許嫁と修学旅行前日①
しんしんと、雨が降っている午後の体育館。
水銀灯を付けても薄暗い体育館に集められた二年生達。
天井の雨の音が混じった先生達のマイク声を聞かされる。早よ解散させろと多くの二年生が思っていることだろう。俺もその一人だ。
修学旅行結団式。
そんな名目の、ただの先生達の注意事項をたっぷり聞かされる。
飛行機の中は他のお客さんもいるから騒がない。自由行動以外では班になって動く。ホテルから出ない。帰るまでが修学旅行。
そんな簡単な内容を、代わり代わり先生達が様々なアレンジを加えて注意してくる。
要は『モラルを守って行動しろ』
この言葉に尽きる。
それを、あたかも難しい言葉を並べて注意してくるもんだから、長くなってしまっているんだ。
難しい言葉を言うのが賢いのではない。
難しい内容を簡単に要約して発言するのが賢い人だというのを、ここの先生達は知らないみたいだな。
そして、修学旅行実行班という人たちがそれぞれ決意表明なるものを発表する。
なんだこれ? 拷問か? ただの修学旅行だよな? ほら、無駄な事させるから修学旅行実行班の人が噛み噛みで何言ってるかわかんないじゃんか。
それに、もう六限終わって放課後に食い込んでいるんだぞ。はよ終われよ。こんなの。
ふふ……。
──でも、なんだろうな。なんかこの雰囲気はそこまで嫌いじゃない。
この修学旅行前日の雰囲気。
雨の中の体育館に集まって、こんな無駄な事をしていて文句が出るが、心の奥底では、これはこれでアリかもなんて思ってしまう。なんかエモい。
遠足前日に夜寝れない小学生の気分。それに近いのかも知れないな。
♢
「よーやく……終わったなぁ……」
「長い戦いだった」
本日は全クラス体育館にて解散という訳で、シオリを見つけて、彼女と共に体育館から、昇降口に向かう。
散々文句を心の中で言っていたが、あの雰囲気は嫌いじゃない。でもだ──。
「いてて……」
この前、五十棲先輩に連れて行ってもらったジムにて、もれなく付いてきた筋肉痛がまだ治らない。
「ツンツン」
シオリが言いながら腰辺りを指で、ツンツンしてくる。
「ぬほっ!」
「変な声」
シオリが嬉しそうに笑っている。
「ほんとドSなっ! マジなやつだからやめて」
「運動不足」
「わかってるよ。そんなことは」
「マッチョになれた?」
「一回ジムに行っただけでマッチョになれるなら、世の中全員マッチョだよ」
「それもそうだね」
ふふ、と軽く笑う彼女が首を傾げてくる。
「続けるの?」
「そうだな。思ってた以上に楽しかったからな。駅前で家から近いし、入会しようかな」
シオリは指をアゴに持っていき「ふぅん」と声を漏らした。
「私も興味ある」
「え? シオリも興味あるの?」
「ある」
言いながら腕を曲げて、力こぶを見せてくる。
制服越しの腕に、コブは全然出来ていなかった。
「そういやシオリは運動好きだったな」
「運動全般は得意」
バスケも野球もサッカーも凄かったなこいつ。おまけにダンスも歌──。ん? 歌? あれ? シオリって歌上手かったっけ? あれ……。
「どうかした?」
相当変な顔をしていたのだろうか、シオリが不安気に聞いてくる。
「んにゃ……」
いや、今は運動の話だ。歌はどうでも良い。
シオリの運動神経は両親譲りだ。運動神経が良いからジムもきっと楽しめるだろう。
「今度一緒に行く?」
「行きたい」
彼女が握り拳を作り答える。
「じゃあ行こっか」
「ウェアを買わなければならない」
「それは俺も思った。ジム行くならスポーツウェアがいるわ」
「今度一緒に買いに行こうね」
「おっけ」
そんな会話をしていると、昇降口まで辿り着いた。
お互い、上履きから普段履いている靴に履き替えて昇降口を出ようとしたところで「小次郎、七瀬川さん」と声をかけられる。
同時に後ろを振り返ると、冬馬と四条が立っていた。
「お揃いで」
そう言うと冬馬が笑いながら「そっくりそのまま返す」と言いながら眼鏡をスチャっと上げる。
「どうした?」
「いや、特に用はない。目の前にいたから声をかけた」
冬馬に続いて四条が笑いながら言う。
「友達がいたら声かけるもんでしょー」
「そりゃそうだ」
こちらが納得するとシオリが冬馬と四条に質問を投げた。
「二人は明日どうするの?」
主語のない言葉に冬馬が「ああ」と察して答える。
「空港までの事か?」
「それ」
明日の修学旅行は空港に朝早く集合である。
全員が学校に集まって集合だと時間が間に合わないらしい。
バスでの修学旅行だったら多少の時間の融通は効くだろうが、飛行機は融通が効かないからな。
よって、空港までは各生徒、個人的に集合となっている。
「あははー。実はね、あたしのお父さんが冬馬くんと一緒に送ってくれるんだよねー」
「ぬ?」
俺とシオリの声が重なって、パッと冬馬を見た。
彼は恥ずかしそうに眼鏡をスチャリンコしている。
「冬馬、お前……」
「家族顔合わせ」
シオリの言葉に、ブンブンと手を振る冬馬。
「そ、そんな大した事じゃない。純恋の父親が好意で送ってくれるだけだ」
「そ、そうだよー。顔合わせとか、そんな大層なものじゃないよー」
四条も冬馬に合わせて発言する。
「そうか……。冬馬もついにお義父さんに殴られる日が来るのか……」
「かわいそう……」
俺とシオリが共に悲壮感を漂わせると冬馬がスチャっとする。
「そ、そそそれはないだろう」
冬馬の手と声が震えていた。
「ちなみに、俺はお義父さんに初手ショルダータックルでぶっ飛ばされた」
「見事の一撃で娘の私も感服だった」
「ショ──!? え!?」
冬馬の震えが加速した。
「その後はロメロスペシャルからの──」
「パイルドライバー」
「嘘つけっ!」
四条がすかさずツッコミに回る。
「なんでプロレス技!? シオリちゃんのお父さん、細身の紳士だったよね!?」
「あー……ロメロスペシャルじゃなくてアルゼンチンバックブリーカーだったかな?」
「確かに……パイルドライバーじゃなくてカナディアンバックブリーカーだったような?」
「プロレス技から離れて! なんでプロレス技に固着しているの!? ほら! 見てよ!」
四条が冬馬を指さす。
「二人がいじめるから震えて小さくなってるじゃん!」
冬馬は同じポーズを保ったまま固まってしまっていた。
「親と顔合わせということで、俺たち許嫁からの洗礼だ」
「洗礼とは過酷なもの。これを乗り越えて成長して欲しい」
「そんな洗礼と成長はいらないよ!」
もう、と四条は冬馬の頭に手を乗せて「大丈夫だよ? 冬馬くん」と頭を撫でる。
「純恋……俺、カポエラしかできない……」
「十分だよ! じゃないよ!? 格闘技から離れて! なにもないから! 別になにもないから!」
昇降口に四条の嘆きの声が轟いた。




