第三章十九話「証明」
その夜、圭太は一人泉を眺めていた。
つい先ほど、ロイから連絡があった。やはり作戦に協力してくれるようだ。明朝に決行するようだ。
イブのいない初めての戦闘。しかも反乱軍と正規軍による戦争だ。どれだけの被害が出るのか想像もできない。
自分の作戦が敵味方問わずたくさんの人を傷つける。
英雄を夢見る圭太としては、その責任はまぶたよりも重たかった。
「なあケータ」
ボーッと泉を眺め続けること数十分。
そろそろ明日に差し支えるから寝ようかなと考えていた圭太の背中に、変声前の声が投げかけられた。
腰を下ろした状態のまま、圭太は振り返る。
予想通りの小さな影が、思い詰めたような顔で立っていた。
「どうしたんだシリル? 柄にもなく落ち着いて」
「う、うるせえ! 誰がいつも騒がしいクソガキだ!」
「よく分かってんじゃねえか」
圭太は思わず苦笑する。
どちらかといえばシリルは騒がしい姿が似合う。湿っぽいのは何からしくない。
「ケータはアイツらをなんて誘惑したんだ?」
「アイツら? 誘惑? ああ、反乱軍のことか」
誘惑だなんて失礼な。ちゃんと誠意をもって話し合いをしただけだ。
都合がいいように記憶を書き換えた圭太は心外だと眉を上げる。
殺気をぶつけ合ったりした過去はなかった。いいね。
「無理すればオレたちだけでも倒せるって言ったよな?」
「言ったな」
圭太は頷く。
「でも不可能だとも言っていたよな?」
「ああ。復讐の手助けは不可能だ。シリルやナヴィアを連れて警戒された牢獄に侵入することはできない。俺一人の戦いになる」
圭太としてもその道の先は見たくはない。
戦力としては問題ない。殺しには慣れているし殺される覚悟もある。だが問題はそこではない。
圭太はシリルに助けてと手を伸ばされた。
ならば一人で戦うわけにはいかない。シリルが望んでいるのだから、一緒に戦わなければならないのだ。
「そのために反乱軍の力を借りたのか?」
「そうだ。頭を下げたんだ感謝しろよ?」
実際は脅しただけなのだが、すでに圭太は忘れている。
「何を渡したんだ?」
「は?」
「タダで手を貸してくれるわけがない。オレが言っても聞いてもらえなかったんだからな」
シリルは復讐者だ。本当なら反乱軍こそ彼女の居場所である。
だけどシリルは今も孤独にキテラを倒そうと繊維を燃やしている。反乱軍との接触がなかったとは考えにくいので、門前払いをくらったのだろう。
「……家族を失ったときの話か。言い方は悪いけど、そうだろうな」
圭太は色々と感情が混ざって微妙な顔になった。
「子供が戦うと言ったところで誰が信用するか。罠の可能性すら疑うよ」
子供が反乱軍の所在を突き止めコンタクトを取ってきた。
普通ではない。キテラが裏で手を回し、折を見て潰す策略を立てていると思われても仕方ないように思う。少なくとも圭太が反乱軍のリーダーならシリルなど相手にしない。
「でもお前は、すぐに連れてこられた」
圭太はシリルの目を見た。どこか遠くを見ているような、そんな印象を抱いた。
「オレにはできなかったのにケータはできた。お前は何を失ったんだ?」
「信じられないってとこか。俺があっさり連れてきたのが」
嫉妬、なのだろう。シリルは自分にできなかったことをやってのけた圭太に嫉妬している。
ナヴィアから事前に報告は受けていた。反乱を企てている連中には近付けても話を聞いてもらうことはできなかったと。とても悔しい思いをしてきたのだと、話は聞いていた。
「俺は何も失ってないよ。そうだな。ただ証明しただけだ」
「証明?」
「俺は反乱軍より、たかが一般人の寄せ集めより強いって証明しただけだ。皆殺ししたってわけじゃないけどな」
脅されたので脅し返し、イロアスを見せつけて出身を明かした。
圭太が行ったのはたったそれだけだ。ロイの鼻が利かなければ物理的にもっと説得していたが、残念ながらそれはできなかった。
「反乱軍って数人単位じゃないだろ」
「ああそうさ。数十人から数百人いるだろう。それでも俺のほうが強い」
「どんな化け物だよ」
シリルは呆れてため息をこぼした。
説得の際に圭太を取り囲んでいた気配は三十ほど。戦力の総数と考えるには少なすぎる。恐らくまだ隠しダネはあるだろう。
だけど、圭太を殺すには手が足りない。ただの人間ごときでは止められない。
「俺が魔王と一緒に旅してきたって言っただろ?」
わざわざどれだけの苦境を乗り越えてきたか自慢するのも面倒だったので、圭太は厄介の権化の名前を出した。
ちょうどその頃イブが口を塞がれている状態で器用にくしゃみした。
「旅してきたからってただの人間だろ? 魔王に任せてたんだろ?」
「まあ、否定はしないけどさ」
シリルの言葉に圭太は苦笑する。
確かにイブがいないからこそ圭太は今眠れないわけで。
「魔王が住んでいた大陸ってこっちの何倍も強い魔物が出てくるんだ。魔王やその仲間に頼るだけじゃ手が足りないときもあった」
圭太は魔王が住んでいた大陸にて、無数の魔物を相手取った。それに比べれば一軍隊程度大したことではない。
「それに、実は俺もただの人間じゃないんだ」
「えっ?」
「俺は勇者だ。つっても魔王を倒したほうじゃないぞ。魔王に呼び出された、純粋な魔族の戦力だ」
厳密には違う。
圭太は確かに勇者の素質を持つ。しかしラノベ特有の異能を圭太は持ち合わせていなかった。
溢れる魔力も特別な属性も類稀なる身体能力もない。
圭太が勇者でいられるのは、魔王を倒した英雄を倒そうと策を巡らせている間だけだ。
「お前が、勇者?」
シリルは目を丸くしていた。
気持ちは分かる。誰だって牢獄に入れられていたような人間がかの英雄と同じ称号を持っているわけがない。
「そう。シリルとは似た境遇なんだよ。俺も魔王を倒した勇者たちが邪魔だ。目的は同じだって言っただろ?」
「だから協力してくれるってのか? ははっ、納得だ」
シリルは渇いた笑いを浮かべ、額を手で押さえた。
圭太は勇者でいたい。イブに捨てられたくはない。ナヴィアと旅をしていたい。
だから戦う。シリルに協力しているのも元を辿れば圭太自身のためだ。
「ケータが妙に落ち着いていたのも、情報収集だって言って反乱軍を連れてきたのも、全部お前が勇者だからなんだな」
「どうなんだろうなあ。俺自身は分からないんだけど」
圭太が戦い慣れしていると言われるのは、シャルロットにたくさん鍛えてもらったからだ。
ただでさえ自分の命を何よりも軽く、それこそ損得でしか見ていない。よほどの事態でもない限りは取り乱すことはない。
加えてシャルロットの特訓のおかげで、今の圭太は腕が千切れても笑っていられる。
腕が千切れても大丈夫なのだから、多人数に剣を突きつけられたぐらいでどうして動揺してしまうのか。
「でも、シリルの期待には応えられるだろ?」
圭太は微笑みを投げかけた。
自分は狂っているしとっくに壊れてしまっている。だけどそれでも誰かを救える。
シリルのように涙に濡れることしかできない子供に手を差し伸べることだってできるのだから。
「うん。ケータがいてくれてよかった」
圭太につられて、シリルも柔らかく微笑んだ。
「なんだ、そんな顔もできるんじゃないか」
シリルの顔は年相応、子供らしいものだ。
過去のせいかシリルはいつもどこか張り詰めたような顔をしている。笑顔なんてほとんど見せなかった。
だからシリルの笑顔に圭太は安堵せずにはいられなかった。
「……んだよ」
シリルはハッとして顔をしかめる。彼女の頰はわずかに赤みが増していた。
「怒んなって。俺は好きだぜ? 年相応な笑顔は」
「何言ってんだよ気持ち悪いな」
「今度は照れ隠しか?」
「ニヤニヤしてんじゃねえ!」
圭太がニヤニヤとしながらからかうと、シリルが殴りかかってきた。
「おっと危ない。やっぱシリルも子供だな。おじさん安心したぜ」
座ったまま圭太はシリルの攻撃を避ける。
子供の怒り任せな一撃ぐらい、圭太にとっては造作もない。
「てめえちょっと強いからって保護者面してんじゃねえ」
一撃を避けられ、シリルが怒りに顔を赤くして拳を振るう。
「……シリルには反乱軍の手助けを頼みたい」
今度はシリルの小さな拳を受け止めて、圭太は口を開いた。
「オレが? ケータたちはどうするんだよ」
「俺とナヴィアは別行動だ。魔王を解放させる」
反乱軍の目的はあくまでも陽動に過ぎない。
圭太やナヴィアは陽動の隙を突き、イブを解放しなければならない。
「じゃあオレも」
「ダメだ。死ぬ」
「なっ」
圭太がバッサリと切り捨てると、シリルは驚いて口を開けた。
「イブを守るのは俺やナヴィアでも敵わない強敵五人だ。魔力阻害があったところで簡単に勝てる相手じゃない」
圭太が五人を見たのはほんの一瞬。すれ違っただけだ。
サンほどではないにしても実力者なのは間違いない。ナヴィアと二人掛かりで戦っても倒せるのは一人だろう。二人同時を相手にしたら地面を舐める羽目になる。
シリルを守りながら戦うような相手ではない。
「ふざけんなよ。じゃあお前らは死ぬつもりだってのか!」
「違う。俺たちだって死ぬつもりはない。だから反乱軍の手伝いをしてほしいんだ」
シリルに胸倉を掴まれて、圭太は首を左右に振った。
「反乱軍が力を蓄えているとはいえ、さすがに牢獄を守る兵士には勝てない。だからシリルの魔力阻害で援護する。そうしたら作戦次第では粘ることができる」
ロイの嗅覚は本物だ。シリルを指揮下に入れても上手く立ち回るだろう。
数も質も劣っている反乱軍だ。勝利は難しい。だけどロイの嗅覚とシリルの魔力があれば、時間稼ぎぐらいはできる。
そして圭太にとって、時間稼ぎさえしてもらえれば十分すぎる働きだった。
「さっき言った強敵がそっちに引き付けられればそれだけ俺たちは有利になる」
一人だけを相手にすればなんとか勝てる。
各個撃破するためにも散りばめてもらわなければならない。反乱軍が粘れば、しびれを切らしたキテラが一人ずつ派遣するだろう。圭太にとって絶好のチャンスだ。
「陽動しろってことか。オレに」
「最終的にキテラを目指すなら、周りの邪魔者を排除しなければならない。そのために魔王の力は不可欠だ」
イブがいれば反乱軍はいらない。
対軍だろうが対英雄だろうが、魔王一人で事足りる。
圭太の最低目的はイブの解放までだ。そこから先は、イブに合わせて動くことになる。
「最年少だってのは分かっている。重圧も並みじゃない。だけどなシリル、お前に頼むしかないんだ」
イブがいない間はシリルが頼りだ。
圭太は自分の無力さに内心で歯ぎしりしていた。
他人頼みで動かなければ作戦は回らない。英雄になりたいというのに、聞いて呆れる体たらくだ。
「オレなら、できるのかな」
シリルは不安そうに顔を俯かせる。
「できるさ。勇者の俺が言うんだ。間違いない」
「胡散臭いな。不安になってきた」
「な、なんだとぉ」
やれやれと肩をすくめるシリルに、圭太はむっとなった。もちろん笑顔で。
「冗談だ。分かった。オレにしかできないって言うなら、やってやるよ」
シリルは胸をはり、自信満々に笑ってくれた。
これで、戦略は固まった。
「頼んだぜ。シリル」
圭太は今回のキーパーソンの頭を笑顔で撫でる。
キテラとの戦争に勝利できるかどうかは彼女の頑張りにかかっている。信頼していないわけではないが、どうしても力を分けてあげたい気分だった。
「だぁーっ、だから保護者ぶるんじゃねえーっ!」
頭を撫でられたシリルは夜空に声を響かせ、両手を振り回して暴れ出した。
夜明けまで、あまり時間はない。




