第四章九話「全部全部ぜーんぶ」
「もう! 待ってよイオ!」
三人が温泉に入っている間も追いかけっこをしていた琥珀とイオアネスは宿を飛び出し、近くの森に入っていた。
剣は持っていないが大丈夫だろう。近隣の魔物は倒したばかりだ。襲われる危険性は少ない。
「ウフフ待ちませんわ! だってコハクが怒るもの」
軽やかな動きで木々を避けていくイオアネス。
お姫様として王宮にこもっていたなんて考えられない。どう見ても動きには慣れが混ざっている。
「当たり前だよ。人の秘密を話して!」
琥珀はイオアネスの後を走るのが精いっぱいで一向に距離が縮まらない。
全力じゃないとは言え、かなり真面目に走っているのに。
「だって聞かれたんですもの。話さないとならないじゃありませんか」
「ありませんかじゃないんだよ!」
「怒らないでくださーい」
イオアネスはケラケラと笑いながら木々の隙間を縫うようにしてさらにペースを上げていく。
「止まる気はないんだね。だったら――!」
琥珀は息を止め、走っている勢いそのままに跳ぶ。そして木に当たる直前で宙返りをして木を蹴り、三角飛びの要領で一気に追い上げる。
友人がはまっていたパルクールをはたから眺めて得た知識と異世界で培われた身体能力があれば、忍者のように跳び回ることなど造作もない。
「捕まえた!」
「きゃあっ」
木々の隙間を跳び回った琥珀はすぐにイオアネスに追いつき、勢いを殺せないまま背中に飛びかかる。
琥珀に抱き着かれた形のイオアネスはバランスを崩し、そのままゴロゴロと地面を転がった。
「まったく手間取らせて。覚悟してよ」
砂まみれになった琥珀は両腕で体を支えて起き上がる。
腕の中にはイオアネスが寝っ転がっている。ちょうど床ドンする形だ。心なしかイオアネスの顔が赤くなっている。
「はい。責任を取ってください」
「おかしいよね? 立場が逆だよね?」
どうして責任を負わせる立場の琥珀が逆に責任を取らなければならないのか。
琥珀が首を傾げるとイオアネスはため息を吐き、琥珀をどけてから座り込んだ。
「それにしても、コハクも上達しましたわ。以前は追いつかれませんでしたのに」
この世界に来たときの話だ。まだ一般人と変わらなかった琥珀はパーティ最高の瞬発力を持つイオアネスどころかサンにすらかけっこでは負けていた。今となってはイオアネスの次に俊足だが。
「ボクにはイオが手を抜いているように見えたけど?」
「まさか。手を抜いても痛い目を見るだけです。どうして手が抜けましょう」
「どの口が言ってるんだか。ボクを困らせて楽しんでるくせに」
「そんなことありませんわ」
微笑みながらしれっと言い切るイオアネスに、琥珀はジト目を向ける。
「コハクはどんどん強くなっていってる。次第にわたくしなんて追い抜かれるでしょうね」
「何言ってんの。ボクとイオは一緒に旅をしてるんだよ? ボクが強くなればその分イオだって強くなるよ」
琥珀だけが突出して強くなることはない。
先ほどサンより足が速くなったとは言ったけど、もし腕相撲をしようものなら琥珀の腕はへし折られてしまうだろう。要は個人によって鍛えられる部分が違うのだ。戦闘中の役割も分かれているので当然と言えばそれまでだが、少なくとも強さを追い越すということはないはずだ。
「違いますわ。わたくしはただの人間ですがコハクは勇者。上達の速度も質も勝てませんわ」
「ボクだってただの人間なんだけど」
「そういう意味じゃありませんわ。分かるでしょう?」
いつの間にか人間扱いされなくなっていた琥珀が不満げに唇を尖らせると、イオアネスにたしなめられてしまった。
「うん。言いたいことは理解できるよ」
琥珀は人間だ。それは変わらない。
だけど琥珀は普通ではない。勇者であり、魔王を倒せる使命を背負って異世界から召喚された。
才能も運命も使命も異質だ。しかもアダムが生み出した武器まであるのだから、隣を歩けないと思われてしまうのも無理はない。
「でもボクはやっぱり普通の人間だ。違うとしたらこの世界で生まれたかどうかだと思う」
でも、その考えはあくまでも勇者ではない者のものだ。
「コハクは勇者です。わたくしとは」
「違わないよ。ボクにできることは限られている。ううん。イオにできることもボクはできないだろうね」
「そんなことありませんわ」
イオアネスは首を振るが、琥珀もまた首を左右に振った。
交渉術こそイオアネスの土俵であり、琥珀では王女様には絶対に勝てない。魔法ならキテラに負けるし単純な筋力ならサンに負ける。クリスのように他人の傷を癒すことなんて一生できないと思う。
つまり適材適所だ。その一面だけで琥珀には敵わないというのは間違っている。
「知ってるかな? クリスを誘ったときのこと」
もしもそれを理解したうえでまだボクを強いというのなら、皆には内緒にしている弱さを教えてあげるよ。
「はい。本人から聞きましたから」
「じゃあ人を生き返らせた下りも知ってるよね?」
「それは、はい。知っています」
琥珀とクリスとの劇的な出会いを知っているらしいイオアネスは顔をこわばらせた。
「子供を宿せなくなったと」
禁忌魔法の代償は、多分クリスに聞いたのだろう。
「そう。クリスは遅れて自覚したみたいだけど、ボクは違う」
顔を悲痛の色に染めているイオアネスに、琥珀は微
笑みかけた。
どれだけ後悔しても代償がなくなることはない。今さら同情されても既に諦めがついている琥珀にとっては気まずくなるだけだ。
「最初から知っていた。子供を作れないどころか異性への感情が希薄になっていることも。鳥羽君への想いは消えていないけど、それが恋なのかどうか分からなくなっちゃった」
元の世界に帰り、想い人の自殺を止めたい。その願いは今も変わらず抱いている。
だけど止めたその先のことはまったく想像できなくなっていた。楽しい生活が待っているはずなのに、なぜか依然ほど望めなくなってしまったのだ。
「それは……」
「だから驚いたんだ。てっきり代償を支払ったのはボクだけだと思っていたから。クリスも代償を支払っていたなんて思いもしなかった」
禁忌魔法というものは召喚された当初から知っている。だから覚悟は決まっていた。一人で済むのならと持てるすべてを出し尽くした。
しかしクリスもまた禁忌魔法の代償を受けてしまっていた。まったくの予想外、想定以上に悪い事態だ。
「人を生き返らせる代償は人の営みそのもの。考えたよね。まったく」
禁忌魔法の代償は何がどうやって決めているのかは知らない。だけど非情で合理的だと琥珀は思わず呆れてしまう。
「コハクは、どうしてそんな状態なのに笑っていられるんですか。戦う理由も失いかけているのに」
「人助けができたからってのもあるんだけどね」
そんなに笑っていたかな、と琥珀は自分の頬を触る。思っていたよりも口角は上がっていた。
「正直死ぬのが怖かったんだ。ボク」
笑顔を作っていると自覚した琥珀は、さらに笑みを濃くする。
「誰だって死にたくないって思うよね。でも違うんだ。ボクはこの世界の出身じゃない。剣なんて物語の中でしか見たことがなかった。まさか自分が剣を振って殺し合いをするなんて想像もしていなかったんだ」
桃太郎から中高生に人気のアニメ、ゲームでも子供向けから大人向けまであらゆる分野において、戦闘を題材にした創作は溢れていた。
だけどまさか自分が物語の主人公と同じように剣を取り、魔王を倒すというおとぎ話みたいなことを本気ですることになるとは思っていなかった。
「剣を持ったとき、怖かった。殺すこと、殺されること。守ること、壊すこと。すべて怖かったんだ」
今でも手が震えそうになってくる。ゴブリン相手なら簡単に負けることもないけれど、奪う恐怖が増すだけだ。強くなれて嬉しいと思ったことなど一度もない。
「そんなボクが今まで進んでこられたのは鳥羽君を止めないといけないという思いがあったから。でもまた怖くなったんだ。間に合わなかったらどうしよう。拒絶されたらどうしようって思うとさ」
今でも忘れない。
あのとき、家族を事故で失った彼が線路へと身を投げようとしたとき、琥珀が止めたときのあの絶対零度の瞳を。拒絶を。絶望を。
あのまま話をしたとして、果たして琥珀に止められただろうか。正直言って、自信はない。
「全部全部ぜーんぶ怖かった。だから少しでも怖くなくなるようにしたかったんだと思うよ」
なぜ止めるのか。友人だから。
なぜ好きなのか。友人だから。
将来の可能性を、ひいては恋愛感情を捨てられたのは、ある意味幸運だったのかもしれない。
「だから大切な気持ちを捨てたのですか? 戦いにもっとも不要なものだからと」
「うん。まあ選んで捨てたわけじゃないけどね。結果としてよかったなという話だよ」
琥珀が微笑んで答えると、突然イオアネスに抱きしめられた。
「イオ? 苦しいよ」
「ゴメンなさい。わたくしたちの事情であなたを巻き込んでしまって」
「何を今さら。大丈夫だよ気にして――」
「自分の言葉も押し殺させて、自分の想いをも捨てさせて、ゴメンなさい」
イオアネスの顔が乗っかっている肩が冷たい。声は震えているし、多分泣いているんだろう。
「……大丈夫だよ。死ぬわけじゃないんだから」
どうしてイオアネスが泣いているのかが分からないけれど、琥珀は努めて穏やかな声と共にイオアネスの背中を優しく撫でた。
「いいえ。死んでいますわ。コハクという一人の人間が」
「それでもだよ。全部魔王を倒したら解決するんだから」
琥珀が魔王を倒し、その魂をアダムの元に送り届ければ、すべてが終わる。
この世界ともお別れし、彼の自殺を止めることだってできる。その後のことは分からないけど、きっと怖くて震えることはなくなるはずだ。
「あなたは強い人です。そして誰よりも弱い人」
「強い人ってところは否定したいな」
「コハクがこれ以上死なないで済むようわたくしが守り抜きます。だから、難しいでしょうけど、安心してくださいね」
イオアネスの細い両腕にさらなる力が加えられるが、不思議と苦しいとは思わなかった。
「あははっ、じゃあボクもイオを守るよ。将来義妹になる人だからね」
「もうっわたくしは真面目に話をしているのに」
パッと離れたイオアネスが、雰囲気を読まずに茶化す琥珀に頬をふくらませる。
「ありがとうイオ。ボクもまだ少し笑っていられるよ」
琥珀の呟きは、イオアネスの耳には届かなかった。




