許嫁の機嫌は変化しやすい
「――今日めっちゃ噂されてたな」
家に帰り、ダイニングテーブルでスマホをいじりながら、キッチンに立つ可愛い犬のエプロンを付けたシオリに話しかける。
今日は校内のあらゆる所でシオリの話題が出ていたな。
題名にするなら『冷徹無双の天使様についに男が!?』なんてタイトルになるだろう。
「七瀬川さんが男と一緒に初詣に行っていた」から始まり「相手の男は――」から変化が見られる。
「相手の男は超絶イケメン俳優」とか「相手の男はお笑い芸人」とか「相手の男は世界的有名マジシャン」とか――。
何で芸能人ばかりなのだろうと疑問に思うのも束の間――。
「相手の男は意外にも不細工」とか「七瀬川さんは意外にB専」とか変な方向の噂も出てきたり――。
「初詣の後に姫はじめ」とか強力な噂が立ったり――。まぁ本来の意味とは違うみたいだけど――。
そんなほとんど無い事ばかりの噂に尾ひれが付きまくって、人の噂って本当に怖いなぁ、何て思ってしまう。
「だったら何?」
キッチンから聞こえてくるのはいつものシオリより低い声。
今日一日、噂の対象になって怒っているのか、シオリはかなり機嫌が悪い。
初詣には一緒に行ったのは事実だけれども……あんな無い事ばかり噂されりゃ腹ただしいと言うもの分かる。
しかも、毎回、休み時間になれば男女関係なく「七瀬川さん彼氏が出来たの?」何て聞かれれば精神的にもストレスが溜まるだろう。
そりゃ機嫌が悪くなるのも頷けるというものだ。むしろ機嫌が悪くならない方が異常である。
そんな彼女を思い、俺はシオリに話かける。
「シオリ? 今日の晩飯は俺が――」
「別に良い。座っていて」
「はい」
怖え……。
俺はまるでご主人様に忠実な犬の様に『おすわり』を命じられ、縮まり込んで座り直す。
「ま、まぁ人の噂の七十五日なんて言葉もあるんだし、みんなすぐそんな話題飽き――」
「うるさいなぁ。黙ってて」
「はい」
あかん。今日のシオリは無理に絡んじゃいかん。こっちが火傷する。
こういう日だってある。
天使と比喩されてもシオリは普通の女の子だ。そこら辺を理解してやらないとな。
座って、黙ってろ――ってな訳で、スマホで最近ダウンロードした漫画でも読んで暇を潰そう。そうしよう。
何でも社会現象になっているらしく、俺は一巻だけを試し読みしたのだが、その後の巻を買って無かったので購入してみた。
アニメ化もしているらしく、その主題歌がまた良いらしいので、その曲もスマホに入れている。
クラスでも、その話題が上がるので流石は社会現象。
こんな時代だからこそ、こう言った明るい話は嬉しくなる。
そんな事を軽く考えながら漫画を読んでいると――。
「――いたっ……」
キッチンからシオリの声がして視線をキッチンに向けると、彼女が手を押さえているのが伺えた。
恐らくだが、手を切ってしまったのだろう。
「大丈夫か!?」
俺は反射的に立ち上がりシオリに駆け寄る。
「だ、大丈夫……」
「見して」
シオリの手を見ると指を切っており、そこから軽く血が流れ出ていた。
「た、大した事ないよ」
「それでもすぐ処置しないと」
俺はキッチンの水道水を出して、彼女の手首を握る。
「あ……」と声を漏らすシオリ。
「ごめん。痛かった?」
強く握り過ぎたかな? と謝ると首を小さく横に振ってくれる。
「ちょっとだけ染みるかもだけど……」
俺はシオリの指の傷口を水道水で洗い流した後に傷口を見てみる。
異物は無さそうなので、彼女の手を離して、すぐに物置に行き、救急箱からガーゼと絆創膏を取り出してキッチンに戻る。
ガーゼで押さえてやるとすぐに血は止まり、絆創膏をそこに貼ってやる。
「――これで……よし。痛くない?」
「痛くない」
シオリは貼ってやった無言のまま絆創膏を見つめる。
「――あ、ありが……とう……」
「いえいえ。――やっぱり料理変わろうか? 今日はちょっと疲れたろ?」
そう声をかけてやると、シオリは首を横に振って微笑んで言ってくる。
「ううん。良いよ。私が作る」
その表情は、先程まで機嫌が悪かったのが嘘みたいに機嫌の良い微笑みであった。
手を切ったのに機嫌が直った……のか?
「そう? なら、お願いします」
「うん。腕によりをかけるね」
気分が高揚したかの様に言ってのけた後に出てきた今日の晩御飯は暗黒物質であった。




