魔術の試験を受けよう!
まさか、苦手極まりない魔術の試験を課せられるとは。
青ざめてしまった北風<ホクカ>を、南瀬<ミナセ>が怪訝そうに横目で見る。
「おい、おまえ。──どうした」
「……魔術は苦手なんだ」
「はっ? 北塵藩の塵家といえば、代々高名な魔術師を排出している家系だろう」
それは確かにそうだ。亡き父も兄達も、魔術の才を誇りにしていた。姉の北塵藩への降嫁を願ったのも、強い魔力を持つ姉の血を入れることで、さらなる一族の発展を目指したからだろう。が、それと北風自身の技量はまた別なのであった。基礎は身につけた──が、魔術師と名乗れるほどの水準には至っていない。
「君こそどうなんだ。海家といえば剣技で有名だけど、魔術の才については聞いたことがない」
「ふん、心配は無用だ。うちの一族は確かに脳筋どもに牛耳られているが、俺は違う。剣よりは魔術の方が得意だ」
「へぇ……」
素直に羨ましい。その羨望が視線に出ていたのか、南瀬はふふんと胸を張ってみせる。
上戸老人が指で合図すると、使用人たちが数人がかりで、白い布に包まれた、なにか巨大な円盤状のものを持ってきた。慎重に床に置かれ、布が剥ぎ取られる。
そこに現れたのは、銅製の円盤だった。上面いっぱいに緻密な魔法陣が刻まれているのはともかくとして──ちょ、何あの点々とついてる染み、血痕!?
「剣技の試験と同じ順番で行くぞ。──海南瀬!」
「はい!」
南瀬は臆した様子もなくハキハキと返事をし、前に進み出る。南瀬は銅板の上に乗るよう指示され、それに従った。
「じっとしているように。では──発動せよ!」
上戸老人の一声で、銅板に刻まれた魔法陣が輝き始める。銅板から幾筋もの魔力の光が放たれ、それらは伸び、絡み合い、さながら檻のような形状で、南瀬を閉じ込めた。
「罪人の護送に使われる魔術檻だ」
やっぱ檻なんかい。しかも、あの古びた様子からして、実際に使われていたものに違いない。
「この檻から脱出しろ。どんな手段を使っても良い」
「──っ」
北風は息を呑んだ。罪人の護送用、ということは、万一にも逃げられないよう、最上級の堅牢さで作られているはずだ。そこから脱出しろとは。
少年たちの見守る中、南瀬は光の柵の隙間に手を伸ばす。南瀬の手が柵の外に出ようとした瞬間、見えない壁が魔力の火花を散らし、南瀬の手を弾いた。
南瀬は軽く手を振って、銅板の上に跪き、魔法陣を矯めつ眇めつする。
「なるほど、大体わかった」
ざわめきが起きる。魔法陣の解析にはそれなりの時間がかかるはずだ。それをこの短時間で。
南瀬は、空中に指で魔法陣を描き始める。南瀬の指の動きとともに、光の線が緻密な模様を形作っていく。円形の紋様が、一、二、三つ浮かび上がる。
「三重魔法──?」
それがどれだけ高度な技か。北風の姉六実は、二十、三十の魔法陣を重ね合わせた特大魔法を使ったことすらある。が、それは世界有数の魔法士である六実の、卓越した才能と知識あってのことだ。二重魔法を使うことすら、並大抵の魔法士にはできない。それが三重、しかもこの歳で。
南瀬は顔色一つ変えず、魔法陣を発動させた。
「──疾れ」
まず一つ目の魔法陣が輝きを強める。連動して、二つ目。最後に三つ目。三つの魔法陣は互いに連動しあい、強力に魔力を高めた。それは檻を構成する魔力を、少しずつ分解していく。
十秒もかからなかったろう。シュン、という小さな音を立てて檻は消滅し、何もなくなった空間を、南瀬は悠々と銅板から降り立った。
少年たちの間から、わあああ、と感嘆の声が上がった。北風もまた、感嘆と尊敬の瞳で南瀬を見ていた。
すごい、すごい、すごい──! 俺と同じ年頃で、ここまでできるなんて。
が、次の瞬間、我に帰らされる。
「次! 塵北風!!」
あ、そうだ。剣技の試験と同じ順番って言われてた。──次、俺じゃねぇかよ。
銅板へ向けて歩む北風の顔は暗い。
あー、駄目だこれ。俺、魔法陣の解析とか無理だし。
試験……これは不合格かな。まぁ、不合格でも基礎訓練に回されるだけって上戸翁が言っていたし、あのいちゃこら夫婦の新婚旅行にはつきあわされずに済む。いいっちゃいいんだけど──。
そんな北風の耳に、フフンと嘲るような声が聞こえた。
「今度こそ恥を晒すようになるだろうよ。何が魔法士の国北塵藩だ。──噂の元皇女だって、どうせろくな魔法士もいないド田舎だから目立ってるだけで、大したことないんだろ」
北風は眉を吊り上げ、声のした方を睨んだ。睨まれた少年は、北風の瞳に込められたその怒りと気迫に呑まれ、一歩後ずさる。
「ああ? ──今なんつった、てめぇ」
自分が馬鹿にされるのはまだいい。が、姉への侮辱は許せない。思わず口をついて出たのは、かつての旅暮らしで傭兵たちから移った乱雑な口調である。姉がここにいたら叱り飛ばされたかもしれない。
北風は少年に歩み寄り、その胸ぐらを掴もうと腕を伸ばした。少年は
「ひぃっ」
と声を上げてのけぞったが、北風の手が少年に届く前に、上戸老人の一喝が響いた。
「塵北風! さっさと位置につけ!! 許可のない私闘は、失格にするぞ!!」
それは肺腑に響くような声で、怒りに我を忘れかけた北風の足をも止めた。北風は舌打ちをすると、銅板の上に乗る。先程と同様、光の檻が現れた。
──不合格でいいか、というような考えは、すでに吹き飛んでいた。
北風は片手を上げ、上戸老人に話しかける。
「すみません、お願いがあるんですが」
裏口のお願いかよ、という野次が飛ぶが、北風は無視する。
「なんだね」
「この檻の周囲に、一番強力な結界を張ってもらえませんか? ──周囲に被害を出したくないので」
何言ってんだあいつ、というざわめきが起きるが、上戸老人は何も言わず頷いてくれた。老人が軽く手を振るだけで、檻の外には立方体をした光の壁が現れる。ビリビリと肌を震わす感覚から、それが十分な強度を持った結界であることが分かる。
──ならば、準備は十分だ。
北風は深呼吸する。身体の中を渦巻く魔力の奔流を感じ、それを少しずつ高めていく。高められた魔力は風を巻き起こし、北風の髪を、服を巻き上げ、檻をビリビリと揺らした。
周囲の少年達がざわめき出す。それはあまりに高密度、あまりに強力な魔力だった。
北風の脳裏に、姉の慰めるような笑顔が思い出される。
『北風。あなたが魔術が不得意なのは、あなたのせいではないわ。だって──』
檻が揺れ、きしみ、悲鳴を上げる。
『だって、本当に難しいことなのだもの。──あなたほど強大な魔力を制御するのは』
北風は魔術が不得意だ。指向性を持って魔力を行使することができない。それは、あまりにも強大な魔力のせいだった。
計算され尽くした婚姻を繰り返し、一族の魔力を高めてきた塵家の末裔として、それは一面では成功だったが、決定的な大失敗でもあった。
だが、指向性を持たず、魔力を魔術の形に嵌め込まなくて良いのなら。
ただ、その強大な魔力を爆発させればいいのなら。
それなら、北風にも可能となるのだ。
北風の巻き起こした魔力の奔流に耐えきれず、光の檻が吹き飛ぶ。抑えを失った魔力はさらに吹き上がり、庭木や少年達、周囲のすべてを飲み込もうとしたが、上戸老人の張った結界に阻まれた。上戸老人の結界もまた、軋み、揺らぎ、だが、決して壊れることはなかった。
北風はやがて肩の力を抜き、高めた魔力をゆっくりと鎮めていく。ふう、ふうと肩で息をする。座り込んでしまいそうだ。あまりに強力過ぎる魔力は、未成熟な身体にはまだ負担だった。
北風は上戸老人に頭を下げると、次の受験者に順番を譲るため、銅板を降りる。──降りると、先程の少年に目を向ける。
怯えて青ざめた顔をした少年は、やや赤みがかった顔に、そばかすを散らしている。なんの恨みがあるのかは知らないが、彼は最初から繰り返し、北風に野次を飛ばしてきた。ついには姉のことにまで言及したのが、彼の不幸だったろう。
「──てめぇ、ツラ覚えたからな」
北風の低い声に、彼はひっという声を漏らしたが、
「次! 西蓮<セイレン>藩、蓮西條<レンサイジョウ>!!」
と上戸老人に呼ばわれ、慌てて銅板へと小走りに歩いていった。
よし、名前も覚えた。
そう考えて西條の背を見送った北風の隣に、いつの間にか南瀬が立っていた。呆れ顔で北風を見ている。
「……おまえ、結構執念深いんだな」
失敬な。自分のことならそうでもない。姉のことを言われたときだけだ。北風が不服そうな顔で南瀬を見返すと、南瀬はやがて口元をほころばせ、耐えかねたように、フフッと笑い声を漏らした。
「面白いやつだ──どうせ、俺もお前も合格だろう。これからよろしくな、北風」
南瀬が初めて北風の名前を呼んだ。北風はきょとんとして、それから破顔した。
先は前途多難、地獄の修行はこれから幕を開ける。──が、どうやら、友人が一人できたようだった。
やがて、上戸老人が試験終了を告げ、合格者を発表する。
悲喜こもごもの中、結果が告げられていく。
海南瀬──合格。
塵北風──合格。
蓮西條──合格。
明日からはいよいよ、修行が開始される。