第四章二話「染め直せ」
エドワードが帰り、一人儀式場に取り残された琥珀は膝を抱えていた。
「鳥羽君……ボクが帰るまで死なないで」
頭によぎるのは残してきた大切な人。
普通に考えて、もう手遅れだろう。圭太が死ぬ直前、駅のホームで引き止めたのだ。琥珀がいなくなればすぐにホームから転落するはずである。
希望が薄いのは理解している。それでも琥珀は願わずにいられなかった。
「そんなに大切な方なんですか?」
「うわぁぉっ! ……いたの?」
「帰ったのはお兄様だけですよ?」
てっきり一人だと思っていた琥珀は、独り言に反応されて大きく飛び退いた。
声の主、イオアネスは苦笑しながら小さく首を傾けていた。そこまで驚くなんて。彼女の表情はそう語っていた。
「……何の用?」
琥珀はジト目で王女様らしい少女を見る。
どちらかといえば琥珀寄りの考え方であるイオアネスだが、琥珀を巻き込んだ元凶の一人であることには変わりない。
そう簡単に許せる相手ではないのだ。
「謝りたくって」
「謝る?」
予想していなかった言葉に、琥珀は小さく首を傾げた。
「わたくしたちの都合で勝手に呼び出してしまったのですよね?」
「そうだね」
「申し訳ありません。アダム様がどのように召喚するのかこちらも分かっていなかったのです」
イオアネスは両手を揃えて頭を下げた。
声の調子からして琥珀を騙そうとか茶化してやろうという気配は感じられない。本心で頭を下げているのはすぐに理解できた。
「言ってたね。一方的にって」
そういえばエドワードが去り際に言っていた。
一方的に押し付けられた。厄介者だと。
「アダム様からのお告げがあったのが今朝のことです。魔王を倒せる奴召喚するから儀式の間に集合なと言われて急いで準備して粗相がないよう正装の準備を終えたのがつい先ほど。勇者様にはあたりませんでしたがお兄様も苛立っていたのです」
よく分からないが当日にアポを取られたようなものだろうか。
エドワードもイオアネスも王族であり、多忙を極めているはずだ。会食や会合、会議などが目白押しだ。
そんな二人に当日連絡し、予定を合わせてもらうのはどれだけ大変なのだろう。
相手のいる予定には断りの連絡を入れて、溜まってしまう仕事は後日へ先送り。エドワードに歓迎されなかったのも無理はない。
「そんなの、ボクには関係ないよ」
琥珀は顔をしかめて唇を尖らせた。
エドワードやイオアネスに事情があるように、琥珀にだって事情はある。
こちらにだって事情があるんだ許してくれという言葉は通用しない。
「はい。関係ありません。ですからもう一度頭を下げます」
イオアネスは宣言通りにもう一度、手を体の前で合わせて頭を下げた。
「勇者様をわたくしたちの勝手な事情で巻き込んでしまい申し訳ありませんでした」
それはこの世界に来てからまだ一度もなかった謝罪の言葉だった。
求めていたわけじゃないのに、自然と怒りが収まっていく。
琥珀は善人である。義理を通されれば無意識で応えてしまうような性格なのだ。
「君は王様の妹なんだよね?」
「はいそうですが。それが?」
「簡単に人に頭を下げてもいいの?」
「お優しいですね」
琥珀的には王女様の立場を心配しての言葉だったのだが、イオアネスは一瞬だけきょとんとしてから優しく微笑んだ。
「大丈夫です。お兄様と違ってわたくしに護衛はいませんから」
「えっ、主要人物じゃないの」
王族なのに護衛がいないだなんて、そんなのあり得るのだろうか。さすがに問題な気がする。
「関係ありませんよ。お兄様が殺されることはないのですから」
「そういう問題なのかな……」
エドワード、王様さえ生き残っていれば他の王族がいなくなったとしても大丈夫ということなのだろうか。
いくらなんでも暴論だ。琥珀は思ったが、哀愁を漂わせるイオアネスの顔を見て、これ以上の言及は避けることにした。
「わたくしのことはどうだっていいんです」
イオアネスがこほんと咳払いを一つした。
「現状わたくしたちは勇者様を帰すことはできません。可能なのはアダム様だけですが、こちらから接触する方法もありません」
改めて告げられて、琥珀は肩を落とした。
帰る方法がない。それはつまり、圭太を助ける方法もないということだ。
「ですから差し出がましいのは理解しています。それでも勇者様に魔王討伐をお願いしたいのです」
「本当に差し出がましいね」
イオアネスの正直すぎる態度に、琥珀は思わず苦笑してしまった。
「申し訳ありません。ですが本心です」
「だろうね。うん。それは分かるよ。でも……」
「先ほど言っていた方のことですね?」
琥珀が言い淀んでいると、イオアネスに核心を突かれてしまった。
「うん。自殺しようとしてたんだ」
今さら隠しても仕方がない。
琥珀はいっそ開き直って首を縦に振った。
「家族を亡くしてしまったんだって。それで自暴自棄になって死のうとしてたんだ」
「それは、大変ですね」
「うん。ボクが止めなければきっと死んでた。だから帰りたいんだ」
琥珀が止められたのはほんの数分ほど。
それ以上の時間を引き止められるかは分からないし、阻止できるかも分からない。
でも、やらないという選択肢はない。
「大切な方なんですね」
「うぇっ!?」
「そんなに大きな声を出さないでください。わたくしまで驚いてしまいます」
図星を突かれた琥珀が一瞬で真っ赤になり、耳を押さえたイオアネスは苦笑いを浮かべていた。
「先ほどからその方の話をしているときの勇者様は真剣な顔をされています。本当に案じていなければそんな顔はできませんから」
「な、べ、別に好きとかじゃないよ」
「わたくしは好きなどとは一言も言ってませんよ?」
「あぅ」
見事に墓穴を掘った琥珀は反論する元気を失った。
「それにお兄様に言っていたではありませんか。好きな人が自殺しようとしていると」
「うぅ」
そして勢い任せにとんでもないことを言っていたことを思い出し、琥珀は顔を真っ赤にして撃沈した。
「羨ましいです。誰かを愛するなんて経験したことがありませんから。ちなみにどうして好きになったのか教えていただけませんか?」
イオアネスの笑顔がとても眩しい。
琥珀はさらに精神的ダメージを負った。もう体力はゼロだ。
「……笑わない?」
「笑いませんよ」
琥珀が不安を顔に滲ませると、イオアネスは柔らかく微笑んだ。
嘘を言っているようには見えない。琥珀は彼女を信じることにした。
「ボクのこの髪、向こうじゃ珍しいんだ。自分で染めたりしない限り」
琥珀は指先で自分の金髪を弄る。
元の世界では、少なくとも日本人では珍しい色であり、ありふれた色でもある。
「髪を、染めるのですか」
「塗料を髪に塗るんだ。染み込ませるようにね。この世界じゃ一般的じゃないかもしれないけど」
目を丸くしているイオアネス。世界が変われば常識も変わるかと納得して、琥珀は簡単に説明した。
琥珀が生まれ育った世界では髪を染めるなんてファッションの一環であったが、この世界にはそもそもそんな考えが存在していないのだろう。
「ボクのこの髪は生まれつきだったんだけど、髪を染めているとよく言われてね。怒られることも多かった」
琥珀は高校生だ。しかも割と進学校であり、校則も厳しかった。金髪の学生なんて琥珀しかいなかったぐらいだ。
「髪を黒に染め直せ。そう怒られているボクを庇ってくれたのが鳥羽君だったんだ。だったらテメエの頭も黒くしろって」
ある日、教師の一人が琥珀に怒った。
発端は覚えていない。きっと些細なことだったのだろう。なにせ琥珀は優等生だ。怒られるようなことはしていない。
彼女は自覚していなかったが、整い過ぎている容姿の影響で度々面倒に巻き込まれていた。教師が怒ったのも琥珀に夢中になっている同僚がいたからだ。男女問わず魅了する琥珀に嫉妬して、強く説教をしたのだ。
しかし、先ほども言った通り琥珀は優等生。叱るポイントはほとんどない。髪の色以外は。
鬼の首を取ったように執拗に琥珀を責め立てる教師。地毛に戻せ。髪を黒に染めろ。話の内容はそれだけだったはずなのに、気が付けば人格否定までされていた。
理不尽としか言いようのない説教に心が折れる直前、守るように教師との間に体を割り込ませた人物が鳥羽圭太。当時から腫れ物扱いされていた同級生だ。
「その先生は髪が少なくてね。頭皮が見えていた。髪の色の問題じゃなかったんだ。そのときは失礼だけど笑っちゃったよ」
当時のことは今でも覚えている。
怒られ続けたショックと疲労で意識が混濁としていた琥珀の前に現れた大きな背中。まっすぐ教師を睨み、堂々と鼻で笑ってみせた不敵な態度。バカにしたような言葉と口調。
教師の顔が真っ赤に茹で上がっていく光景を含めて、一生忘れられない光景だろう。
「度胸が据わっていますね。その方は」
「本当だよ。結果として鳥羽君はお説教。長い時間複数の先生に囲まれてこってり絞られた」
イオアネスが呆れたようにこぼし、琥珀も苦笑を滲ませた。
説教中の教師に堂々と悪口を告げれば、当然標的は圭太に移る。
狙ってやったのだろうが、あまりにもやり方が悪すぎる。
「ようやく解放された鳥羽君に謝ったんだ。ボクのせいで怒られてしまってごめんなさいって。そうしたら彼、なんて言ったと思う?」
放課後、空が赤から藍色に変わるまで続いた説教を終え、とても疲れた様子で校門に姿を見せた圭太。ずっと校門で帰りを待っていた琥珀はすぐさま駆け寄って頭を下げた。
庇ってくれてありがとう。できる範囲でならなんでも言うこと聞くよ。
そう続けようとした琥珀に、圭太は据わった目を向けて口を開いたのだ。
「お前の髪って金髪だったのか。綺麗な色だったんだな」
まったく予想していなかった言葉に、当時の琥珀は頭が真っ白になった。
「もうね。バカじゃないのって思った。ボクの髪の色も知らないで助けてくれたのって、それでお説教されていたのかって思わず泣いちゃったんだ」
涙が溢れた。最初は筋を描いて落ち、すぐに滝のように流れた。
色々な感情で頭がぐちゃぐちゃになったのは生まれて初めてだったけど、不思議なぐらい愉快な気分だった。
「綺麗なんて初めて言われた。嬉しくて泣いちゃったのはあのときが初めてだったよ」
当時の記憶が掘り起こされて、琥珀は涙ぐんだ。
琥珀にとって自分の髪は怒られる原因であり周りとの壁であった。決して好きにはなれず、けれども親からの贈り物を捨てることもできず、複雑な思いを抱いていた。
それを払拭したのはたった一言。ぶっきらぼうで投げやりなありふれた褒め言葉だった。
嬉しかった。救われた気がした。厄介しか呼ばない自分のことを好きになっていいのだと言われた気がしたのだ。
「だから助けたいのですか」
「うん。だから助けたい。ボクは助けてもらったから、今度はボクが助ける番だと思うんだ」
イオアネスの質問に、琥珀ははっきりと答えた。
圭太は琥珀を肯定することにより救った。
そして今度は圭太が絶望の淵に落ちている。助けられるのは琥珀しかいない。
「分かりました。それなら、わたくしにも考えがあります」
「えっ?」
ポンと手を叩くイオアネスに、琥珀は目を丸くした。
「わたくしたちがアダム様に声を届ける方法はないと伝えましたよね?」
「うん。そうだね」
アダムに声が届けられないから帰れない。
だから王族に対してよく思っていないわけで。琥珀は焦りと無力感に苛まれているのだ。
「ですがとある村のシスターはアダム様に祈りが通じるという噂を聞いたことがあります」
「――それって」
「はい。そのシスターに頼れば、ひょっとすれば帰れるかもしれません」
イオアネスは笑顔で人差し指を立てる。
彼女の提案は、一筋の光であった。




