許嫁のリクエスト
家に帰るとリビングのソファーでシオリがヘッドホンをして座っていた。
その姿を見て心臓が軽くスピードを上げる。
――ったく……。昼間に冬馬があんな話するから何か意識しちまうな……。
そんな俺の思いを知る由もないシオリはいつも通り読書――ではなく、ジーッと壁の方を見つめていた。
「右――いや……上!」
そう言って指を立てると、立ち上がり壁の方へトテトテと向かって壁に貼り付けているランドルト環表を見て「違うか……」と残念そうな声を上げる。
「あ……」
ソファーに戻ろうとした所、俺と目が合い、声を漏らしながらヘッドホンを首にかける。
「何……してんだ?」
「視力検査」
「一人で?」
聞くとシオリは恥ずかしげに少し唇を尖らせる。
「わ、悪い?」
「いや……」
悪くはないが、つい先程、心臓のスピードが早くなったのが馬鹿らしくなってしまう。
「そんなに目が悪いのか?」
「最近ちょっと黒板の字も見にくい」
「眼鏡買えば?」
「うん……。でも、まだ買う程じゃないかも」
「そうなんか。なら、先生に相談して前の方の席に行くのは?」
「それはダメ」
「何で?」
「それは……」
言葉が詰まったシオリは少し考えた後にソファーに座る。
「だって窓際の一番後ろって最高でしょ?」
「確かに……」
納得しながら俺もソファーに座る。
「でも、眼鏡は買っておいた方が良いんじゃない?」
「あんまり無駄遣いはしたくない」
「それは必要な物だし無駄遣いにならないと思うけど?」
「それでも、まだイケるから」
「うーん……」
確かに、最近は安く買える店も増えたが、学生の俺たちからすれば安い買い物ではないな。
「――だったらさ……。お返し、眼鏡にする?」
提案した後に俺は苦笑いを浮かべてしまう。
「ま、お返しが眼鏡って何か違う気もするけどな」
そう言うと「お返し?」と首を傾げてくる。
「バレンタインのお返しだよ」
「あー」
ようやく理解したシオリは首を横にフルフルと振った。
「別に良いよ。お返しなんて。それが欲しくて渡した訳じゃないし」
「それでも男としてお返ししないのは礼儀に反するからな」
「この家に住まわせてくれているから、それがお返しって事で」
「それを言ったらいつも家事してくれてるじゃないか」
「当然でしょ? 居候なんだし」
「いや、それでも――」
「いやいや、それでも――」
お互い譲らない会話。
しかし、こちらも折れる訳にはいかない。なんてったって初ホワイトデーだ。自己満足もあり、これは絶対に送りたい。
そんな俺が気持ちで勝ったのか「じゃあ――」とシオリが根負けして何か提案しようとしてくる。
「眼鏡じゃなくて……」
「ん? 何か他にあるのか?」
シオリはソファーで体育座りをして、膝に顔を埋めると少し間を置いて答えた。
「頭――撫でて……」
「――え?」
いきなりの事に俺は呆気に取られてしまう。
そんな俺の反応にシオリは瞬間的に顔を沸騰させてしまう。
「あ、や! な、何で、もな、ない」
噛み噛みの口調で顔を伏せて小さく言うと立ち上がる。
「ば、晩御飯の、か、いもの、行くね」
そう言って立ち去ろうとするシオリの手を俺も立ち上がり取る。
「し、シオリ?」
彼女は俺の手を振り解こうとも、その場から逃げようともせずに顔を伏せていた。
「えっと……。――ホワイトデーの日に撫でれば良いの?」
問うとシオリは小さく首を横に振った。
「今……が良い……」
そう言ってこちらを向くシオリの顔は真っ赤に成熟していた。
普段クールに振る舞っている彼女からは想像も出来ない。
こんな顔、学校じゃ絶対にしないだろう。と言う事は、この恥じらいの顔を知っているのは俺だけという訳で――なんだかもの凄く優越感であると共に再び心臓が鼓動を速める。
「い、いくぞ?」
「う、うん」
妙に緊張してしまう。
俺は右手をシオリの頭に乗せて優しく撫でる。
以前、彼女が告白されて、理不尽に罵倒されたので、元気付ける為に撫でた時は特に意識してなかった。
しかし、改めて意識して撫でると――彼女の柔らかい髪の感触と香るシャンプーの香り。
撫でる度に俺の心臓が加速していく。
黙って撫でられるシオリの表情は依然として変わらず真っ赤である。
多分、俺の顔も真っ赤になっている事だろう。
「こ、こんなもんで、良いか?」
そう言って手を離そうとすると「あ……」とシオリが名残惜しそうな声を出したので、俺はもう少し撫でる事にする。
すると嬉しそうな顔を見してくれた。
「――コジロー?」
「ん?」
「また頭撫でてくれる?」
そう聞かれて口元が緩みそうになるのを我慢していると、シオリが不安そうに聞いてくる。
「ワガママだった?」
シオリの言葉に俺は首を横に振り答える。
「いつでも良いよ」
優しく言うとシオリは恥じらいながら小さな声で言ってくる。
「約束……だからね……」




