剣技の試験を受けよう
突然のどよめき、好奇と値踏みの視線に取り囲まれ、北風<ホクカ>は動揺する。が、それを静めたのは上戸彰敏老人の一喝であった。
「静まれ!」
腹に響くような思い声音に、その場はしんと静まる。
「関所も閉まった頃合いだ。今日到着した者はこれですべてと思っていいだろう。貴君らには、まず試験を受けてもらう」
「試験?」
隣の南瀬<ミナセ>が呟く。それが聞こえたらしく、上戸老人は南瀬の方を向いて頷く。
「知っての通り、儂の修行は相当厳しいものとなる。実力の足らぬものが挑めば、命の危険もあろう。そのため、まず、貴君らの中から、相応の実力を持ったものを選抜する」
それを聞いて、北風は少し眉根を寄せた。実力の足らぬ者の実力を伸ばすのが、指導者の役目ではないのか。少なくとも北風の姉六実は、北塵藩の子どもたちに、いつも辛抱強く魔術を教えている。北風自身も姉に習って、なんとか魔術の基礎は身につけられた。──まぁ、姉からは慈愛に溢れた笑顔で、『北風、魔術だけが全てじゃないって、姉さん思うの。北風は剣術が得意でしょう?それを伸ばせばいいのよ』と、下手に貶されるより哀しい慰めを受けたものだが。
そんなわけで、北風としては黙っていられなかった。
「質問です。その試験に落ちた者は、修行を受けられないんでしょうか?」
すると周囲から失笑が湧く。
「自信がないのかよ」
「さすが、負け犬のお飾り藩主だな」
なんだと、とそちらを振り向けば、南瀬に腕を掴まれる。
「相手にするな。どっちが負け犬かはそのうち分かる」
その傲慢な声音に周囲が色めき立つが、上戸老人が言葉を続けたことで沈黙した。
「試験の結果が悪かった者には、まずは基礎的な訓練を受けてもらう。──それで満足かな、塵北風。君の姉君に指導を受けた者たちは、今皇都で目覚ましい活躍をしていると聞いているよ」
上戸老人の瞳には面白がるような色があり、北風は顔を赤くする。
「……はい、すみませんでした」
「他に質問のある者はいないな? では、試験を始める。まずは剣技だ」
上戸老人が合図をすると、使用人たちが次々と何かを持ち運び、地面に並べ始めた。それは鉄製の兜だ。どれもやや古びている。
「この兜を斬れ。それが剣技の試験だ」
少年たちが顔を見合わせる。試し斬りの一種として、兜を割る、というものがあるのは知っている。だがそれは、名剣と言われる剣と、卓越した技術があって、初めて成るものである。
「真っ二つにしろとは言っていない。深く傷がつけば成功だ。剣はこちらで貸す。さて、誰から始める」
互いに探り合って目線を交わす中、沈黙が落ちた。その沈黙を破ったのは、南瀬だ。
「私がやります。剣をお貸しください」
その瞳は真っすぐで、臆した様子など欠片もない。北風は感心して南瀬を見つめた。
南瀬は上戸老人からうやうやしく剣を受け取ると、兜の前に立ち、構えを取った。上段からの構え。やや身体に緊張はあるが、型は様になっているようだ、と北風は見て取る。
やがて、南瀬は呼吸を整え、怒号を上げると共に、力強く剣を振り下ろした。鉄と鉄がぶつかる硬質な音がする。
南瀬が息をつき、剣を持ち上げると、眼下の兜には、ひと目で分かるほど深く傷が刻まれていた。南瀬が上戸老人を見る。老人は、重々しく頷いた。
「合格」
北風はその時初めて、南瀬の顔に、子どもらしい喜びの表情が浮かぶのを見た。しかし、北風と目が合った途端、その笑顔は消えてしまう。北風は手を振ったが、南瀬は顔を逸してしまった。
「さて次は?」
そう聞かれて、今度は北風が手を上げる。田舎剣法が、とか、恥をかくまえに帰ればいいのに、などと悪意の籠もった囁きが聞こえるが、無視する。上戸老人から剣を受け取る時、
「あのぅ、助走はありですか」
と聞けば、上戸老人は面白そうに眉を上げ、
「好きにしろ」
と答えた。ならば、好きにさせてもらう。
北風は兜から三歩の距離を取る。剣を鞘に入れたまま、呼気を整える。そうすれば、義兄の言葉が思い起こされる。
それはまだ義兄が姉と知り合ったばかりの頃、姉弟のふたり旅に、旅の剣士時任晴臣を護衛として雇い入れて間もなくのことだっだ。野営の焚き火のそばで干し肉をかじりながら、幼い北風はひどく落ち込んでいた。昼間、一行は盗賊に襲われたのだが、姉は北風を庇ったせいで魔術を放つのが遅れ、危うく盗賊の剣に切り裂かれるところだった。すんでのところで晴臣が盗賊を斬り、大事には至らなかったが、ともすれば姉が死んでいたかと思うと、北風は自分が情けなくて仕方なかった。これでも姉に習って少しずつ魔術を覚え、旅先で習い覚えた剣の振り方も、多少は様になっているかと思ったのに。
そんな北風を見て何を思ったのか、晴臣はいつもの仏頂面を──当時はまだ恋に浮かれた万年ニヤケ男ではなかった──仏頂面をそのままに、
「少し、剣を教えてやろうか」
と言ったのだ。晴臣の圧倒的な強さは、幼い北風にとって憧れだった。一も二もなく頷けば、まずは構えから細かく直され、それから、打ち込んでみろ、と言われた。北風がどれだけ強く打ち込んでも、晴臣は片手で軽々といなしてしまう。やがて北風は疲れ果てて座り込んでしまった。晴臣はそんな北風を見下ろして言った。
「力で戦おうと思うな。お前はすばしっこい。その疾さを強みにしろ」
北風は頷いて、そうして、晴臣は北風の剣の師になった。
──そう、俺は時任晴臣の弟子だ。ずっと俺や姉さんを守ってくれていた剣士・時任晴臣の勇姿は、今でも目に焼き付いている。尊敬している。だから、その顔に泥を塗るわけにはいかない。
北風は地面を蹴る。獲物の位置は低い。北風も体勢を低くする。
一歩、二歩、そして、三歩目を踏み出すその瞬間、横薙ぎに剣を抜いた。
着地と同時に、剣を鞘に戻す。
振り向けば、兜は横に真っ二つに斬られていた。
沈黙が落ちる。上戸老人以外の誰もが、信じられないものを見る目で北風を見つめていた。南瀬が目を丸くして北風を見つめているので、ちょっと笑って手を振ったら、怒った顔を返された。
やがて、上戸老人が告げた。
「合格!」
その声で、少年たちの間にもざわめきが戻る。
「すげぇ……!」
「見ろよ、真っ二つだぜ」
そんな声の合間に、やはり、悪意のある声もある。
「……兜が傷んでたんじゃないのかよ」
「なんだあの剣法、見たこと無いぞ、邪道だろ」
先程も北風に野次を飛ばしていた少年たちだ。見覚えはないが、なにか恨みでも買ってしまったのだろうか。北風は首を傾げる。
そうこうしている間に、他の者達も、恐る恐る試験に挑んでいく。
「合格!」
「不合格!!」
上戸老人の声が響く。大半は不合格で、悔しそうにうなだれている。涙を滲ませている者もいた。北風はぼんやりとそれを眺めていた。
不意に、南瀬がズカズカと北風に向かって歩いてきた。突然耳を捕まれ、捻り上げられた。
「痛いっ!?」
「おい、おまえ、強いなら最初から強いって言え!! 驚いたじゃないか!!」
無茶苦茶を言われてしまう。
「南瀬だって合格したじゃないか。力が強いようには見えないのに、意外だ」
「……剣は小さい頃に習ったきり、ほとんど我流だが、一人でずっと練習していたからな。……おまえだって、きっと似たようなものなんだろう?」
「え?」
いや、俺は義兄さんに教えてもらっていたけど──と言おうとしたが、南瀬は何やら納得した様子で腕組みをし、首を振っている。
「分かるよ。そこまでの実力がありながら、藩主の実権を奪われて追いやられたら、それは辛いよな。お互い、この修業に将来が懸かっているというわけだ。──お前に負けるつもりはないが、互いに切磋琢磨して、この修業を乗り切ろう」
……ええっと、なにか、誤解されている?
北風はようやくそんなことに気づいたが、誤解を解こうと腕を上げた瞬間、上戸老人の声が響いた。
「剣技の試験、終了!!──次は、魔術の試験に移る!!」
それを聞いた途端、北風はビシリと身体を硬直させた。
『北風、魔術だけが全てじゃないって、姉さん思うの。北風は剣術が得意でしょう?それを伸ばせばいいのよ』
そんな姉の慈愛に満ちた笑顔が思い起こされる。
──姉さん。確かに魔術だけが全てじゃないけれど、剣術だけでも世の中は乗り切れないようです。