親友の秘事
三波先生が倒れた。
その事をクラスメイト達は知っているみたいだが、わざわざ話題に出す程でもないのか、まるでそんな事無かったかのように昼休みを迎えた。
それは幸か不幸か……。こちらとしては口止めされているので話題に上がらないのは助かる。
四組まではそんな噂が出ていなかったのか、いつも通り部室で昼食をとっている時に、その話題は上がらなかった。
四条もいつも通りの笑顔で冬馬に弁当を渡して、いつも通りシオリと楽しそうに喋っている。
先程の寂しげな後ろ姿がまるで嘘みたいで、なんだか、さっき起こった事が白昼夢でも見たかの様な錯覚に陥る。
「小次郎」
昼食を食べ終えて今日は冬馬が戸締りをしていると、名前を呼ばれる。
「ちょっと自販機付いて来てくれないか?」
親指で後方を指しながらのお誘い。
名指しなので、俺にだけ何か話があるのだろうと容易に予想出来た。
「じゃあ、あたし達は先に行ってるね。行こっ。汐梨ちゃん」
四条が空気を読んで言うとシオリがチラリとこちらを見たが、すぐに「うん」と頷いて二人は自分達の教室へと戻って行った。
「ん。行くか」
「悪いな」
俺達は人気のない体育館側の自販機へと向かった。
何だか冬馬と二人というのは久しぶりな気がする。
シオリが来るまではずっと冬馬と絡んでいたが、彼女が来てからというもの、彼女と過ごす時間が多くなり、冬馬と二人という時間は無くなった。
「珍しいな。冬馬が俺を誘うなんて」
言いながら食後のコーヒー缶のプルタブを開ける。
コーヒー派じゃないけど、たまに無性に食後に飲みたくなる。今がその時だ。
いつもなら「お前は冷徹無双の天使様とばかりつるむからな」なんて嫌味の一つでも言うはずの冬馬が顔を伏せて黙っていた。
「――な? 小次郎」
自販機に誘ったくせに、当の本人はなにも買わずに突っ立っていると、ようやく口を開いたかと思ったら、少し重々しい表情で呼んでくる。
「んー?」
こちらはいつも通りに反応しながらコーヒーを飲んだ。
コーヒーの苦味が口に広がり喉を通った時に冬馬が聞いてくる。
「三波先生が倒れたって……本当か?」
冬馬の質問に視線を向けた。
「知ってたか……」
「その言い方は、本当なんだな」
「本当だ」
倒れたのは本当だし、冬馬の真剣な表情を見ると、野次馬精神で聞いている訳じゃなく、部活の顧問が倒れて心配、といった感じなので、そこは素直に答えた。
しかし……皮肉にも倒れたこの場で聞かれるとは思いもしなかったな。
「だ、大丈夫なのか?」
「ああ。大丈――」
頷きながら答えようとすると、言葉の途中でグイッと冬馬が迫ってくる。
「先生は大丈夫なのか!? どうなんだ!?」
「――近い近い!」
鬼気迫る表情でこちらに迫ってくる冬馬にたどたどしい声が出てしまった。
俺の声にハッとなり、眼鏡をクイッとして「すまない」と謝ってくる。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって。軽い貧血らしいから」
冬馬は三波先生と同じ映画研究部だから、事実を言っても良いんじゃないかと一瞬思ったが、それは俺の考えであって、先生の考えではない。恐らく、先生も自分の口から伝えたいだろうし、冬馬なんて部活の生徒なのだから余計に自分から言いたいと思われる。俺の口から言うべき事ではないのでそういう設定にしておこう。
「――そ、そうか……なら……大丈夫なのか……」
言葉ではそう言うが、まだ何処か心配を隠しきれていない冬馬。
「この所先生の体調が良くないみたいでな。顔色も良くないし、部活に来る回数も減って……。心配だったんだ」
「確かに……。ここ最近は顔色は良くないよな。――あれじゃないか? やっぱり二年目だし、段々仕事量も増えて忙しくなっているんじゃない?」
「過労か……。それはそれで心配だな」
失敗した。
俺の気遣いがあらぬ方向へと飛んでいき、冬馬の心配を煽る形になってしまう。
「三波先生なら大丈夫だよ。あんだけ明るくて元気な先生なんだからさ」
「そうだといいな……」
中身のない元気付けるだけの台詞も返って冬馬に追加の心配を与えてしまっている。
今は何を言っても行き着く先は心配という感情になってしまうらしい。
「――てかなに? そんなに先生の事好きなの?」
ここで選択したのは軽いおふざけ。
真剣な話は冬馬に不安を与えるならば、その感情を怒りに変えてもらおう。
こいつ思春期爆発系男子なのでこういう話をすると焦って怒るから。
しかし、予想に反して冬馬は黙りこくって眼鏡をゆっくりとクイッとする。
「冬馬きゅんは先生が好きなんだねー」
さぁ怒るんだ。不安を怒りに変えて「ば、バカが! 俺はそんなんじゃない!」って言いながら俺でストレス発散して気を紛らわせろ。
「ああ」
そんな俺のビジョンはひらがなの最初の文字二つで消え去ってしまった。
「――え……?」
「俺は三波先生が好きだ。勿論、ライクじゃなくてラブでな」
「――は?」
「気が付かなかったか?」
「いや、薄っすらそう思った事もあったけど……まじ?」
「大マジだ。こんな気持ちは生まれて初めてなんだ」
嘘……。え……嘘……。
「おいおい。そこまで驚くか?」
俺が手を額に持っていき天を仰ぎながら、信じられない、と言わんポーズをしているから冬馬が少し勘違いをしていた。
今の俺の心境は『おいっ! タイミングっ!』って感じだ。
なんで先生の妊娠を知った後に親友の好きな人が先生ということを知るんだ。
これ……黙っていた方がいいのかな? 親友としたら言った方が冬馬のため? あー! くっそ! わかんねっ!
「小次郎? そんなにか?」
「――あー……いや……。しかし、なんで今教えてくれる気になったんだ? 一年の頃はテコでも教えてくれなかったのに」
聞くと冬馬は眼鏡をクイッとして教えてくれる。
「そうだな……。最近悩む事が多くてな。恋愛で。俺も恋バナってやつをしたかったんだ。小次郎と」
そういや以前にもこいつが恋バナしたがってた時があったな。バレンタインの次の日だったっけ。
あの時も先生との事を言いたかったのかな?
「中学の頃のお前じゃ絶対言わない台詞だな」
「まぁな。――そういうわけで、そういう話をするなら俺の好きな人をそろそろ言って良いと思ってな。それと、もうバレているとも思った」
冬馬は言うとまだ俺がまだコーヒーを飲んでいると言うのに歩き出した。
「ま、そういうわけだ。俺は先生が好きだから倒れて心配した。だから事情を知ってそうな小次郎から先生の具合を聞きたかった」
「好きな人が倒れりゃ気になるわな……」
「そういう事だ」
冬馬は自分の好きな人を暴露して恥ずかしくなったのか「先に戻る」と言って手をあげて校舎の方へ戻って行った。そんな彼の背中を見て呟いた。
「――さて、どうすれば良いのやら……」
言いながら飲んだコーヒーはさっきよりも苦い気がした。




