姉御の友人と遊園地
娯楽。それは人々にとっての心の安らぎであり、ある種の生きがいでもある。しかし娯楽ばかりに気を許していては到底救われぬ世界もあるのかもしれない。
「弟ぉ~~~!!!」
「姐さん落ち着いて」
同じ高校生の中でも落ちこぼれの部類である僕が何故、この優秀な姉御に泣きつかれているのか。事情がわからない分には応答の仕様も無いといったものである。
「とりあえず話せばわかるから!そこまで取り乱すのも珍しいけどさ」
「私の好きな児童アニメ『アメリパーク』が酷くて.......」
「あぁ、何となく同情するわ。それ」
かく言う僕もリアタイで見ていた為、姉御の気持ちも理解できる。ただ、あの作品は元から評価が薄い類のアニメがたまたま売れたといった感じのものである。
姉御にとってもそこまで思い入れのある作品という訳でもないはずなのだ。
「大体、何で僕に泣きつくんだよ。ブームは去ってはまたやってくるものだろ?」
「でも.......誰も救われない展開なんて酷いぞ。元号も変わるというのにあれはぁ」
未だ泣き止まぬ姉御をあやしながら思考を巡らせた。僕の中に一つだけ確証が生まれたとするのならば、どうやら姉御はそのアニメの大ファンであったということだ。
熱中していた作品の終焉というのは皮肉な事に応援していたファンまでも犠牲にしてしまうのだ。
「姐さん。そろそろ泣き止んでくれよ.......」
「でも、でも、あのラストは」
中々振り切りがつかない姉御に僕はため息を吐いたが、ここで僕も話を逸らす為に最終手段を使う他得なくなった。
「あれで気が済まないなら、現実で楽園を見つければいい話じゃないか」
「え、そんなものがあるのか?弟よ」
「理想で失ったものは現実の中で取り返していけばいい。僕の知ってる姐さんならそう言ってるはずだよ」
にわかに信じられないだろう発言に姉御は目を丸くしたままだった。次第にいつもの調子が戻ってきたのか、僕に問いかける。
「それは何処だ、教えてくれ」
「あの作品の中にもあったじゃないか。遊園地。久々に行ってみると楽しいかもよ」
「本当か?私の望んだ楽園が戻ってくるのなら安いものだ。行くぞ!」
そう言うと姉御は急いで支度を始めた。この人の情熱の基準は未だに僕も理解し難いが、それだけ愛着を持っていたものがあったという事だけは真摯に受け止める事にした。
「準備はいいか、弟よ」
「支度早過ぎ無いですか!?遠足前の子供でもそんなにはしゃぎませんよ普通!」
「当たり前だ。私の失った楽園を取り戻しに行くのだからな」
こうして僕達は電車とバスを乗り継ぎながら、遊園地へと向かうのだった。
「姉御」
「何だ?」
「これ、冷たいの」
僕はそう言って自販機で買っておいた飲料水を姉御に向けた。レモン風味の炭酸は昔から彼女が大好きな事を僕は知っていたのだ。
「あぁ。助かる」
「温かいのの方が良かった?」
「いや、すっかり春らしくなったからこのままでいい」
バスに揺られながら暫く隣のしなやかな黒髪を視界に入れた。光に照らされて美しく輝くそれを横目に目的地付近まで到達した事を確認する。
「そろそろ降りるよ。姐さん」
「あぁ。わかっている」
バスを降りたコンクリートの地面は固いものの、特有の高揚感を演出していた。目の前に広がる夢のような世界は久しくテレビでしか目の当たりにしていなかった。
「折角ここまで来たんだ。今日は思いっきり遊ばせてもらうぞ」
「あ、姐さん。走らないで!他のお客さんの迷惑になってるから!」
いつになくテンションの高い姉御をなだめるのに精一杯だったが、やがて彼女も疲れたのかこちらの方へ戻ってくる。
「今日お客さん多い」
「まぁ連休近いからね。姐さんは寄っておきたいアトラクションとか確認した?」
僕が彼女に尋ねると姉御はキラキラした子供のような眼をこちらに向けて言い放った。
「全部」
「え?」
「全部乗らないと気が済まないから!」
「姐さん!だから落ち着いてぇぇぇ!!!!」
いつになくはしゃぎ回る姉御を見てうんざりした気分にはなったものの、僕は安心していた。まるで幼い頃に同じ経験していたかの様な──。
「あれ?」
僕の中に一点の曇りが生じた。おかしい。僕と姉御は義理の姉弟のはずである。
完全に初対面のはずだがあの頃、確かに彼女に出会っていたのだ。わからない。記憶のピースを手繰り手繰りで探しても、その結論は出なかった。
「弟!遅いぞ!早くアトラクション制覇しないと間に合わないよ!」
「今行きますよ!というか一日で全制覇は無理ですって!」
今を謳歌している僕にはまるで関係の無い昔話ではあった。いつか、また思い出す日がくるだろう。それだけの事であった。
「姉御.......」
「どうした?」
「いい加減休ませてください」
「何言ってるんだ!まだ2つしか乗り物乗ってないじゃないか!」
「死ぬわ!」
僕は鋭いツッコミを姉御にぶつけた。元々体力が無いのも仕方の無い事だが、ここまでパワフルな彼女を制御するのは不可能である。
「わかった。しょうがないな。少し休もう」
「あ、姐さん!ポップコーン売ってるっすよ」
「懐かしいな。私は映画館でもあまり食べないからな」
姉御の目が食欲に満ちているのを察したので、僕の方から話を持ちかけた。
「いる?ポップコーン」
「それぐらい私が出すよ」
「いつになく前向きだよね。有難いけど」
「馬鹿。弟に代金を支払わせる姉なんかいるか」
この前カフェで奢らされた事はここでは閉口して、姉御がポップコーンを買ってきてくれた。丁度2人で食べ切れる量ではあったので、姉御も満足そうだった。
「あれ?あの二人.......」
僕らを見つけて何か思ったのか、誰かがこちらに近付いてくる気配を僕は感じた。
それはオレンジ色のまろ眉でこけしヘアーの女の子だった。
「もしかして、陳謝委員長?」
「姐さん。この人誰?」
名前を呼ばれて焦ったのか姉御の表情は少し緊張していた。戸惑いを隠せない彼女にその子は再び声をかける。
「見間違えでした?」
「いや、合ってるけど」
「なんだ。合ってるならそう言ってくれればいいじゃないですか」
その子はまろ眉を上げてニコッと笑った。どうやら複数人で遊園地に遊びに来ていたらしく、イメージ通りのリア充の雰囲気である。
「お前には紹介してなかったな。この子は猪狩さくらちゃんだ。私の友達」
「えへへ。お世話になってます」
「あっ、こちらこそ。姉御がお世話に.......というかお世話になってるの僕の方ですが」
たどたどしい言い方でも彼女はやんわりと受け入れてくれた。オーラが緩く、思わず気を許してしまいそうにもなる。
「しかし、まさか委員長がこちらに来るとは思ってませんでした~。その弟さんとデートですか?」
「デー.......!?」
姉御の顔が一気に修羅の様に変わった。軽々と地雷を踏む彼女の実際の所は緩いオーラを出すのではなく単純に空気が読めてないだけなのかもしれない。
「姉御!抑えて!デート違うけど!」
「こいつ.......周りが勘違いする発言するなよ」
「まぁまぁ怒らないでくださいよ~。ほら、喧嘩するほど仲がいいって言いますし」
「誰がじゃーーーっっ!!!」
姉御のエンジンがフルスロットルで作動しているので抑えている僕の方も必死であった。
ようやく話(?)を終えてさくらちゃんはこの場を後にしてくれたのが唯一の救いである。
「姐さん」
「何だ」
「あの子本当に友達なの?」
「友達というか腐れ縁というか」
「納得したわ」
彼女と話している間に日も暮れ始めていた。帰りの時刻も近くなってきたので、次に乗るのが最後のアトラクションになってしまう。
「最後はお前の好きなアトラクションに乗ってくれ」
「えっ、いいの?姐さん」
「元々私が好き勝手してたからな。最後ぐらい譲ってやってもいいだろ?」
「それじゃあ」
僕にはなかなか勇気を持って乗れないアトラクションがあった。高所恐怖症という訳でもないのだが、どうしても乗るのに躊躇ってしまうそれの名前は観覧車。
「お前、こんなロマンチックな乗り物好きだったか?」
「いや、そんな訳でもないよ」
同じゴンドラに姉御と僕が2人向かい合って座っている。意識をするという思考回路は働かなかったが、やはり異性であるので気まずさはこの上ない。
そんな空気の中、ゴンドラが頂上に上がったその頃に姉御は口を開いた。
「今日はありがとな。お前」
「いきなり何だよ。照れくさいなぁ」
「お前がいなかったら、ここまで楽しめなかったぞ?私の自慢の弟だ」
「いやいや」
僕は照れ隠しに頭を掻いた。ここまで分かりやすい姉御のデレは近年でも見なかったが、その視線は穏やかで慎ましやかで美しかった。
「僕の方からも姉御に感謝を伝えようと思うよ」
「そんな改まって。お前は昔からそんな感じだったな」
「あっ」
その時、僕はやっと思い出した。幼い頃に姉御とこの地で過ごした思い出。今となっては遠い彼方に抹消された様な儚いそれを僕は脳裏に焼き付けていた。
「どうした?お前」
「ううん。なんでもない」
「なんだ。今日のお前は何かセンチメンタルだな」
「あの時は忘れてたけど、今日はもう忘れないと思う。姉御」
「なんだ?」
「いつもありがとう」
「お互い様だ」
お互いにフフと笑い合い、ゴンドラから降りた。夜も近くなってきたので帰路に向かう足取りも早くなる。姉御はすっかり疲れて眠たげな表情を浮かべていた。
「大丈夫?」
「お前に心配されるほど私もヤワじゃない.......ぞ」
「そうか」
姉御は大きな欠伸を2回ほどして電車を降りた。ようやく僕達の育った街に帰ってきた。今日という日は夢見心地でもあった。
僕達にとって娯楽は人と人との心を繋ぐ架け橋だ。