第四章三話「妻に迎える」
日が落ち、空に星が輝く夜。
イオアネスの案内の元、琥珀は王宮に訪れていた。
とりあえず旅に出るのは決定した。琥珀は勇者であり自由に動ける立場でもないので、一旦エドワードと話をすることにしたのだ。イオアネスのアイデアである。
上司に対しての報告も大事な仕事と言われれば、社畜大国出身の琥珀は頷くしかない。
「そうか! 魔王と倒すと決意してくれたか!」
エドワードの声が広間に響いた。
イオアネスのおかげもあってスムーズに王様との謁見でき、琥珀の話を聞いたエドワードは背もたれの大きなイスに踏ん反り返って大爆笑している。
「違いますわお兄様。わたくしたちはシスターに会いに行くのです」
「よいよい構わぬ! 差異はない!」
「大有りですわ。あと声が大きいです」
「不敬である! しかし許そう余は機嫌がよいのでな!」
イオアネスが訂正を求めるが、エドワードの上機嫌を崩すには至らない。
イオアネスが額を抑えて重たいため息を吐いていることから、このやり取りは兄妹にとって日常なのかもしれない。
「今さらだけど凄いよね。王様って」
「うるさいだけです」
琥珀もちょっと顔を引きつらせていた。
彼女の知る限り、ここまで自信に溢れた声の大きな人は二人といない。間違いなくエドワードは一番だ。
「フハハハ! 宴を開くぞ! 勇者を盛大に迎えてやろう!」
エドワードが座ったまま手を挙げると、ズザザッと音が離れていった。
多分姿を隠していた隠密部隊の面々が宴の準備に動いたのだろう。王様の思いつきにも迅速に対応するとは、優秀な忍者たちである。
「あの、王様」
「余のことはエドワードと呼ぶがよい! 魔王を倒した暁には妻に迎えるのだからな!」
琥珀が控えめに呼ぶとエドワードは大声でとても聞き流せない言葉を言い放った。
「えっ……」
「ちょっとお兄様!」
琥珀が困ったように眉を八の字に歪め、イオアネスが一歩前に出る。
「なんだ? 余自ら求婚しておるのだ。まさか断るわけではあるまい?」
とても自信満々に腕を組んでエドワードは首を傾げる。
言葉通り、断られるとは夢にも思っていない顔だ。あまりの自信っぷりに羨ましくなってくるぐらいだ。
「勇者様は――」
「いいですよ。王様、エドワード様と一緒に過ごすのも楽しそうです」
「いいのですか!?」
琥珀が頷くとイオアネスが勢いよく振り向いた。
「帰ることを諦めたわけじゃないから。エドワード様と一緒が楽しそうってのも嘘じゃないし」
せっかくイオアネスが示してくれた道だ。そう簡単に投げ出すつもりはない。
それにエドワードと添い遂げるのも楽しい毎日が送れていいだろう。帰れないというのは琥珀にとって地獄に等しいが、エドワードなら盛り上げてくれると信用できる。
「フハハハハ! よい! ますます気に入ったぞ勇者!」
琥珀に信頼されて、さらに上機嫌にエドワードは笑い出した。
もはや耳栓が必要なレベルだ。イオアネスは堂々と耳を塞いでいる。
「エドワード様。ボクはあなたを名前で呼ぶのです。ボクのことも名前で呼んでください」
琥珀はいつだかテレビで見た仕草を思い出して膝をつく。
「ほう。余に命令するか!」
「いいえこれはお願いです。親愛なる陛下へ一人の民として」
「ほほう! 願いときたか。ならば聞き届けぬわけにはいかぬな!」
ウンウンと首を何度も動かして、エドワードは民の願いを聞き入れてくれた。
「勇者様、それでいいのですか?」
イオアネスが不安そうに眉を寄せる。
「君もだよイオアネス。勇者様じゃなくて琥珀って呼んでほしい」
「分かりました。ゆう――コハク」
「それでいいんだよイオアネス」
まだ琥珀の名前を呼び慣れない様子のイオアネスに、金髪イケメン美少女は苦笑いを浮かべた。
勇者と呼ばれるのも様付けで敬られるのもむず痒い。琥珀は勇者と呼ばれるような偉業はなしていないし、様付けされるほど偉くもないのだから。
「でしたらわたくしのこともイオと呼んでください。お兄様にしか許していない名です」
イオアネスは胸に手を当てて、今度は逆に琥珀へとお願いしてきた。
「そんなっ、エドワード様と一緒だなんて」
「いいのです。コハクを巻き込んだのはわたくしたちの責任なのですから」
「……分かったよ。イオ。これからよろしくね」
責任と言われてしまうと何も言い返せない。
琥珀は困ったように微笑んで、イオアネスに手を差し伸べた。
「はい。こちらこそよろしくお願いしますコハク」
イオアネスは琥珀の手を握り、王女様らしく優雅に微笑んでみせた。
「余を差し置いて盛り上がるなど不敬! と言いたいところだが」
エドワードは勢いよく立ち上がり、組んでいた腕を体の横に動かす。
「勇者コハクよ」
「はいなんでしょうか」
「イオと親しい仲になってくれたこと、感謝する」
エドワードが頭を下げた。
「お兄様!?」
「……いいのですか? 王様が頭を下げて」
王であるエドワードが頭を下げたことに驚いてイオアネスが声を荒げ、琥珀も目を丸くした。
「よい。今は王としてではなく兄としての言葉。頭を下げぬ道理はない」
頭を下げたまま、エドワードは理由を説明する。
考えるまでもなく、王様は一番偉い。下々に簡単に頭を下げれば問題になるだろう。
でも今頭を下げているエドワードは妹思いの一人の兄だ。王様でないのだから頭を下げたとしても問題にはならないというのはさすがに屁理屈だと思う。
「似た者兄妹ですね」
「む?」
琥珀が苦笑い浮かべると、エドワードが頭を上げた。
二人とも国内最高峰の権力者なのに、頭を下げることに抵抗がない。似た者同士でないならなんなのか。
「イオはボクの友人です。これから先、何があったとしても」
琥珀は自分の胸に手を当てて、エドワードを安心させるために微笑む。
イオアネスは一縷の希望をくれた。帰れるかもしれないという可能性をくれた。
うまく利用されているといえばそれまでだ。それでも琥珀は、イオアネスのためにも頑張ろうと思えた。
「わっわたくしもです。コハクと一緒に旅をしたいと思っています!」
琥珀の隣に立っていたイオアネスが一歩前へ出た。
「えっ? そうなの?」
「はい。コハク一人に背負わせるつもりはありません」
まさか同行してくれるとは夢にも思ってなかった琥珀が目を丸くすると、イオアネスは振り返ってポヨンと琥珀よりも豊満な胸を叩いた。
「ふむ。そうか。イオも旅に出たいと」
「はい。ダメでしょうか?」
「イオは王族であり、この余ほどではないが人間の世を守るには必要不可欠な存在」
腕を組み、エドワードは自分のあごをゆびでなぞる。
「何があるか分からぬ旅路に出せるはずがない。いくらコハクが勇者だとしてもまだつぼみ、イオを守り抜くには厳しかろう」
「そうですか……」
あまりにも現実的な言葉に、イオアネスの肩はみるみる下がっていく。
普通に考えてエドワードの言葉はぐうの音も出ない正論だ。琥珀は戦いのたの字も知らないしイオアネスの護衛をするには経験がなさすぎる。
兄として、王として、イオアネスを旅に出させないのは当然の判断だ。
「が、許そう! 他ならぬ妹の頼みだ。聞き入れぬ者がどうして民を幸せに導けるか!」
と思っていたらエドワードは旅の許可を高らかに宣言した。
「いいのですか……!」
「構わぬ! 余が骨を折るゆえ存分に楽しむがよい!」
ドドンと音が聞こえてきそうなぐらい堂々と胸をはるエドワードに、イオアネスは目を潤ませた。
「よかったねイオ」
琥珀はイオアネスの肩を叩き、祝福の笑顔を浮かべた。
イオアネスを旅に出すのは合理的ではない。様々な危険があり、無事に帰れる保証もない。よほど愚かな王でなければイオアネスを王宮に閉じ込めるはずだ。
しかし、エドワードはそれをよしとしなかった。理屈ではないのだ。妹を思う兄として、願いの一つを叶えてやりたいと思うのは。
「コハク! キサマに命を下す!」
「はっ!」
エドワードの鋭い声に琥珀は反射的に膝をついた。
「イオを守り、そして存分に楽しませよ! これは命令である。拒否権はない!」
「御意! この命に代えてでも必ず守り抜きます!」
「うむ! 成果を期待している!」
突然の儀式めいたやり取りに琥珀はノリノリで頭を下げる。
この命令はあくまでも形だけだ。というか、アニメでしか見たことのないやり取りに若干テンションが上がっていた。
「ありがとうございますお兄様。本当にありがとうございます」
「フハハハハ! 今までわがまま言わず余に仕えてきた褒美だ! 楽しめぬのなら打ち首と心得よ!」
「かしこまりました!」
イオアネスは琥珀とは比べ物にならないぐらい鮮やかな所作で膝をつく。
その瞳は今にも涙が溢れそうなほど輝いていた。
「よき返事だ! ならば宴の準備を急がせよう! コハクの歓迎とイオの旅立ちを祝わねばならぬ! 盛大にせねばならぬからな!」
エドワードは兄としてではなく自信満々な王様としての顔で、広間から出て行った。多分直々に料理人たちのケツを蹴りに行ったのだろう。
「よかったねイオ。いいお兄さんで」
エドワードの高らかな笑い声が聞こえなくなったのを確認してから立ち上がり、琥珀は未だ興奮冷めやらぬ様子のイオアネスの肩に手を置く。
「ううん。コハクのおかげですわ」
そう言われても、別に何かしたわけじゃないんだけどな。
琥珀は水を差すような言葉を笑顔の裏で飲み込んだ。
「じゃあボクたちは旅の準備をしよう。イオは経験……ないよね?」
「コハクはあるのですか?」
「いやーボクもないんだ。さて、誰なら知ってるかな」
琥珀はあははっと渇いた笑い声を出した。
屋外で寝たのは小学校でのキャンプ以来だ。旅の経験はまったくない。仮にあったとしてもここは異世界。色々と勝手が違うだろう。
「従者に聞かねば分かりませんね」
「じゃあ聞きに行こう」
琥珀は目尻を指で拭う姫さまの手を取って、軽やかな足取りで広場を後にした。




