俺の許嫁は冷徹無双の天使様なんかじゃない
頂上を見上げると首が痛くなりそうになるタワーマンションの最上階。ここに七瀬川家が住んでいるらしい。
初めて来たので俺の目は丸くなる。
「お嬢様?」
「そんな訳ないでしょ。ここ賃貸だし」
「いや、賃貸とか持ち家とかは関係ないかと……」
そういえば太一さんの職業はなんのだろうか。
場所は関係ないから簡単に海外へ行けて、こんなタワーマンションの最上階を借りれる職業……。ダメだ。ボキャブラリーの低い俺では想像もつかない。
だが、今はそんな事はどうでも良い。
シオリはルームキーを取り出して玄関の鍵を開けた。
俺の借りているマンションの三倍は広いだろう玄関に入り、靴を脱いで「お邪魔します」と中に入ると、シオリがしゃがんで俺の靴を直してくれる。
「あ……っと……ありがとう。いつも忘れるんだよね……」
「別に構わない。する必要も特にない。私がしたいだけだから」
「やっぱり優しいなシオリは」
そう言うと立ち上がり嬉しそうに言ってくる。
「もしかしたらコジローからその言葉を聞きたくて無意識にやっているのかもね」
「だったらこれからも言いまくるよ」
「これからも靴を直しまくる」
「いや……それは気をつけるから他の場面で……」
苦笑いで言うと、シオリは微笑んで「こっちがリビング」と案内してくれる。
広い廊下を歩いて突き当たりのドアを開けると、これまただだっ広いリビングへと出てきた。
俺のマンションの五倍以上はある広さ。流石はタワーマンションの最上階である。
ただ……物が極端に少なく殺風景なリビングであった。
そこにある明らかに高級そうなダイニングテーブルに座りノートパソコンをカタカタとタッピングしている太一さんが「おや?」とこちらの存在に気がついた。
「おかえり。二人とも」
ノートパソコンを閉じながら俺達に言うと「ただいま」と「お邪魔しています」とそれぞれ言いながら太一さんの正面に並んで座る。
「すまない。この家には茶菓子も茶もなくてね……」
「あ、いえ……おかまないなく……」
「それで、今日はどうしたんだい?」
優しく問う太一さんを見ると、もう気持ちの整理はついて切り替えているのか、いつも通りの雰囲気であった。
父さんと母さんもかなり気にかけていたからそれの影響もあると思うが、それでも愛する妻を亡くして数日しか経過していないのに流石は大人の男性だと思う。
「お母さんがいなくなって色々思い返した」
シオリが口を開くと太一さんは「そうか」と小さくこぼした。
「お母さんの最後の動画も見た」
「そうか」
シオリは俯く。
「私は……お父さんとお母さんに……酷い事を……」
彼女が震える声を出すと太一さんが優しく諭すように声をかける。
「酷い事をしたのはこちらの方だ。汐梨の気持ちをまるで理解せずに親の都合だけで動いてしまっていたね」
「違う……。お父さんもお母さんも優しくしてくれた。気にかけてくれた。それを無視して離れたのは私……被害者ぶってたのは……私……」
シオリの瞳が輝き出す。
「もっと、お母さんとお話しすれば良かった。お母さんとお出かけしたら良かった。お母さんと……お母さんに自慢の母親だよって伝えれば良かっ……た……。お母さんにどんな事があろうとも家族だよって言って……あげたら良かっ……た……」
「汐梨……」
太一さんの呼びかけに彼女は彼の顔を見て問う。
「コジローがね……今からでも遅くないって……。三人が家族になるのは遅くないって言ってくれたんだ。まだ、間に合うかな?」
今にも涙が溢れ出しそうな顔で聞くと太一さんはゆっくり、ゆっくりと頷いて答えた。
「もちろんさ。私達は家族だ。どんなに離れていても、どこにいても」
太一さんの答えを聞くとシオリが言った。
「ねぇお父さん……。大事な家族だから言うね……」
「ん?」
「疲れたでしょ? もう良いんじゃないかな……」
「え……?」
「お父さんはお母さんの為に充分頑張ったよ。もう休んでも良いんじゃないかな? 頑張らなくても良いんじゃないかな?」
太一さんからの返答はなく黙ってシオリの言葉を待っていた。
「もう、お母さんの為だけに生きなくて良いんじゃないかな……」
シオリの言葉に太一さんは天を仰いだ。
「私は……お、俺は……こ、琴葉に……何も……して……あげられなかった……。それどころか幼い汐梨にも……何もしてやれず……意味もなく、みすみす琴葉を……失っただけ……」
「そんな事ない!」
叫ぶように言うとシオリは太一さんの手を取って泣きながら訴えかけた。
「そんな事ないよ! お父さんは人生をかけてお母さんと一緒にいた。全部犠牲にしてお母さんを選んだ。その選択が正しいのか正しくないのかは分からないけど、自分で選んだ選択を貫いて最後までお母さんと一緒にいてあげたでしょ? それがお父さんの正義なんだよ……。意味なくなんてない。向こうでお母さんが『ありがとう』って言ってくれてるはずだよ」
シオリの言葉に太一さんの瞳からゆっくりと涙が出てきて、テーブルに落ちた。
「琴葉……こと……は……俺は……もう……お前に……ことは……」
泣き崩れる太一さんの手をシオリは優しく握ってあげていた。
落ち着きを取り戻した太一さんの目は腫れてしまっていた。
「すまないね。見苦しい所を見せてしまって」
俺の方を見て言ってくるので首を横に振る。
「そんな事ありませんよ」
「いやいや、こんなおっさんの泣き顔とか見て生き地獄だったろう」
「あはは」
「そこは否定しないんだね」
「あ、すみません」
謝ると太一さんは笑い出した。
「すまないね絡みにくくて」
そう言うとすぐに真剣な顔つきに変わる。
「少し……自分のこれからの人生プランを練ろうと思う」
「それが良いと思います」
そんな太一さんの様子を見てシオリが言った。
「お父さん。今日はコジローの家に泊まるね。明日には帰るから」
そう言うと太一さんが俺を見てくる。
「頼めるかい?」
「もちろんです」
「なら、頼むよ」
太一さんが頭を下げてくるので、こちらも頭を下げて「わかりました」」と返答して、俺たちは家を出た。
♢
家に帰ってくる頃には日は傾きかけており、リビングから見える景色はオレンジ色の空が広がっていた。
「明日には帰るのか?」
「うん。今日はお父さんも一人で考え事したいと思っただけだから……明日には帰るよ」
「それが良いのかもな」
シオリがコクリと頷くと「あ、そうだ」と何かを思い出したかのように言葉を発すると、ありもしない胸元に手を入れ、ネックレスを取り出した。
それを外して俺に渡してくる。
「大事なネックレス、コジローに預けておくよ」
「良いのか?」
聞くと「勘違いしないでね」と釘を刺すように言われる。
「あげるんじゃなくて預けておくだけだから。返してよね。結婚式の日に」
そう言われて少し口元がにやけてしまう。
それを見られて「やれやれ」と溜息混じりで言われてしまう。
「こんな変態が私の未来の旦那か……」
「嬉しいだろ?」
聞くとシオリは「うん」と答えてくれる。
その表情は、もう、俺の許嫁は冷徹無双の天使様だなんて呼ぶことができない程に愛らしくも美しい女神の様であった。
もうちょっとだけ続きます。




