修行仲間達
少年たちは、上戸老人の屋敷に居室を与えられた。質素堅実で有名な上戸老人の屋敷では部屋数に限りがあるので、2〜3人ずつ同室だ。北風<ホクカ>は南瀬<ミナセ>ともうひとり、高村孝太という少年と同室になった。
孝太はざんばら髪の、よく日に焼けた少年で、居心地悪そうに部屋に入ってきた。北風がよろしくと声をかけても、口の中でもごもごと何事かつぶやきながら視線をうろつかせるばかりだ。察したのは南瀬で、
「普通にしてくれ。この修行の間、俺達は対等な仲間だ。俺は気にしないし──こいつも気にするような頭の持ち主じゃない」
そう言って、北風を指差す。なんだか馬鹿にされた気もするが、それで北風にも分かった。孝太は身分の差を気にしているのだ。北塵藩では、焼け跡をさすらった流浪の旅の間に民と交わることも多く、距離が近かったのであまり気にしたことはなかったが、確かに、一介の平民がいきなり藩主の一族と同室にされたら気がひけるかもしれなかった。
安心させてやろうと、北風は笑顔で深く頷いた。
「南瀬の言うとおりだ。俺はそんなことを気にするような頭の持ち主じゃない。普通にしてくれ」
そう言うと、孝太は目を丸くし、南瀬は『自分で言うな』と呆れ顔で溜息をついた。しかし、どうせ英雄夫婦のおまけみたいなボンクラ跡取りだ。見栄を張るような意地もなかった。
孝太はホッと息をついて、空いた寝台に自分の荷物を置いた。
「じゃあ、そうさせてもらう。良かったよ、二人共気さくにしてくれて。俺みたいな平民は数が少なくて、──しかも他の平民も裕福な商家の出とかで、農民の出なんて俺だけで、結構不安だったんだ。」
農民と聞いて、南瀬は少し驚いたようだった。
「上戸殿の修行は身分関わらず広く門戸が開かれているとは聞いていたが、まさかそこまでとはな」
北風は首をかしげた。
「そうか? 北塵藩じゃ普通だぞ。農民だろうが流民だろうが、能力があれば官吏への登用もあるし、中央に推薦することもある」
「へぇえ、北塵藩って進んでるんだなぁ」
孝太が感嘆と羨望を込めて言った。北風は照れて頭を掻いた。焼け野原からの人材育成のため、姉や義兄がどれだけ尽力しているかを知っているので、褒められるとまるで自分の手柄のように嬉しい。
「それでも、頭角を表すには尋常じゃない努力が必要だ。孝太はすごいよ。あんな厳しい試験にも合格してさ」
「……あんな凄い技見せたやつに言われても……」
孝太はへにょ、と眉を下げ、溜息をついた。
「俺はこの修業で箔がついて、仕官に有利になればいい、ってくらいだけどさ。二人ならきっと、御前試合に選ばれるんだろうな」
「……御前試合?」
「ああ、そのつもりだ」
きょとんとした北風とは逆に、南瀬は真剣な顔で頷いた。
「皇宮で行われる御前試合。皇家や中央貴族一同の前で自らの実力を示す、千載一遇の機会だ。上戸殿はここ数年隠居され、御前試合への弟子の推薦もしていないが──数年ぶりに武芸指南を再開された。きっと、優秀者には御前試合への出場の道が開かれる」
へ、皇宮で行われる──ってことは、皇都!? 姉さんたちの新婚旅行の時期とかち合ったりしたら嫌だな。あの二人、絶対いちゃこらしながら観戦に来るに決まっている。まぁ、まだ選ばれると決まったわけでもないけど。
南瀬が真剣な顔のまま、北風を振り向いた。
「御前試合での最年少優勝記録は、時任晴臣──おまえの義兄だ。彼はその記録をもって、当代随一の剣士としての名声を確立した。おまえが優勝すれば、最年少記録を塗り替えることになるだろう。──だから『今』、お前はここにいるのだろう。
だからといって、負けてやる気はない。俺にだって賭けているものがある。勝負は全力でやるぞ」
よくわからないが、全力勝負はいいことだ。義兄もいつもそう言っている。あの色呆け義兄がまだキリッとした寡黙な剣士だった頃から、北風が手合わせをせがめば、決して手を抜かずに応じてくれた、北風にはそれが嬉しかった。
なので北風は、南瀬の言葉にしっかりと頷いた。
「ああ。全力勝負、望むところだ。どっちが勝っても負けても、恨みっこなしだぞ」
北風と南瀬はまっすぐに目を見交わし、互いに頷きあった。
それを見ていた孝太は、凄いなぁ、と感心する。北風も南瀬も、孝太とさほど変わらぬ年頃ながら、すでに藩の命運を背負ってここに立っているのだから。
二人のことは、一介の農民である孝太の耳にまで噂話が届くほど有名だった。
──海南瀬。南海藩の跡取り息子であるはずが、早くに母を亡くし、父である藩主は後妻の産んだ次男を溺愛した。現在、中央に届けられている跡取りこそ南瀬だが、実質的には次男が跡取り扱いされ、南瀬は離れに追いやられ、跡取りとしての教育もろくに受けられず、酷い扱いをされているという。
──塵北風。焼け跡と化した北塵藩の正当な血筋を引き継ぐ唯一の男子。だが、幼さを理由に実権を義姉とその夫に奪われ、政治の表舞台からは排除されている。義兄の時任晴臣は稀代の天才剣士、中央で望むままの栄華を得られたはずが、策謀により政治から離れた元皇女との結婚を押し付けられ、僻地の北塵藩に押し込められたことを恨み、いずれは北風を廃嫡し、自分が藩主の座につくことを目論んでいるという。
上戸彰敏の武芸指南は厳しくて有名だが、それだけに、その修業をこなした者には箔がつく。さらに、成績優秀者として御前試合に出場し、そこで結果を残すことができたなら、一気に名を上げることができる。南瀬や北風の身内も、そう簡単に二人を排除することはできまい。
孝太は南瀬の顔を見る。やや青ざめた顔、引き結ばれた唇には緊張が見える。人生を賭けた戦いに挑もうとしている者の顔だ。今までの苦難、屈辱を、必ず晴らすのだという決意に満ちている。
さらに孝太は、北風の顔を見る。──切れ長の目を縁取る長い睫毛、恐ろしいほど整った顔立ちだが、表情はぽやんとしているとしか言いようがない。が、きっと、その内に秘められた決意と覚悟があるのだろう。そうに違いない。
少し引け目を感じたが、ブンブンと首を振ってそれを振り払う。朽ちかけたボロ屋に住んでいる家族を思い出す。両親は重労働で身体を悪くし、弟妹らはいつも腹を空かせている。自分が仕官して家族に楽をさせてやるのだ。この二人に比べてどれだけささやかであろうが、それは孝太にとっての何よりの重大事なのだ。
孝太は知らなかった。
南海藩についての噂は真実だが、僻地である北塵藩についての噂は伝聞に伝聞が重なり、ほとんどが誤解に基づいているということを。
そしてここに、『姉夫婦のいちゃいちゃ新婚旅行につきあわされたくない』という、誰よりもどうでもいい理由で地獄の修行に参加している男がいることを。
知っていたら温厚な孝太でも『ふざけんな』と怒り狂って北風に掴みかかったかもしれないが、幸いにも、それを知る者は誰もいなかった。
三人はとりあえず、同室の者たちとうまくやっていけそうだということに安堵し、互いに笑みを交わして、明日の修行に備え、早めに就寝することにしたのだった。
ちょうどその頃、別室では、赤みがかった髪の毛、頬にそばかすを散らした少年──試験の開始からずっと、北風に野次を飛ばしていた蓮西條<レンサイジョウ>は、不機嫌な顔で、寝台の上にあぐらをかいて座っていた。部屋の片隅では、商家出身の気の弱そうな少年がビクビクしながらその様子を見つめていた。西條はその少年を睨み、怒鳴りつけた。
「なにボーッとしてんだ、水ぐらい汲んでこい! まったく、気が利かんやつだ!!」
少年が飛び上がり、水差しを持って部屋を飛び出していくその背を見送って、西條は舌打ちした。
気に食わない。貴族の自分が、平民と同室にされるのももちろん気に食わないが──それ以上に気に食わないのは、あの塵北風のことだ。
もともと伝聞だけで嫌っていた相手だったが、実際にあの綺麗な顔立ち、飄々とした表情を一目見て、ますます憎しみが募った。
そんな相手に睨まれて怯んでしまった昼間の失態が悔やまれてならない。
西條は唇を舐める。
この先修行が始まる。必ずあいつに思い知らせてやる。
西蓮藩と北塵藩、俺とあいつ。どっちが上かってことを。
それぞれの思いを抱えて、夜は更けていく。