く言えば暗いので、既に先生の方へ視線は集まっている。
癖、なんだろうな……。
「夏休みもあまり自堕落な生活はせず、また夏休み明けに元気に登校してくださいねー」
元気にそう言った後に先生は頬を掻いて「えーっと……」と言葉を詰まらした。
「私事ですが……。以前、少しお話しさせてもらった通り、今期限りで私は退職となります。たった一年という短い期間、このクラスの担任になってからは半年も経たずで卒業となってしまいました。本当は皆さんと一緒に卒業したかったのが本音です……。先に卒業してしまいますが、皆さんの卒業を、これからの人生を陰ならが応援していますので、お互い、まだまだ長い人生、頑張っていきましょう」
言葉の終わりに頭を下げると誰も反応が無かった。
それは流石に悲しすぎるので、俺は軽くパチパチと手を叩くと廊下側の方からもパチパチと聞こえてきて、真ん中の席からもつられる様に聞こえてくる。
まばらな拍手の中、先生が頭を上げると「それじゃあ皆さん楽しい夏休みを過ごして下さい。以上です」の言葉にクラスメイト達は一斉に立ち上がり教室を出て行った。
別に担任の先生がやめようが関係ないってか……。
まぁ正直な話、俺も一年の時に担任じゃ無かったら関心は無かったかもな……。
そんな、人間って冷たい生き物だと再認識しながら席を立ち教卓の先生の所へ向かう。
「先生」
まるで捨て犬の様な目で俯いている先生を呼ぶと「一色くん」と、まるで新しい飼い主が現れたかの様なキラキラの目でこちらを見てくる。
そりゃ最後の最後に生徒達があんな反応ならそうなるな。
「今日部活来てくれるんだよね?」
「勿論ですよ。お世話になっ――世話?」
「ふふっ。何よー。ちゃんとお世話してあげたでしょー?」
「いや、パシられた思い出しかないから」
「そ、そうかな? あははー」
何だか先生は嬉しそうに頭を掻いて笑って答える。
「楓先生」
俺達の会話中に四条もやってくると、先生は相変わらず仲の良い妹にでも会ったかの様な反応を示す。
「純恋ちゃーん」
「今から部室来ますよね?」
「うん。職員室寄ったらすぐに行くよ」
「分かりました。先に部室開けて待ってますね」
「うん。ありがとう」
「それじゃあ、一色君も、また後で」
俺の事はおまけ程度で名前を呼ぶと四条はすぐに教室を出て行った。
「――さて……それじゃあ、俺も……」
さっさとこの場から立ち去ろうとした時、先生に「うふふふふ」と、旧青い猫型ロボットの笑い方の様に笑みを浮かべられて肩を掴まれる。
「一色くん。待った」
「おいおい。もしかして――」
「ラストミッションだよ」
「まじか……。最後の最後にパシらせる気かよ……」
「最後だからだよ。それに私、妊婦さんだよ? 重たい荷物持てっての?」
それを言われたら断れない。
俺は溜息を吐いて答えた。
「妊婦さんには優しくしてあげないとね。分かりました。ラストパシリやらせていただき光栄です」
「それじゃあ職員室に行きましょうか。安心して。最後だから大量よ」
「国語の先生なのに安心の使い方間違ってるぞ」
♢
大きなレジ袋が四つ。
それぞれ――。
ジュースの入ったペットボトルが二つ。
大量のお菓子。
紙コップ、紙皿。
ジュースの入った袋がめちゃくちゃ重く、ふらふらと廊下を歩く度に「すごーい」とか「力もちー」なんて黄色い声を送ってくるのがかなり耳障りである。
「もう……無理……ちょっと休憩……」
二階の渡り廊下を半分歩いた位でドサっと床に荷物を置いた。
「あははー。流石に一撃じゃ無理かー」
「俺は筋肉キャラじゃないから。こういうのは五十棲先輩の役でしょ」
「確かにねー。でも、一色くん優しいからさー」
「今日のはほとんど脅迫だろ」
「あれー? そうだったー?」
この女……どうしてくれようか……。
「ふふ……。一色くんは本当に優しいよね」
言いながら先生は渡り廊下から中庭を見渡した。
「――私の旦那になる人も優しいんだよ……」
「いきなり惚気ですか?」
「いやー、そうじゃなくて――」
先生は呟いた後に「私……」と言いかけて笑う。
「何でもな――」
「先生」
何だか先生が寂しそうな声を出して無理に笑っている気がしたので、俺は先生の隣に立ち優しく問いかけた。
「もう明日から先生と生徒じゃありません。赤の他人――っていうのは寂しすぎますけど、あまり関わりのない人物になります。だから……生徒に話せない事聞きますよ」
そう言った後に自分の言った台詞が少し恥ずかしいと思い照れ笑いを浮かべてしまう。
「こ、これもラストパシリの一部です。――聞きますよ。先生の愚痴」
「一色くん……」
先生は頷くと「そうだね。もう一色くんは生徒じゃなくなるし」と呟いてから語ってくれた。
「私……正直な話、彼とは別れるつもりだったの」
以前聞いた話から、その事に関しては驚きは無かった。
「彼との未来がどうしても想像出来なくて……。この人じゃないんじゃないかって思っててね。私、仕事好きだし、しばらく恋人はいらないから仕事に専念しようかな……って、モヤモヤしてる時に妊娠が発覚してね。授かり婚って形だけど周りは祝福してくれてね。――でも、私自身は何処か引っかかりがあって……。あの時は心身共に擦り減ってて本当に寝れなかったな……」
先生がクマを付けてた日の事を思い出すと、もう少し親切に接してあげれば良かったと軽く後悔する。
「この人と結婚か……。この人と家族になるのか……。って考えると不安で仕方なかった……」
「今もですか?」
聞くと先生は間を置いて首を横に振る。
「あの人はいつも私を一番に優先してくれて、気を遣ってくれて、緊急時には駆けつけてくれて……。良い人で、優しいだけ。でも、本音は隠して、その仮面を取れば恐ろしい素顔がある。なんて思ってたけど、それは私の妄想で……。私、一色くんに色々恋愛の持論を言ったけど、それって結局、私は恋に恋する子供だったって事なのかなって思ってね……。あの人と私の関係は『好き』とか『好きじゃない』なんて単純なものじゃなくて『愛』に変わってたの……。だから今は結婚も抵抗無い……。今は幸せかな」
「――いや! やっぱり惚気じゃんか!」
「あれ? そうなる?」
先生は真剣な空気から一変、いつもの雰囲気に戻る。
「なんだよ、シリアスな空気出すから聞いてやったら、結局惚気かよ」
「えー……。悩んでたのは本当だよ?」
「まぁ……。でも、結局先生は旦那さん? 彼氏さん? と一緒で幸せって事でしょ?」
「そうなる……かな?」
「それを惚気って言うんだよ! ――ったく……もう」
先生に言うと「あははー」と笑うと俺に言ってくる。
「理想は、お互いぶつかり合って『愛』を深めたかった。不安だったんだよ。彼の全部を知りたくて。でも現実は既に全部曝け出してくれていて、それに気がつかなくて……。私達の関係は長い時間過ごしているうちに、いつの間にか『愛』になっていた、って事を言いたいのだよ。少年」
「はいはい。ごちそうさまです」
呆れた声を出して荷物を持ち上げると後ろから先生が言ってくる。
「先生的には、一色くんと七瀬川さんが、苦難を乗り越えて『愛』を深めて欲しいなって思うけどね」
「苦難ねぇ……」
「――あれ? 今日は否定しないの?」
「ま、まぁ……俺達は……その……」
「へぇ。ようやく付き合ったんだ」
「いや……まぁ……そんな所です」
わざわざ許嫁やらなんやらと話す必要もないと思い、曖昧に答えると「やっとだね。このこのー」と隣に来て肩をツンツンしてくる。
「からかい方が古いわっ!」
「別にからかってないよー。ふふ」
嬉しそうに笑うと先生は大人な目をして言ってくる。
「一色くん。これから、七瀬川さんと喧嘩をするかもしれないし、しないかもしれない。自分の気持ちが萎えてしまって、もう好きじゃないって思う時がくるかもしれない。その時は答えを焦らずに立ち止まって考えてみて。その時に本当の愛を感じられるかもしれないから」
真剣に言う先生の言葉に対して答えた。
「その時は先生の話を参考にします」
そんな時が来るかどうか分からないけど、と心の中で付け加えておいた。
気が付けば今日は大晦日。2020年最後の日ですね。
沢山の読者様に私の小説を読んでいただき、沢山の感想をもらい、レビューもいただいて本当に感謝してもしきれないくらいです。
皆様、来年もどうぞよろしくお願いします!
良いお年を!
新年にすぐ投稿する予定なのでお願いしまーす!




