姉御の学校生活
「お前、もう朝だぞ?起きろ」
朝から姉御の声を聞いて僕は目を開ける。昨日から僕の家に居候する事になった彼女は自分の事を姉御と名乗った。
気が強いながら容姿は淡麗で美しく、黒髪ロングが眩しい美少女だ。
「もう5分いい?」
「馬鹿、駄目に決まってるだろ!」
そう言って彼女は無慈悲なかかと蹴りを布団の上から僕に食らわした。的確に溝落ちに落とされたそのかかとの衝撃は後に激痛へと変わる。
「痛ってぇ!」
「そんな事言ってたら遅刻するぞ」
「でもこれはこれで悪くないかも、ご褒美として」
「お前ぇ.......もう一度食らわされたいのか」
「勘弁してください!起きますから!」
僕は飛び起きてパジャマも着替えずに階段を下っていった。姉御の方はやれやれという顔をしながら僕の後ろを着いて来る。
本格的に姉御と過ごす生活が始まってしまった様な気がした。
「おはよう、もうご飯できてるわよ」
「わざわざ毎朝どうも.......母さん」
「美味しそうですね、いただきます!」
僕の姉御は母の前になると媚びる様に顔つきを優等生に変えてしまう。猫を被るとはまさにこの事だろうか。
「姐さん、僕の時とキャラ違くない?」
「何だ。お前如きにいい顔すると思ったら大間違いだ」
「一々なんだよ.......。あくまで姐さんは僕の家の居候なのに」
「何か言ったか?」
「何も言ってない」
小生意気な姉御と名乗る彼女に僕は鋭い目を向けながら白飯を頬張る。味噌汁も流し込み、食器もそのままにして2階へ駆け上がった。
「.......何なのアイツ」
「梅上さん、あの子はいつもああだから気にしなくてもいいのよ」
母の一声に彼女は少し膨れっ面を浮かべたらしい。
僕が慌ただしく制服に着替えている最中、またしても姉御が僕の部屋の戸を開いた。
「お前、制服似合わねぇな」
「びっくりした、男子の着替え中に部屋覗く方が失礼じゃないのかよ」
彼女は別に、といった素振りを見せながら力のこもってない目で僕に指摘する。
「私は忠告しに来ただけだ。お前、今から家出ても遅刻しそうだぞ」
僕が時計の方に目線を合わせると既に七時半を回っていた。確かにここから学校までは少し距離があるのでまずいかもしれない。
「うわっ、本当だ!なんで早く言ってくれなかったんだよ」
「知るか。勝手に食卓から逃げるように消えたのはお前の方だろ。私は関係ない」
「何なんだよもう!」
僕の方も急いで着替え終わり、母に挨拶をし、姉御と共に玄関を後にした。いつもの通学路が姉御と走っていると少し新鮮な様にも感じた。
「そう言えば姐さんはどこの高校?」
「お前と同じ高校だ。知らなかったのか」
「嘘ぉ!?僕は校内で姐さんを見かけたこと無かったんだけど」
「大体は生徒会の方に呼ばれてたからな。休み時間も見た事がないのは当然だろ」
どうやら姉御は僕と同じ高校生であるらしく、生徒会に属しているらしい。ここまで聞いても清々しい程のエリートぶりが腑に落ちないが、少し滑稽な気もする。
「大体おかしいよな。成績優秀、スポーツ万能の生徒会役員が、こんなヘタレの遅刻に巻き込まれるなんて」
僕はそう言って彼女にフフンと笑みをこぼした。しかし、ある意味自虐的なこの発言を聞いた姉御はいい顔を見せなかった。
「呆れた」
「え?」
「私はお前が遅刻するのを知ってたし、私が生徒会役員なのはこの話とまるで関係ないだろ?自分を卑下するな」
急いでいた僕に彼女の言葉は重くのしかかった。確かに僕は僕自身と姉御のその地位を比べて甘んじていたのかもしれない。姉御はそれに対して怒りを示しているのだ。
「正直権力だとか能力で人を判断するようなのは私は嫌いだ。自分は自分だ」
「でもだったら何で遅刻の事分かってたのに黙ってたんだよ」
彼女はすうっと息を吸って答えた。
「お前の事が少し気になってただけだ。姉弟なら2人一緒に学校に行けた方がいいだろ」
姉御の一言に僕はハッとした。彼女は僕のペースを大切にしてくれて、貴重な朝の時間を急かしたくないと気を遣ってくれていたのだ。
「言わせるなよ恥ずかしい」
歩道橋を渡りながら彼女はぽうっと顔を赤くした。初めてデレた彼女の一面に僕は少しニヤけた。
「姐さんってそういう一面あるんすね」
「うるさいな。速く走らないと置いていくぞお前!」
「ちょっと姐さん、急にスピード上げないでくださいよ!ちょっと!」
結局、今日遅刻したのは僕だけという悲しい結末を迎えた。
授業も終わり、長いHRを終えた後、僕は気が楽だった。今日のHRは一段と長く、『文武両道』だの適当な事を担任は口走っていたが、そんなことは今の僕には関係なかった。
「何せ、放課後のアニメショップは定番でしょ!」
やっと授業から開放された放課後、僕は舞い上がるように靴箱を後にし、帰路に立った──。が、僕の脳裏には姉御のあの言葉が残っていたのだ。
「姉弟なら2人一緒に学校に行けた方がいいだろ」
彼女は躊躇いも無くそれを言ったのかもしれないが、僕にはその数倍も重く感じていた。僕の人生の中で誰かの事を想うなんて考えた事も無かったからだ。
モヤモヤした気持ちを抱えている内に僕の足取りは自然と止まっていた。
「本当に帰っていいのかな.......?」
確かに僕も長く面倒な授業で疲れているのも確かだ。自分を大切にしていきたい気持ちもある。
しかし夕暮れの中、姉御を一人で帰らしてしまうのも申し訳ないと思ってしまったのだ。
「おっ、クラスの陰キャ君じゃないか!こんな所で何してんだよ」
「鮫島!お前こそ今日は帰るのか?」
校門付近で挙動不審になっていた僕に声をかけたのは僕のクラスメートである鮫島だった。
彼は金髪でスタイルも良く、誰にも友好的な人気者であるが、何処かいけ好かない所がある。
嫌いという訳では無いが、あまり関わりたくないタイプの人物だった。
「何言ってるんだ。今日からテスト期間だろ?早く帰れる分早く遊ばなきゃ損だ」
「お前、そんな事言って次のテストの成績大丈夫なのかよ」
「ヘーキヘーキ、俺ちゃんデキる奴だからさ。楽しみにしててくれ」
「へ、へぇ~」
自信満々な彼に僕は適当な相槌を打つことしか出来なかった。
「そう言うお前だって、校門の前でモジモジして誰を待ってるんだよ?彼女か?」
「か、かのっ.......!?」
「ま、そういうお前に彼女なんかいる訳ねーよな。聞いて悪かった、じゃあな!」
彼は僕をからかうようにして自転車を漕ぎ去っていった。嵐のような人物である。
今度からアダ名でそう呼んでやろうかとは思ったが、あながち悪い気はしなかった。
「彼女なんて.......そんな訳ないだろ」
僕は校門近くに落ちていた石を空高く蹴った。石は弧を描く様に宙に浮かび、近くの川にぽちゃんと落ちた。
川が写す夕暮れの反射は僕の心を透かしているかのように穏やかだった。
「誰が彼女だって?」
「うへぇっ!?」
僕はヒヤッとして後ろを振り向くとそこにはこの学校の制服を来た姉御の姿があった。夕暮れが丁度影を作り、彼女の姿が少しだけ映えて見えた。
「姐さん、いたのか」
「詳しくは聞こえなかったが、まぁいい。私も意識し過ぎだろうし」
「うん」
「ほら、帰るぞ」
「あっ、姐さん。今日アニメショップに寄ろうと思って」
咄嗟に出た僕の一言に姉御は顔をしかめて促した。
「もうすぐテスト期間だろ?何の為の早期下校なのか考えろ」
「厳しいなー」
「当たり前だ」
僕らは2人並んで帰っていた。道に咲く草や花々もいつもより美しく感じられたのはやはりこの人が側にいるからだろうか。決して意識している訳では無いのだが。
「あのさ、姐さん」
「どうした?お前」
「今朝のあの一言、ずっと考えてたんだ。僕ら姉弟になったもんな」
「何だその言い方。素直に気持ち悪いぞ」
「ごめん。でも、これだけは言わせてほしい。僕の事を気遣ってくれてありがとう」
彼女はそっぽを向き顔を隠した。僕は嫌われたのかなと不安にはなったが、実際の所はそうじゃないらしい。少しだけ見えた皮膚はほんのり赤く染まっていた。
「面と向かって言うな。照れるだろ」
「へへ、やっぱ姐さんは姐さんだな」
僕は心が楽になった。別に救われたという程強く持ち上げられた訳ではないのだが、そういう些細な優しさを感じ取れる事を喜んでいたのかもしれない。
辺りが少し暗くなり、ザワザワと風が強くなり始めた頃、僕らは違和感を覚えていた。
「姐さん.......何かヒソヒソ聞こえない?至る所の茂みから」
「あぁ、私も感じている。多分いつものはやし立てだろう」
「はやし立て.......?」
僕が疑問に思っているとその蠢きは大きくなり遂に大勢の人型が飛び出した。
「梅上さん、遂に彼氏ができたんですね!?そうなんですね!?」
「「は?」」
初めて僕ら2人の息が合った瞬間だった。彼らの正体はどうやら新聞部で、ずっと美人生徒会役員である姉御を追い続けて記事にしているらしい。新手のストーカーである。
「別にこいつは私の彼氏じゃない。単なる弟だ」
「まさか!?あの梅上さんに隠し子が!」
「え、何か僕もダメージ受けたんですけど」
色々と勘違いされている彼らに詳しい状況を話すと、その連中はガッカリした様子を浮かべている。
「作用でございますか。義理の弟って解釈でよろしいのならば一大スクープという訳にもなりませんね.......残念」
「姐さん、こいつら絶対楽しんでやってますよね」
「いいんだ。誰が何処で何を言おうと私には関係ない」
変な所で男気が強い姉御はそれでも身に危険を感じたらしくさっさと自宅まで駆け足で戻って行った。
僕もその後を追って帰ったが、今日一日でどっと疲れたような気がする。
家に帰り、夕食も済ませた僕は明日に備え勉強をしていた。
実際の所は新しい所は勉強せず、基本の単元だけを押さえてソシャゲで遊んでいただけなのだが。
「夜遅くまで勉強とは偉いな。お前」
「姐さん、今日もお疲れ様」
「改まらなくたっていい。毎日そんな事言ってたら余計疲れるだろ」
段々と姉御とも打ち解けていっている様な気がする。こういう生活も悪くないと思いつつ少しセンチな気持ちにもなった。
「じゃあ私は寝るから。おやすみ」
「待って、姐さん」
「どうしたんだ、急に」
「完璧にするのも大変なんすね」
「だろ?」
彼女は眠そうにしながらも頬を上げた。いつもの厳しそうなツリ目が穏やかになっていくのが嬉しい。
「おやすみなさい。姐さん」
「おやすみ」