第三章二十三話「善人面」
「ケータ様、起きてください!」
ナヴィアの焦ったような叫びに、圭太はまぶたを震わせた。
「んだよもう朝か?」
今まで寝坊して怒られた記憶はない圭太は不満げに目を擦る。
「寝ぼけないでください! 今は戦闘中です!」
「――!」
ナヴィアに言われて、圭太は反射的に体を起こそうとして全身に痛みが走った。
「イツッ! ……そうかキテラに負けたんだっけ?」
全身の激痛で、意識を失う直前の記憶が呼び起こされた。
そうだ。圭太はキテラに負けて気を失っていたんだった。どれくらい気を失っていたんだろうか。
「起きましたか? 起きましたね!」
ナヴィアは圭太が目を開けるのを確認してから、まるで仕留めた獲物を運ぶように軽やかに背負う。
そしてエルフの身体能力全開で圭太を運ぶ。
「痛いってナヴィア。俺ケガ人」
あまりにあんまりな扱いに圭太は自分の状態を報告する。
やられたとき、最後の魔法は土砂を降らすという物量攻めだった。おかげさまで動くだけで全身が軋む。多分骨の何本かも折れているだろう。痛みには慣れているから余裕で耐えられるが。
「わたくしも同じです! でもこのまま寝ていたら死んでしまいます!」
「は? 死ぬ?」
「魔王様と人間がぶつかり合っているのです! わたくしたちは巻き込まれただけで死んでしまいます」
圭太を背負って走るナヴィアの顔は必死な様相になっていた。
今まで寝ぼけていたからか、全身を走り回っている痛みで感覚が鈍くなっているのか、まるで恐竜が歩いているかのような地響きが鳴り続けている。
「イブとキテラが? っておいナヴィア。その体……」
圭太はようやくナヴィアの体が普通ではないことに気付いた。
「魔王様ほどではありませんがわたくしは治癒魔法が使えます。既に動けるぐらいまで治療しました」
「嘘だろ。全身やけどの状態じゃないか」
純白の白い肌は焼け爛れ、真っ赤になっていた。圭太と同じかそれ以上の重傷だ。いくら回復できるからと言っても、ずっと安静しなければならない状態だろう。
「ケータ様を死なせてしまうよりはマシです」
ナヴィアの息が荒くなっているのは、走っているだけが原因じゃないだろう。
「分かったよ。下ろしてくれ。俺も走る」
ナヴィアに任せ切りにするのは居心地が悪い。
圭太は体をひねって、ナヴィアの背中から逃げる。落ちた瞬間に全身に鋭い痛みが出たが表情には出ないようめちゃくちゃ我慢した。
「イブは無事か? 無事か。この余波が魔力だもんな」
今も恐竜か何かが歩いているような地鳴りは続いている。
この世界に恐竜はいないし牢獄に巨人が収容されているわけでもないので、今もイブとキテラが戦い続けているのは間違いない。
「無事でいてくれよ。イブ」
「様子を見に行こうなんて考えないでくださいね」
「分かってるよ。さすがに自分の立場は弁えてるっての」
圭太は魔力を持たない一般人だ。当然世界一の魔法使いを決める戦いには参加できないし、見に行っただけで余波で死ぬ。
力を持たない雑魚は大人しく祈ることしかできなかった。
「炎よ!」
「水よ」
キテラを中心に炎の津波が巻き起こり、イブの前に出現した水の壁に激突した。
蒸気が発生し、キテラとイブの姿が消える。二人ともが風の魔法を使って蒸気はすぐに吹き飛んだ。
「何!? 魔王ってその程度? 相性の有利取らないと勝てないってわけ!?」
キテラが額に青筋を走らせながら叫ぶ。
先ほどからキテラが魔法を発動し、イブが相殺する流れが続いていた。キテラの苛立ちもうなぎ上りだ。
「わざわざ無駄に力を使う必要もあるまい? 現にお前は疲労がたまっておるではないか」
イブは肩を上下しだしたキテラに余裕の笑みを浮かべていた。
戦法はこうだ。イブは魔力が無限であり、キテラも無限に等しい魔力を所持している。だがキテラは無限に近いだけであって無限ではない。魔力切れを起こすことは可能なのだ。
イブは両足が動かない。だから積極的に攻撃に回るのではなく防御に徹することにしている。我慢比べなら負けることはないのだから、わざわざ不利な戦い方をする必要がなかった。
「うるっさい! 進めゴーレムたち!」
キテラが片手を上げて軍に指揮するように前へ出す。
圭太一人なら容易に倒せるゴーレム兵士の群れが、イブに向けて進撃を開始する。
「土くれ人形か。懐かしいのう。ワシらの過去を見ているようじゃ。風よ。薙ぎ払え」
イブは目を細めてから左手を振る。風、と呼ぶには凶悪する空気の壁がゴーレム兵士たちをまとめて砕いた。
「いくら強いといえどしょせん人間規模での話。ワシからすれば赤子同然じゃ」
一撃一撃の魔法の練度は間違いなく魔族の中でも上位ではある。
しかし魔族の上位陣、たとえかつて四天王と呼ばれた面々であっても、魔法の撃ち合いではイブの足元にも及ばないのだ。
いくら称賛されようとその評価は人間の中での話だ。イブに通用するものではない。
「ああっもう! 火と土よ混ざれ。溶岩となり相手を焼き潰せ」
「水と風よ。すべてを跳ねのけよ」
キテラがマグマを吹きかけ、イブが吹雪を呼び起こして応戦する。
マグマは冷やされ岩石となった。やはりイブには届かない。
「なんじゃ。ジリ貧じゃな? ワシを倒すのではなかったか?」
イブが手を振り下ろすと溶岩だった岩石は粉々に砕け散った。
「合成魔法まで通用しないなんて」
視界はクリア。キテラの絶望に染まりつつある顔もよく見える。
合成魔法とは異なる属性を二つ合わせて発動する魔法だ。
火と土を合わせて溶岩を作ったり水と風を使って吹雪を呼び起こしたりといった具合だ。
発動が難しい代わりに威力も強力になる。だから人間で使えるのはキテラしかおらず、魔族でもそう多くない。少なくともシャルロットやナヴィアでは使えない。
「当然じゃろう? ワシは魔王。すべての魔法を治める者ぞ」
イブに使えない魔法はない。それが王として千年生きてきた者の異能だ。
「じゃあアタシが作った魔法ならどう!」
「ほう。人間の割にもう自力で魔法を編めるか」
イブは興味を惹かれて目をわずかに丸くした。
魔法を作り出す難易度は合成魔法の比ではない。魔法が発動する法則を求め、自分の好きなように再編しなければならない。魔法に通じていなければ不可能な偉業だ。
イブもいくつか魔法を作っているが、そのほとんどは魔法が充実していなかった時代の話だ。今では面倒なのもあってまったく作ろうとは思わない。圭太の話を聞いて久しぶりに魔法を作ってみたが、とても骨が折れたぐらいだ。
「我は祈る。神に祈る。邪悪なる魔王を討ち払う術を」
「アダムに頼るか。妥当じゃな」
神と崇め讃えられている宿敵なら、魔王を倒す手助けをしても不思議ではない。
「落ちるは星。響くは威光。神の偉業を受け止めよ!」
「ほお。この監獄もまとめて吹き飛ばす規模か。面白い」
キテラの魔力の高まりから、魔法の規模を正確に予測する。
手加減や破壊後の修復など一切考えていない冗談抜きの全力を、キテラは放とうとしている。
「メテオ・フォール!!」
「喰らえ。強欲の天使」
牢獄の屋根を突き破り、その名の通り隕石が落ちてくる。
しかしイブは落ち着いた声音で詠唱する。
隕石に黒がまとわりつく。そして隕石は音もなく姿を消した。
「そんな……アタシの最強魔法が」
あっさりと自慢の魔法を打ち消され、キテラが肩を落とした。
「筋はよいが。残念じゃな。ケータや小娘を巻き込むわけにはいかぬのじゃ。もう遅いかもしれぬが」
どうやら人間同士で戦っているようだが、イブが気にかけるのは圭太とナヴィアだけだ。他はどうなろうがどうでもよい。
キテラが優れた魔法使いだったのでイブもそれなりの規模のものを使ってしまった。気付けば圭太たちは撤退していたが、巻き込んでいる可能性は否定できない。魔力探知によるとまだ離れている途中なので恐らく大丈夫なのだろうが。
「ケータ? 魔王が、人間を気にするってわけ? 魔族のくせに!」
「あやつの運命はワシが捻じ曲げた。気にせぬほど神経は太くないのでな」
「ふざけないで!」
圭太をこの世界に召喚し、戦わせているのはイブのせいだ。責任を感じないほど、イブだって無神経ではない。
しかしイブの本心をキテラは怒鳴って否定する。
「アンタには負けない! すべてを奪ったくせに、今更善人面するなァ!!」
「ワシらを恨むか。お互い様じゃ。見逃してやろう」
キテラの全身から、可視化するほどの密度の魔力がにじみ出る。
人間が魔族を恨み、魔族が人間を憎んでいるのは今さらだ。つい一年前までは戦争していた間柄だったのだから、それについて水掛け論をするつもりはない。
「じゃが、それ以上は止したほうがよい。命を削っておる自覚はあろう?」
キテラは最強魔法とやらを使用するときも魔力が可視化するほどの密度はなかった。
それが今になって現れるのはおかしい。キテラの魔力消費は半端ではないだろう。
生命エネルギーを魔力に変換していると簡単に予想できた。簡単に言うと最後の一撃だ。
「うるさい! うるさいうるさい! アタシはアンタを――」
「やれやれ。ケータに怒られるのはワシなんじゃがな」
完全に頭に血が上っているキテラに、イブは肩をすくめた。
圭太はきっとキテラを殺すことをよく思わない。英雄に憧れているからこそ、英雄を失いたくないという思いを潜在的に抱いているからだ。
「――――――――――――――――」
「呑まれ朽ちよ。終末の炎」
キテラが声にならない咆哮を出して、魔力の塊を投げつけてくる。
生半可な魔力ではなかったので、イブは落ち着いて自身の誇る最強魔法を唱えた。
赤い魔力と黒い炎がぶつかり合い、衝撃の余波で監獄は半壊した。
黒は赤を呑み込み、キテラの体をも呑み込んでいった。
「ほお。ワシの自慢の一撃を喰ろうてまだ原型を留めておるか」
イブは体を浮かせて、敵の姿を確認する。
クリスが復活させた四天王であっても耐えることはできなかったのだが、魔力耐性の高さも魔族より高いようだ。
「アタシが……アタシを……」
「じゃが肉体は持っても精神が壊れてしもうたようじゃな。ワシとしては都合がよいが」
虚ろな様子で呟き続けているキテラに、イブは憐れみの視線を送った。
戦闘は続行不可能だろう。魔王に並ぶではなく、魔王に次ぐと評価を改めてもらわなければならない。
「返して……マダシニタクナイ」
イブが興味を失い振り向いた瞬間、キテラから鼓動が鳴り響いた。
「なんじゃ、これは」
イブはキテラに視線を戻し、前髪を撫でる不快な魔力の風に目を丸くした。
先ほどよりも、魔力が濃くなっている。
「知らぬ。ワシも知らぬぞ。なんじゃ? 何をした人間!」
「シニタクナイシニタクナイタスケテヨ」
「まさか、呑まれたのか? 自分の魔力に?」
他者の魔力にならまだ分かる。たまに他人の魔力を奪うとそのあまりに膨大な魔力量の差に呑まれることがある。
といってもそれは一度に吸収する魔力量を調節すればいいだけの話だし、自分の魔力に呑み込まれるなんて話は聞いたことがない。
「いや。違う。人間の魔力だけではない。これは、魔族?」
「ゴメンナサイユルシテタスケテシニタクナイ」
「――嘘じゃろ。魂を魔力に変換して体内に保管しておったというのか」
キテラの口から出てくるいくつもの声が混ざり合ったような言葉。
声の一つに聞き覚えがあったイブは、直感でキテラが何をしていたのか理解した。
キテラは恐らく自分がこれまで殺してきた魂を自分の体内に保管していた。そして窮地に立たされたことで保管していた魂が暴走しているのだ。
「シニタクナイカラ、シネェ!」
膨大な魔力は形を成し、泥のような見た目になった。
「グッ、そんなバカな」
まるで泥の魔物のような魔力の咆哮で、イブの体はあっけなく吹き飛ばされた。




