第三章十三話「助けることはない」
「というわけで協力することになったから」
「何がというわけなのですか?」
ナヴィアは訳が分からないと首を傾げた。
圭太とシリルは最後に墓に一礼した後、シリルの家、獣を解体している真っ最中のナヴィアの元へと帰ってきた。
シリルのために戦うことが決定したのでナヴィアにも話をしようというわけだ。
「そこははい分かりましたって即答するところだろ」
「申し訳ございません」
「いや、今のは理不尽すぎるだろ」
ノリが悪いナヴィアを叱るとシリルが横から口を出してきた。
今大事な説教中なんだが。邪魔しないでくれるか。
「なんだお前まだいたのか?」
「そりゃあ一緒に帰ってきたからな。お前もしかしてバカか?」
「誰がバカだ。俺は天才だぞ」
「コイツに頼ったのは間違いだったんじゃないか……?」
どうしてシリルは腕を組んで考え込むのだろう。
「ケータ様、今度はこの人間に助けを求められたのですか?」
「おうそうだ。泣いて頼まれちゃ断れない」
「泣いてないし無理やり言わされただけだ!」
圭太が軽く頷くとシリルがうがーっと大きな声を出す。うるさい。
「そうですか。ふぅーん」
ナヴィアは獣を捌いていた短剣の血を拭って立ち上がる。なんとなく頬を膨らませている気がした。
「どうしたんだナヴィア? 不機嫌になって」
「なんでもないです!」
「……なんで怒っているんだ?」
疑問に思った圭太が聞いてみるとナヴィアに怒鳴られてしまった。圭太はさらに首を傾げてしまう。
「痴話喧嘩を楽しんでいるところ悪いが、オレは水浴びをしてくる」
誰が痴話喧嘩だ、と圭太は反射的に言いそうになったが何とかこらえた。
ナヴィアが不機嫌な理由には心当たりがある。圭太は彼女の想いに気付いているからだ。イブの余計なおせっかいのせいでもあるが、本人がいないのに愚痴っても意味はない。
「水浴びできる場所があるのですか!?」
ナヴィアは先ほどの不機嫌をどこかへと投げ飛ばして、ついでに触れないようにしようと決めた圭太も押し飛ばして、シリルに駆け寄った。
「うおっなんでそんな食いついて、ああそうか。牢獄にいりゃ水浴びできるわけないよな?」
「はい。場所を教えてください」
事情を察したシリルにナヴィアは勢いよく頷く。
圭太もつい先ほど水辺を探そうと考えていたばかりだ。ナヴィアほどじゃないが、水浴びできる場所の情報は欲しい。
「別に減るもんじゃないからいいけど、オレが先だ。帰ってからでいいだろ?」
「分かりました。お待ちしています」
「誰の奴隷を演じているのかもう分からないな」
忠犬のように頷いたナヴィアに、圭太は思わず苦笑してしまった。
演技で奴隷役をやってもらっているが、大分様になっている。むしろ様になりすぎだ。将来がちょっと心配になってくる。スカルドに怒られる覚悟はしておいたほうがよさそうだ。
「よかったです。血のにおいが取れそうです。ところでケータ様」
タオルを一枚手に取ったシリルが家を出ていく。ナヴィアは安堵したように顔を綻ばせ肩を下ろした。
別にナヴィアは臭くないと思うのだが。何ならいいにおいがするのだが。それを言ってしまえば色々と失う気がする。例えばナヴィアの好感度とか人としての尊厳とか。
「ん?」
「お話があります。お時間よろしいでしょうか」
ナヴィアの表情は真剣そのものだ。ふざけている様子はない。
吸い込まれそうになる整った顔立ちを前にすると煩悩が生まれてくるので、圭太は空気を読んで意識から外した。真面目な話をするのだ。ナヴィアの顔に見惚れている場合ではない。
「どうしたんだよ急に改まって。イブをどう助けるかって話か? それならまだ――」
「違います。わたくしの話です」
「……何が聞きたいんだ?」
イブの話ならこれから考えなければならない。シリルなら今は話せることがほとんどない。
どちらの話題だろうかと考えていた圭太は予想外の話題に一瞬だけ呆ける。だけどすぐに意識を取り戻した。頭の回転の早さだけは人に誇れると思う。
「ケータ様にとってわたくしは何なのでしょうか?」
「――は?」
さらに予想外の問いが飛んできて、圭太は頭が真っ白になった。
何なのだろうとはなんだ。どういう意味だ。
脳が疑問符に埋め尽くされたが圭太は正直に答えることにした。
「何って仲間に決まってるだろ。頼りにしているし、働き者だから感謝しっぱなしだ」
ナヴィアがいて助かっている。今日だって彼女がいなければ食事もままならなかった。シリルと一緒に食料を探すという選択肢もあるにはある。だけど腹いっぱい食べるだけの狩猟が成功するとは考えにくい。
獣を狩れたのは間違いなくナヴィアがいたからだ。今までだって彼女に助けられた場面は数えきれない。
「では、もうわたくしの助けては無くなってしまったのでしょうか?」
圭太をまっすぐ見つめているナヴィア。彼女の顔は不安に染まっている。
「わたくしは人間に捕まったあの日、ケータ様だけでも助かってほしくて逃げてくれと頼みました」
「そうだったな。サンには手も足もでなかったから気持ちは分かるよ」
当時はふざけるなと思ったが、今考えてみるとよく生き残ったものだと呆れてしまう。
サンと圭太の力量差は絶望的で、ピンボールのように飛ばされてばかりだった。攻撃を当てることすら叶わず、不意打ちの救援で何とか抑え込んだぐらいだ。
シャルロットが気を利かせて全力でかけつけてくれなかったら、イブが狙ったようなタイミングで作戦を実行してくれていなければ、圭太はこの世にはいなかった。
「でもケータ様は笑って言いました。俺が望んでいるのはそんな言葉じゃない。夢を叶えさせてくれと」
「そうだったか? あの時は夢中だったから細かく覚えていないんだ」
「わたくしはよく覚えています。あの背中はとても頼もしかったですから」
ナヴィアは懐かしそうに目を細め、嬉しそうに口元を緩めている。
ナヴィアが言うのだから正しいのだろう。頼もしい背中というのは嬉しいが今聞かされるとなんだか恥ずかしい。よくそんな恥ずかしいことを言ったものだ。
「もう一度聞きますケータ様。貴方はわたくしを頼りになる仲間と仰いました。ならもう、わたくしは助けてもらえないのでしょうか」
「――はぁ」
ナヴィアの問いかけに、寂しそうに目尻に涙を浮かべている彼女の問いに、圭太はため息を吐いた。
そうかなるほどそういうことか。
頼られる立場の仲間が助けてもらえる場面はかなり少ないと考えているのだろう。圭太が助けるのはあくまでも自分よりも弱い者だけで、圭太に頼られてしまっている自分はもう背中からこぼれてしまったと考えているのだろう。
「なんだよ嫉妬か? もしそうだとしたらごめんよ。気苦労をかけて」
「わたくしは責めたいのではなくて!」
「分かってるよ。教えてほしいんだろ? 俺がナヴィアのヒーローのままなのか」
圭太は茶化すように笑みを貼り付けて、自分の言いたいこととずれたと感じたナヴィアに怒鳴られてしまった。
茶化したくもなる。だってとても当たり前でとても恥ずかしい話をしようとしているのだから。
「俺はさ。ナヴィアをとっても頼りにしてる。戦闘の腕はもちろん、イブの面倒や料理や消耗品の管理もしてくれるからな。正直俺とイブだけだったら旅もままならなかったと思う」
ナヴィアがいなければ食料の管理はできていなかった。イブは遠慮せず一か月分の食料を三日で食い尽くしていただろう。
ナヴィアがいなければイブの面倒もままならなかった。もしも水浴びに行きたいとか言われれば即刻ゲームオーバーだ。圭太にはどうすることもできない。
ナヴィアがいなければ圭太もイブももっと疲れ切った顔になっていた。もしかしたら日ごろの鬱憤が溜まって喧嘩別れをしていたかもしれない。
今も旅を続けられるのはナヴィアがいるからだ。圭太がイブを奪われてもまだ落ち着いていられるのもナヴィアが傍らにいてくれるからだ。
「それじゃあやっぱり」
「ああそうだ。もうナヴィアを助けることはないよ」
圭太の言葉にナヴィアの顔から表情が消えた。今にも死にそうなぐらい顔を青くして、呼吸も浅くなっていく。
「なんで驚くんだ。当然だろ。お前は俺の仲間だぜ? どうして助けを求めるような状況にまで追い込ませるんだよ」
「…………へ?」
圭太は微笑んで、あからさまに動揺しているナヴィアの髪を指で梳く。
「ナヴィアは俺より強い。これは間違いない。だけどそれでも奴隷商に一度捕まった」
たった数分の出来事だった。ナヴィアを一人で行動させたせいで、危うく彼女を失うところだった。
ナヴィアはとても魅力的な女性だ。圭太が所有している証である首輪がなければすぐに奪われてしまうぐらいに。
「怖い思いは二度とさせない。これでも結構悔しく思ったんだぜ? じゃなかったら俺は残らなかった。囮はシャルロットにでも頼んでいたさ」
合理性で言うならシャルロットが残るほうが正しかった。あの町で兵士と呼べるのはサンだけだ。他の有象無象なら圭太だけでも対応ができる。時間稼ぎという観点から話をすれば、圭太が残らなければならない理由はなかった。
「もう二度とナヴィアを助けない。そんな窮地は二度と与えない。もし力が及ばなかったときは俺も一緒だ」
圭太は現実主義だ。絶対に守り抜くと断言する度胸はない。
「そのときは一緒に落ちるところまで落ちようぜ」
だけど一緒にいることはできる。圭太が寿命を迎えて先に死ぬまでは、ナヴィアのご主人様でいることぐらいはできる。
圭太は顔を赤くしてナヴィアの髪先から手を放した。
あの事件以来初めて明かす心境だ。正直言ってとても恥ずかしくなった。
「け……たさ」
ナヴィアは顔を両手で覆って泣き崩れた。
「お、おいおい泣くなよ。悪かったって期待に応えられなくて」
「違、です。嬉しいんです」
圭太が慌てて駆け寄ってしゃがみ、肩を掴んであげるとナヴィアに抱き着かれた。
「ケータ様はいつかわたくしを捨てるのではと思っていました。見限って、二度と助けてくれないのかと思っていました」
「そんなわけないだろ! 俺はどんなクソ野郎だ」
鼻をすする音と涙声が圭太の顔の横から聞こえてくる。
圭太は背中を軽く叩いた。確か泣いている子供をあやすにはこれがよかったはずだ。
抱き着かれている状態だけど、圭太から抱きしめることはできない。それをすればナヴィアの好意を受け入れることになってしまう。
圭太はこの戦いが終わったとき自分は生きていないだろうと考えていた。勇者もアダムも命を惜しんで勝てるような相手ではないと理解していたからだ。
「わたくしはケータ様とずっと一緒にいます。永遠に尽くします!」
その永遠がいつまで続くのかは分からないけどな。
圭太は口の中だけで呟いて、すぐに言葉を呑み込んだ。
「あっ、あはは。頼むよナヴィア。こんなに頼りない俺だけど、ずっとついてきてくれ」
「はい! 絶対に離しません!」
ナヴィアの頼りになる返事に、圭太は儚い苦笑を漏らした。




