先生の事実
保健室のベッドまで三波先生を運ぶ。
汚れたブレザーは保健室の先生が袋をくれたのでそこに突っ込んだ。
保健の先生がベッドの脇に用意してくれた丸椅子に四条と共に座る。
「ごめんね……一色くん……。ブレザー汚しちゃって……。クリーニング代は後で払うから」
「そんな事は今は良いです。それよりも大丈夫なんですか?」
「大丈夫……だよ……」
弱々しい声で言うと四条が心配そうな声で聞いた。
「先生何か重い病気とかじゃないですか?」
心底心配している四条に対しても先生は「大丈夫……。そんなんじゃ……」と更に心配を煽る声を出す。
そこに、俺達の心配する空気とは裏腹に「三波先生」と軽い感じで入って来た保健の先生。
「病院行っとこうか」
「はい」
「ん。じゃあ準備してくるから待ってて」
昼休みにOLがランチに行く位のノリで言い残すと保健の先生は保健室を出て行った。
「病院って……やっぱり重い病気じゃ……」
「一色くん……」
「楓先生! あたしも付き添います!」
「純恋ちゃん……」
先生は四条の言葉が嬉しかったのか身体を無理に起こそうとするので「無理しないで」と声をかけても「大丈夫大丈夫」と言いながら身体を起こす。
「一色くん、純恋ちゃん……」
身体を起こした状態で改めて俺達を優しく見る。
「本当は体育祭終わりか夏休み前にでも言おうと思ってたんだけど――」
先生はそう前置きするも、まだ言おうかどうか悩んでいる様な声を出して黙り込む。
もしかしたら、相当重い病気で、生徒の俺達に気を使っているのだろうか。
それとも、余命宣告されているとか?
先生が間を取れば取る程に不安な感情が渦巻いた。
「――先生ね……」
ようやくゆっくりと出した言葉の後に三波先生は自分のお腹に手を持っていった。
「お母さんになるの……」
先生の言葉がイマイチピンと来ていなくて、俺と四条は顔を見合わせて数秒後に声を上げる。
「ええええええ!」
驚いた声が保健室内に響き渡った。
今、保健室には俺達三人しかいなくて良かった。騒音規制法に引っかかるレベルの声だったから。
「け、結婚するすか?」
俺が聞くとお腹を撫でながらコクリと頷いた。
「――はぁ……」
おったまげて、溜息が出てしまう。
この歳で結婚とか妊娠とかっていう話題は中々に珍しい。
勿論、この世の中には俺と同い年でも結婚している女性もいれば、子供だっている女性もいるだろう。
それに兄や姉がいれば、そう言った話題が家族で出ても不思議じゃない。
だが、俺の周りにはそんな人がいないので、そういうのは夢物語というか、ファンタジーというか……。
だから、先生の話がまだ現実味がない。
四条も俺と同じ心境なのか、黙りこくっていた。
「――あ……。えっと……。楓先生。お、おめでとうございます」
「ありがとう。純恋ちゃん」
優しく微笑みかける先生に俺は素直に思った事を聞いた。
「仕事は? 先生辞めちゃうんですか?」
驚いた自分の心境の中での質問に気遣いが抜けていたのを理解したのは質問の言葉を放った後であった。
俺の素朴な質問は先生に取っては辛い質問だったみたいで、彼女は顔を伏せてしまう。
「あ……。す、すみません……」
先生の態度にすぐ様謝りを入れると、先生は首を横に振る。
「ううん。一色くんは何も悪くないよ。ただ……ね……」
先生は俺と四条を交互に見ると続ける。
「辞めたくはないよ。折角、教師になって、段々仕事に慣れてきた所だし。それに、こんなに優しい男の子と女の子の教え子がいるのに……辞めたく……ない……」
先生は辛そうに言った後にお腹をさすった。
「――でも……現実はそうはいかないの……。この子の為にも……辞める方向で考えてる」
「そう……ですか……」
先生が仕事を辞めるのは不本意らしい。
俺としても先生とは仲が良いと思っているし、歳も近く親しみやすい先生だったので辞めるとなると辛い。
でも、これは先生の人生で先生が決めた事。
俺がとやかく言う資格はない。
四条を見てみると、先程から何も発言せずにいる。
先程は俺と同じ心境だと思っていたが、今見える彼女の表情は何処か複雑に見えた。
「――ね? 二人共」
何処か重たい空気になってしまったところ、先生が明るい声を出して俺達を呼ぶ。
「子供が産まれたら会いに来てよ。私の自慢の子供を」
しんどいはずなのに、いつもの先生らしい笑顔で言ってくれる先生に俺達も出来るだけ明るい声で「はい」と返した。
「あ、それと……。この事は秘密にしておいてくれる? まだ先生達にしか言ってないから。生徒で知ってるの一色くんと純恋ちゃんだけだから」
「分かりました」
「はい」
俺達の返事に「ふふ。よろしくね」と返すと保健室のドアが開いた。
「三波先生。準備出来たから行きましょうか」と保健室に入ってくると同時に保健の先生がこちらにやってくる。
「はい。ありがとうございます」
「いえいえ」
保健の先生は軽く返すと俺達を見て言ってくる。
「二人共三波先生を運んでくれてありがとうね。今の授業の担当の先生には事情を話しているから、今から戻っても大丈夫よ」
「あ、ども」
「はい」
俺達は返事をすると立ち上がり、三波先生も立ち上がる。
「大丈夫?」
「大丈夫です。立てます」
「つわりはしんどいわよね。でも、これ乗り越えたら今よりちょっとは楽になるから。頑張って」
「はい」
言いながら保険の先生達と共に俺達も保健室を出た。
先生達は玄関の方へ向かい、俺達は自分達の教室へ戻って行く。
「しかし、驚いたな。先生が結婚予定で、お腹に赤ちゃんまでいるなんて」
階段を上がりながら呟く様に言った。
別に声をかけたわけじゃない。
だけど、四条には聞こえる位の声量だと思われるが、彼女からの返答はない。
「四条?」
隣にいると思っていたが、どうやら歩みを止めていたらしいので振り返り彼女の名前を呼ぶ。
別に無視してくれても良いのだが、彼女の表情が無視をしたというより、心ここにあらずといった感じだったので少し心配になり声をかける。
「――あ……。ごめん。どうかした?」
「大丈夫か?」
四条もショックなのかな。
先程も見たが、同じ部活の顧問と生徒。仲も良さそうだったので、いきなり先生がいなくなるという現実を突きつけられてボーッとしてしまうのだろうか。
「う、うん」
「おめでたい事だよな。結婚と妊娠って。そりゃ先生が辞めるのは寂しいけど、お祝いしてあげないとな」
「そうだね。うん……。そうだよね。おめでたい事……。おめでたい事だよね」
まるで自分に言い聞かせる様に二回言うとピョンピョンと兎みたいに跳ねて俺に追いつく。
「おめでたい事だよ」
「三回言う?」
「それ位おめでたいって事。ほらほら、一色くん遅いよ。先に行っちゃうから」
「あ、こらこら。待たんかい」
言いながら先を行く四条の背中はいつもの彼女の後ろ姿ではなく、三月に見た様な何処か寂しげな姿であった。




