姉御は仲直りが苦手
罪を犯せば謝らなければならない。しかし実際の所本当にそうなのだろうか。
現代社会を見ても他人に罪を押し付けたり頑なに誤魔化し続けたりする案件の方が多い。そんな世界にいる僕らにでも謝る事の大切さはわかっていた。なのに──。
「弟!!!」
「大声でどうしたんすか姐さん」
突然音を立てて戸を開けて姉御に僕は驚いた。自分の部屋であったので、そこまで忙しくする案件だったのかと不安になる。
「お前.......もう知らないからな!」
「ちょ、ちょっと.......姐さん!?」
僕を厳しい表情で睨み何処かへ去っていく姐さんを僕は追ったが、走るのが早い彼女に追いつくのは不可能だった。あっという間に見失ってしまう。
「何なんだよ.......普通じゃない」
明らかに異常だ。姉御は何も理由なくして僕に対して怒るような人じゃないからだ。
改めて自分の家の中を捜索するが、その影も形も無い。僕の中に焦りが生まれる。
「これ本当に大丈夫なのか.......?」
予め連絡先を交換しておいたさくらちゃんに電話をかけた。数分後、折り返し電話を返してくれたさくらちゃんの声が聞こえた。
「どうしたの~弟君~」
「ごめん。ちょっとかくかくしかじかで.......」
さくらちゃんに事情を説明すると彼女の方もうーん、と声色を変えた。
「少なくともこちらには連絡きてないよ~」
「そうか.......何かすみません」
「いえいえ~私に手伝える事があったらまた連絡してくださいね。力になります」
「ありがとう」
協力的なさくらちゃんが心強かったが、未だに姉御の怒る理由がよく分からなかった。仕方が無いので僕は土下座ちゃんの方にも連絡を入れることにした。
「はい。もしもし」
「あっ、土下座ちゃん?僕だけど」
「弟君ですか!姉御がいつもお世話になってます!」
礼儀正しいながら明るく接してくる彼女にも同様の手順でここまでの事情を話す。少し焦りも入った僕の口調に土下座ちゃんも神妙な声を隠せなかった。
「私の方には来てないです.......」
「えっ、それじゃあ姉御は何処に.......?」
「私も聞いてないですからね.......姉さんはすぐに感情的になる人じゃ無いのに」
「困ったなぁ」
せめて手がかりは無いかと僕は土下座ちゃんの話を聞く。その内に僕は彼女の話から気になる言葉を見つけていた。
「姉さん、本当に辛い時になると必ず行く場所があるんです」
「行く場所.......?詳しく教えてくれる?」
「うん。弟君は信用できるし」
彼女の言うところによると岬近くの公園に姉御は座っているはずだろうという話だった。
「しかし、何で土下座ちゃんが知ってるんだ?」
「私が散歩していた時、偶然目撃した事があって.......泣いている姉さんに話を聞いたら辛くなったらここで落ち着くようにしてるって。潮風が気持ちいいらしくて」
「その話が本当ならもしかすれば」
「.......かもしれませんね」
やっと有力な情報を手に入れた僕は土下座ちゃんに感謝の言葉を入れつつ電話を終了した。岬近くの公園.......僕は携帯で居場所を探してはみたが、当てはまる場所がたった一つだけ存在した。
「もしかしたら、か」
僕は急いで準備を整えそこへ向かった。バスで数分揺られ、そのバス停を降りてすぐの場所であった。
公園自体はそこまで広くないはずではあるのだが、今まで来たことの無い場所であったので少し戸惑った。
「えーっと、一体何処だ」
独り呟きながらその公園を歩いていたら、すぐそこのベンチに綺麗な黒髪を揺らし泣き声を漏らす着物姿の女の子の姿があった。僕の姉御の他の姿ではない。
「姐さん?」
僕は彼女に問いかけたが、また姉御は逃げる様に走り出した。まるで状況は掴めてなかったが、僕は説得を試みる。
「一体何があったのか教えてくれ!まだ理解出来てないから」
「五月蝿い!どうせお前は.......お前は.......!」
途中で辛くなり始めたのか彼女はその場に座り込んだ。僕は状況を気にしながらポンポンと肩を叩く。
「どうせ分からない癖に」
「分からない。だけど分かろうとする努力は止めたくない」
「分かったような言い方して。私、あのゴミ箱にあった書き残し見たんだから」
「詳しいことは戻って聞くから.......。とりあえず落ち着いて」
僕は優しく、そして彼女を理解したいが為にそう有り続けた。やがて姉御も落ち着いたのか、自分からベンチの方へ戻った。
世話の焼ける姉だが、僕は彼女を傷つけたその何か原因を知りたかった。
「私、辛い時にはいつもここに来る様にしてるんだ」
「土下座ちゃんから聞いたよ。あまり知ってほしくなかったかな」
「いや、いいんだ。お前が来てくれた事は何よりの救いだと思う」
僕はその言葉にほっとした。彼女の信頼まで無くしてしまっていては手詰まりになりかかると思っていたからだ。
「でも、あの書き残しは信じたくない。お前が書いた訳じゃないんだろ?」
「それは.......」
僕も返答に困った。本当に他愛もない話である。姉御と前にまた喧嘩した時に書いた悪口を姉御が僕の部屋に入った時に目撃したのだろう。
僕としてはほんの些細な呟きの言葉だったのだが、まさかここまで姉御が重く受け止めているとは思ってなかったのだ。
「最低だと思う?」
「最低!お前なんか弟なんかじゃない!認めない」
「勘違いとは今は言わないよ。でも、それは本心じゃないのは僕でも知ってる」
「五月蝿い!お前に分かってもらいたくない!分からないで!」
彼女はそう言ってまた泣き出した。僕は声のかけようがなく、側に居てあげる事しかできなかった。
ここまであの悪口で姉御を傷つけているのに僕はここに居ていいのだろうかと不安にもなった。
「辛かったよな」
「うん」
「苦しかったよな」
「うん」
「本当に酷い事を書いてしまった」
「うん」
姉御は昔からそういったセンチな部分があると言うことは知っていたはずだが、ここまで弱い部分が露呈するとは予想外という他無かった。泣き止まない彼女に僕は少しだけまた付け加える。
「でもあれは単なる僕の体調管理なものだったんだ」
「なんで」
「ほら、どうしてもずっと一緒にいたら要らない感情まで出てしまうだろ?だから悪口を紙に吐き出してただけなんだ」
「お前.......」
「別にあれを書いてたって僕は姉御を絶対に嫌ったりしないし絶対に見捨てたりなんかしない。今だってそうだろ?」
「うん。そうだけど.......」
どうしても僕を信用できない彼女に僕は強く明言した。
「今まで言うのは躊躇ってたけど、今だから言わせてもらうよ」
「うん」
「ああやって悪口も書いたし、これからも余計な事をするかもしれない。だけど僕は姉御が好きだから」
「えっ」
「姉御が好きな気持ちは変わらないよ。これからもずっと」
「都合のいい事言うな!」
彼女は厳しく反発するが僕の気持ちにはまるで関係なかった。僕の中に今まで無かった熱いものが込み上げた。
「好きじゃないと今までずっと一緒にいなかったし、喧嘩もしなかったし、悪口も書かなかった。それは僕が姉御とどうしても離れたくなかったわがままなだけなんだよ」
「うん」
少し不服そうに姉御は返事をする。僕はまた少し偽善もこもった気持ちを彼女に向けて差し出す。
「だから、信じてほしい。姉御は僕の事をどう思ってるか分からないけど、僕は姉御の事が大好きだから」
「.......っ!」
思わず彼女は赤面した。今まで言ってた事が普通だと恥ずかしいことだと知った僕も思わず顔を赤くした。
「全くお前は.......本当ポンコツだな」
「わりぃ、姐さん」
彼女は思わず笑った。僕もそれにつられて笑ってしまった。先程までの険悪なムードは既にそれによって吹き飛ばされてしまった。
「よく分かった」
「ん?」
「お前の気持ちは十分伝わってるよ」
「本当.......?」
その言葉に僕の方が思わず涙ぐんでしまった。長い間付き合っていたように感じていたが、その時間の一瞬一瞬が尊く、眩く僕の中で輝いていた。
「これからも私の弟でいてくれよ?」
「勿論だよ」
すっかり機嫌を良くしてしまった姉御に僕も涙を堪えて嬉しい笑みをこぼした。やはり僕は姉御がいないと駄目になってしまうのだ。
「私も.......お前のこと好きだからな」
「言わなくてもわかってるよ!恥ずかしいな!」
「どうしよう.......滅茶苦茶恥ずかしい」
青臭い僕達はまたクスッと笑いをこぼし帰り道に立った。
謝りの形は1つじゃない。相手を信頼し合える関係にまで戻る事が相手を許しあえる関係に繋がるのだ。
僕は今日の出来事ををまた尊い思い出として胸に刻み込んだ。