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食い逃げをしくじる話

作者: カツオドリ

アール君の下宿に彼の学友であるエフ君が尋ねてきたのは夏もいよいよと言った七月の下旬ごろだった。

アール君とエフ君はお互い三日も前には仕送りをもう酒とたばこに変えて飲み干してしまっていて、ここ二日の間は日に一食、学食の素うどんをすすって糊口をしのぐ生活を送っていた。


「よぉ、タダ飯食いに行くぞ。」

アール君が自分の財布より薄いせんべいを敷いてごろごろしているところに尋ねえてきたエフ君はだしぬけにそんなことを言った。

「三日ぶりにあった奴にする挨拶がそれか。それに俺らに誰が飯をおごってくれるんだよ。それとも何か、お前がおごってくれんのか?言っとくが俺にそんな金はねぇからな。」

「なに、お前に金がないなんて三日前に知ってるよ。そして俺にも金はない。そうじゃなくてだな、上手いこと金を払わずに飯にありつく方法を思いついたんだよ。」

「またか。お前の口車に乗って何回うまく行ったよ?今んとこ全戦全敗じゃなかったか?」

「そうだったか?いや、乗らねぇんだったら余所当たるよ。今まで迷惑かけたからそのお返しと思ったんだが——」

「おいおい、待てよ。なにも、別にやらないなんて一言も言ってないだろうが。お前がこれまで失敗続きだったから、今回は大丈夫なのかと思っただけだよ。こっちだって金が無くて腹が減ってんだ。ひとまずその方法ってのを聞かせてくれよ。それ聞いてからだってやるかやらんか決めんのは遅くないだろ?」

「まぁ、そうだな。俺が気づいてないことにお前が気付くかもしれん。いっちょ聞いてくれるか。」

「よっしゃ聞かせてくれ。」

「まず、腹いっぱいになるまでたらふく飯を食うんだ。」

「ふん、好きなだけ食っていいのか?それで、どうするんだ?」

「そこで俺たちが言い争いを始めるんだな。なるべく店中に聞こえるような声で激しくな。」

「ほう、激しくね。」

「そう、そこで俺たちが気勢の高まりと一緒に『表出ろ』『ケンカなら買ったるわい』みたいな感じで売り言葉に買い言葉を並べて店の扉を開けて出て行ったら——」

「なるほど、その流れのあまりの自然さといきなりさに誰も止める間もなく俺たちは店を出れるってわけだ。」

「その通り。店の奴らがあいつら金を払わずに出ていきやがったと気づいた時にはもう俺たちの姿はどこにもないという訳だ。」

「おぉ、話で聞く限りじゃ一部の隙もない完璧な作戦だな。よっしゃそれじゃ善は急げだ。いや、食い逃げは善じゃねぇな、俺たちに善い事は急げだ。」


そんなこんなで薄っぺらい財布を懐に突っ込んで彼らは下宿を出た。ひとまず向かったのはあんまり行ったことのない飯屋だった。

行きつけの店で問題起こしたりしたらそれから行きづらくなるし、財布を持たずに店に入るのは彼らのチキンハートが許さなかった。



「へいらっしゃい!」

彼らを迎え入れたのはやけにがたいの良い店員の元気のよい掛け声だった。

「へへ、とりあえず水二つちょうだい。」

口調がややおかしくなりながらも返したアール君とエフ君は、さっそくひそひそ話に花が咲かせる。

「おい、どうするよ。」

「ん~?まずは高いメニューから頼んでいってだな、あぁ、そうだ、ご飯のおかわりはすんなよ?いくら食ってもいいのにおかわり自由のご飯で腹膨らますのは馬鹿だからな。」

「バカ、そういう事じゃねぇよ。あの店員見たかよ?めちゃくちゃガタイが良くて、ありゃ絶対ラグビー部かなんかだよ。おまえ、あんな店員の前で喧嘩なんかしてみろ?『まぁ、落ち着いてくださいよ』って俺たち二人お手玉にされちまうぜ。」

「心配性だなぁ。なに、心配いらないさ。俺たちは確かに腹減りだが男二人だ。あいつがかかってきたら邪魔すんじゃねぇって二人でかかればいい。なに、一対二だ、負けるはずがない。」

「お前、そういうとこが詰めが甘いんだよ。ここいらでラグビー部って言ったら、うちの学校以外にないだろうが。ここで一対二でぼこぼこに勝ったって、学校で出くわしてみろ。『野郎、ここで会ったが百年目』って今度は二対二十二でスクラムくまれてボコボコにされちまうだろうぜ。」

「むぅ、ままなんねぇもんだな。」

そうして彼らは味噌汁定食を頼み、ご飯を五杯ずつおかわりして店を後にした。

「いくらでもおかわりできるってのはいいんだがなぁ。」

ちなみに、件の店員だが実は人を殴ったことはおろか虫だって殺したことのない真正の臆病者だったりする。もちろんラグビー部とは何ら関係なく二人の心臓がチキン並ならこの店員はミジンコ並なので二人でかかれば実際なんてことはないのだが、まぁ、そんな事はこの店を諦めた二人とは何ら関わり合いのない話だ。


翌日、この二人が向かったのはチェーンのファミレスだった。

「はぁ、思わぬ出費ってやつだ。」

「そういいつつ財布が昨日より膨らんでるじゃないか。」

「一円玉が二十三枚、五円玉が十一枚、十円玉が十四枚と百円玉が一枚。」

「…よくそんなに入ったな。」

そんな馬鹿な会話をしつつ店の扉を押し開けると

「いらっしゃませ。」

ととてもどすのきいた掛け声が彼らを迎えた。

二人が驚いてそっちを見ると、とんでもなく眼付きの悪い店員が彼らを睨みつけてきた。

この店員、実は今朝からどうもついていない。近くの電柱の変圧器がいかれたことで局所的な停電に会い冷蔵庫の中身が全滅。

そこからパック焼きそばを流しにぶちまけ、クレジットカードを踏み割り、ついでに携帯まで踏み割り、おまけに眼鏡まで踏み割った。コンビニに行くまでに行き倒れまで拾ったので予定外の出費がかさみ驚くほどに機嫌が悪い。そして物がよく見えないので目つきまで悪い。

しかしバカな男二人はそんなことなど知りようはずもなし、これまた人目をはばかりひそひそと話し始めた。

「おい、どうするよ。」

「やめとこうぜ。あの店員何だか怖いもん。」

「だな、ありゃヒトぐらい簡単に殺せちゃうような目だぜ。」

「見たことあるのか?」

「あるわけないだろ物の例えだよ。」

二人の後ろで例の店員が先輩に注意されて頭をぺこぺこ下げていてもすでに彼らの眼中には入っていない。

「こえぇこえぇ、あんなのの前で喧嘩なんかしたら片手でお手玉されちまうぜ。」

「お前お手玉好きだね。」

そんな事をほざきつつ二人はこの店で一番安くて腹にたまるものを注文して店を出た。

「ミラノ風ドリアってやっぱりうめぇな」

「うめぇなぁ」


次の日、彼らはもはや進退窮まったと一円玉が十九枚しか入っていない財布を下宿に置いてラーメン屋の暖簾をくぐった。

「いらっしゃい」

何処か気の抜けたような掛け声がかかる。

見てみると小柄なおじさんが一人で切り盛りしているではないか。

となるとがぜんやる気がわいてくる。

「おいおい、ようやく俺らにもツキってやつが回ってきたみたいだぜ。あのちっせぇおっさん一人なら何怖がることはねぇ、いっちょやってやろうじゃねぇか。」

「おう、そうだな、おい、おっちゃん、ラーメン、いや、チャーシューメン一つ。あと、チャーハンと、餃子を八個もらおうか。」

「お、いいな。おれもチャーシューメンと、チャーハンに、肉まんあるかい?ある?じゃ、それで。」

そうしてひとまずラーメンでもすすろうとするが何とも腰のないラーメン、橋でつかむと切れてしまう。

「んだよ、麺を口に入れる前にとろけちまいやがる。」

「このチャーシューはやけに固いぜ、おい、おやじ!チャーシューと麺の作り方逆にしなかったか?え?してない?逆にした方がいいんじゃないの?」

「…チャーハンだけはやけにうまいな。」

「…あぁ、他が大概焼きすぎてるか茹ですぎてるとこチャーハンはやけにうまい。」

そうして黙々と食っていたがどちらからともなく箸をおき、なんとなく目配せをしあう。

「…じゃ、そろそろ。」

「…あぁ」

「…あー、んんっ、さて、、、まったくよぉ!てめぇのせいでこっちは散々だぜ!」

「んだとこのやろう!何が散々だこのやろう!」

「えっと、てめぇのせいでこっちは余計な出費がかさみまくってんだ!とうとうこれで素寒貧になっちまったじゃねぇか。」

「はぁ!?んだとこのやろう!そりゃテメェが無駄な理屈こねるからだろうがこのやろう!」

「あの、」

「あ、てめ、ちょっと本気だろ!てめぇが持ってくる考えはいっつも机上の空論ばっかでな、うまくいった試しなんざなかったじゃねぇか!」

「その空論に毎度毎度ホイホイ乗っかるバカはどこのどいつなんですかねぇ!」

「はぁ!?」

「んだこら!?」

「他のお客様の迷惑になるので、」

「喧嘩売ってんのか表出ろ!」

「望むところだ、売ってやるよストップ安でな!」

「お静かに——」

「うるせぇじゃ、ま、だ?」

微妙に頭の悪い言い合いをしつつ店を出て行こうとしたところ、止めようとした親父を突き飛ばそうとしたとき、アール君は自分が天井を見ていることに気が付いた。

あれ?

不思議に思って周りを見るとエフ君が驚いた顔をしてこちらを見ている。店の親父は不思議なポーズで、先ほど言い争いの途中で欠けてしまったらしいどんぶりを眺めている。

と、ここでようやくアール君は自分が転んでしまっていることに気が付いた。

なんで?

と思っていると

「おい、あんちゃん」

と隣の席でチャーハンを食べていたおっさんが話しかけてきた。

「謝んなら親父にお手玉される前にした方がいいぞ。その親父、柔術の師範だからな。」

え、うそ

「うちの店に傷をつけておいてタダで帰れると思っているのかい?」

えぇ、うそぉ?


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[一言] その後、彼らを見たものはいない。
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