第四章五話「切り落としてやれば」
「……んっ」
窓の外から注がれる光に瞼を震わせて、琥珀は目を覚ました。
二度寝する前に上体を起こす。遅刻しないようにと編み出した琥珀の得意技だ。
「夢?」
辺りを見渡して、琥珀は首を傾げた。
琥珀がいたのは上も下も分からない真っ白な空間、ではない。
一人で使うには大きすぎるベッドに、シンプルながら装飾された壁。絵本に出てきてもおかしくないぐらいの気品溢れるこの部屋は、昨日イオに案内された客間だ。
「あははっ。枕元にプレゼントだなんてサンタみたいだね」
灯台下暗しとはよく言ったものだ。枕元に立てかけられていた黄金の剣と小袋を見つけ、琥珀は堪らず吹き出してしまった。
小袋は知らないが、黄金の剣には見覚えがあった。アダムから貰った、勇者にしか扱えないという欠陥品だ。
「アダムに会ったのは本当だったんだ。まったく。ボクはこの世界の文字を読めないのに」
剣と小袋と共に置かれていた紙を拾い上げ、琥珀は苦笑した。
琥珀はこの世界の文字なんて当然読めない。日本語ではないからだ。むしろ言葉が通じるのが不思議でならないぐらいだ。
琥珀が紙切れを投げ捨てようかと思案していると、木製の扉がノックされた。
「はーい」
「コハク。イオです。起きてますか?」
「うん。開けてもいいよ。ちょうどよかった」
「はい? ちょうどよかった? ってコハクその剣は」
琥珀の許可を得て扉から顔を覗かせたイオアネスは、昨晩まではなかったはずの黄金の剣に目を見開く。
言葉の端が震えているような気がしたけど気にしないことにした。
「ああこれ? 多分この紙に書いてあるんじゃないかな?」
琥珀は説明をするのが面倒だったので、アダムからの手紙を笑顔で差し出す。
「多分って、これ神造兵器じゃ――」
「まあまあ。とりあえず読んでよ。ボクじゃちんぷんかんぷんだからさ」
「……分かりました」
笑顔のままずいっと押し付けると、イオアネスは観念して手紙に目を通す。
読み始めてすぐにイオアネスの体が震え始めた。
「えーっと、イオ?」
「コハク、あなたは一体何をしたのですか?」
体は震えているのに声は驚くぐらい穏やかだ。
琥珀はすぐに察した。声の調子とは対照的にイオアネスの感情が渦巻いていることに。
「えっ? えーっと、あはは」
「笑ってごまかさないでください! この手紙には我を強請った不届き者へと書かれているんですよ! しかもアダム様の署名で!」
イオアネスは琥珀の肩を掴んでブンブンと前後に激しく揺らした。
根に持つなんて器の小さい神様だなーと思った。
「へえー、そうなんだ。他には?」
「なんで軽く流そうとするのですか! アダム様を強請ったなんて歴史上あなたが初めてです! 大問題なんですよ!」
「だって何でもくれるって言ったから」
むしろ押し付けられた勢いまである。売ることすら許してもらえなかったのだから。
「だからって、神造兵器と無限の財を取り出せる小袋を貰うのはやりすぎです!」
「あっ、やっぱり書いてあったんだね。なるほどこれが財布ってわけだ。持ち運びまで考えてくれたなんて意外と心遣いのある神様だね」
琥珀は正体の分かった小袋をお手玉のように放る。
さすがに雨のように降り注いでいた金貨を持ち歩くのは難しい。
どうしようかと考えていただけに、手のひらサイズの小袋に全部入れたのはいい判断だと言わざるを得ない。
「ああもう! 国宝級の贈り物をポンポンと投げないでください!」
「怒らないでよ」
「誰のせいですか!」
心配そうな顔で焦るイオアネスにやれやれと首を振ると、イオアネスに怒鳴られてしまった。
納得いかない。どうしてイオはそんなにおこっているんだろうかー。
「そういえば、イオは何か用事があったんじゃないの?」
これ以上イオアネスをからかって本気で嫌われるのも嫌なので、琥珀は首を傾げて問いかけた。
「露骨に話を逸らして……ってそうだった。お兄様がお呼びです」
「エドワード様が?」
何か呼び出されるようなことをしただろうか。
琥珀は反射的に頭を抱え、過去の行いを見直し始める。
「出立の準備をせよ。善は急げだ。旅立ちを見送ってやろうとのことです」
しかし、琥珀の予想はまったくのハズレだった。
よほどのことでもしでかさない限り、一国の王が異世界からの来訪者に立腹することはないのだから。
「あ、あはは。そうだね。ボクも時間はないわけだし。急いで準備するよ」
予想を外した琥珀はいそいそとベッドから立ち上がり、イオアネスが持ってきてくれた服に袖を通す。
学校の制服は大切に保管してもらっている。旅が終われば帰るのだ。一張羅をボロボロにするわけにはいかない。
「外で待ってますから早くしてください。後はコハクだけです」
「……もしかしてまだ怒ってる?」
「当然ですわ!」
扉が勢いよく閉められ、あまりの大きさに琥珀はおもわず目を閉じた。
「悪いのはアダムなんだけどなあ」
困ったような呟きは、プリプリ怒っている王女様には当然届かなかった。
「遅くなりました!」
駆け足で謁見の間の扉を開けて、琥珀は勢いそのままに頭を下げる。
「フハハハハ! 王を待たせるとは何たる不敬! あまりの豪胆さに笑いが止まらぬわ!」
「申し訳ありませんお兄様」
腕を組んで高らかに笑うエドワードに、先に謁見の間に到着していたイオアネスが頭を下げた。
「よい! 神造兵器のおまけつきだ! 水に流してやろう!」
「ありがとうございます」
うむと頷くエドワードにイオアネスはもう一度頭を下げた。
両手を前に合わせたとても綺麗なお辞儀だ。琥珀にはとても真似できそうにない。
「えーっとエドワード様」
「なんだ!」
「その騎士さんは?」
琥珀はおずおずと小さく手を上げてからエドワードの左前で膝をついて控えている全身鎧の男を指差した。
「こやつか? 荷物持ちだ!」
「荷物持ち?」
エドワードの答えに琥珀は首を傾げた。
「まだ咲き誇らぬ勇者に余の大切な妹。護衛もなしに送り出すことはできぬ!」
ババンと音が鳴りそうなほど堂々とした声音で、エドワードは言い切る。
「そこでこやつよ! 余の誇る騎士団で最も頑丈な者を選び出した! 旅に同行させるのだ!」
エドワードがばばっと手を動かし、頭を下げたまま騎士の男が琥珀たちのほうに体を向けた。
騎士は琥珀から見ても整った顔立ちだ。エドワードが猛禽類を思わせるワイルドな顔だとしたら、騎士の顔は微笑みのよく似合う優しいタイプのイケメンだ。
しかし残念なことに琥珀のタイプは気だるげそうにしている男性なので、エドワード同様琴線には触れなかった。
「そんな、護衛なんていらないですよ」
琥珀は首を横に振り、エドワードの善意を断った。
同性ならまだしも、異性と旅をするつもりはない。
「そう言うな! 先も言ったがこやつはただの荷物持ち! 存分にこき使えばよい!」
「でも……」
「女子だけでは何かと面倒な事態もある。そのための男手だ。本人も望んでいる」
打って変わって落ち着いた声で、エドワードは琥珀を説得にかかった。
「はっ! イオアネス様と勇者様をお守りすることこそ我が本望! 魔王を討ち倒すは我が希望です!」
「な?」
「うぅ」
気合いの入った騎士の言葉となんだか楽しそうにニヤニヤ笑うエドワードに、琥珀は唇を尖らせる。
断りにくい。そんなにやる気に溢れた顔をされると突き放しにくいと思ってしまう。
「コハク、お兄様なりにわたくしたちのことを心配してくれているのです。せっかくのご厚意ですから」
「うぅぅ。イオがいいって言うなら」
とうとう琥珀は折れた。一緒に旅をするイオアネスにまでオーケーと言っている以上、一人だけ首を横に振り続ければ駄々をこねていると呆れられかねない。
「大丈夫ですよ。わたくしたちに欲情したら二度と使い物にならぬよう切り落としてやればいいのです」
「「ヒィッ!」」
据わった目のイオアネスの発言に、エドワードと騎士は同時に股間を押さえ悲鳴をあげた。
具体的にどこを切り落とすか言っていないのに、エドワードたちは同じ箇所を思い浮かべたようだ。
「なんで驚くのですか? お兄様も」
据わった瞳でエドワードを射抜き、イオアネスはことりと首を傾ける。
「い、イオよ。王としてではなく兄として、一人の男として言うがあまりそのようなことを公言するでない」
エドワードの声に先ほどまで溢れていた覇気がない。それどころか完全にイオアネスとの上下関係が逆転していた。
「どうしてです? やっぱりそんなことを考えているからですか?」
「違う断じて違う! 冤罪だ!」
「ではどうして?」
「……男は弱いのだ。色々と」
イオアネスのジロリとした視線から流れるように、エドワードはそっぽを向いて弱々しく告げた。
男の人は大変だ。
琥珀は胸中で合掌した。
「えーっと気を取り直して、あなたの名前は?」
「ヒッ、さ、サンです」
場の空気を変えるべく琥珀が騎士に近寄り膝をつく。よく磨かれた石の床はひんやりとしており、サンと名乗った騎士は露骨に怯えの表情を浮かべた。
「あー、ボクはイオみたいな怖いことするつもりないからね? 怖がらないで」
「まるでわたくしが恐怖の権化みたいじゃないですか」
「似たようなものだよ。うん。ボクも怖かったし」
「心外です」
琥珀が苦笑しながら男性陣の味方に立つと、イオアネスは不満そうに頬をふくらませた。
「ボクは琥珀。勇者様なんて呼び方はやめてほしいな」
「かしこまりましたコハク様!」
「……できれば様付けもやめてほしいんだけど」
元気よく頭を下げるサンに、琥珀はため息を吐いて苦笑いの色を強めた。




