■scene 1-2■
■scene 1-2. 齎されるは贖罪と容赦の慈悲■
「――サプライズパーティの、主賓ではないのですが、ね。」
上級異端審問官、ヨハンは戦嘴で頭を砕いた不死者を転がした。その凶行を彩った戦嘴は、小型並列7気筒魔導蒸気機関と仕込まれた機構により、重心をヨハンの手元に戻し、取り回しをよくする。
それは、暗殺の術に似ていた。
教会は、戦力を所持してはならぬという不文律があった。それは多国籍である教会組織が権力を恣にする危険性を、排除する目的があった。ゆえに、教会は周辺警護のための聖騎士と幾らかの従僕、そして戦力として見做されない退魔師以外の武装集団を擁していなかった。
退魔師が戦力として見做されない最大の理由。それは軍隊に必要な、集団行動を訓練されていない戦闘集団であるからだ。
「相変わらずの、狂犬振りね。待ても出来ないのかしら?」
白煙を蒸かした馬車から、遅れて出てきたアリスと裾持ちのメイ。実際のところ、アリスの服装では、狭い馬車から飛び出すことは難しかったろう。
そんな、アリスの憎まれ口を意にも介さず、ヨハンはズレた丸眼鏡をかけ直した。
「アリス嬢のお召し物では、悪戯が過ぎる輩の悪巫山戯で、泥を被ってしまうでしょう、から。」
「そう。」
フリルがタップリに配われた真紅のドレス。その、後ろに伸びる裾は、さすがマント・ド・クールと云うべきか。しかし、アリスのその宮中礼装がゆえに、メイドのメイを、常に裾持ちとして侍らせなければならなかった。
「けれど、もう十分だわ。」
それは、残光だったのだろう。
何処より取り出した死鎌の紅い煌めきと、血の赤で空間に引いた線の軌跡だけが、アリスの後ろ姿を捉えていた。
風を吹かせて、アリスの香水の馥郁たる花の香りを届ける。
「……遅いわ。」
黒夜蝶。真紅に身を包んだアリスの異名。愚者火=ウィル・オー・ウィスプの沼へと誘うと謂われる蝶の名前。そんな様子を億尾にも出さず、アリスは裾が落ちたら汚れてしまうとばかりに、羽を広げて宙に浮き、優雅だった。
「ええ、ええ。申し訳、ありませんでした、ね。」
しかしヨハンはただ、真っ直ぐ歩くのみ。まるで茶会に呼ばれたとばかりの歩みだった。
その、ヨハンの装備。肘丈のケープがついたローブで身を慎みながら、左手の義手が機械仕掛けを解いて、生身の右手の倍は伸びていた。いや、手の平から伸びる凶悪な爪が、それほどまで長かった。そして反対には手頃な長さの戦嘴があった。それは、オレンジの果汁を搾る機械に似て、九条の刃が背中合わせに列んで突起を形作っていた。ガチャガチャと賑やかで、ジリジリと撥条の戻る音が煩かった。
臨戦態勢であった。
当然だ。
これから向かう先は、処女の四肢に杭を打ち付け、股座を暴き辱めることを、儀式と呼んで悦に入るような外道の住家だ。掃除は手早い方が良い。
「それでは、ノックをして訪問いたしましょう、ね。……我々は、蛮族などではないのですから、いかな愚物相手といえど、礼節を失してはいけませんから、ね。」
言うが早いか、振り上げた機械仕掛けの戦嘴――仕込みにより重心を外に偏らせ、蒸気を噴き出して後押しすることで、打撃の衝撃を最大限に引き出す凶器――でヨハンは扉を砕いた。
「……これはこれは、どうして脆い扉じゃ、ありません、か。」
バリトンの心地好く穏やかな声音とは対照的な、荒々しい押し入り。その、ヨハンの姿は、見るものが見れば死神を摸した機械に見えたことだろう。
「相変わらずの剛力ね。」
「全身に、バネが入っていますから、ね。」
ガラガラと、残骸が地に落ちる待ちすがら、無駄話に興じていた。
そして、それも落ち着いた。
「失礼しますっ!」
しかし、脇をすり抜けて先陣を切ったのは、メイドのメイだ。
万能格納庫から取り出した、スーツケースのミニチュア。それを宙で返して本物を取り出せば、びっくり箱の暗殺者、メイの独擅場だ。
庭に彷徨わせた、生の残骸。それは同時に侵入者を知らせるセンサーの役割をもっていた。ゆえに、メイが飛び込んだ直後、ありとあらゆる方向から歓迎を受けることとなる。
「――っ。」
しかし、それらを顔色一つ変えることなく処理するのが、吸血鬼の姫、真紅のアリスのメイドたる、人猫のメイだった。マジックアイテムのケースから飛び出す、機械仕掛けの自動小銃が銃弾を散蒔いて、炸薬をつめた爆弾が、パーティを華やかに彩った。間の抜けた、ポップコーンの弾けるようなサイレンサーの音は、アリスの耳を気遣うメイの献身の表れだった。
すべてが刹那の出来事で、終わって埃を払ったメイが振り返る。
シャンデリアが傾き、蝋燭は落ちて明かりを失った室内。これがサプライズパーティならば、この静寂に乗じて蝋燭を立てたケーキが運ばれて来るのだろう。
しかしそれは、主を想うメイドの微笑みが見せた望景。
「お嬢様、少々薄汚い所にお立ち入りさせてしまったこと、誠に心苦しく存じます。」
メイは、深く頭を下げて現実を知らせた。
「構わないわ。」
頭を下げるメイの横を、何事もなかったとばかりにアリスは素通りする。ヨハンはアリスと反対の、メイの横を通り過ぎた。
「一切合切貴賤の容赦なく、御霊を捧げたもう……願わなければいけません、ね。」
「冥府の王も、垢だらけの魂なんて願い下げだと思うけれど。」
「では――無に朽ちてもらわねば、なりません、か。」
「それですら生温いと思わせなくちゃ、でしょう?」
「さすがに外道に堕ちたとて、救いあらんと藻掻ける余地は、残さねばなりません、ね。」
「優しいわね。」
「ええ、藻掻ける余地だけは、残さなければなりません。」
「――悪くないわ。」
二人が通り過ぎて、少し経ち、それからメイは顔を上げ、二人の後に従う。
「ヨハン?」
「ええ、ええ、アリス嬢。……私が下で、貴女は上へ。それで収まりが良いのでしょう、ね。」
残虐な現場へはヨハンが、煙に似た愚物の部屋へはアリスが向かう。それが、双方にとって収まりが良い。いかに悪行を働こうとも、隣人の処理を退魔師が行ったとあれば、その噂だけで騒ぐ莫迦も間抜けも、そして噂を広める小悪党も湧く。
ゆえに、吸血鬼の姫たるアリスが同胞の粛清を行ったとするのがよろしい。
「いつもいつも、雑魚狩りで楽をさせてもらい、助かります、ね。」
「ええ、感謝しなさい。」
「――はい。」
灰色の混ざったシルバーブロンドのオールバックを櫛で撫で付けて、ヨハンはあえて物事の側面だけを強調した。アリスに、四肢を薄切りされながら様々な器具で尊厳を凌辱される少年少女の残骸を見せない。その穢をアリスに負わせないために、ヨハンは自ら泥を被る。
眼鏡の奥で、冷酷なヨハンの瞳に少しだけ、優し気な色が見えた気がした。
「それでは、また後で。」
「ええ、ええ。アリス嬢もお気をつけてください、ね。」
「あら? 誰に物を言っているのかしら?」
「これは、とんだ失礼を、いたしまし、た。」
言葉はそれで十分だ、とばかりにヨハンは地下室への隠し扉を探しに背を向ける。対してアリスも宙に浮かんだ所から、さらにフワリと真紅のドレスを翻し、館の外観から予想される、執務室へと向かっていく。その露払いにと、メイドのメイは身を宙に翻してアリスに先んじた。
その耳は、アリスに奉仕することの喜びから、忙しなく揺れていた。
~to be continued~
とりあえず、最初のアクションシーンがある、ここまで一気に投稿しました。残りはいずれ。