姉御の妹
晴れ渡る空には目もくれず、僕は久々の休日を満喫していた。ゲームを目の前に置き、ポテチ、炭酸飲料水、ティッシュ、クッションを用意する。
「これで完璧だ──」
これ程までに至福な時間は無いだろう。普段何の価値も無いような授業を延々と聞かされ、背筋すら疲労で屈服してしまいそうなこんなご時世に生まれた僕の唯一の救いだ。
「目の前の幸せよりも将来への投資の方が良いものだと思わないのか?」
「ね、姐さん!?別に休みの日ぐらいいいだろ」
突然僕の部屋に入ってきた姉御はため息を漏らした。如何にこの駄目人間を矯正するか必死に考えているような複雑な表情を浮かべつつ、僕に問う。
「休みの日ぐらいもっと有意義に使え。友達と遊ぶとか、勉強会とか青春があるのも今の内だけだぞ」
僕はまるで分かったように話す彼女にふてくされたような顔をして言葉を返した。
「僕にとっては快適な部屋で菓子やジュース頬張りながらゲームできる方がよっぽど有意義なんだよ。それより姐さんの方こそそういう経験が少ないんじゃないの?」
「何ぃ?」
流石にカチンときたのか、目の前の姉御の顔色が一気に鬼の様に変わった。ヤバい。遂に僕は彼女の地雷を踏んでしまったかもしれない。
「お前ぇ.......その立場でよく人の事言えるなゴラァァァァ!!!!」
「いや、マジでごめんって!痛い!痛いから!」
僕は彼女が全力で頭上に下ろしてくる拳を受け止めるのに精一杯だった。というかむしろ受けきれず何発かモロで食らい若干気絶しそうになっていたが。
頭がふらつき最終的に僕はうつ伏せのまま地面に身体を強打した。
「おい、お前!しっかりしろ!一体誰が.......!?」
「目の前で心配してる人がやりましたって言っちゃ駄目かな?姐さん」
「もう一発食らうか~?」
「勘弁してくださいよ姐さん!普通にこの案件をそういう機関とかに通報したらモロ虐待判定食らいますよ!多分!」
幸い僕のなだめる作戦は成功し、姉御を落ち着かせる事ができた。
僕の方からもお詫び(?)の品として彼女喫茶店に連れて行き、姉御の好きなチュロスやドーナツをご馳走してあげた。実際この場合は僕の方が奢られる側であるのが普通なのだが。
「美味しい!お前、許す!」
「そうか。姐さんがそう言ってくれて嬉しいよ」
お洒落なカフェに顔色を蒼白にした血塗れの男が入ってきた時は店内がザワついたが、そういうプレイだと認識させてからはやがて落ち着いていったので問題ない。あくまでそれは誤認識ではあるが。
「なんでカフェなんか連れて来たんだ?お前の趣味じゃない癖に」
聞かれて当然の様な姉御の質問だった。そういう類の問いには答え慣れてるのであえて僕は表情を改める。
「姐さんだって落ち着きたい時はあるだろ?そういう時は姐さんの好きなもので囲まれてた方が落ち着くだろうと思っただけかな」
「そう言って、本当は私に謝らせようと思ってるだろ?騙されないし」
姉御の一言に少しイラッともしたが、あくまで僕も1人の男だ。余裕を持った素振りで言い返す。
「別に姐さんに休日返上されたりちょっと地雷踏んだだけでボコボコにされたり喫茶店で奢らされたい訳じゃないんだけどなー」
「あ、あの.......弟よ?」
棒読みで何かを読み上げるように語った僕にやっと空気を察したのか、顔色が青ざめていく姉御の不安そうな表情が読み取れた。
「何ですか?姐さん」
「もしかして、結構気にしてるのか?今日の事」
「気にしてなんかないよ。いつもの姐さんならよくある事だし」
遂に耐えきれなくなっているのか姉御はうっすら目に涙を浮かべていた。
滅多に見せないその顔を拝めるだけでも僕にとってはラッキーであったのだが。
「すまん。弟よ」
「気にしてないって言ってるよ?ただ蹴る殴るはマジで痛いから勘弁して。傷は残るし」
「気をつける」
こうして涙ながらに彼女はチュロスとドーナツを平らげた。
一番気になったのは完食した事よりも涙ながらに食べる姉御の様子を気にする周りの人達の視線だったが。
初対面の時は完璧な人間だとばかり思っていたが、案外子供っぽい一面も見れて自分の中で少し納得がいった様な気がした。
「美味しかった?姐さん」
「別に礼なんか言わないからな」
「また照れちゃって。本当は嬉しい癖に」
「年上をからかうのもいい加減にしろ!まぁ、流石に今回は私も悪かったが」
素直に言えずもどかしい姉御であったが、僕にはその気持ちがしっかりと伝わっていた。僕もその気持ちに返す様に姉御に感謝している。それが家族というものだ。
「ほら。食べるものも食べたし、帰るぞ」
「うん。姐さん」
街中を姉御と2人で歩いていると、向こうの路地から歩いてくる中学生の3人組から聞きたくない情報が僕の耳に入ってきた。
「ちょっと。あの高校の制服、土下座ちゃんの姉さんの所じゃない?」
「というかまんま土下座ちゃんの姉さんじゃん!男と手繋いで歩いてるし」
「「もしかして」」
両サイドの女の子の問いかけに真ん中のボサボサの青髪を携えた可愛らしい美少女は答える。
「別にそんな恋愛事じゃ無いと思うよ?私のお姉ちゃんは男の人苦手らしいし」
手を前に押し出して困惑しながら否定する彼女だったが、その噂話を耳にして僕は確信した。
僕の姉御とは似ても似つかない彼女だが、あの子は姉御の妹だ。
「お前、どうかしたのか?」
「姐さんの妹さんいません?ほら、あそこに」
「あぁ、本当だ。新しい中学でもなんとかやってるみたいだな。買い食いはNGだが」
「でも何か困ってるっぽいですよ。見る限り」
「人の話に手を出すな。極度のお人好しでもそんな事しないと思うが」
僕は昔から単細胞でなにもできない無能だと信じ込んでいた。だが、そんな僕でもわかる。あの子は無理やり人に話を合わせているみたいだ。
何故そのような事がわかるのかというと僕にもそんな時期があったからである。昔の自分を見ているようで耐えきれなくなり、僕の足は動き出していた。
「お前っ、何処へ行くつもりだ」
「姐さん。買い物済ませておいて!すぐ戻ってくる!」
「本当馬鹿っ.......あいつ!」
いきなり行動を起こした僕を見て躍起になったのか姉御の方も僕に着いてきた。信号を渡り、向かい側の妹の方に辿り着いた頃には既にバテてはいたが。
「何?アンタら」
2人組の女の子は先程まで噂をしていたのに白々しくこちらを見つめた。姉御の妹の方は心配そうな表情でこちらの様子を伺っている。
「別にその子を助けたいだとかそんなんじゃ無いんだけど、彼女と僕達の事は無関係だ」
「アンタらに言われる筋合いが何処にあるのよ」
「うっ.......」
昔からそうだった。僕は何も考えず物事にぶち当たって行っては無計画で行動するのですぐ失敗を重ねる。
今だって圧倒的なコミュ力の差からいつもなら出るはずの言葉を言い返せずにいた。我ながら悔しい。重苦しい空気の中、耐えきれなくなったのか口を開いたのは姉御だった。
「私らは恋愛関係を持ってる訳じゃない。あくまで姉と弟の関係だが」
「姐さん.......?」
家の姉御はこういう面倒事が嫌いなはずである。しかし、今回ばかりは違う。僕の事が絡むとつい本気が出てしまう癖も少しの間絡むだけで僕は知っていた。
「でも、手繋いでたり一緒にカフェ行ってたりしてたじゃない」
「弟と一緒に手を繋いだり一緒にカフェ行ったって悪い?私らは血が繋がってなくても家族だ」
険悪さを増していくムードの中、僕達は誤解を解こうと必死だった。姉御の方も自分の妹に被害が出ないようになんとか言葉を抑えているようにも感じた。
「もう、やめてください!」
突然の大声に周りの人も一斉にこちらを向いた。その声の主は姉御の妹だ。
「私の友達は姉さんが付き合ってたとしてもそれではやし立てはしませんから」
「土下座ちゃん.......!」
不測の自体に話を大きくし過ぎたと反省したのか、恥ずかしそうに姉御も頭を搔いた。僕にもその気持ちがひしひしと伝わってくる。
「ごめんね、土下座ちゃん。私らも何か気にせず言ってたかも」
彼女の取り巻きの女の子2人が彼女に謝ると続いて姉御も少し頭を下げた。
「土下座、私からも疑って悪かったな。謝る」
「姉さんは悪くないよ!.......というか誰のせいでもないし」
「あ、僕からも.......なんか.......ごめんなさい」
「いえいえ、そう言えばお名前をお聞きしてませんでしたね」
その姉御とは似ても似つかぬ美少女を前にして僕は少し言葉をどもらせた。なかなか言い出せぬ頼りない弟に僕の自称姉は答える。
「こいつは私の新しい弟だ。ほら、私居候するって言ってなかった?」
姉御の助言に彼女は手を合わせて笑顔で応えた。
「なるほど、姉さんは本当にお世話好きですからね。私からも姉さんをよろしくお願いします」
「いえいえ、お世話になってるのはどちらかと言うと僕の方なので!」
慌てて言葉を返すと彼女はニコッと僕の方に笑顔を向けた。ボサボサの青髪も改めて見ると愛らしく、少し落ちかけそうにもなった。
「私の名前は、梅上土下座って言います!また機会があったらお会いできたら嬉しいです!」
「こ、こちらこそ」
なんとか誤解が解けた後は少し緊張したまま、彼女と別れを告げた。やはり街角で知人や旧友等に会うとしどろもどろになってしまうのは相変わらずだ。
「お前、また無茶して」
「ごめん姐さん。気になるものは気になるし」
姉御はため息を吐きながら応えた。
「まぁいい。私の妹を知ってもらうにはいい機会だっただろう」
「そう言えばあの子、実の姐さんの妹なんですか?あんまり似てるようには思えないんですけど」
僕の一言に姉御は険しい表情に変わって答えた。
「似てなくて悪かったな」
「あぁ、いえ別に悪いとは一言も言ってないですし!というか本当の妹さんだったんですね!?正直疑ってました」
「お前、今日晩飯抜きになっても文句言うなよ」
「酷いなぁ、姐さん」
僕達2人は文句を言い合いながら帰り道を歩いていた。姉御は相変わらずキツい言い回しをするが、それもまた彼女の愛情なんだと僕の中で理解していた。
「間違っても私の妹に手出すんじゃねぇぞ?」
「わ、わかってますよそんな事!姐さんがいるのに手なんか出す訳ないじゃないですか」
「分かっているならそれでいいんだが」
そう言って姉御はまた面倒臭そうに背伸びをした。僕の姉御と過ごす休日は気疲れもするが、僕にとってかけがえのない一時になった。