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第四章四話「未練」

 琥珀が目を覚ますと白い空間にいた。

 上下左右、どこを見渡しても白。果てはなく琥珀以外の異物もない。なぜか立てているが地面の感覚はなく、歩くたびに奇妙な感覚でおかしくなりそうだ。


「ここは……?」


 琥珀の記憶はイオアネスに案内されてテレビでしか見たことのない豪華な部屋で眠りについたところまでだ。まさに異世界としか言いようのない場所に来た覚えはない。


「初めまして小鳥遊琥珀」


 琥珀が首を傾げていると知らない声がして、目の前に光の球が集まり出した。

 そして光の球体はやがて人の姿を形作る。

 肩まで伸びる艶のある金髪。一部の狂いもなく刻まれた中性的な顔。そして無駄のない引き締まった裸体。

 一目で同じ人類ではないと直感させられる容姿のヒトが、琥珀の前に現れた。


「あなたは? イオたちはどこ?」


 琥珀は見るからに不思議の塊であるヒトに平然と疑問をぶつけた。

 世界を渡ったことに比べればある程度の不思議は許容できるし、息を呑むほど美しいヒトも鏡に映る自分を見慣れている琥珀には大して通用しなかった。


「ここは天界。だから人間はいない。君以外は」

「天界? ってことは」

「その通り、我こそがアダム。君を召喚した者だ」

「帰らせてください!」


 アダムの自己紹介にかぶせて、琥珀は勢いよく頭を下げた。


「なぜ?」

「大切な人がいるんです! 早く帰らないと」

「なるほど。未練があるか」


 キョトンとしたアダムは頭を下げたままの琥珀の言葉を聞いて、納得したように手を打った。


「大丈夫だ。未練は必要ない」

「何が大丈夫なんですか! 早く帰して!」

「無駄だ。どうせ君のことを覚えている人はいない」

「えっ……?」


 無表情で何度も頷くアダムの言葉を、琥珀は理解できなかった。


「君をこの世界に召喚したとき代償が必要になった。世界を渡るのは禁忌だから。物を買うときにお金を払うように代償を支払わなければならない」


 琥珀は知らなかったが、この世界には禁忌魔法というものがある。世界の法則を捻じ曲げたとき、例えば死人を生き返らせたり本来不干渉同士の世界を行き来させたりした場合、禁忌となり魔力以外の代償を支払わなければならない。

 人であろうと魔王であろうと神であろうと従うしかない絶対のルールである。


「だが残念ながら我は払えない。神は必要なものしか持たない。捨てられるゴミを持っていなかった」


 しかし、神であるアダムには一つだけ例外があった。

 それは代償の内容を自分で決められるという特権の行使だ。神となり、限りなく世界の断りを支配できるようになったからこその特権だった。


「だから君を売った。君が元居た世界での痕跡、記憶や記録を支払った。世界を救えるなら安いものだ」


 神にとって一人の人間なぞほぼ無価値だ。

 忌々しい魔族を蹴散らし、魔王をこの場に跪かせられるのなら個人の人生などどうでもよかった。


「勝手に支払っておいて、何が安いだ。最低でもボクの許可を取ってから言ってほしいね」


 勝手に一人で納得しているアダムを、琥珀はとても鋭く睨みつけた。


「君が魔王を倒せなかったら必要ないものだ。何もゼロになるわけじゃない。代償を取り返す方法もある」

「その方法って?」

「魔王を倒し、その魂を代わりに支払う。そうすれば君の痕跡は元通り。帰ることもできる」


 結局、琥珀が帰るためには魔王を倒さなければならない。

 良いように使われている感覚はあるが、目の前に立つのは琥珀を召喚した張本人である。従うしかなかった。


「帰る方法はあるの?」

「我は神だ。世界を渡らせることなど造作もない」

「でも代償が必要なんでしょ?」


 堂々と言い放つアダムに琥珀は白い目を向けた。

 世界を渡るには代償がいる。そう言ったのは他ならぬアダムだ。この世界に来るために前の世界での記憶と記録を消したのだから、当然向こうの世界へ帰るときにも代償が必要になる。


「この世界にいた痕跡を消す。仮に魔王を倒した場合、君ではない誰かの手柄になる」


 アダムの口から出てきたのは予想通りでつまらない言葉だった。


「やっぱり……イオに忘れられるのはやだな」


 お互いに名前で呼び、一緒に旅をする大切な友人だ。

 友人の記憶から消える。あまり嬉しいことではない。


「なぜ困る? 元の世界に帰るということはこの世界を捨てるということ。二度と戻ってこられないのだから」

「そう単純なものじゃない。理屈じゃないんだ。神様なのにそんなことも分からないの?」

「分からない。躊躇する理由が」

「そう。神様ってわりと大したことないんだね」


 首を傾げるアダムに琥珀は冷たい視線をプレゼントした。


「魔王ってのを倒せば帰れるんだね?」


 どれだけ説得してもアダムはまったく意見を変えない。

 ならもう話はしない。要求を呑むしかないのだからただ頷くのみだ。


「そうだ。安心するといい。向こうの世界とは時間軸が違う。こちらで寿命いっぱいまで生きたとしても向こうの世界では一日も経たない」


 アダムの無機質な声に、琥珀は興味を惹かれた。


「それを最初に言ってよ。じゃあ魔王を倒すのに時間がかかっても間に合う可能性が高いってことだよね?」

「何に間に合うか分からないが、大丈夫だろう」

「そっか。それなら、うん。分かった」


 琥珀は腕を組んで頭を左右に振り、やがて納得したように頷いた。

 時間の流れが違う、しかも魔法のある世界が圧倒的に流れが早いというのなら、手遅れにならない可能性もまだ残っている。

 自殺を止める望みがまだ残っている。


「ボクが魔王を倒す。向こうの世界に帰るかどうかは考えるけど、帰る方法は手に入れておきたいから」


 一生を満喫しても一日しか経過しないのなら、しばらくこの世界で生きていくことも考えていける。

 世界を渡れば前の世界の記憶と記録が消失する。

 そう簡単に選べるものではない。思い出をすべて捨てるなんて、簡単には決断できないとても大きな問題だ。


「よし。契約は成立した」


 アダムは抑揚のない声を出しながら頷き、上に右手を伸ばす。

 アダムの動きに合わせて光が渦を巻き、黄金の剣が琥珀の手元に舞い降りてきた。


「これは何?」

「剣だ」

「うん。そういうことが聞きたいわけじゃなくてね」


 両手で抱きしめるように剣を持った琥珀は、見りゃ分かるとでも言いたげにため息を吐く。

 装飾は決して多くないが神秘性を感じる黄金の剣。

 長いとは思うが大剣と呼ぶには物足りない。不思議と手に馴染んだ。


「この剣は神である我が生み出したもの。旅の助けになるだろう」


 アダムは無表情だがどこか誇らしげな雰囲気をまとっていた。


「なるほど。でもこの剣じゃないと勝てないってわけじゃないんでしょ?」

「だとしたらどうするつもりだ」

「売っちゃおうかな。自覚はないかもしれないけどボクは神様が嫌いなんだ」


 特に人の話を聞かない神は。


「おすすめはしない」

「だろうね。誰だって自分が作ったものを売られたくはないだろうからさ」


 首を横に振って、初めて難色を示すアダムに琥珀は内心で喜んだ。

 散々人の人生をめちゃくちゃにしたのだ。少しぐらい困ってもらわないと釣り合わない。


「でも路銀ぐらいにはなるよね? 剣なら買えるだろうし、これに拘る理由はないかな」


 琥珀は剣の柄を掴む。初めて手にしたとは思えないぐらい馴染むこの剣なら、きっと高値で売れるだろう。


「この剣は勇者にしか使えない。もしも一般人が使えば全身を焼かれるだろう」

「厄介な。つまり売れないってことじゃないか」


 勇者なんて大役は琥珀一人しかいない。誰にでも使えるのであれば名剣としてさぞ高価に売れたのだろうが、琥珀一人にしか使えないのであれば売れようがない。

 とても、とても残念である。


「この剣は手入れがいらない。荷物が減るだけでも違うと思うが?」

「押してくるね。分かったよ。ありがたく使わせてもらおう」


 確かに旅の荷物が減るのは利点だ。剣に触れるたびにアダムを思い出してしまう難点を除けば、剣そのものの質も含めて良いことずくめである。

 仕方がないので琥珀は諦めることにした。


「剣の他にくれるものってある? できれば勇者専用なんて制限はなしで」


 鎧とかどれだけ履き潰しても使える靴とか、旅の役に立ちそうなものならなんでもいい。

 琥珀は嫌いな人間に堂々とねだるぐらい太い神経の持ち主だった。


「売るつもりか」

「旅に出るからね。お金は大事なんだ」

「ならば金を求めよ」


 アダムが両手をあげる。二人の頭上に魔法陣が煌めき、黄金の雨が降ってきた。


「うわぁぉ」


 琥珀の口から感嘆の吐息が漏れた。

 黄金の雨、落ちてきているのはもちろん水滴ではない。

 金貨だ。無数の金貨が雨のように頭上の魔法陣から降り注がれる。この世界の金貨を見たことはなかったけど、それでもこの光景がとてもリッチなのは理解できた。


「世界中の金貨だ。これで満足か」


 なおも魔法陣から金貨を降らせ続けているアダムは、どうだとばかりに腕を組む。

 表情筋はピクリとも動いていなかったが、その表情はどこか誇らしげに見えた。


「うん。ありがとう。これだけあれば旅路に困ることはないと思う。ここまでされたんだ。魔王は絶対に倒すよ」


 資金面でも武器の面でも心配を無くしてもらった。

 これだけ良いものを貰ったのだ。魔王を倒せなかったとしたらそれは琥珀の責任である。


「ならばよい。安い支払いだ」

「ホント神様って太っ腹だね」


 ため息交じりの言葉を勘違いしたようで、アダムはさらに胸をはった。

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