許嫁と修学旅行③
修学旅行一日目の夜。
海沿いに面するホテル。
今日からお世話になっているホテルのロビーで自販機から適当な飲み物を買って、ソファーに座る。
このホテルはウチの高校の貸切なので他の客はいないからか、ロビーが夜の静けさと相まってか、かすかに波の音が聞こえてくる気がした。
今日は移動と水族館だけで終わってしまったが、仕方ないだろう。そもそも距離があるから移動にやたらと時間を取られる。一日目なんてこんなものさ。
修学旅行の定番といえば、異性の部屋に乱入!
──ってことは、見張りの先生でできない。それはわかってた。モラル的にね。うん、知ってたよ。
しかしだ。他に定番といえば夜の暴露大会ではないだろうか?
普段喋らない野郎の恋バナ。日常では好きな奴を隠しているが、修学旅行のテンションに当てられて「実は俺──」なんて口火を切ると意外な女子の名前があがり、室内は大騒ぎ。
「まさか!」「予想外すぎる!」「やババーバ・バーババ」と大盛り上がり。一人の暴露に、みんな火がついたみたいに「実は──」と大暴露大会の幕開けとなる──。
「──んじゃねーの!? 普通!」
誰もいないから嘆きの声をあげてしまう。いや、あげたくもなる。
だって、そうじゃん。そうなるじゃん。そうなって盛り上がって仲良くなっていくんじゃん。まじで。
ウチのクラスでいえば、徐々に仲良くなって来てんだからさ、ここから更に仲良しの加速をあげていこうってところじゃん。
寝るかね!? ええ!? まだ夜の十時よ!? ええ!?
そりゃ、旅のしおりにも就寝時間は九時って書いてあったよ? 見回りの先生も「就寝時間だぞー」って来たよ? それでも寝るかね!? ええ!? 起きて暴露大会じゃろうが! 全員寝やがって! 修学旅行をなんだと思ってんだ!
「──はあぁ……。まぁ、それは良い」
ため息を漏らしながらも、別に仲良くない奴の暴露は良い。別に良い。
修学旅行の夜はなにも暴露だけが全てではない。特に男子にはドキドキのイベントがある。
風呂イベント。
露天風呂の中、薄い壁一つで隔てた隣の女風呂の声が聞こえてくる。
「大きくなったんじゃない?」「すごい。めちゃくちゃ柔らかい」
そんな男の妄想をかきたたせるセリフとシュチュエーション。
わかっている。そんなセリフもシュチュエーションもないのはわかっている。だからこそ、せめて風呂上がりの女子を見たい。
俺にはシオリがいる。俺が見ている女子はシオリだけだ。でも、それでも! 風呂上がりの女子なんて遭遇しないじゃん! エンカウントしないじゃん! この修学旅行だけじゃん! なら遭遇するしかないじゃん!
それなのに──!
「風呂が室内にしかないって……大浴場なして……慈悲もなしかよ、このホテル」
落胆を隠しきれない俺は、俯いて溢れ出そうな涙を堪えていた。
修学旅行……学生最後の修学旅行の夜が……しけてる……。
「さっきからなにをぶつぶつ言っているの?」
聞き慣れた心地の良い声が聞こえてきて顔を上げると、いつも通りに綺麗な顔をしたシオリが無表情で俺の前に立っていた。
「あ……いや……」
少しばかりバツの悪い声が出てしまった。それを彼女は見逃さない。
「なに?」
隣に座りながら、眉をひそめて聞いてくる。
「いやー……。あれだなー」
「ほんとわかりやすいよね。なに考えてたか当ててあげよっか?」
言いながら俺の足を思いっきり踏みつけてくる。
「いでっ!」
「女風呂のぞきたいとかバカなの?」
「おい! 待てシオリ!」
「なに?」
「答える前に踏んでるよな?」
「どうせ当たりでしょ?」
「正解だけども」
「正解じゃないよっ」
グリグリと踏みつけてられて「あででっ!」と声が出てしまう。多分、足の甲は真っ赤に腫れていることだろう。
「許嫁の前で他の女の風呂をのぞきたいとかよく言えるね」
「修学旅行だぞ!? 普通の感情だろうがっ!」
「わけわかんない」
グリグリが加速する。
「いでええ! ごめんさいっ! ごめんなさいっ!」
「反省してる?」
「シオリ様の裸だけです! 私がみたいのはシオリ様の裸だけです!」
「ど変態」
グリグリが加速する。
「いっでええっ! なにが正解!?」
「あなたの発言は全てが不正解」
「そんな殺生なっ」
「えいえい」
可愛く言っているが、そんな軽いものではない。ものすごい痛い。痛くて声が出ない。
「もう他の女の子のこと考えない?」
「考えません!」
「ん」
ほっ……。
ようやく解放されたが、ジンジンと足が痛む。
「次、他の女の子のこと考えたら許さないから」
「は、はい……」
マジの目に俺は素直に頷くしかできなかった。
その後、少しの間沈黙が流れる。
修学旅行の夜。就寝時間の過ぎた時間。ロビーで大好きな許嫁と遭遇し、いつも通りに隣り合う。
「ふふ……」
少しの沈黙が流れて、その空気に耐えられなくなった俺が吹き出してしまった。
「なに?」
「いや、連絡もなしに、どうして俺がここにいるってわかったのかなって?」
「そりゃわかるよ」
シオリは誇らしげに言い張る。
「許嫁なんだから」
「それもそうだな」
彼女の発言は俺を納得させるには十分なもので、素直に頷いてしまう。
「シオリが来てくれたから修学旅行の夜がつまらなくなくなって、つい嬉しくて吹き出したよ」
そう言うと、彼女は無理して無表情で答える。
「いつもと変わらない」
「そんなことはない。非日常の中の日常。修学旅行という非日常の中のシオリと一緒という日常は、これから先の人生、味わうことのない経験だよ」
「そう? これから先、私と旅行に行かないの?」
「違う、違う。なんていうかな……。この、高二の修学旅行っていう儚い雰囲気というか、なんというか……」
「言わんとしてることはわかる気がする」
シオリはこちらに近づいて来る。肌と肌が擦れ合う距離。部屋の中、二人だけの距離。いつもの距離。
「おいおい。こんなところ見られたらやばいんじゃない?」
「非日常の中の日常、なんでしょ? だったら私はいつも通りじゃないと」
「就寝時間を超え、誰かに見られたらやばい状況での日常。激アツだな」
自然とシオリが、俺の肩に頭を乗せる。
寄り添い合うように俺も彼女に頭を乗せて、深くソファーに座り込む。
『せやなぁ。激アツやなぁ』
刹那。後ろから声が聞こえてきたのと同時にアルコール臭がした。
「うわー、担任のゴリラに見つかったわ」
「誰がゴリラじゃ!」
担任のヤーさん先生は口からアルコール臭をさせながら言ってくる。
「お前ら、ほんまええ高校生活送っとんの? おお?」
「いやー、あははー」
「悠々自適」
「やかましっ! 一色っ! 七瀬川っ! 強制的に帰るかっ!? ああ!?」
一体何本飲んだのか。顔を真っ赤にして言い放ってくる。
「オーノー」
「ゲームーオーバー」
俺とシオリは笑いながら言うと「なんやお前ら余裕やな」と、つまらないものを見る目に変わる。
「まぁ、別にシオリと一緒に飛行機で帰れるなら、それはそれで良いかなっと」
「明日は卵のセールだったし。帰るのもアリよりのナシ」
「シオリ? アリよりのナシは結局ナシなんじゃない?」
「帰りたくはないけど、このゴリラが帰れと言うのなら帰る」
「だなー。先生、どうします?」
聞くと先生は「あーもうええわ」と頭をぼりぼりとかいた。
「楽しゅう修学旅行や。強制なんかせえへん。今のもドッキリ的なノリやったんやわ。でもな、もう就寝時間すぎてるから、もう戻りや。ワシが言いたいんわそれだけや」
「はーい」と返事して俺たちは部屋に戻った。
振り返ると、ヤーさん先生はシオリをどこか遠い存在を見るような目をしており、その目が光って見えた。




