■scene 4-4■
■scene 4-4. 盲目の信者は幻想に縋るよりほか術を存ぜず■
「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だあああああああっっ!!」
半隣人であるために鋭敏であった嗅覚が、聖母葬の途中である姉の遺灰を、そうだと本能に納得させてしまった。
そして、その慟哭を収められる者は、サン=パトリツィア・デルフィオーレの教会にはいなかった。当然だろう。ようやく、修道女として、正式に教会に登録されそうだという段の祝いにやって来た弟だ。姉を、祝福するための、祝いの品も持ってきていた。
「…………。」
縋り付かれ、ローブの前を少年の手によって、グシャグシャに握られている退魔師、上級異端審問官のヨハン・コルネリアスは、答えに窮していた。
死は、生の過程の一部と見做される。
ゆえに姉の死は、姿形を変じただけだ、と切って捨てることもできた。しかし、その言葉は、死してなお、死を超越できなかった者への揶揄となり、生者を慰めはしないだろう。
それこそ、教会が主に信奉する循環の結晶や、神代で番となるべき美丈夫を捜し求めるサン=パトリツィアのような超常と比べるべきではないのかもしれない。
しかし、教会の主張するべきことは、喪失ではなく変質である、と。それでも、それを告げることは躊躇われるのだ。
それがわからぬほどヨハンは狂信者ではなかったし、常識からすれば、聖書に名を連ねることなど天上の出来事であって、凡夫には埒外である。
「アーサー。」
「……はい。ぐすっ。」
しかし人は、泣き続けてはいられない。
アーサーの興奮が小康状態になったのを見計らって、ヨハンは感情を殺した声音でアーサーに告げる。
「今日は、教会に泊まって行くと、良いでしょう、ね。」
「はい。」
まずは、感情を揺さぶらない事柄の中で最も重要なことを決めておく。
「そして、ミーシャの遺品は、これから取りに行ってきます、から。」
「はい……っ、……ぅうっ。」
ミーシャの遺品。その言葉はやはり、アーサーには堪えられなかった。
ヨハンは、辱められ、死したたすべての被害者の魂を安んじるために、サン=パトリツィア教会で出来るかぎり早く、その身体を聖母葬によって灰へと変じていた。それは貧困も富裕もまとめて、ありとあらゆる理由で死者が多い花街と繁華街の狭間の教会ならば、葬儀も目立たないだろうという配慮からであり、ザルトリアス・ウィンカーロッチ大司教とともに、聖母葬の最後である灰を風に溶かすための吉日を待っていた。
ゆえに故人の灰だけがあり、その遺品は捜査の証拠品として教皇庁が保管していた。また、ミーシャが本当にザルトリアス大司教付きの見習いであったならば、隣接する教会にも身の回りの品が残っているハズだと見当をつけた。
「アルフレッド助祭、いますでしょう、か?」
「……はい。」
「私が出かけている間のことは、委細よろしくお願いします、ね。」
「はい。」
アルフレッド・デル・フィオーレ・サン=パトリツィア助祭。この教会の血族の名を持つ正当なるサン=パトリツィアの息子。性に貪欲な魔女が、今の恋人と間に設けた子供であり、花の民の半隣人である。しかし、その眼は理知的な輝きと芯の通った視線をもっていた。
アルフレッドの頼もしげな返答に満足して、ヨハンは登庁のために馬車を走らせた。
その道中、感情を抑えるために、よしなし事に思い耽っていた。かつて、教会の持ち主である花を鬻ぐ女王と出会ったことを、思い出していた。あの日の、突然の出会いを思い出していた。
『あら!? 好い男が独りでフラフラと歩いて来てくれたっていうワケね!』
厚かましく姦しい、理不尽の化生。
その突然の質問。
『……いえ、私は修業中の身、なれば、こそ。』
『何その言葉遣いウケるー、あ、ってそうじゃなくって、このボクの恋人にならない?』
『なぜ、でしょう、か?』
『……あれ? ちゃんと目を見てるのに魅了されないのなんでー?』
『はい?』
『あー、そっか。そっか、お兄さん……名前何?』
『……ヨハン・コルネリアス助祭と言います、が。』
『ボクは聖パトリツィア・デル・フィオーレ。パティちゃんとお呼びなさい! で、ヨっちんアレだ。ボクを見て欠片も疼かなかったんだ?』
『疼く、です、か。』
それは、異端審問官として駆け出しの頃、花街で起きた事件を追っていた時の出来事だった。
『そー、そこからわかるのは! ヨっちんがフニャ○ン野郎だってこと! え、なんで? 性年でしょー??』
『そういうこと、です、か。』
『何を納得してるのってゆーか、ボクを見て興奮しないのって不敬……あ、ヤバ。じゃあね!』
騒がしいまま、何もわからず消えた直後、王家のそれとしか考えられない豪奢で白亜の馬車、いや、妖狐が曳く狐車が現れて、窓から問い掛けられたのだった。
『もし? ここで、我が儘な子に出会わなかったかしら?』
『……パティ、と、名乗る者に、なら。』
目まぐるしい出来事の連鎖の中で、ヨハンは冷静でいた。いや、常に冷静であるが故に異端審問官足り得たと言うべきだろう。
ヨハンの目には、貴人の尊顔は映らなかった。窓にはカーテンで目隠しされていた。それでも、天上のソプラノボイスから、その姿がありありと想像できた。
想像したその姿は、聖書にも名を連ねるだろう、遥か彼方の墓標の守手であった。先の、花の女王と同様、神と同等の存在だった。
『そう。ありがとう。』
ヨハンでさえ、惑わされるほどの声だった。
次の瞬間には、繁華街の雑踏の騒音が煩かった。
超常の存在は、存在していないかのように消えていた。
そもそも、単身のサン=パトリツィアはおいて、あれほど豪奢で大きな狐車が、騒ぎもなく繁華街に現れる事など有り得ないのだった。
その事実を気付き、そのために足を縫い留められたヨハンが、逃げるように首を振って視線を逸らした先に、件の女王が所有するという、教会があった。そういえば、花街と繁華街は、花の女王の領分だった。その、中心に教会があって、しかるべきだった。
その門扉が開いていて、誘っているかのようだった。
「ああ、そんなことも、ありました、ね。」
その後、いろいろなことがあって、教会を託されたのだ。アルフレッドの生誕どころか、アルフレッドの父親がパティと恋人関係になる以前に、アルフレッド助祭が一人前なるまで教会を守ってほしいと、パティから直接に。
「初心を、忘れてはいけません、ね。」
やがて馬車は、教皇庁に隣接する教会の、裏手に着いた。
(さて、ミーシャさんと同室だった方を探しましょう、か。)
ヨハンは見当をつけていた。ミーシャの死は、教皇庁の隣の教会で働く見習いの耳にも、すでに伝わっていると。ゆえに、同室の者であれば、ひっそりと部屋で泣いている頃だろう、と。
そこに、異端審問官として知られたヨハンが向かうのだ。どれ程の愚か者であっても、気付くだろう。ミーシャの死に、何らかの事件があったと。それも、異端者が関わっているだろう、ということを。
すでにヨハンは周囲の、怯えにも似た視線を感じ取っていた。時には内部の者も粛清する異端審問官だ。しかし、それゆえにヨハンに対して、多くの教会関係者が表面上は協力的であった。
すぐに、ミーシャ・ロウの部屋が判明した。
そしてやはり、そこには、つい先程まで静かに泣いていたとわかる姿の見習いの少女がいた。
その少女が、居住まいを正し、ヨハンを室内に案内した。
「……お待ちしておりました。異端審問官、さま。」
「ありがとう、ございます、ね。」
簡素な造りの部屋の、二段ベッドの下の段に、布の包みが一つあった。
「きっと、ミーシャの死について、訊ねられるだろうと、存じておりました。」
「はい。」
「しかし、私には何も語ることはありません。ある日、突然ミーシャはいなくなったのです。」
「はい。」
ヨハンは勧められるまま、長年の使用で染みついた油で表面が均された、固く直線が多い椅子へと座る。
「ミーシャは、、、ミーシャは、猊下から印をいただいて、あんなにも嬉しそうだったという、その矢先の、」
「――今、なんと?」
今日は、本当に驚かされることが多かった日だ、と、後でヨハンはそう思い返すだろう。
「ええ、ミーシャは、ウィンカーロッチ大司教猊下の印を持って、そして、修道女として王都のいずれかの教会に向かう矢先でした。」
「……そうです、か。」
印とは、繁栄の印のことであり、つまり、半隣人であるミーシャ・ロウとザルトリアス・ウィンカーロッチ大司教との間に男女の、身体の交わりがあったことを意味する。しかも、その行為を循環の結晶に奉納したのだ。
それは、ミーシャの後見として、ザルトリアスが身を保証するということ他ならなかった。
ただ、それは不可解な出来事であった。
ザルトリアス・ウィンカーロッチ大司教は、隣人を蛇蝎のごとく嫌悪している。その大司教が忌み嫌う半隣人の、ミーシャと交わったというのだ。
(おそらく、猊下はミーシャが半隣人であったことを、知らなかったのかも、知れません、ね。)
しかし、それを聞いてもまだ、ヨハンはザルトリアス・ウィンカーロッチ大司教を疑っていなかった。
~to be continued~